5-3


 二学期最後の登校日。

 帰りのホームルームが終わった後、僕たちカグヤナイツの四人は久しぶりに、学校の屋上に向かった。開錠前は「まだ開けられるかな」と不安そうだったカトウは、ものの一分もかからずに屋上の鍵を開けた。屋上に出た僕たちは周囲の背の高い建物から見られないよう、ペントハウスの影に四人並んで腰を下ろし、話を始めた。

 話をするのに屋上に行こうと提案したのは僕。話の中心も当然、僕だった。先代のカグヤナイツに会ったこと。月の女王の墓参りをしてきたこと。そこで月の使者の弱点を聞いたこと。一通りの話を聞いた後、カトウが「歌かー」と呟く。

「そんで、歌うの?」

「もちろん」

「その時になったら、たぶん周りに医者とか看護師とかいるぞ。そんな状況で腹の底から声出せんのかよ」

「分かってる。だから姫の隣には行かない。別の場所で歌う」

「……それでいいのか?」

「なにが」

「だって、最後かもしれないのに……」

「最後にならないように歌うんだろ」

 心配を一蹴する。カトウが口をもごもごと動かし、だけどそれを止めた。そしておそらく言いかけた言葉とは別の言葉を、どこか軽い口調で口にする。

「分かった。でも正直、おれはあんま自信ないな。音程取るの苦手なんだよね」

「いつまでもガキみてえな声してるからな」

「そういうケイゴはどうなんだよ。歌上手いの?」

「オレが音ゲーやってんの見たことあるだろ」

「……あー、リズム感死んでたな、そういや」

 まだ何も言っていないのに歌う気でいる。ありがたい。心強い。だけど――

「別にいいよ」みんなの方を向かず、中空を見上げて告げる。「俺一人で歌うから」

 ひゅう。

 冷たい風が僕たちの間を駆け抜けた。ちらりと横目でみんなを見やると、憮然とするケイゴと唖然とするカトウ。ソンが冷静に、落ち着いた声で尋ねる。

「どうして?」

 僕はゆっくりとみんなの方を向いた。「俺さ」と前置きを挟み、人差し指でコンクリートの地面を指さす。

「ここで歌うつもりなんだよね」

 ソンがわずかに眉をひそめた。さすが、理解が早い。続けてカトウが何かに気づいたように瞳孔を開き、全く理解していないケイゴが口を挟む。

「それと一人で歌うことと、何の関係があるんだよ」

 ――察しろよ。僕は渋々、思惑を語る。

「お前、今俺たちがいる場所がどこだか分かってる?」

「学校の屋上だろ」

「そう。屋上。普段は施錠されてる進入禁止の場所。それを無理やり鍵こじ開けて入ってるんだ。そんなとこで大声出して歌ったら、歌ったやつはどうなると思う?」

 ケイゴの唇の端が、ピクリと小さく動いた。

「見つからないようにこそこそ歌うんじゃ意味がない。だけど見つかったらお咎めなしってわけには行かない。決戦がいつになるのかは分からないけど、あの様子だとそう遠くはない。たぶん、受験の前になる」

 僕たちが抱えている戦いは一つではない。月の使者との戦い以前に、自分の将来と戦っている真っ最中だ。僕の考える決着の付け方は、そのもう一つの戦いに支障をきたす可能性がある。そんなことに軽々しくみんなを巻き込むわけには行かない。ましてや――

「みんなで協力して勝率が少しでも上がるなら、そりゃ頼むよ。だけど、こんなイチかバチかやぶれかぶれの作戦には巻き込めない。だから、俺一人でやる」

 強めに言い切る。ケイゴは不機嫌そうな相好を崩さない。カトウが口を尖らせ、横から割って入った。

「鍵はどうやって開けるんだよ。とりあえず開けたままにしとくけど、そのうちしれっと閉められるぞ。今までもそうだったろ」

「壊す」

「……マジで?」

「マジで。そもそも休み中に決戦になったら、校舎に侵入するためにどっかしらの窓を壊さなきゃいけないんだ。一つ壊すのも二つ壊すのも一緒だろ」

 一緒じゃねえよ。そう言いたげにカトウがあんぐりと口を開けた。ソンが眩しいものを見るように目を細め、尋ねる。

「どうしても、ここで歌わなきゃダメなの?」

 ――難しい質問だ。僕は地面に手をつき、ゆっくりと立ち上がった。屋上のフェンスを掴み、薄青色の冬空を見上げる。

「ここが、一番迷いなく歌える気がするんだ」

 中二の頃、同じように空を見上げた。真っ白な月が浮かんでいた。空想の中では空を飛ぶことすら出来る僕が唯一見つけた、空想を越える現実。

「ここに姫を連れてきて、一緒に落ちて、守るって誓った。それが全ての始まりで、俺の原点なんだ。ここなら俺は迷いを無くせる。恥ずかしいとか、何やってんだ俺とか、そういう余計なこと考えなくて済む」

