2-2

 ゴールデンウィーク初日の昼過ぎ。僕たちはソンの案内で事務所に向かった。

 道中は姫が一人で喋りまくっていた。姫は外出をする際、主治医の許可を得る必要があるらしい。そこで姫は素直に「ヤクザの事務所にカチコミに行く」と言ったところ、主治医は笑いながら「じゃあお土産には拳銃を頼もうかな」と答えたそうだ。カツラの髪をくるくる弄びながら「だから拳銃持ち帰らないといけないんだよね」と呟く姫を見て、僕は姫が変なことを言い始めたら絶対に止めようと固く決意した。やりかねない奔放さがある。

 黒澤誠二郎の事務所が入っている雑居ビルには歩いて十分ぐらいで着いた。二階にあからさまに怪しい街金の店舗が入っていることを除けば何の変哲もないビル。今まで何度か前を通ったことがあり、その時は何も感じていなかった。だけど今は、威圧感で肌がピリピリする。魔王城に乗り込む前の勇者の気分。

「じゃ、行こっか」

 姫がビルに入ろうと前に出た。白いブラウスが昼下がりの陽光を照り返して輝き、ネイビーのフレアスカートがパラシュートみたいにふわりと翻る。

 ほとんど反射的に、僕は姫の腕を掴んだ。

「待って」

 姫が振り返った。丸い瞳をさらに丸くして尋ねる。

「なに?」

「やっぱり女の子は危ないよ。僕たちだけで行くから、ここで待ってて」

「守ってくれるんでしょ?」

 今度は、僕が目を丸くした。姫がピンク色の唇をお椀の形に歪める。

「頼りにしてるからね」

 姫がビルに向かう。ソンがすれ違いざまに僕の背中を叩き、「ヒロトの負けだよ」と言って姫に続く。それからカトウも続き、最後に僕が、ビルに足を踏み入れた。

 事務所は四階。安普請なエレベーターで上がり、廊下の一番奥の部屋に向かう。看板でも出ていれば分かりやすいのだけれど、もちろん出ていない。表札もないから、本当にここがヤクザの事務所なのかどうか判別がつかない。

「ソン。ここであってるのか?」

「教えてくれた人はそう言ってたけど」

「まあ、聞けば分かるよ」

 姫がドア横のインターホンを押した。自動販売機のボタンを押すぐらい簡単に。思い切りの良さに呆気に取られているうちに、機械を通してひび割れた声がインターホンの向こうから聞こえてくる。

「はい」

「すいません。ここ、黒澤誠二郎さんの事務所ですか?」

「どちらさん?」

「岡崎ケイゴくんの友達です。ケイゴくんのことで黒澤さんとお話しがしたく、訪問させていただきました」

 十秒。二十秒。――返事が来ない。カトウがひそひそと姫に囁く。

「もっと説明した方がいいんじゃない?」

「大丈夫。聞き返してこないんだから通じてる。中で相談してるんだよ」

 姫がそう言ってから約三十秒後、ドアが小さく開き、黒いジャージを着た若い男がチェーン越しに姿を現した。ヤクザらしさのない黒髪のツーブロック。こいつが噂の、夜の世話もやっている雑用係なのだろうか。

「あんた、あの中坊のカノジョ?」

 気怠そうに、ジャージ男が姫に尋ねた。姫は首を横に振る。

「いいえ。ただの友達です」

「だよな。そんな感じじゃねえ」

 ジャージ男がチェーンを外した。ドアを大きく開け、僕たちに告げる。

「入りな」

 第一関門クリア。姫が「ありがとうございます」と頭を下げて事務所の玄関に入る。続いて僕が中に入ろうとした時、ジャージ男が僕に向かってボソリと呟いた。

「女に先行かせんのな」

 カチン。

 ――落ち着け。ここは敵地真っ只中だ。無駄な戦闘は回避した方がいい。それにジャージ男の言うことも一理ある。少なくともインターホンは、僕が押すべきだった。

 玄関でスリッパに履き替え、さりげなく姫の前に立つ。短い廊下の先にすりガラスの嵌まったボロいドアが見える。あの先が事務所の居室だろう。

 全員が室内に入り、ジャージ男が玄関のドアを閉めた。右足を軽く引きずる特徴的な歩き方で奥に向かうジャージ男を、今度は僕が一番に追いかける。いくらでもかかってこい。全員ぶっ殺してやる。決意と拳を固めながら、ジャージ男に続いて居室に入る。

