4-3


 前から、追いつめられると突拍子もないことをするやつだった。

 例えば、四人で罰ゲームをかけたジェンガをやる。負けそうになる。「ドッカーン!」とか言ってジェンガをわざと崩す。普通に負け扱いになった上にふざけた分ペナルティが重くなる。そんな感じ。テストがイヤだから飛び降りて死のう、みたいな発想。本末転倒で支離滅裂だけど、そういうことを勢いでやってしまうのだ。何をするか分からないという意味ではキレたケイゴやソンよりテンパったカトウの方が恐ろしい。ましてや、そこに刃物なんて絡もうものなら。

「僕が台所であいつを見つけて、逃げられて、確認したら包丁が一本無くなっていた。それでそちらに連絡が行っていないかと思ったんだけど……来ていないみたいだね」

 落胆した声。固まる僕の手から、ソンがスマホを奪い取った。

「お兄さん、すいません。カトウくんの友達のソン・リャンです。一つお聞きしたいことがあるんですけど、逃げたカトウくんはコートを着ていましたか?」

「コート?」

「はい。僕たちが前に伺った時、部屋にあった紺色のコートです。椅子の背もたれにかかっていたので普段着ているものだと思います。最近寒くなってきたので、包丁を持って行くついでに上着を着て行ってもおかしくないと思ったのですが……」

「そういえば、着ていたかもしれない。でも、それが何か?」

「いえ、こっちの話です」

 ソンが僕にスマホを返し、自分のスマホを弄り始める。僕はカトウ兄と話を続け、何か分かったらお互いに連絡をすると決めて電話を切った。それから、ソンに声をかける。

「何やってんだよ」

「追跡魔法。カトウが今いる場所、分かった」

 ケイゴが「は?」と素っ頓狂な声を上げた。ソンが弄っていたスマホを差し出して僕たちに見せる。上野の地図。その上をゆっくりと動く、小さな点。

「財布とかに入れておく盗難防止用のGPSデバイスを、コートのポケットに入れておいたんだ。これを見ればどこにいても居場所を特定できる」

「……お前、そういうの仕掛けてるなら先に言っとけよ」

「使う場面がくるなんて思ってなかったんだよ。最初にカトウの家に行った時、聞き取りが失敗したら後で尾行しようと思って仕込んでおいたんだけど、カトウがコート着ないで家出しちゃったから不発に終わってたんだ。僕も正直、今の今まで忘れていた」

「グダグダ言ってねえで行こうぜ!」

 ケイゴが勢いよく立ち上がる。僕とソンも同じように立ち上がり、三人で病室の出入り口に駆ける。姫に「行ってくる!」と声をかけ、外に出ようとする。

「ヒロト!」

 僕の背中に向かって、姫が叫んだ。

 足を止めて振り返る。ベッドの上から姫が僕を見ている。眉を下げ、口を引き絞り、溢れ出す負の感情を必死にこらえている顔。その顔のまま、柔らかな唇を小さく吊り上げ、儚げな微笑みを浮かべる。

「行ってらっしゃい」

 ――置いて行かないで。

 心の声が、確かに聞こえた。僕は姫に背を向けて病室を飛び出し、ケイゴとソンと病院を駆ける。僕たちのスピードはきっと、多くものを振り落としている。だけど、それでも僕たちは、足を止めるわけには行かない。


   ◆


 病院を出た僕たちは、上野公園に向かった。

 摺鉢山古墳。前にケイゴが父親と決闘した小高い丘。どうもカトウはそこに留まっているようだった。何を考えているかは分からない。いや、今は分からなくてもいい。分かるために行くのだ。

 丘の上に続く階段は三つある。僕たちは逃げられた時のことを考えて、三手に別れることにした。配置につき、スマホで合図を送り、階段を上る。最初に丘の上に着いたのは、僕だった。

 でかくて平べったい石を置いただけのベンチに座っていたカトウが、僕を見て大きく目を剥いた。そして間もなく、ケイゴとソンが現れる。他に誰もいない静かな丘の上で、僕たちは三対一で向かい合い、じりじりと距離を詰める。

