4-2
カトウが行方不明になって、一週間が過ぎた。
カトウの家族が警察に捜索届を出し、僕たちも「もし接触があったら連絡をくれ」と言われているけれど、一向に見つからない。ここまで見つからないということは誰かの家にいるのだろうというのが警察の見解で、僕たちもそれには同意だった。カトウが一人で万引きなんてするわけがない。仲間なのか、何なのかは分からないけれど、とにかくどこかで誰かが絡んでいる。
救急車で運ばれた姫は病院で目を覚ました後、僕たちに新しい指令を下した。『盗賊カトウの捜索』。姫は一連の出来事を自分のせいだと気にかけていて、僕たちは僕たちでカトウを追い詰めてしまったことを気にかけていた。全員が責任ばかり感じて、解決に向かう気配はまるでない。控えめに言って、最悪の状況だった。
勉強会も中止。めっきり冷え込んできた通学路を一人でととぼとぼ帰り、家に着いたらやることがないからとりあえず勉強する。カトウがいなくなる前に実施した中間テストは文句なしに過去最高の結果で、あの保坂が「やればできるじゃないか」と僕を褒めるぐらいだったけれど、今はあの頃の冴えが嘘のように勉強が捗らない。このままだと落ちるな。他人事のように、そんなことを考える。
ピンポーン。
インターホンが鳴った。まだ家にいる母さんが応対する。だけどすぐ、部屋のドアがノックと同時に開いて母さんが現れた。だから同時に開けるならノックする意味ないだろと思いつつ、母さんに声をかける。
「なに」
「ヒロくんにお客さん」
「誰?」
「ほら、いつかうちに来たヤクザの子がいたじゃない? あの子」
完全に、予想の外だった。
ヤクザの子。黒沢誠二郎の部下、木崎瞬。五月にひと悶着あってから会っていないし、会う気も会う必要もないはずのやつが、なんで今更。
「お友達になってたの?」
「まさか」
「そう。何かお話があるみたいよ。行ってあげたら?」
軽い。母さんの中ではもう「ヤクザ」より「知り合い」の方が強いのだろう。その神経の太さに呆れながら、部屋を出て玄関に向かう。
玄関には確かに、見覚えのあるツーブロックの男がポケットに手を突っ込んでふんぞり返っていた。ジャケット、シャツ、デニム。金のネックレスを首から下げている以外にはこれといった要素がないので、普通にその辺の高校生に見える。戦いになったら相手を食ってしまえばいいだけの捕食者が周囲を威嚇する警戒色を持つ必要はないのだ。仕事の時は相手をビビらせる必要があるから、別だろうけど。
「よう」
「……何の用だよ」
「年上だぞ。敬語使えや、クソガキ」
大差ねえだろ。言いかけた言葉を飲み込む。用件も分からないうちから喧嘩腰はクールじゃない。
「お前に聞きてえことがある」
「なに」
「お前の仲間に、ちびっこい小学生みたいなガキいただろ。あいつ、どこにいる」
カトウ。思わぬところからの言及に、僕は思わず語気を強めた。
「カトウがどうしたんだよ!」
「言う必要はねえな」
「じゃあ俺も言わねえよ!」
木崎が唇を歪めた。そして舌打ちを放った後、つまらなさそうに語り出す。
「強盗目的でうちの組員を金属バットでぶん殴って逃げてんだよ。そんで、ヤキ入れるために探してんだ」
強盗。金属バット。ヤキ入れ。
万引き、補導、自宅謹慎から、さらに悪い方向にパワーアップしている。なんだ。なんなんだいったい。今、カトウの周りで何が起こっているんだ。
「……それ、本当かよ」
「間違いねえ。仲間二人は確保した」
「仲間二人?」
「ヤンキー崩れのイキった高校生。仲間っつうか、お前んとこのガキは玩具にされてただけみてえだけどな」
断片的に与えられる情報から、少しずつ話が見えてくる。高校生に玩具にされていたカトウ。一人なら絶対にやらない万引き、暴行。僕たちにも――いや、僕たちだからこそ、言えなかった真相。
「なあ」
僕は木崎に迫った。絶対にノーとは言わせない。そういう気概で頼み込む。
「その話、別のところで、もっと詳しく教えてくれないか」
◆
一時間後、僕はケイゴとソンと木崎を連れて姫の病室に向かった。
体調の良くない姫は話から省こうかとも思ったけれど、伺いを立てたら「聞かせてくれないなら騎士団解体」と言われたので含めることになった。病室の姫はいつもと違い、病院服を着てベッドに横たわっていた。ただし、カツラは被っている。僕のためかもしれないと考えて、少し胸が痛んだ。
ベッド周りに椅子を持ち寄って話す。木崎が語った話は、だいたい僕の予想していた通りだった。詳しい経緯は分からないけれど、街でカトウが不良高校生二人に目をつけられて奴隷扱いされるという構図。ちなみに襲撃された組員は僕たちがカチコミをかけた時に事務所にいたソフトモヒカンで、カトウは高校生たちにちゃんと忠告したらしい。それでも強盗を強行した理由は「ヤクザなら警察に行かないと思った」プラス「度胸試し」。カチコミに行った僕が言えたことではないかもしれないけれど、頭が悪すぎる。
「最初は仲間だっつってたけどな。スマホからイジメ動画出てきてゲロった」
「イジメ動画?」
「ああ。使うかもしれねえと思って保存して来たけど、見るか?」
僕は頷いた。木崎が姫の方を向いて「あんたは見ねえ方がいいな」と言い、立ち上がってベッドから離れる。応接スペースのテーブルを男四人で囲み、木崎のスマホを中央において動画を再生。
裸で正座するカトウが、スマホの画面いっぱいに映る。
無意識に、瞳孔が開く。身体中の血管が縮こまる。全身に熱を伝えるはずの心臓が、底冷えする冷気を送り出してくる。
小さなちんぽこを剥き出しにして、腿の上に手を載せて俯くカトウに、画面外から「スタート」と煙草焼けしたようなかすれ声が放たれた。カトウが顔を上げ、年齢、学校名、自分では言わないし他人にも言わせない下の名前を含めたフルネームを言う。「声が小さい」。さっきの声がまた画面の外から飛び、カトウは同じ言葉を今度は叫ぶように言い放ち、続けて自分が「奴隷」であることを宣言する。よく見ると、カトウの太ももの上に黒い斑点がいくつも散らばっている。根性焼き。
「お前、本当に笑える名前してんな」
弾んだ声。「いいって言うまで名前連呼しろ」。一回、二回、三回、四回、五回――
ガンッ!