 振り返る。フェンスを背に、みんなに向かってニカッと笑って見せる。

「だから俺はここで歌う。バカじゃねえのって思ってるかもしれないけど、その通りだよ。バカなんだ。俺が一番バカになれる場所が、ここなんだ」

 みんなが僕を見る。僕はみんなを見返す。言いたいことは言った。後は分かってもらうしかない。視線を絡み合わせ、誰かが動くのを待つ。

 ケイゴが、おもむろに口を開いた。

「で?」

 予想外の反応。戸惑う僕に、ケイゴが畳みかける。

「質問の答えになってねえだろ。だからそれと一人で歌うことと、何の関係があるんだよ」

「……話聞いてたか? 受験前なんだから内申に響いたりしたら――」

「オレにこれ以上減る内申点はねえ」

 ケイゴが僕の言葉を遮った。呆ける僕に向かってふんぞり返る。

「何日学校サボって、何回補導されたと思ってんだ。窓壊すとか鍵壊すとか、オレの得意分野だろ。連れていかないと後悔するぞ」

 どこかズレていて、だけど頼もしい言葉。僕は「いや」と反論を口にしようとした。その言葉も、今度は別の人間に遮られる。

「壊さなくたって、普通に開けりゃいいだろ」

 カトウ。ピッキング用の先が曲がった金属棒をぷらぷら振りながら、軽く語る。

「手伝うよ。万引きと家出で結構ダメージ受けたし、おれもそこまで影響ないと思う。学校壊さないって条件付きだけど」

 そんなわけない。

 減る内申点がない。減ったばかりだからまた減っても影響ない。そんなこと、あるわけがない。ケイゴは五月から真面目に学校に通っているからその分の内申点がついているはずだし、ずっとカトウも情状酌量の余地があるあれこれを差し引いた程度なら十分に余っているはずだ。絶対に影響はある。そして間違いなく、それを二人とも分かっている。

「お前ら――」

「無駄だよ」

 三度、言葉が中断された。ソンが目を細め、僕に向かって微笑む。

「ヒロトが僕たちの立場だったらどう思うか、考えてみなよ」

 僕がみんなの立場だったら。

 僕たちの中の誰かが何かを決意する。だけどそいつは決意を表明したものの仲間に協力は仰がない。みんなに迷惑をかけたくないから自分一人で全てやりきると宣言する。それに対して、僕がどう思うか。

 ――決まっている。

 一人でカッコつけてんじゃねえよ。

「初めてここに来た時、中学生の『中』は中途半端の『中』だって言ったよね」

 過去の台詞をもう一度吐き、ソンがしみじみと呟いた。

「あれ、訂正するよ」

 中学生。子どもみたいに純粋にはなれなくて、大人みたいに割り切ることも出来なくて、妄想ばかり繰り返していて、カッコいいものが大好きで――

「自己中の『中』だ」

 ほとんど同時に、三人がニヤリと不敵な笑みを浮かべた。僕の顔にも自然と同じような笑みが浮かぶ。そうだな。お前たちの言うとおりだ。僕が間違っていた。

 やろう。イチかバチか。やぶれかぶれ。大いにけっこう。

 僕たちは月の姫を守る騎士団――カグヤナイツだ。


   ◆


 何でもない日だった。

 太陽が西から上ったとか、空が黄色く染まっていたとか、そんなことは一切なかった。いよいよ迫る大みそかに向けてアメ横が喧騒にまみれ、テレビが女優の不倫だの政治家の不祥事だの今年起きた事件を振り返る、そんないつも通りの年の瀬。通り過ぎた瞬間には記憶が薄れ、三日も経てばもう何も覚えていない。そんなオチの弱い日常系四コマ漫画の一本みたいな一日が、始まって終わろうとしていた夜。

 僕は自分の部屋にノートパソコンを持ち込み、ブルーハーツを流しながら勉強をしていた。母さんは普通に出勤していた。母さんの風俗嬢仲間曰く、風俗業界も年末年始は忙しくなるそうだ。「抜き納め」「抜き始め」と言っていた。

 机の上のスマホが震えた時、流れていた曲は『電光石火』だった。

ペンを持ったまま画面を覗く。それまで解いていた二次関数が頭から全て吹き飛ぶ。あれからまだ一週間も経っていない。思っていた通り、早かった。

月の王。

「もしもし」

 通話状態にして話しかける。電波の向こうから「今、大丈夫か」と尋ねられる。大丈夫か大丈夫でないかで言うなら、いつ聞いても大丈夫ではない。それでも僕は「はい」と答え、月の王はそんな僕に向かって厳かに告げた。

