第4章 盗賊の詩
4-1
先に言っておくと、これは全てが終わった後に人から聞いた話だ。
そいつは僕たちとは違う中学に通っている中学二年生の男子。眼鏡で、ひょろくて、オドオドしてて、いかにもカツアゲして下さいって感じのやつで、見事、夏休みの終わり頃に上野のゲーセンでカツアゲされた。五人以上のストリート系ダンスグループにどちらかが混ざっている確率九十五パーセントって感じの金髪坊主とビジュアル系赤メッシュの高校生二人に絡まれて、律儀に持ち歩いてた学生証を奪われて、ゲーセンのトイレで「いくらもってんの?」なんて聞かれて、ああなんて最悪な日だゲーセンなんて来なきゃ良かったとか考えていた、その時だった。
「止めろ!」
そいつは「救世主が来た」と思った。そして声の方を向いて、小学生っぽい男子がふんぞり返っているのを見て、即座にその考えを撤回した。実際は一つ上の中学三年生なのだけれど、その時のそいつはそんなこと知る由はなかったし、知っていたとしてもその事実に何の意味もなかった。小学生に見える中学生と中学生に見える小学生なら、後者の方がまだ頼りになる。
だけど、そいつにとってその小学生(に見える中三)は、やっぱり救世主だった。小学生が「逃げろ!」と叫んだのと同時に走り出したら逃げられたからだ。トイレの奥の方に押し込まれていたのに逃げられた理由はとてもシンプルで、高校生二人が小学生の確保の方を優先したから。逆に言うと小学生は捕まったということで、まさに自分の身を犠牲にして救いの手を差し伸べてくれた救世主以外の何者でもなかった。
さて、助けられたそいつはその後どうしたか。結論から言うと、ゲーセンの外に出た。そして他の助けを呼ぶこともなく救世主のことを心配しながら近くをうろうろした。その話を聞いた時は何やってんだ死ねと思ったけれど、そうしてしまったものは仕方がない。後の祭りだ。
やがて、ゲーセンから救世主が現れた。
救世主は高校生二人に両側からガッチリ挟まれていて、そいつは「捕獲された宇宙人のようだった」と言っていた。それを聞いた僕は上手いこと言ってんじゃねえ死ねと思った。それと救世主の髪が濡れていたとも言っていた。トイレで捕まって、出てきて、濡れている。あまり考えたくなくて、僕はとにかく何もかも死ねと思った。
救世主がそいつを見た。そして力なく笑った。「早く行け」。そいつはそう言われているように感じて、走ってその場を立ち去った。たぶん、正解だと思う。その救世主はチビで、ビビりで、チン毛も生え揃ってないくせに、変にカッコつけたがりなのだ。僕はよく知っている。僕たちは大切な友達で、今まさに首に縄巻いて死のうとしてるやつを爆笑の渦に叩き込んで笑い死にさせかねないほどヘンテコな名前をつける親よりもずっと、あいつのことをよく分かっている――
――はずだった。
◆
二学期になってから、カトウの付き合いが悪くなった。
同じクラスのソンが言うには、放課後になったらすぐいなくなっているそうだ。姫の病室で開かれる定期勉強会にもあまり来ない。「受験用の通信教育を始めた」なんて言っていたけれど、たまに来たらむしろ頭は悪くなっている。これは彼女が出来たに違いないと思って聞いても軽く否定されて、隠している雰囲気もない。そもそもカトウは彼女が出来たらしつこいぐらいにアピールしてくるタイプだろう。
そういうわけで「おかしいな」と感じてはいたけれど、だからと言って僕は特に何をするわけでもなく、ただ状況を粛々と受け入れた。中三の二学期。たいがいの同級生がそうであるように、僕の生活も受験一色だった。受験の色なんて見たことないけれど、たぶん、アスファルトにへばりついて数年経ったガムと同じ色をしているのだと思う。知識をどれだけ詰め込んでも足りない気がして、人に構っている余裕がなかった。
十月も半分を過ぎた、ある日の放課後。