 煙草の臭い。

 禁煙化が進み街から追い出された煙が逃げ場を求めてここに集まったように、何層にも折り重なった刺激臭が鼻腔を鋭く刺激する。僕は思わず顔を背け、手前のローテーブルと革張りのソファで作られた談話スペースから、三人の男が僕たちを見ていることに気づく。剃り込みの入った金髪、龍の入れ墨が刻まれた坊主、ブラウンのソフトモヒカンに同じ色味のサングラス。ジャージ男とは違う、見るからに堅気ではないと分かる男たち。

「木崎ぃ。そいつら、マジで連れてくの?」

 金髪が舌足らずな口調でジャージ男に声をかける。ジャージ男は「叔父貴に聞いて下さいよ」と、居室の右奥にある重厚な雰囲気なドアを指さした。居室の左奥には大きなデスクが置かれていて、だけど誰も座っていない。あのデスクが黒澤の席で、今は応接室にいるということだろう。

 ジャージ男の先導で奥に向かう。やがてジャージ男が応接室のドアをノックし、「失礼します!」と叫んで部屋に入った。ボス戦の気配。僕はごくりと唾を飲み、無意味に大股で応接室に足を踏み入れる。

 応接室にあるものは、ほとんどテーブルとソファだけだった。中央には長方形の大きなローテーブル。その長辺に三つずつ一人がけの革張りソファ。居室にあった談話スペースを一回り豪華にした感じだ。机の上にはクリスタルの灰皿が置いてあり、その灰皿は一番奥のソファに座るスーツ姿の男に現在進行形で使われている。後ろにすいた白髪と輪郭を覆う白髭が繋がって白獅子のたてがみのようになっている、精悍な顔つきの男。

 こいつが――黒澤誠二郎。

「連れてきました」

 ジャージ男が直立不動の体制を取った。黒澤がジャージ男を一瞥し、灰皿で煙草の火を揉み消す。姫が両手の腿の上に乗せ、深々と頭を下げた。

「お招き頂きありがとうございます。それと突然の訪問、申し訳ありませんでした」

「気にすんな。中坊相手にそんなカリカリしねえよ。座んな」

「はい。失礼します」

 姫が黒澤の前のソファに座る。――また出遅れた。仕方なく、僕は姫の隣に座る。僕の隣にはソンが座り、黒澤の対面側のソファを全て埋められてしまったカトウは、おろおろした挙句に黒澤側の出入口に一番近いソファに座った。

「話ってのはなんだ」

「それは――」

「いいよ。僕が言い出したことだ。僕が話す」

 僕は喋り出した姫を遮った。黒澤が獲物を見定める肉食獣の目で僕を見る。

「僕たち、黒澤さんに相談があるんです」

「相談?」

「はい。『岡崎ケイゴを高校に行かせる方法』について、相談です」

 黒澤の眉が、ピクリと動いた。

「あいつは高校に行きたがっています。でもなぜか中学を卒業したら黒澤さんのところでヤクザになることになっていて、あいつもそれを受け入れている。どういう理由があってそうなっているのか、僕たちはまずそれが知りたい。そして出来るなら理由を解消して、あいつを高校に行かせてやりたい。例えば、黒澤さんが強引にあいつをヤクザにしようとしているなら――止めてもらいたい。そのために、僕たちはここに来ました」

 いたいけな子どもを悪の道に引きずり込むのは止めろ。

 僕が言っているのはそういうことだ。自覚している。黒澤を敵に回していることも、それがどれだけ危険かも分かっている。相手は、人を地獄に落とすプロなのだ。

「高校に行きたがってる、ねえ」

 黒澤がスーツの胸ポケットから新しい煙草を取り出し、テーブルの上のジッポライターで火をつけた。ふーと細く煙を吐き、右の人差し指と中指で火のついた煙草を摘んだまま独り言のように呟く。

