5-5
年が明けた。
ここぞとばかりに騒ぎ始める上野の街とは対象的に、僕は暗く沈んでいた。毎日ただ起きて寝るだけ。僕が「しばらく放っておいてくれ」と頼んだから、ケイゴもソンもカトウも連絡を寄越さない。母さんは僕を心配して色々と気づかってくれているけれど、僕は感謝も何も返せない。僕は疲れていた。どうしようもなく、疲弊しきっていた。
明日から新学期が始まる日に至っても、僕は変わらずにそのままだった。勉強しなきゃと机の上にノートと参考書を開いて向かい合い、だけど何もする気が起きずにぼうっと呆ける。そのうち、ノートの隣に置いてあるスマホが震えた。電話。画面を覗き、月の王の名前が見えて、少し目が覚める。
コール十回分ぐらい悩んでから、電話に出る。月の王はいつも通り淡々と僕に用件を告げた。渡したいものがあるから上野公園の噴水広場まで来て欲しい。それだけ。気遣いも何もない言い方が、何だかやけに心地良かった。
外着に着替え、コートを羽織ってアパートから出る。僕が噴水広場に着いた時、月の王は既に広場に到着していた。高そうなトレンチコートに身を包み、難しい顔をして噴水の縁に腰かける月の王の隣に座る。そして軽い挨拶を交わしてから、本題を切り出す。
「渡したいものってなんですか」
月の王の表情がほんの少し緩んだ。小さく息を吐き、軽く肩を竦める。
「そんなに焦らなくてもいいだろう。私と話はしたくないか?」
貴方だけではなく、今は誰とも話をしたくありません。つっかかる言葉を飲み込む。月の王がコートのポケットから煙草とライターを取り出し、火をつけてふかし出した。
「煙草、再開したんですね」
「もう気兼ねする相手もいないからな。やりたいことをやって早死にするさ」
どこか投げやりな台詞。寒空に消える煙を眺め、月の王が独り言のように呟く。
「葬儀は無事に終わったよ。故郷の友達がたくさん来て、泣いてくれた」
僕が行かなかった葬儀の話。イブのデートで会った先代カグヤナイツたちの顔を思い浮かべながら、僕は口を開く。
「変な話ですよね」俯き、言葉を吐き捨てる。「月に帰っただけなのに、葬儀なんて」
月の王は、僕の言葉に何も答えなかった。ただ黙って薄青色の空を見上げる。それから携帯灰皿で煙草の火を消し、コートの内側に手を突っ込む。中から出てきたのはブラウンのシックなカバーがついた、見覚えのある厚い本のようなもの。
冒険の書。
「これを、君に」
冒険の書を両手で受け取る。理屈に合わない重みがずっしりと手に圧し掛かる。
「君や君の友達のことがたくさん書いてあった。最後のメッセージもある。是非、友達にも読んでもらってくれ」
「……僕が貰っていいんですか」
「ああ。それが娘の意志だ」
姫の意志。戸惑う僕を見て、月の王がふっと優しく笑った。
「君は、男にとっての『恋』と『愛』の違いについて考えたことはあるか?」
いきなりすぎる質問。僕は首を横に振った。月の王が過去を覗き見るように目を細め、中空を見上げる。
「私はある。まだ恋人だった妻に考えさせられた。いつか息子が出来たら言おうと思っていたんだが、出来なかったからな。忘れる前に君に言っておく」
少し溜める。それから、白い息と共に言葉を吐く。
「その人の前でカッコつけたくなるのが『恋』で、その人のためならカッコ悪くなれるのが『愛』だ」
カッコいい。カッコ悪い。
僕の、僕たちの一番大事な価値観。それを中学三年生の娘がいる中年男が口にしたことが衝撃的で、僕は目を見開いて固まった。月の王が怪訝そうに眉根をひそめる。
「そこまで驚くようなことか?」
「……相馬さんぐらいの年の人が、カッコいいとか悪いとかで物事を判断していると思わなかったので」
「なぜ」
「中学生っぽくないですか?」
「そんなことはないさ。いくつになっても男の価値判断基準なんてそんなものだ」
月の王が新しい煙草に火つけた。ぼんやりした目で、ふーと煙を吹かす。
「私だって、本気で神に縋っていたわけじゃない」