「カトウ。あのヤクザたちから話は聞いた」

 カトウの肩がビクリと上下した。僕は爆発物を扱うように、言葉を選びながら語る。

「お前の気持ちは分かる。辛かったよな。悔しかったよな。でもそれは終わったんだ。だから、ヤケになるなよ。冷静になって――」

「お前らにおれの気持ちが分かるわけねえだろ」

 言葉を吐き捨て、カトウがおもむろに立ち上がった。コートのポケットに手を突っ込みながら、ケイゴに話しかける。

「ケイゴ。お前、ここで親父と喧嘩したよな」

 ケイゴは答えない。ただ黙ってカトウを見る。カトウは構わず、語り続ける。

「親父はお前をボッコボコにしてさ。ほんとひでえ親だと思うぜ。実の息子にすることじゃねえよ。普通に虐待。とんでもねえ家庭環境だ」

 乾いた声と乾いた笑い。それが一瞬で引っ込み、真顔になる。

「そんなお前の家庭環境におれが憧れてたこと、お前、気づいてたか?」

 ケイゴの瞳が揺れた。カトウは続けて僕とソンをキッと睨みつける。

「ケイゴだけじゃない。ヒロトにも、ソンにも、おれはずっと憧れてた。父親のいない風俗嬢の息子とか、日本生まれ日本育ちの中国人とか、カッコいいなって思ってた。、だ。お前たちの苦しみなんかどうでもいい。設定かっけーうらやましーぐらいにしか思えない。そういうやつなんだよ、おれは!」

 カトウがコートのポケットから手を出した。その右手には、刃渡りの短い包丁。

「おれにも背負わせろよ」

 鈍く光る切っ先を僕に向け、カトウが泣きそうな顔で笑う。

「名前が変で笑えるとか、そんなのもう嫌なんだよ。おれにもカッコいい設定くれよ。人刺して少年院行きになったとか、めっちゃカッコいいだろ」

 じりじりとカトウが僕に迫る。僕は動かない。動く気が起きない。自分でも不思議なぐらい、気持ちが落ち着いている。

 確かにカトウは、僕やケイゴやソンとは違う。重たいものを背負わずに生まれ、背負わずに生きて来た。だから生きるだけで鍛えられてきた僕たちとは基礎体力が違うのかもしれない。僕たちのスピードは、カトウには少しばかり速いのかもしれない。

 それがどうした。

 僕たちは、カッコいいものが大好きな中学生だ。

 それは――絶対に変わらない。

「どけよ。刺すなら何人刺したって、変わんねえんだぞ」

 カトウが忠告を吐く。僕はただ黙ってカトウを見る。ケイゴも、ソンも同じ。二人とも分かっている。それが嬉しくて、心強くて、大地を踏みしめる足に力がこもる。

「どけえええええええ!」

 雄たけびと共に、カトウが地面を蹴った。

 小さな身体が弾丸のように飛び込んでくる。僕は棒立ちのままそれを見守る。包丁の切っ先が、僕の服に微かに触れる。

 カトウが両腕を、身体の内側に引いた。

 包丁が引っ込み、頭が僕の胸にぶつかる。勢いのまま、カトウの身体が僕の身体にもたれかかる。丸い頭を僕の胸に埋めながら、カトウが囁く。

「なんで」か細い声。「なんで、どかねえんだよ……」

 そんなこと聞かれても困る。当たり前すぎて、口にするのもめんどくさい。

「だって――」

 僕はカトウの頭に手を乗せ、淡々と告げた。

「お前が、俺を刺すなんてカッコ悪いこと、するわけないし」

 カトウの手から、包丁が落ちた。そのまま僕にしがみつき、うーうーと唸るように泣き始める。僕は泣きじゃくるカトウが落ち着くまでずっと、その背中を優しく撫で続けた。


   ◆


 石のベンチに並んで座り、泣き止んだカトウから高校生たちに目をつけられるきっかけになった出来事を聞いた僕たちは、誰も同情せず全員でカトウを責めまくった。

 無謀。頭悪すぎ。意味が分からない。さっさと警察呼べ。特に普段バカ扱いしているケイゴから「高校生二人なんてオレだって勝てねえよバーカ」と言われたのがかなり効いたようで、ぐうの音も出ない感じで落ち込んでいた。それでもボソボソと反論を口にする。