「俺には『どうか一から鍛えて下さい』って、土下座してたけどな」

 ハンマーで殴られたような衝撃が、耳から身体全体に広がった。

「親父を見てずっと憧れてたんだとよ。自分も立派な筋モンになりてえってな。必死に床に頭擦りつけて、かわいいやつだと思ったんだがなあ」

 ケイゴが土下座。僕はぼんやりとその光景を思い浮かべそうになり、すぐに慌ててかき消す。イヤだ。想像したくない。ケイゴは土下座なんてするやつではない。少なくとも僕の中ではそうではないのだ。

「で」黒澤が煙草を僕に向けた。溶岩みたいな赤褐色が網膜に刺さる。「誰が『高校に行きたがってる』って?」

 凄みのある声。気圧されて口を開けない。何か言い返さなきゃ。考えれば考えるほど、思考が言葉を奪う。

 パサッ。

 軽い音が僕の左隣から聞こえた。ふと視線を横にやると、テーブルの上に黒い塊――姫のカツラが置かれている。僕が姫の方を向いたのと姫が立ったのはほとんど同時。蛍光灯の光が、剥き出しの頭皮を鈍く照らす。

「わたしは明日、こうやって話すことが出来るか分からない人間です」

 凛とした声が、部屋に漂う煙草の煙を軽く揺らした。

「だからわたしは我慢している人を見るのが好きではありません。まだ中身が残っているお菓子の袋が捨てられるところを見た時のように、『もったいない』と思ってしまう。我慢することで何かを得ようとしているならいいんです。でも失うだけの我慢は見ていて本当に嫌な気分になるし――」

 小さな身体を大きく伸ばし、姫が黒澤に啖呵を切った。

「我慢させている人間を見ても、同じ気持ちになります」

 黒澤が姫を見上げる。それから何も言わず、まずは煙草をふかす。きっと女子中学生に啖呵を切られたことなどないのだろう。どう対応すべきか考えあぐねているのが伝わる。

 姫がカツラをかぶり直し、再びソファに座った。黒澤が前かがみになって煙草を摘んだ手を灰皿に伸ばす。そしてグリグリと火を消しながら、厳かに語り出した。

「あのガキをヤクザにしてえのは、あいつの親父だ」

 ――折れた。ヤクザの親分を、女子中学生が譲歩させた。

「土下座してる時も、親父が傍で睨みきかせてた。俺は鉄雄――あいつの親父に頼まれて教育を引き受けただけ。俺からあのガキを欲しがったわけじゃねえよ」

 黒澤がソファに深く腰掛けた。少しずつ状況が見えてくる。そして、突破口も。

「なら父親が頼みを撤回すれば、彼を舎弟にするのは止めてもらえますか?」

 ソンの問いかけに、黒澤は顎鬚を撫でながら「そうだなあ」と呟いた。この場での結論めいたものがちらりと顔を覗かせる。

 そして、すぐに引っ込む。

「バッカじゃねえの?」

 まだ少し高さの残る若い男の声が、部屋に大きく響いた。声の主――ずっと待機していたジャージ男がツカツカと僕に歩み寄る。そして僕が座るソファの背もたれに腕を乗せ、後ろから耳元で囁く。

「オレよ、あの中坊の教育係を頼まれてんだ」

 太い輪ゴムを弾いたような、低く跳ねるような響き。僕が振り返ってジャージ男を睨みつけると、ジャージ男は反応を喜ぶようににんまりと口角を上げた。

「これからオレはあいつを躾ける。お前たちが教室で仲良くお勉強している間に、あいつはどっかのボロいマンションで人の騙し方と追い込み方を学ぶ。二ヶ月もすりゃお前たちはもう、呑気に同じ場所にはいられえねえ」