神に縋る。『光の旅人』事件。お互いを想いやっていたはずの姫と月の王が、なぜか噛み合わなかった部分。
「ただ、出来ることはやりたかった。賭ける場があるなら賭けたかった。失うものが私の金だけなら、躊躇うことはないと。実際は金なんかよりずっと大事なものを失っていて、それを君に教えられたんだがな」
火のついた煙草を指の間に挟んだまま、月の王がだらりと両腕を下げた。
「守りたかったんだ」
月の王の指から煙草が落ちた。コンクリートの上に灰が散らばる。
「どうしても、何をしても、守りたかった。どれだけ情けなくても、カッコ悪くても、あの子さえ救われてくれればそれで良かった。なのに――」
開いた両手で、月の王が自らの顔を覆った。泣いている。そう分かる声で、呪詛のように繰り返す。
「ちくちょう。ちくしょう。ちくしょう。ちくしょう……」
この世でたった一人、僕よりも姫を愛していた男の涙。僕は冒険の書を持つ両手を腿の上に置いた。僕も泣いてしまうわけにはいかないとただそれだけを考えながら、今は何も嵌まっていない左手の薬指を見つめ、黙って月の王の隣に居続けた。
◆
持ち帰った冒険の書を、僕はしばらく部屋に放っておいた。
いずれ読まなくてはならないのは分かっていた。だけど、どうしてもすぐ読む気にはなれなかった。読めば確実に世界が変わる。だけど良い方に変わるか悪い方に変わるか、それは分からない。もし悪い方に変わったとしたら僕はいよいよおしまいだろう。そういう予感が手を鈍らせた。
そして、夜中。
僕はいつも通りに眠れなかった。姫が月に帰ってからずっと、僕は夜中の三時四時まで無駄に起き続け、翌朝の十時ぐらいに起きるというサイクルを繰り返していた。だけど明日は学校だ。さすがに早く寝なくてはならない。そう意気込んでベッドに潜り込むけれど、頭が冴えてどうしようもない。やり残していることがちらついて、心がざわついてどうしようもない。
内なる戦いを続けること三十分。僕はむくりとベッドから起き、部屋の電気をつけた。机の引き出しを開け、冒険の書を取り出して机の上に置く。目を瞑り、表紙を撫でながら、精神鍛錬を行う格闘家のように静かに呼吸を整える。
もう、知るか。
僕はもうとっくに自力走行が不可能な程度にはぶっ壊れている。このまま錆ついて朽ち果てようとも、修復不可能なレベルまで一気に大破しようとも、何も変わりはしない。恐れるな。怯えるな。
――逃げるな。
僕は、冒険の書を開いた。
『前の日記帳はまだ残っているけれど、今日からこっちに変えることにした。書きたいことが山盛りすぎて、何から書いていいか分からない。何から書いてもいいんだろうけど、何か一つを選んで書いている間に他のことの記憶が薄れてしまうのが怖い。こんなにも大切にしたい思い出が一度にたくさんできたのは初めてだ。嬉しい。本当に嬉しい。まずはこの気持ちを忘れないよう、書き留めておくことにしよう』
日付を見る。僕が姫と一緒に学校の屋上から飛び降りた次の日。僕たちがカグヤナイツに任命される直前。
『ドキドキがまだ残っている。集会から連れ出された時も、二人乗りの自転車で走った時も、学校に忍び込んだ時も、屋上から落ちた時も全部ドキドキしたけど、やっぱり一番ドキドキしたのはヒロトに抱き締められた時だ。あれはすごかった。身体全部が心臓になっちゃったみたいだった。恋なんて言葉じゃ生温い。どうすればいいんだろう。なんかあいつ、ちょっとカッコつけなところあるから、向こうから好きとか言ってこない気がする。わたしからガンガン行った方がいいのかな。でも下手に出ると調子に乗るタイプだよね。難しい』
僕は苦笑いを浮かべた。まだろくに会話も交わしていなかったはずなのに、僕のことをよく分かっている。どうりで手玉に取られるわけだ。
ページをめくる。僕たちを騎士団に任命した日の日記。ヤクザの事務所にカチコミに行った日の日記。ケイゴの本音を聞いた日の日記。そして――
『武闘家ケイゴ大勝利! 希望の未来へレディー・ゴー!