僕は姫の病室でケイゴと勉強をしていた。ソンは来るとは言っていたけれどまだ来ておらず、カトウは出欠の返事すらなかった。そして姫は、ソファに横になっていた。月からの魔力供給が不安定になり体調が悪くなると姫はそうなる。一度、しっかり休んだ方がいいと思って「今日は帰ろうか?」と提案したけれど、「主が弱ってるのに護衛が離れるのおかしいでしょ」と怒られてしまったので、それからは何も言わないことにしている。
「ソンのやつ、遅せえな」
ケイゴがシャーペンで机をとんとんと叩く。苛立っている時の仕草。
「掃除当番なんじゃない?」
「それにしても遅すぎんだろ。連絡もねえし」
シャーペンが机をノックする間隔が短くなる。僕は「そのうち来るでしょ」と自分の勉強に没頭する。コンコン、コンコン。木靴を履いた小人が机の上で踊っているような、リズミカルな音が病室に響く。
コンコン。
小人が巨大化した。病室の扉を叩く音。すぐにソンが現れ、ケイゴが悪態をつく。
「おせーよ」
「ごめん。先生に呼び出されて」
ソンが僕の隣に座った。僕はその沈んだ面持ちに違和感を覚える。学校一成績優秀なソンが先生から呼び出されて悪い話を聞かされることなんて、ほとんどないはずだ。
「なんで呼び出しくらったの?」
僕が尋ねると、ソンの表情がさらに沈んだ。ただならぬ気配に姫が身を起こす。ソンはしばらく口をもごもごと動かし、やがて、意を決したように語りだした。
「今日、カトウ休みだったんだけど」
「うん」
「万引きで補導されて自宅謹慎なんだって」
万引き、補導、自宅謹慎。
正直、耳を疑った。ケイゴなら分かる。失礼な気もするけれど、分かるものは分かる。でも、カトウだ。あまりにも相応しくない。ただひたすら女の子がかわいいだけのアニメに死体愛好家の連続殺人鬼が登場したような違和感がある。
「はあ!?」
ケイゴが大声を上げた。ソンがしどろもどろに続ける。
「本屋で漫画を万引きしたらしい。それでカトウが、どうしてそんなことをしたのか黙秘してるらしくって、僕が呼ばれて何か知らないかって聞かれたんだ。もちろん知らないよ。それですぐカトウに連絡しようとしたけど、電話もメールもLINEも全部リムられてるみたいで無理だった。たぶん、みんなも同じだと思う。試してみて」
僕はスマホを取り出し、カトウに電話をかけた。――『お客さまのご都合によりお繋ぎできません』。ケイゴも、姫も同じ結果。言葉を失う僕たちに、ソンが尋ねる。
「一応聞くけど……みんなも事情知らないよね」
「当たり前だろ」
僕は即答した。ケイゴも頷く。姫は質問には答えず、ただ一言、力強く言い切った。
「会いに行こう」
全員の視線が姫に集まった。その視線を受け止めながら、姫が滔々と語る。
「家の場所は知ってるんでしょ。だったら会いに行こうよ。今ちょっと体調悪くて難しいかもしれないけど、わたしも頑張って外出許可取るから」
「でもあいつは、会いたくないから連絡拒否ってるわけで――」
「カトウくんが会いたくなくても、わたしは会いたい。ヒロトは違うの?」
――違うわけないだろ。僕は三秒前の自分をフルスイングで殴り倒した。
「会いたい」
「でしょ。じゃあ、決まりね」
姫の言葉に、ソンとケイゴが大きく首を縦に振った。「会えばどうにかなる」。全員がそう考えているのは明白だった。僕たちは友達で、カグヤナイツで、それはつまり、心の全てをさらけ出すことが出来る仲間ということなのだと、完璧に思い込んでいた。
そんなはずないのに。
◆
僕たちはカトウの家に、一度しか遊びに行ったことがない。
理由は「なんか違う」から。一軒家だし、広いし、綺麗だし、ゲーム機揃ってるし、条件は最高なのだけれど、なんか違うのだ。おやつにカットされたバームクーヘンとティーポット入りダージンリンティーが出てきた時と、飼っている室内犬が『ビション・フリーゼ』とかいう分身しながら氷の塊を放つ必殺技みたいな名前の犬種だった時に、特にそう思った。ちなみに犬の名前はマルちゃん。理由はマルチーズ系列の犬だから。なぜそのシンプルイズベストなネーミングセンスをカトウが生まれた時に発揮してやらなかったのか、過去の失態が悔やまれる。