 ――黙れ。

「海の魚と川の魚みてえに、生まれた時から住む世界が違うんだ。稚魚ん時にほんの少し一緒にいただけで勘違いすんな。遅かれ早かれ、こうなる運命なんだよ」

 黙れ、黙れ、黙れ。

 分かってる。そんなこと、僕たち全員分かってる。それでも僕たちは一緒にいた。まだ一年ぐらいだけど、確かに一緒にいたんだ。だからこんなところまでカチコミかけに来てるんだろ。お前に、お前なんかに、それをとやかく言われる筋合いはない。

「偉そうに」男を睨みながら、言葉を吐き捨てる。「ジジイの汚ねえチンポしゃぶって飼ってもらってる犬が、キャンキャン吠えんな」

 ジャージ男から、表情が消えた。

 嘲りに満ちた笑みが無くなり、その代わりが何も現れなかった。ロボットみたいに無機質で冷たい視線。思わず身体を竦める僕の両肩を、ジャージ男がそれぞれ両手で掴む。

 そして、思い切り引く。

 背中からソファごと倒され、後頭部が床にガンとぶつかった。目の奥で火花がパチッと弾け、ぼやける視界に汚い天井とスニーカーの靴底が映る。ジャージ男の足。僕は首を捻ってそれを避け、身体を起こそうとし、だけど馬乗りになるジャージ男に阻止される。

 ジャージ男が拳を振り上げる。殴られる。そう思った時には、もう殴られていた。顔に拳がめり込み、プラモデルのパーツが割れた時のような音が鼓膜の内側から響く。唾液と鼻水と鼻血がしぶきになって飛び散る先に再び拳を振り上げるジャージ男が見え、僕は顔面をガードし、今度は腹を殴られて胃液を口からまき散らす。

「おい! 止めろ!」

 黒澤が叫んだ。だけどジャージ男は止まらない。僕に向かってめちゃくちゃに拳を振り下ろしながら、クレイジーな奇声を上げる。

「叔父貴をバカにすんじゃねえええええええ!」

 ――してねえよ。

 してない。僕がバカにしたのはお前だ。そりゃ汚いチンポとは言ったけど、チンポは基本汚いだろ。なんなんだコイツ。わけがわからない。

 男の拳が鳩尾にめり込む。クリーンヒット。ゲロと一緒に魂が抜けだし、意識が急速に薄れていく。どうしてこんなことになってしまったのだろう。ほんと、余計なこと、言わなきゃ……良か……った……


   ◆


 目を覚ました時、僕は車の後部座席に横たわっていた。

 姫が起きた僕の顔を覗き込み、「良かったあー」と安堵の声を上げる。首の後ろに柔らかくて温かいもの気配を感じ、姫に膝枕をされていると理解する。僕はぼんやりと鈍る頭で状況を理解しようと試み、分からず、「……どうなったの?」と姫に尋ねた。

「これから病院に行くところ。ソンくんとカトウくんには帰ってもらった」

「病院?」

「うん。わたしが入院してる大学病院まで、ヒロトの怪我の治療に」

「……保険証、持ってない」

「全額出したるから安心せいや」

 運転席からソフトモヒカンの男が声をかけてきた。事務所の居室にいた奴。そうか。全額出してくれるのか。意外といい人たちだな。誰に殴られたのかも忘れてそんなボケたことを考える僕は、完全に脳に血が回っていなかった。

 病院の駐車場に車を止め、ソフトモヒカンから金を貰って僕と姫が下りる。姫は「治療が終わったら病室に来て」と言い残して自分の病室に戻り、僕は外来受診の受付に向かう。誰がどう見ても怪我をしていると分かる顔面のおかげか、めんどくさいことはあまり聞かれず治療に入れた。

 治療の結果、鼻の骨が折れており、全治一ヶ月だということが分かった。あちこちに貼られたガーゼと鼻を抑える固定具で埋まった顔は自分で見ても痛々しく、母さんにどう説明しようか悩む。悩みながら姫の病室に向かい、扉を開く。