変なタイトル。まあ、本人の希望なんだからしょうがないか。それにしてもケイゴくんが高校に行けるようになって本当に良かった。高校でも素敵な友達が出来るといいなあ。でも正直、ヒロトたち以上に素敵な友達なんてわたしにはちょっと思いつかない。四人でわちゃわちゃしてるのを見てると、わたしも男の子になって混ざりたいなーって思うことがよくあるもん。でもそれはダメか。ヒロトと結婚できなくなっちゃう。せっかく婚約まで取り付けたのに。
そうだ。思い出した。わたしたちは結婚するんだ。誓いのキスもしたんだし、ちゃんと書いておかないと。十八歳のヒロトはどんな男の子になってるのかな。医者になってわたしを治すとか大きなこと言ってたけれど、案外、あっさり諦めてたりして。十八歳のわたしはどうなってるんだろう。美人になってたらいいなあ。あと、髪はちゃんと生えていて欲しい。これはほんと切実。
あれ?
今、わたし、自分の未来のこと書いてる?
うわ、すごい。これちょっとすごいよ。誰にも伝わらないのがすごくもったいない。三年も先のこと書いちゃってるよ、わたし。うわー。
すごいなあ。ヒロトが守ってくれるって、信じてるんだ。ほんと、頑張ろう。絶対にウェディングドレス着るんだ。月の使者なんか、ぶっ倒せ』
手が止まった。
胸の奥から感情の塊がこみあげてくる。僕は唾と一緒にそれを飲み込み、押し戻す。少し目を閉じ、血液が全身に行き渡るイメージを脳内に描き、再び指先を動かす。
『ソンくんが彼女さんを連れて来た。中国人嫌いのお父さんにソンくんを認めさせるミッション付き。んー、なんだろ。こういうこと書きたくないんだけど、あまり合わない気がするなあ。ソンくんの考えてることに比べて彼女さんの考えてることが浅くて、浅いのに踏み込み過ぎてて、すごくチグハグな感じ。女の勘は警報鳴らしっぱなしなんだけど、決めるのはソンくんだし、いっか。わたしだって恋愛の達人ってわけじゃないもんね。わたしの予想なんかひょいっと飛び越えてハッピーになっちゃえばいいと思うよ』
椿山さんと初めて会った時のことを思い返す。姫は作戦に協力的で「この二人は上手く行きそうにない」なんて思っている素振りは見せなかった。なのに、裏ではこんなことを考えていた。やっぱり女の子って侮れない。
『ソンくんと彼女さんはやっぱりダメだった。まあ、仕方ないよね。あれは無理。ソンくんはよく我慢した方だと思う。最後は我慢出来てなかったけど。改めて、冷静な人ほど怒らせると怖いんだなと思った出来事でした。わたしも気をつけよう。
ソンくんも大変だよね。この国にいるだけでああいうことが起き続けるんだもん。でも中国に行ってもおんなじなのかな。あっちでは日本人扱いされたりして。だとしたら、すごく理不尽。
ただ、なんていうのかな。理不尽にギュッと押さえつけられてるソンくんが、わたしにはバネに見えた。力を溜めて、溜めて、いつかビヨヨーンってすごい遠くまで飛んでいくように思えた。ソンくんだけじゃなくて、ヒロトやケイゴくんからもそういう雰囲気を感じることがある。どうしようもない力で押さえつけられて、それでもポキッって折れちゃわなかった人は、やっぱりすごく強い。わたしも強くなろう。折れないように、めげないように。そうじゃなきゃ、ヒロトと対等に向き合えない』
――過大評価だ。君の方が何十倍も、何百倍も強い。僕なんかより、ずっと。
『カトウくんが家出して、もう三日になる。どこにいるんだろう。何をしてるんだろう。心配でたまらない。わたしが倒れなければあんなことにはならなかったのだろうか。素直に病室で休んでいれば良かった。いくら後悔してもし足りない。
ただわたしは、ヒロトたちよりわたしの方がカトウくんを理解できると思った。それはたぶん、間違っていないと思う。カトウくんはやっぱりちょっと歩き方が違う。他のみんなは前を見ているのに、カトウくんはみんなの背中を見ている。そんな感じがする。そしてカトウくんがそんな自分に気づいていて、それを気に入っていないのも何となく分かる。わたしもカトウくんと同じだから。
ヒロトと出会ってから、わたしは何か変わった?