事件の話を聞いた翌日の放課後、四人も連なってぞろぞろと家に訪れた僕たちを、カトウ母は中に招き入れてくれた。ほっそりとした美人のお母さんなのだけれど、その時は憔悴しきった顔をしていて、痩せているというよりやつれていると感じた。リビングで聞かせてもらった話だと補導からずっとカトウは部屋に引きこもっていて、家族の誰が呼びかけても出てきてくれないらしい。話をしている最中、カトウ母はカトウのことを下の名前にちゃん付けで呼んでいて、僕は「そういうところがダメなんじゃないの?」と思ったけれど言わないで黙った。
話を聞いた後、僕たちは二階にあるカトウの部屋に向かった。出向く前、カトウ兄から自己紹介と共に「弟のこと、よろしく頼む」と頭を下げられた。カトウの二つ上。イケメンで目測身長180センチオーバーで名前は秀一。カトウ兄は悪くないけれど、なんとなく、この兄がカトウに寄り添えない理由も分かる気がした。
部屋の前に四人で並び、まずは僕がドアをノックして「カトウ、来たぞ」と声をかける。返事なし。続けてソンが「カトウ、開けてくれないかな」と、姫が「カトウくん、お願い」と頼む。返事なし。沈黙の中、ケイゴがずいと前に出た。
「オレに任せろ」
ケイゴが大きく息を吸った。そして思いきりドアを叩きながら、二軒先ぐらいまでなら届きそうな怒鳴り声を放つ。
「チンコが右曲がりになると嫌だからオナニーは左と右で交互派のカトウくんいますかーーーーーー!」
――なるほど。僕は身を引いた。ここは任せた方が良さそうだ。
「彼女もいねえのにCカップ以下は女じゃない宣言出したカトウくん居ますかーーーーーー! 給食ん時に『割烹着の女子ってめちゃくちゃに汚したくなるよな』って言ってたカトウくんいますかーーーーーー! レンタルショップでAVのパッケージだけ見て帰って中身を想像して抜くのが好きなカトウくんいますかーーーーーー! 凌辱系の――」
ドアが開いた。
泣きそうな顔をしているカトウに、ケイゴが「よう」と声をかけた。カトウが「……ふざけんなよ」とか細く呟き、ドアを開けたまま部屋に引っ込む。入れ、ということだろう。遠慮なく、みんなで上がらせてもらう。
カトウの部屋は汚かった。床に脱ぎ散らかした服と読み散らかした漫画が散乱し、机の上に作りかけのプラモデルが放置され、椅子の背もたれに丈の短い紺色のコートが無造作に放置され、テレビの前のゲーム機周りにソフトの空き箱が積み重なっている。そして、カトウ自身も汚い。着ているジャージはよれよれ。髪はぼさぼさで肌はかさかさ。そして何より、目が死んでいる。
「で」ケイゴがベッドの縁にドカッと腰かけた。「ぶっちゃけ、何があったんだよ」
カトウは、質問に答えなかった。散乱している漫画本を押しのけ、黙って床に座る。僕と姫はカトウのすぐ前に座り、ソンはケイゴの隣に座った。ベッドの上から二人、真正面から二人。四人の視線に一分ほど晒され続け、ようやく口を開く。
「……別に、何もない」
「嘘こけ。お前が何もないのに万引きなんかするわけねえだろ」
「なんでだよ。おれは『盗賊』だぞ」
「だからなんだよ」
カトウが身を引いた。逆に、ケイゴは前に出る。
「オレは、特に理由もねえのに万引きしてるやついっぱい見てきたし、ぶっちゃけ、オレ自身もやったことがある。そのオレが断言する。お前はそういうタイプじゃない。お前だって自分で分かってんだろ」
強い言葉。カトウは言い返せずに顔を伏せた。続けてソンが、ムチの次はアメとばかりに優しく声をかける。
「カトウ。僕たち何も悪いようにしようってわけじゃないんだ。ただカトウの力になりたいだけで、実際になれると思う。何があったのか話してくれないかな」
さりげなく、何かあったのは確定事項になっている。展開をスムーズにする話術。僕もダメ押しを加えようと口を開いた。