「いよいよだ」

 曲が切り替わった。

 『手紙』。イギリス人小説家の名前から始まる象徴的な歌詞が、鼓膜の内側で月の王の言葉と混ざり合う。いよいよ何が始まったのか。そんなこと、考えるまでもない。

「これでいいんだな」

 月の王が僕に確認する。その時が来たら必ず教えてくれ。理由も聞かずに頼みを聞いてくれたことを深く感謝しつつ、僕ははっきりと答える。

「はい。これで僕は、娘さんと約束した戦いに出向くことが出来ます」

「こちらに来るわけではないんだな」

 来てくれないのか。そう取れる言葉。僕は軽く唇を噛み、言葉を放つ。

「行けません。そちらの戦いは、お父さんに任せます」

 ブレずに、迷わずに、希望を口にする。

「娘さんが元気になったら、また会いましょう」

 少し間が開いた。それから送られる、短いエール。

「分かった。健闘を祈る」

 通話が切れた。僕はまずノートパソコンの電源を切り、みんなに連絡を入れる。それから部屋着のジャージを脱ぎ――学ランの制服に着替える。みんなで話し合って決めた最終決戦用装備だ。シャットダウンの終わったノートパソコンを脇に抱えて準備完了。アパートから飛び出す。

 学校までがむしゃらに走った結果、校門前に着いたのは僕が一番早かった。上がった息を整えながら夜空を見上げると、月はほぼ満月。今に見てろよ。ぶっ殺してやる。そういう気概を込めて、夜空にメンチを切る。

 すぐにケイゴ、カトウが到着し、少し遅れて小さな紙袋を提げたソンが到着する。全員着いたところで校門を閉ざしている格子状の鉄扉を乗り越える。前に姫と侵入した時はここから教職員専用の通用口に向かった。そして中からソンとカトウに開けてもらった。だけど今回はそうはいかない。正面突破だ。

 昇降口を閉ざす扉の前に行き、カトウがピッキングツールを取り出す。予行演習通り、鍵はあっさりと開いた。僕は扉に手をかけ、勢いよく開く。

 そして、四人で一気に昇降口を走り抜ける。

 今回の侵入は前回と違い、中で誰かが待ち伏せて準備を整えることが出来ない。つまり、校舎にしかけられている侵入者感知センサーを切ることが出来ない。警備を呼んでしまうから、長く歌うためには早く屋上に着くしかない。時間との勝負なのだ。

 階段を駆け上がり、屋上の扉の前に着く。ノブを回して引く。開かない。カトウが再び学ランのポケットからピッキングツールを取り出し、開錠を試みる。

 およそ、一分三十秒。

 過去最速と遜色ないタイムでカトウが開錠を成功させた。扉を開け、屋上に飛び出す。月光にぼんやりと照らされた歌唱ステージ。その中央にノートパソコンを置き、電源を入れて起動を待っていると、校庭とは逆側のフェンスから地上を見下ろしていたケイゴが「げ」と声を上げた。

「やべえ。もうパトカー来てんぞ」

 カリカリとハードディスクの動く音が焦燥感を煽る。やがて立ち上げが終わって画面が切り替わった時、僕はつい「よし!」と叫んでしまった。すさかずソンが紙袋から「はい」と黒くて四角いUSB接続の機器を取り出して渡す。音響魔法。ぶっちゃけ、ただのスピーカー。接続して音楽再生ソフトを立ち上げた後、僕はソンにパソコンの前を明け渡し、校庭側のフェンスに向かう。

 外周に出るためのフェンス扉を掴む。こっちは開錠済み。キィと金属が擦れる音と共に扉が開き、僕は外に出る。あと一歩前に出たら落ちる屋上の縁に立ち、腰の後ろで手を組み、足を肩幅ぐらいに開き、大きく胸を張って夜空に浮かぶ月を見上げる。

「五秒前」

 ソンが合図を送る。僕はすうと深く息を吸う。真冬の凍えるような大気が肺を満たし、自然と体が引き締まる。

「四秒前」

 一曲目のイントロを脳内に思い浮かべる。今日のために何十回と繰り返したイメージトレーニング。頭蓋の中に刻み込んだ音とリズムを引き出す。

「三」

 僕じゃないヒロトは音楽で世界を変えようとした。そして、少なからず変えた。少なくとも僕は、彼と仲間たちの音楽が無ければ、この世に生まれ落ちることは無かった。

「二」

 僕も変える。世界を変える。この声で、歌で、想いで。

「一」

 今の僕は――無敵で最強だ。

「スタート!」

 轟音が、夜を割った。

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