ヒロトはすごいスピードで成長している。国立大学の医学部に進学して医者になるなんて絶対に無謀だと思ってたのに、いつの間にか不可能じゃないぐらいになってる。なのにわたしは、何にも変わっていない。このままだと置いて行かれる。いつまでも君の騎士団ごっこには付き合ってられないよって、捨てられてしまう。
怖い。
わたしがいなくなっても世界が回り続けるのが怖い。
お願いします、神さま。
時間を止めて下さい。
もっと、ずっと、わたしたちを無邪気な中学生のままでいさせて下さい。
お願いします』
変わる周囲。変われない自分。変わらずに回り続ける世界。
日記帳を持つ手に自然と力がこもる。半年前は三年後のウェディングドレスを夢見ていたはずなのに、いつの間にか、永遠に今が続くことを願うようになっている。きっと予感していたのだろう。月の使者の襲来を。僕たちの敗北を。
ゆっくりとページを進める。日付がいきなりジャンプする。倒れた後の日記。無菌室で記した言葉。
『カトウくんの件が解決したみたい。本当に良かった。だけど、それを報告してくれたヒロトの声はとても暗かった。わたしは「大丈夫だから元気出して」なんて言ったけれど、本当はヒロトが落ち込んでいてちょっと嬉しかった。もっと心配して欲しいと思った。そう思える相手がいるのって、もしかしたら、すごく幸せなことなのかも。
それにしても、いつものことながら無菌室は退屈だ。ヒロトにガンガン電話して、たくさんパワーを分けてもらおう。カトウくんは前に進んだ。わたしも進みたい。みんなと肩を並べて走りたい。絶対に、走ってみせる』
力強い決意。右下に描かれた「おー」と片手を挙げる猫の絵。だけどそこから、日記の雰囲気が変わる。
『今日は何もなかった。ヒロトたちと出会う前みたいだった。退屈で死にそう。昔のわたしってタフだったんだな。尊敬する』
『だるい。日記を書く気力がない。いいや。どうせ何も書くことなんてないし』
『ヒロトと電話した。すごく楽しかったのに、何を話したかよく覚えてない。薬が強い。頭がぼんやりする』
『本当にここにいることがわたしにとってプラスなのかな。外に出てヒロトの傍にいた方がよっぽど元気になれる気がする。おかしいよ。絶対におかしい』
短い日記。増える弱気な言葉。日記を書かない日も出てきて、そして――
『今日、最後にヒロトとデートがしたいってパパに頼んだ』
最後。冷たい言葉に、心臓が縮こまる。
『本当に最後にする気はない。パパも「最後なんて言うな」と言ってくれた。でも外出許可は下りた。きっと本当に危ないんだろうな。わたしのことだ。よく分かる。
故郷に行ってお墓参り。イブなんだし、もっとロマンチックなところにすれば良かったかもしれない。でも最後かもしれないって思ったら、どうしても行きたくなって無理だった。ナオちゃん元気かなあ。カスミンとリエチーにも会いたい。タックーはいい加減カスミンと付き合ってるのかな。絶対好きだもんね。だからわたしは身を引いたんだし。
みんなにヒロトを紹介して、自慢して、そうしたらもしそれが最後になっても、みんなの思い出にはわたしとヒロトがまとめて一緒に残るんだよね。そういえばあの時カレシ連れて来てたなあみたいな感じで。それはちょっと嬉しいかもしれない。もちろん、最後になんてしたくはないけれど。
久々に楽しみなことが出来た。日記もたくさん書いた。頑張ろう。ヒロトが一緒なら、わたしはまだやれる』
止めろ。
僕の中の誰かが警告する。そこから先は断崖絶壁だ。戻れなくなるぞ。探索を止めて帰ってこい。大丈夫。どんなに辛いことだって、時間が経てばいずれは忘れるさ――
――忘れるかよ。
僕は、ページをめくった。
『今日はヒロトとデートをした。短かったなあ。あっという間だった。久しぶりに会ったヒロトはなんかやつれてる気がした。人のこと言えないと思うけど。
プレゼントも貰っちゃった。ペアリングなんかくれちゃって、なんかグッと来た。婚約してたこと思い出しちゃった。あと三年。三年かあ。さすがに長いかも。今日、指輪交換みたいなこと出来て良かった。
……ダメだな。せっかくヒロトと会えたのに弱気になってる。ヒロトにも怒られたんだから反省しないと。わたしを守る騎士団が誰も諦めてないのに、わたしが最初に諦めるのは良くないよね。
歌って、とか適当なこと言っちゃったけど、本当に歌うのかな。何歌うんだろ。やっぱりブルーハーツかな。上手なのかな。それとも、音痴なのかな。さすがに病院でロックは歌えないよね。じゃあどこで歌うんだろ。うーん、気になる。