 銀縁の眼鏡をかけた神経質そうな男が、病院服でベッドに横たわる姫の傍からじろりと僕を睨みつけた。

 月の王。姫の父親、相馬幹彦。鋭い視線に射抜かれ、僕は足を止める。姫が困ったようにカツラの髪の毛を弄りながら父親に話しかけた。

「パパ。ヒロト来たから」

「来たからなんだ。私はお前の父親だぞ。お前はこれから父さんがいたら困るようなことをあの男とするつもりなのか?」

 ――という言葉を表情で伝え、父親が黙って姫から離れた。そして病室の出入口に向かいながら、すれ違いざま僕に

「娘はずいぶんとお前のことを気に入っているようだが、自惚れるなよ。私はお前を認めていない。娘に手を出したら許さんからな」

 ――という言葉を表情で伝え、黙って病室から出て行った。僕はふうと息を吐き、ベッド近くの丸椅子に座る。

「お父さんがいるなら言っておいてよ」

「パパはいつも不意打ちなんだもん。仲良くすればいいじゃない」

「僕もそうしたい。お父さんに『わたしの大好きな人なんだから仲良くして欲しいな』って言っておいてくれる?」

「似たようなことはさっき言った。でもなんか、逆効果だったみたい」

 言ったのかよ。どうりで敵意全開だと思った。

「まあ、パパがわたしのことを心配してくれるのは、ありがたいんだけどね」

 姫が父親の出て行った病室の扉を愛おしそうに見やる。その「心配」のせいでついこの間まで参加したくもない新興宗教の集まりに参加させられていたのに、それを恨むような素振りは微塵も見えない。姫が父親のことを本当に愛していて、だから大嫌いな我慢をしていたのだとよく分かる。

 ケイゴは、どうなんだろう。

 あいつも自分の父親のことを愛していて、だから我慢をしているのだろうか。

「ヒロト」

 姫の呼びかけに、考え事が中断された。ちょいちょいと僕を手招きする仕草に誘われて近づくと、姫が両腕をすっと伸ばして僕の顔に触れた。

 固まる僕の顔を優しく撫でながら、姫が尋ねる。

「ごめんね。痛かったでしょ」

「……謝らなくていいよ。僕の自爆だし」

「でも、カチコミかけようって言ったのはわたしだから」

「いいってば。むしろ、謝るのは僕の方だ」

 俯き、弱音をこぼす。姫の手が僕の顔から離れた。

「どうして?」

「騎士団長なのに、全然守れてなかった。君はヤクザ相手に一歩も退かないで戦っていたのに、僕はその傍でウロチョロしてただけ。あれじゃただの従者だ」

「それは、ヒロトたちがいてくれたからだよ」

 僕は顔を上げた。頬にえくぼを浮かべ、姫が穏やかに微笑む。

「何があっても守ってくれるって思えるから、わたしは我慢しないで好き勝手なことが出来るの。それは守ってることにならない?」

 姫がまた僕の顔に手を伸ばした。そしてさっきと同じように撫でる。だけど今度はさっきと違う。さっきは怪我を撫でていた。今はたぶん――僕を撫でている。

 鼓動が早まる。うっすらと感じる消毒液の匂いが、ひどく背徳的なものに思える。僕も触れたい。素直に、感じるままに、膝の上に置いていた手を浮かせる。

 そして、デニムのポケットから激しい振動を感じ、その手を止める。

 僕はポケットから震えるスマホを取り出した。母さんから電話。――マジ空気読めよ。ある意味、これ以上ないぐらい読んでるけど。

「ごめん。電話」

 姫から離れ、電話を取る。「ヒロくん? 今どこ?」と母さんの声。僕は「カノジョんとこ」と言いかけ、止めた。僕が母さんの前で姫を彼女扱いしているからといって姫は怒らないだろう。むしろ喜ぶと思う。だけど絶対、からかってくる。

「普通に、外に遊びに出てるけど」

「病院じゃなくて?」

 一瞬、呼吸が止まった。おそるおそる、結論に至った経緯を尋ねる。

「どうしてそう思うの?」

「ついさっきうちに来た人たちが、そう教えてくれたから」

「うちに来た人たち?」

「うん、そう」

 あっけらかんとした口調で、母さんが事の真相を告げた。

「ヤクザさんが二人」

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