ケイゴが固めた拳をすさまじい勢いでテーブルに叩きつけた。木崎は黙って動画の再生を止め、スマホをポケットにしまう。隠せない、隠す気もない怒りに震える声で、ケイゴが木崎に尋ねる。
「木崎さん。これ撮ったやつら、今、事務所にいるんすよね」
「ああ」
「行っていいっすか」
「そのガキを連れて来たらな」
木崎が立ち上がった。僕たちを見下ろし、威厳たっぷりに言い放つ。
「そのガキにもうロクな行き場はねえ。サツが捕まえるか、家に帰るか、お前らんところ来るか。何にせよ、すぐ状況は動く。動いたらオレに連絡しろ。連絡先は分かるな?」
木崎に尋ねられ、ケイゴが「うっす」と頷いた。そういえば、木崎はケイゴの教育係になる予定だったな。そんなことを今更思い出す。
「匿うんじゃねえぞ。それやったらてめえらもまとめてヤキ入れっからな。まあオレらも事情は分かってっから、素直に出てくりゃ大事にはしねえよ。じゃあな」
木崎が病室から出て行った。重たい静寂が後に残される。何か話したい。だれど裸で正座をするカトウのイメージが頭にこびりついて、ありとあらゆる思考の邪魔をする。
「……言ってくれればいいのに」
ソンが口火を切った。僕は暗い声で答える。
「言えなかったんだろ。恥ずかしくて」
「それは分かるよ。でも僕たちはただの友達じゃなくて仲間でしょ。そういう恥ずかしいところも見せあって、助けあう。そういう関係じゃないの?」
「……あいつはそうは思ってなかったんだろ」
「違うよ」
凛とした声が、重苦しい空気を揺らした。
ベッドの姫が上体を起こし、僕たちを真っ直ぐに見据えている。揺るぎない視線。動画を見ていないせいもあるかもしれないけれど、今はその芯の強さが頼もしい。
「絶対に違う。カトウくんはみんなのことを大事な仲間だと思ってた。思ってたから言えなかったの。わたしは分かる。わたしは、カトウくんと一緒だから」
姫が自分の胸に手を乗せ、しみじみと語り出した。
「ヒロトたちはね、ここがすごく強いの」
ここ。きっと心臓ではない。心とか、そういうもの。
「たぶん、家のこととかで苦労してるからだと思う。だからとても速く走れる。ぐんぐん、ずんずん、前に進んで行っちゃって、必死に追いついてもすぐに置いて行かれる。わたしはそういう時、すごく悔しくなる。悔しくて、歯痒くて、ついていけない自分が嫌になる」
僕たちのスピード。姫のスピード。――カトウのスピード。
「でもそういう時、隣にはカトウくんがいる。それで『あいつら速すぎるよな』って笑ってくれる。それでわたしはすごく救われた気分になるけど、カトウくんだって本当はみんなと一緒に走りたいはずなの。それはすごく良く分かる。わたしも同じだから。わたしも本当はみんなと一緒に、同じ速さで走りたい」
小さな手でシーツをキュッと掴み、姫が言葉を零した。
「置いて行かれたくない」
僕たちが、姫を置いていく。
――同じだ。カトウの家でカトウが吐き出した言葉を聞いた時と同じ。何を言われているのか分からない。僕たちが強くて速くて追いつけない。そんなこと、あるわけない。そう思ってしまうし、そうとしか思えない。
つまり、きっと、これだ。
僕たちは自分の強さに無自覚で、それがカトウを苦しめている。
「ヒロト」
ソンが僕の肩に手を乗せた。そして、ハッと我に返る僕のデニムを指さす。
「電話、来てるみたいだけど」
言われた通り、ポケットが震えていた。慌ててスマホを取り出し、画面に『カトウ母』と表示されているのを見て一瞬心臓が止まる。スピーカー機能をオンにして電話を取り、少し上ずった声で「もしもし」と語りかけ、言葉が返ってくるのを待つ。
「もしもし」
男の声。すぐに「あいつの兄です」と続き、声の主を察する。名前を呼ばない辺り、母親よりは僕たちに感性が近そうだ。
「弟のことで話がある。ついさっき、あいつが家に現れて、また出て行った」
全員が息を呑む。木崎の言った通り、動きがあった。
「どうやら物を取りに来たみたいだ。その持って行った物がヤバい。それで母さんが取り乱していて、代わりに僕が電話させてもらっている」
「ヤバい物?」
「ああ」
切れの良い声が、短く、分かりやすく、衝撃の言葉を伝える。
「包丁だ」
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