でもどこで歌っても、なんか、ちゃんと届く気がする。ヒロトの歌声、きっと聞こえると思う。ヒロトがちゃんと月の使者を追い返したら感想を言ってあげよう。聞こえたよ。嬉しかったよ。
カッコよかったよって』
水滴が、文字を滲ませる。
零れ落ちた涙を拭く。目の周りを拭って、日記帳と向き合う。だけどすぐ新しい涙が次から次へと溢れては落ち、僕は両手で顔を覆い、うーうーと獣のように唸り出す。
何が、戦士。
何が、カグヤナイツ。
口だけだ。全部、何もかも、口だけ。カッコつけて守るなんて言って、気休めにしかならない希望を与えて、一番大事な戦いにはあっけなく惨敗。これなら希望なんか持たせない方が良かった。「月に帰ることは怖くない」。そう思っていた方が心安らかに時を過ごせた。僕たちは、出会わない方が良かったのだ。
――ごめん。
心の中で謝罪を告げながら、日記帳をめくる。開かれた左側のページには何も書かれていない。全くの白紙。そして右側のページにも、日記は書かれていない。たった十一文字の言葉が、日記の丸っこい文字とは違うかしこまった字体で大きく記されている。
『カグヤナイツのみんなへ』
◆
『この文章をわたしではない誰かが読んでいるということは、わたしはもう、地球にはいないのでしょう。
ザ・テンプレ。でもしょうがないよね。テンプレって使いやすくて優秀だからテンプレになるんだし。でもこのテンプレ、最初に使ったの誰なんだろ。気になるなあ。後で調べてみよ。って、ただの日記になっちゃってるよ。やりなおし。
さて、これからカグヤナイツのみんなに向けて最後の言葉を遺したいと思います。パパには手紙書いたんだけど、みんなにはここに書き残すのが一番いい気がするんだ。手紙欲しかったならごめんね。とりあえずヒロトにはこの冒険の書を丸ごとあげる予定だから、それで許して。
まずはみんな、わたしのために戦ってくれて本当にありがとう。
どうやって戦ったのかな。祈ったのかな。それとも、歌ったのかな。でもこれを読んでるってことは負けちゃったんだよね。まあ、しょうがないよ。あいつら強すぎるもん。負けイベントみたいなもんだし、気持ち切りかえてこ。
……というわけにもいかないよねえ。分かる。ごめんね、なんか軽くて。負けて落ち込んでるだろうし、明るくしなきゃと思って。
えっと、まずは騎士団全体に向けての言葉から。
四月の終わりにみんなをわたしの騎士団にして、色々なことを一緒に経験して、もうね、控えめに言って最高だった。一緒にゲームしたり勉強したりする普通のことも、ヤクザの事務所にカチコミに行ったりするとんでもないことも、とにかく全部楽しかった。笑えないようなこともそれなりにあったけど、振り返ればいい思い出だよね。カトウくんは「よくねーよ!」とか言いそうだけど。
みんなは楽しかったかな。
楽しかったなら、嬉しいな。
これからみんなは新しい世界に踏み出すんだよね。そこでまたみんな一緒なのか、別々なのかは分からないけれど、新しい冒険をするんだよね。それで時々でいいから、わたしとの冒険のことも思い出して。セーブデータ、上書きしないで、ちゃんと別のところに保存しておいて。それ以上のことはわたし、何にも求めないから。
なんか、どうしても湿っぽくなっちゃうなあ。ちゃっちゃと騎士団一人一人のメッセージに進もうか。このままだと、書いてるわたしが辛い。
じゃあ最初は、盗賊カトウくんへ。
カトウくんにはまず何よりも先に謝りたいことがあるの。最初に名前聞いた時に笑ってごめん。不意打ちで耐えられなかった。でもカトウくん、名前のことはそもそも話題に出すのがNGって感じだったし、「名前笑ってごめんね」とも言えなくてさ。謝るのが遅くなっちゃった。許して。
わたしの中でカトウくんのイメージは騎士団のムードメーカー。あとちっちゃくてかわいいマスコット。男の子だし、そんなこと言われても嬉しくないかな。でもわたしは誇っていいと思うんだ。それはヒロトにもケイゴくんにもソンくんも持ってない、カトウくんだけの魅力だから。
前の日記にも書いたけど、カトウくんはとてもわたしに近い人だったと思う。大好きな人たちに追いつけないの、辛いよね。でもね、四人の中で一番道に迷わないのはカトウくんじゃないかな。ヒロトたちは背負ってるものに振り回されてわけわかんないところに行ったりするけど、カトウくんはフラットに進むべき道を見て歩ける。だから、ヒロトたちが背負い過ぎて潰れそうな時は助けてあげて。それがわたしからカトウくんに送る、最後のミッションです。
