第三計 三回頼んで、『三顧の礼』



 南雲さんの送別会は開かなくていいだろう。

 玄徳はそう結論した。八重垣さんは勝手なことを言うし、シボーさんはあんな調子だし、みんなが協力してくれる雰囲気ではない。


 南雲さんには、「みんなからです」とプレゼントを渡せばそれで十分喜んでもらえる。

 玄徳はそう考えていた。



 が、その三日後。

 今月末には退社する予定の南雲さんから、玄徳は裏に呼び出された。

 南雲さんの顔は真っ青で、表情も強張っている。なにか大きなクレームでも来たのかな? 玄徳は緊張して、扉裏の通路へ、南雲さんについて入って行った。


「玄徳くん。もしかして、あたしのためにプレゼントか何か買うとか、そういうことを計画しているの?」

 鋭く誰何するようなたずね方だった。


 玄徳はどきりとしながらも、「はい」と答える。

 なんで南雲さん本人がそのことを知っているのだろう?という疑問よりも、表情をこわばらせた南雲さんの態度に玄徳は首をかしげる。

 プレゼントを贈ることが、なにかまずいのだろうか?


「あたしのために、そういうことをしてくれるのは、ありがたいんだけど……」


 南雲さんは重い口調で話しはじめた。


「大道寺くんが遅番の子たちから、お金を徴収したみたいなんだけど、払うのがさも当然みたいな集め方したらしくて、遅番の女の子のご両親から、店にクレームが来たのよ。それで大道寺くんには店長から直接注意が行ったんだけど、彼が言うには、玄徳くんが言い出したって話で。まあ、あなたが注意されるわけではないけれど、一応直属の上司にあたるあたしから、今後はこういったこともあるから、お金を集めたりするときには注意するように、とあなたへ警告するよう店長から言われたわ。まあ、そういうことだから、あなたの気持ちはありがたいけれど、プレゼントの話は無かったことにしてくれる」


「はあ、まあ……」


 玄徳はがっくりと肩を落とした。


 なんだそれ。大道寺、ふざけんな。とは思ったが、それは口には出せない。それよりも、南雲さんへのプレゼント企画が潰れてしまったことの方がショックだった。しかも、善意でやったことが、却って南雲さんの迷惑になってしまった。そう考え、玄徳はさらに落ち込む。


「すみませんでした」

 深く頭を下げた。

 クレームが来て南雲さんが店長から注意されたこともそうだが、プレゼントを渡す程度の簡単なことも、まともに達成出来ない自分が情けなかった。


「ううん、玄徳くん、ありがとう。気持ちはとても嬉しいわ。あたしは、その気持ちだけで十分だから」


 南雲さんは無理に笑って、その場を去って行った。


 玄徳のやったことは、結果として南雲さんを少し悲しませた程度のことだった。自分は南雲さんを喜ばせたかったのではないか? これでは、全然逆ではないか。


 玄徳はやむにやまれぬ気持ちで休憩室にもどった。






 休憩室のテーブルでは、筒井さんが女性誌を読んでいた。

 筒井さんは一レジの文庫担当。

 背が低く、子猫のような可愛らしい女子で、女優の北川優子にちょっと似ている。長い髪を背中まで伸ばしているところも、そっくりだ。性格もいいし、仕事もきちんとするし。いわば1レジのマドンナ的存在。