「お前、今まで俺らのために、色々やってくれただろ」
俯くカトウの背中が、ほんの少し上下した。
「俺のために色んな鍵開けてくれたり、ケイゴのために父親から財布スったり、ソンのために靖国まで来てくれたりさ。だから今度は、俺たちがお前のために何かしたいんだ。だから頼むよ。話してくれ」
カトウの肩に手を置き、僕は爽やかに言い放った。
「俺たち、仲間だろ?」
決まった、と思った。
クリティカルヒット、会心の一撃、急所に当たった。とにかく、決定打になる一撃を放ったと思った。お前は仲間のために戦ってくれた。だから次は、僕たちが仲間としてお前のために戦う番だ。感動的で、筋が通っていて、非の打ちどころのない流れだと信じて疑っていなかった。
そんなやつが団長だから、カトウは僕たちに何も言わなかったのだ。
「――黙れ」
カトウが、肩に乗っている僕の手を弾いた。
大して力の入っていない軽い叩き方。だけど僕にとっては、金属バットでぶん殴られたぐらいの衝撃があった。叩かれた手を中途半端に浮かせて呆然とする僕を鋭く睨みつけ、カトウが口を開く。
「何が仲間だよ。おれは、お前らのことを対等な仲間だなんて思ったことねえよ。お前らだってそうなんだろ。おれのこと、見下してるんだろ。知ってるんだ」
何を言っているのか、分からなかった。
僕たちがカトウを見下す。何が、どうして、そうなる。確かに、名前のことや身長のことをからかったりはした。だけど僕もケイゴもソンも、自分ではどうしようもない特徴を山ほど抱えている。いいところも、悪いところも、いっぱいある。でも、そういうの全部ひっくるめて対等だと思っていたし、そう思っていることは伝わっているとも思っていた。だから僕たちは一緒にいるのだと。
「そういうのがイヤだから万引きしたんだよ。お前ら、おれが一人じゃ何にも出来ない雑魚キャラだと思ってるだろ。でもおれだって出来る。それを証明したかったんだ」
嘘だと思う。でも喉の奥から言葉を絞り出すカトウは必死で、何もかも嘘をついているようには見えない。言葉は嘘だけど、心は本当。そんな感じ。
「だいたいさ、カグヤナイツってなんだよ」
カトウが鼻を鳴らし、口元に醜い嘲笑を浮かべた。
「月のお姫さまとか、月帰還性症候群とか、中二病もたいがいにしろっての。おれら、もうあと半年で高校生なんだぜ。そろそろ大人になんないとまずいっしょ。いつまでも現実逃避してないでさあ――」
カトウが止まった。
動画の停止ボタンを押したように固まるカトウの視線は、僕のすぐ横に注がれていた。僕も同じ方を向き、そして、同じように固まる。うずくまり、はあはあと細く荒れた息を吐く姫が、そこにはいた。
「おい!」
ケイゴが叫んだ。ソンが姫に「大丈夫?」と声をかけ、僕も背中をさする。カトウは、ただひたすらに固まっている。目の前の出来事が信じられない顔。信じたくない顔。
姫がゆっくりと上体を起こした。そして胸の辺りを手で抑えながら、カトウに向かってにこりと微笑む。
「大、丈夫」
滝のように噴き出る汗。冗談みたいに白い肌。途切れ途切れになる言葉。
「カトウくんの、せいじゃ、ない、から――」
操り人形の糸が切れたように、姫の身体が崩れ落ちた。僕は意識を失った姫を仰向けに抱きかかえる。――軽い。この中に命が入っているなんて、とても思えないぐらいに。
ソンが病院に電話をする。ケイゴが姫に声をかける。そして僕は、未だに再生ボタンが押されていないカトウと向かい合って口を開く。
「カトウ」
再生ボタンが押される。カトウが立ち上がり、姫と僕たちを見下ろして、囁くように呟く。
「おれ――」
その先は、無かった。カトウが走り出し、僕たちを飛び越えて部屋から出ていく。ケイゴが「カトウ!」と叫んだ声は、カトウが階段を駆け下りて玄関から飛び出す激しい音にかき消されて、僕たちの耳にもほとんど届かなかった。
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