次に、魔法使いのソンくん。
ソンくんはねー、あんまり言うことないかも。どうでもいいとか、そういうことじゃなくてさ。わたし程度が考えてることなんてもうずっと前に考えてそうで、変なこと言えないんだよね。なに言っても「知ってる」「分かってる」って言われそう。
カトウくんが騎士団のムードメーカーだとすると、ソンくんはまとめ役かな。団長がヒロトなのは分かってるよ。でもね、ヒロト、ケイゴくん、カトウくんの三人で話し合ってまとまる気がしないの。どんどん発散していきそう。そこをソンくんがビシッとしめてくれる。いぶし銀だよね。
ソンくんが押し付けられる国境線は、この先どんどん濃くなるんだと思う。でもね、「違う」ってことと「敵」だってことはイコールじゃないよ。わたしとあなたは違う人、だけどわたしはあなたが好き。そういうのは普通にありえるから。だからあんまり考えすぎないで気楽に行こう。あとそうだ、思い出した。ブチギレ禁止令だしとく。あれはほんとそのうち刺されるよ。気をつけて。
それから、武闘家ケイゴくん。
ケイゴくんはね、ぶっちゃけ、怖かった。金パだったし。でも最初と今で一番イメージ変わったのもケイゴくんだな。本当は誰よりも優しくて、ぶっきらぼうなのは言葉を知らないだけなんだなって分かった。この言い方、失礼だね。書いてから気づいた。ごめん。
ケイゴくんは騎士団の土台って感じ。普段はあんまり前に出ないんだけど、いなくなるとすごく困る。そこに居るだけでみんなに安心を与えてくれる存在。ヤクザ風に言うと「ケツモチ」ってやつかな。ちょっと違うか。とにかく、もうどうしようもなくなってもケイゴくんがいればどうにかなるんじゃないかなって思えるの。オーラが力強いんだよね。上手く言えないんだけど。
勉強、ほんと頑張ってね。せっかく高校に行けるようになったんだから、絶対に無駄にしないで。たまにズバッと核心ついたこと言うし、地頭は悪くないと思うから、行けるよ。それで無事に高校に合格出来たら、ちゃんと友達作ってね。これは命令です。わたしは受験よりそっちの方が心配。ケイゴくん、口下手だから。
さて、いよいよ最後。我らがカグヤナイツ騎士団長様。
戦士、ヒロト。
ヒロトはね、もーとにかくカッコつけ! いや、ヒロトだけじゃなくてみんなそういうところあるよ。でもやっぱヒロトがダントツ。集会から拉致って学校の屋上に連れて行ってそこから一緒に飛び降りるとか過剰演出にもほどがあるでしょ。まあ、それにやられちゃったわたしが言えたことじゃないけどさ。だってカッコよかったんだもん。
でも見てると、そういうヒロトが騎士団の柱なんだよね。だいたい変なこと言い出すのはわたしかヒロトで、みんながそれを実現してくれる。ヒロトをきっかけに集まった仲間だって聞いたし、そういうところもあるのかな。すごいのはそれを誰も嫌がってないところだよね。本当にいい友達だなあって思うよ。高校生になっても仲良くして欲しいな。
えっと。
ごめん、なんか、ちょっとダメかも。言いたいこと、たくさんあるのに、そのたくさんがぜんぶ頭の中でワッてなって出てこない。どうしよう。困った。
ちょっと、わたしのこと書くね。
わたしの故郷には一緒に行ったよね。それで中学生になってから、今の病院に通いながら通学するために引っ越したんだけど、そこでは友達ぜんぜん出来なかったの。そのうち長期入院になって、毎日暇を持て余すようになってさ。パパはよくわかんない宗教にお金貢ぎ始めちゃうし、もうほんとサイアクって感じだった。
それで、何かふと「逆ナンしよう」って思ったんだよね。このまま待ってても王子様が迎えにくるようなことはない。だったらわたしから出ていかなきゃ、みたいな。それで夜桜が見たいって言って外に出て、ウロウロしてたの。
そこで、ヒロトを見つけた。
ヒロトの目にどう映ったかは知らないけど、わたしはあの時、すごい緊張してた。連絡先交換しないで別れちゃったの、病院に帰ってからすごく後悔してさ。来てくれなかったらどうしようって、そればっかり考えてた。
でも、来てくれた。そして、わたしを受け入れてくれた。あの夜、たまたまヒロトに出会えたのは本当に神引きだったと思うよ。わたしの人生って基本ついてないことが多いんだけど、あの日のために運気を溜めてたのかも。
わたしは、ヒロトに出会えて良かった。
もしかしてヒロトは今、そう思ってないんじゃないかな。だってこれを読んでるってことは、わたしは月に帰った後だもんね。出来もしないこと言って変な希望与えてごめんとか考えちゃってるんじゃない?