 筒井さんは、玄徳が入っていくと顔をあげ、気さくに話しかけてきた。

「南雲さんへのプレゼント、だめになっちゃったんだって? 残念だったね」


「うん、まあ」


「じゃあ、もう何もしないの?」


「さあ、どうだろう?」


「送別会もなし?」


「しないかも知れないね」


「残念だなぁ」

 筒井さんは開いた女性誌のページに目をもどす。


 それを聞いた玄徳は立ち上がった。そのまま休憩室を出てバックヤードに直行し、台車に積み上げられた児童書の納品を整理している八重垣さんに声を掛けた。


「あの、南雲さんの送別会なんですけど、やっぱやった方がいいかな?って思うんですが」


「ああ、そうか」仕事の手をとめずに八重垣さんは玄徳の方をちらりと見る。「プレゼント中止になっちゃったらしいね」


「ですから、送別会だけでもやった方がいいかな?って。八重垣さん、やっぱ幹事お願いできないですかね?」


「ぼくは2レジのバイトだからね。ぼくが音頭取るのは筋違いでしょう」


「別に誰が幹事やってもおんなじだと思うんですけど」


「そうかなぁ? でも、1レジの南雲さんの送別会なら、1レジの人が音頭取りしないとおかしいよね。中でも直属の部下の君がやらないと、みんな納得しないと思うけど」


「でも、ぼくに人を集めるだけの人望はないし、幹事なんてやったことないし」


「送別会、だれのためにやるの?」


「南雲さんのために……」


「シボーさんには頼んだ? 幹事じゃなくて、軍師のこと」


「断られました」


「何回頼んだ?」


「は? 一回ですけど」


「じゃあ、あと2回頼んでみなよ。『三顧の礼』って言うじゃない」


「ええー」

 玄徳は肩をすくめた。

「そこまでの軍師なんですか、シボーさん」


「というか、シボーさん、そういうの好きだから、三回頼めば、『三顧の礼』だとか言ってきっと引き受けてくれるよ」


「ええー、そうなんですかねー」


 正直、玄徳はこのとき、半信半疑だった。だが、一応試してみようとは思ったのだ。




 玄徳はさっそくシボーさんの元へ行った。

 シボーさんは売り場で棚整理をしていたが、玄徳が声をかけると、手を止めて振り返る。


「あの、シボーさん。南雲さんの送別会の件なんですか、やはりシボーさんに幹事をお願いできないかと思って……」


「なんであたしが、そんなメンドクサイ事やらにゃーならんのだ? おまえがやれ。他人をあてにするのはやめろ」


「はあ、すみません」


 玄徳は素直に引き下がりつつ、こっそり指を折る。これで2回目、と。



 そして、その日の帰り際、休憩室で赤本の台帳をつけていたシボーさんを発見した玄徳は、「よし」と心の中で気合を入れて、シボーさんに声を掛けた。


「あの、シボーさん」

「やだ」

「いや、まだ何も言ってないじゃないですか」

「どうせ、送別会の幹事だろ。だから嫌だ」


 そこで玄徳はにやりとして、仏頂面のシボーさんに言ってやった。

「これで三回頼みましたよ」

「スリーアウト・チェンジか?」

「いや、そーじゃなくて、『三顧の礼』ですよ」


「おまえアホか」長椅子に腰を下ろしていたシボーさんは、細身の身体をぐいと起こし、黒縁メガネの向こうから玄徳を睨み上げてきた。


「諸葛亮が、劉玄徳の『三顧の礼』に感動したのは、当時二十代の一介の文士である諸葛亮のもとに、四十代で名のある英傑が三度も訪れたからだ。年下で後輩バイトの坊やに、三回口先で頼まれたくらいで、それ『三顧の礼』だと感動して、あたしが幹事なんぞ引き受けたりするものか。いいかげんにしろ」


「……すみません」


 玄徳はうなだれた。

 たしかにシボーさんの言う通りだ。三回頼んだからといって、それだけで人が「うん」と言ってくれたら、苦労はない。これはちょっとシボーさんのことをバカにし過ぎたかもしれない。


「すみませんでした、シボーさん。ただ、ちょっとぼくも焦っていて。辞める南雲さんに何かしてあげたいと思うんですが、プレゼント計画は頓挫してしまうし、ぼくの人望では送別会を開く自信もないしで、どうしていいか分からなくて……。幹事じゃなくていいんです。ぼくが幹事をやって、その軍師としてシボーさんがついてくれるだけでいいんです」


「オーバーなやつだなぁ」シボーさんが呆れた声をだす。「送別会なんて、普通に開けばいいじゃないか。なんも難しいことなんてない」


「そうなんですが……」


「いいだろう」シボーさんがぱたんと音を立てて台帳を閉じる。「あたしがおまえの軍師として手伝ってやろう。それなら、簡単なんだろう?」

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