「でも……」

「あ?」

「でもお前らなら、勝てなくても助けに入るだろ」

「入んねえよ。入るわけねえだろ」

「誰か呼ぶよね、普通に」

 ケイゴとソンから口々に否定され、カトウがさっきとは別の意味で泣きそうになる。だんだんかわいそうになって来た僕は口を挟み、助け舟を出してやることにした。

「あのさ」話をガラッと変える。「『夜の盗賊団』ってブルーハーツの歌、知ってる?」

 僕以外の全員がきょとんと目を丸くする。まあ、いい。こっちも知らないと思って話している。

「仲間の歌なんだよ。ドライブしたり、ビール飲んだり、秘密を話し合ったり、飾らない雰囲気がすごくいいんだ。俺たち仲間だよなって確認なんてしない。押しつけもしない。ただ一緒にいたいから一緒にいる感じ。それで俺さ――ちょっと、勘違いしてたと思う」

 カトウを見る。少し声のトーンを落とし、続ける。

「仲間だから一緒にいるんじゃなくて、一緒にいるから仲間なんだよな。仲間だから全部話せなんて、通用しないよな。だから、ごめん」

 僕はカトウに向かって頭を下げた。カトウが戸惑いながら「別にいいよ」と答える。僕はお礼を言う代わりに笑い、そしてその笑顔の裏で、少し仄暗いことを考える。

 仲間。

 確認はしない。押しつけもしない。ただ一緒にいたいからいるだけ。そういう仲間になるためには、全員が同じスピードで走らなくてはならない。それならば僕たちは――仲間にはなれない。だって、カトウの問題は何も解決していない。このままだと僕たちは、いつかまたカトウを置いてきぼりにする。

「ケイゴ。そろそろ連絡入れないと」

 ソンに促され、ケイゴが「そうだな」と立ち上がった。そしてスマホを取り出し、カトウに話しかける。

「オレはこれから、お前がぶん殴ったとこのヤクザの人に電話して、お前を事務所に連れて行く。そう頼まれてるからな。いいな?」

「……いいよ」

「よし。まあ、安心しろ。たぶん大したことにはならねえよ。ああ見えて、話の分かる人たちだから」

 ケイゴが階段を下り、丘の上から消えた。僕も「俺も、トイレ行ってくる」と言って立ち上がり、ケイゴの後をついていく。そして今まさに電話をかけようとしているケイゴの肩に手を置き、声をかける。

「ちょっと待って」

 ケイゴが振り返った。そして怪訝そうに尋ねる。

「なんだよ」

「お前、このままヤクザと話つけて、それで終わりにしていいと思うか?」

「どういう意味だよ」

「カトウが何もしてない。落ち着いたら、あいつはそれに引け目を感じるはずだ」

 ケイゴの眉がぴくりと動いた。顎に手をやり、呟く。

「このままだとまた同じってわけか」

「そういうこと。だからさ、あいつに何かさせようぜ。それも抜き打ちで」

「スパルタだな、おい」

「そうじゃなきゃ意味が無いからな。ここは突き放す」

 僕はグッと拳を握った。ケイゴが「仕方ねえなあ」という風に、首の後ろを掻きながら口を開く。

「話は分かった。で、なんかいいアイディアがあんのかよ」

「いいアイディアとは言い切れないけど……考えはある」

 僕はケイゴに近くに寄った。そして右手をケイゴの前に差し出し、声を潜める。

「ケイゴ」

 親指と人さし指を伸ばした、銃の形。

「これ、まだ持ってる?」

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