気にしないでいいよ。だって「月に帰るだけだから怖くないんですー」なんて最初から大嘘だもん。ずっと怖かった。帰りたくないって思ってた。確かにヒロトと出会ってもっと帰りたくないって思うようにはなったし、別の怖さは生まれたけど、出会わないよりは百万倍マシ。それは断言できる。
今ね、ヒロトがくれたリング見ながらこれ書いてるよ。すごく穏やかで幸せな気持ち。それにしてもすごい書いたなあ。これ、ヒロトたちが月の使者を追い払ったら全部無駄になるんだよね。まあいいや。その時は読み返して赤面しよう。
でもそうだ、一つ不満もあるの。ヒロト、わたしのことを好きとか愛してるとか言ったことないでしょ。ほんとカッコつけなんだから。わたしはね、言っちゃうよ。最後だし、思いっきり言っちゃう。
ヒロト。
大好き。
本当に愛してる。
そんな大好きなヒロトに、わたしからお願いがあります。
あのね――』
◆
冒険の書を読み切った僕は、まずスマホで時間を見た。
夜中の二時。確認して、着替える。外着か制服か。少し悩んで制服を選ぶ。学ランの上に学校指定のコートを羽織り、ローファーを履いてアパートを出る。
寝静まった街を一人歩く。首都高速とJRの高架線をくぐり繁華街に出ると、飲み屋だったり、風俗だったり、ちらほらとまだ眠っていないきかんぼうが現れる。そいつらを全部無視して上野公園の不忍池に向かう。僕と姫が出会った場所。始まりの地。
不忍池に足を踏み入れる。池の水気を含んだ冷たい夜風がひゅうと当たり、僕はコートの襟を立てる。ベンチに段ボールを敷いて眠るホームレスを横目に歩き、弁財天を祀る弁天堂を抜け、ボート乗り場の前につく。どの辺だったっけ。記憶を辿りながら位置に着き、コートのポケットに手を入れて夜空を見上げる。
右側が半分ぐらい欠けた月を見つめる。そこにあるはずの王国のことと、王国に帰還したプリンセスのことを思う。視界がぼやけ始める。マズい。僕はポケットから両手を出して腕を広げ、力の限り冷たい空気を吸い込んで肺を膨らませ――
叫んだ。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
頭が真っ白になる。目の奥が真っ赤になる。世界が震え、僕は壊れる。それでも僕は叫び続ける。何もかもを言葉と一緒に吐き出し、自分を空っぽにしようと試みる。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ、あああああああ、あああああ、あああ、ああ、あ、あ……」
息が切れ始める。カスも残さない覚悟で、最後の一絞りまで吐き出す。
「……あー」
ぐらりと身体が揺れる。そのまま、地面にペタンと座り込む。肩で息をしながら月を見上げ、僕は、何日かぶりに笑った。
気圧の高いところから低いところに風が吹くように、空っぽになった身体に得体の知れないエネルギーが満ちていく。僕はスマホを取り出し、電話をかけた。コール五回ほどで出た相手――カトウが、欠伸交じりの眠たそうな声で答える。
「ヒロト? どしたの?」
「報告したくて」
「報告?」
「今日、姫の父親から姫の日記を貰ったんだ。そこに騎士団全員へのメッセージが書いてあった。お前宛てのメッセージもある」
カトウが息を呑んだのが分かった。声の感じが、少し覚めたものになる。
「なんて書いてあった?」
「まとめられない。明日学校に持って行くから読んでくれ。それでさ――」
スマホを握る手に力を込め、僕は、はっきりと言い切った。
「俺、絶対に第一志望合格するから」
……………………………………………
「……いや、勝手にしろよ」
「おう。勝手にする。じゃあな」
僕は、電話を切った。そしてソンとケイゴにも同じことをしてからアパートに帰る。それから久しぶりにぐっすりと気持ちよく眠り、翌日の学校で、夜中二時に叩き起こされた三人全員から「お前のせいで寝不足なんだけど!」というクレームを受け取った。
◆
三学期に入ってから、僕は起きている時間の大半を勉強に使った。
母さんが「大丈夫? 逆に頭悪くならない?」と意味不明なことを聞いて来るぐらいには勉強漬けだった。娯楽は全て封印した。ほぼ全てではない。全てだ。ただし音楽だけは勉強と両立可能なので残した。僕じゃないヒロトと仲間たちの音楽は、僕に理屈ではない力を与えてくれた。
そして受験当日。全ての科目を受け終えた僕は、かなりの手応えに身震いしていた。一人抜けてしまったLINEのグループに「一〇〇%受かったと思う」というメッセージを投稿し、前日に第一志望を受験したけれど結果が芳しくなかったカトウから「嫌味?」という返事を受け取った。ソンは素直に「おめでとう」と言ってくれた。ケイゴは無反応。後で聞いたところ、すぐ後に自分の受験が迫っていて全く余裕がなかったそうだ。
そして、合格発表の日。
僕は制服とコートで家を出た。JR御徒町駅前の『おかちまちパンダ広場』でケイゴ、ソン、カトウと合流。電車を乗り継ぎ、僕の第一志望校の最寄り駅に向かう。
駅を下り、いちょう並木を抜けて、受験の時に訪れた学校の校門へ。私服だったり、僕とは違う学校の制服だったりする僕と同じ年ぐらいの少年少女たちが、続々と門の中に入っていく。僕たちも校門を抜け、その流れに乗った。そしてたくさんの数字が並ぶ紙が貼りだされたボードが、何枚も置かれている広場にたどり着く。
「ヒロト」ボードを指さし、カトウが不敵に笑った。「おれが代わりに見てきてやろうか」
僕はムッと眉間にしわを寄せた。口を尖らせ、言い返す。
「なんでお前が見るんだよ」
「落ちてたらショック死するかもしれないだろ。ワンクッション挟んだ方がいいって」
「落ちてねえし」
「ヒロト、受験は心じゃなくてここでするもんだぞ」
カトウが人さし指でコンコンと自分の頭を叩く。自分は志望校に合格したからって偉そうにしやがって、この野郎。
「おれはヒロトの役に立ちたいんだよ。そうじゃなきゃ来た意味ないし」
「要らねえよ。そもそも俺は呼んでない。お前らが勝手に来たんだろ」
「だって心配じゃん。なあ、ソン」
「まあね。落ちたら二、三か月ぐらいは失踪しそう」
「だろ? だからさ、な?」
「なにが『だから』だ。ふざけんな」
カトウの頭を思い切り叩く。カトウが「いて!」と頭を抑えてうずくまる。僕はこれみよがしに盛大なため息をつき、呆れたように言い放った。
「お前らは、絶対に受かる宣言出した俺が落ちた時の笑える反応が見たいんだろ。でも残念だったな。俺は今回、マジで手応えが――」
「んなわけねーだろ」
ケイゴ。ぶっきらぼうに、乱暴に、温かな言葉が告げられる。
「落ちると思ってんのに弄れねえよ。オレらはお前が合格して、腰抜かして嬉ション漏らして、換えのパンツ買いに行く情けねえところが見てえの」
ケイゴがニッと歯を見せて笑った。隣のソンも、立ち上がったカトウも同じように笑う。僕はみんなに笑い返し、合格発表が張り出されているボードの方にくるりと向き直りながら短く言い捨てた。
「漏らさねえよ」
大股で進む。ボードの前まで来て、コートのポケットから受験票を取り出す。受験票を持つ左手の薬指を右手で撫で、硬いリングの感触を感じながら、目を瞑って祈る。
――頼む。
顔を上げる。数字の羅列が目に飛び込む。青空に浮かぶ白い月から、優しくて穏やかな声が届いた気がした。
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