最後もVAN

4月23日月曜日。

美月先生から渡された『あんず通りで偶に遭う人』を昨夜遅くまで読んでいたので、目が覚めるともう8時、自宅には誰もいなかった。


「明日、行けるようだったら、行きなさいね」


ママは優しく言ってくれた。木、金、土、日と4日間連続で学校を休んだから、なんだかふわふわしている。


どうしよう。今から行こうかなぁ。

今からだと思いっきり遅刻ちゃんだ。


渡辺結が朝ごはんを食べ終えるともう9時少し前。1時間目はすでに始まっているころだ。たしか2時間目が美月先生の国語だから、そこから合流しよう。


教室はどんな空気だろう。

入ったら3秒以内に謝った方がいいのかな。


「休んじゃってごめんなさい」 


あれ? 謝るところじゃないか。みんな心配してくれているのかな。恥ずかしいなぁ、なんだか。泣かないでしゃべれるかな。


そうそう、海馬くんにはお礼を言わなくちゃ。


『遺書』はパパ経由で受け取った。あんなにすごい字でおじいちゃんの言葉を書き残してくれるなんて。きっと字を書く練習をいっぱいしたんだろうな。印刷したのかと思うほどの字だった。乱れているところがぜんぜんないんだよ! 一生大切にする。


「あ!」


結は気づいて小さく笑う。『いしょ』と『いっしょう』が美月先生のダジャレみたいになったし、ここまで印刷と見分けがつかないなら、手書きの意味逆にないかも! 結は小説を仕上げて見せてくれた美月先生と、おそらく『書道』や『ペン習字』の本を山ほど読んだであろう海馬くんに会いたくなった。


深呼吸して目を閉じ、自分の心の状態をチェックする。


大丈夫。


もう元気になった。


哀しいけれど――おじいちゃんがいつでもそばにいる気がする。

おじいちゃんは体がない分、どこにでも現れることができるんだ。



「おーい、ゆーい」


「!!!!」



メチャクチャタイミングよく、外から少年の声がする。

この優しくて、今にも笑い出しそうな独特な声は――



海馬くん?!



「おはよう」

「おはようって!」

「迎えに来たよ。それと新しい制服が完成したよ。美南とお揃いの、オレの超力作。ほいっ。そのかわいいパジャマ、とっとと着替えてきて」

「ぎゃっ!!」


見られてしまった!!

記憶から消去して!! と言いたいところだが、相手が悪い。

最強の記憶の持ち主なんだから。


「でも、いちおう・・・学校の制服を着てかなくちゃ」

「あ、いいんだ。ほら、見て。今日はオレ、ジャージだろ」

「あ!」


オレンジのド派手なジャージ。見たことないくらいレトロで、なんだか古着みたいな例のジャージだ。


「制服に関する校則、なくなったんだ。結が休んでいる間にいろいろあってね。みんな好きな服を着ているよ。美月先生は先週、和服を着てきたよ。もちろん制服を着てるヤツもいっぱいいるけど。どうする? それ着る? それとも今までの制服で行く?」

「そうなの! じゃあ・・・これで、新しいので行く!!」

「オッケー! さあ、早く行こう」


* * *


学校までは2人で並んで歩いて行った。

そうなんだ、バスで行く方がずっと遠回りなんだ。


それにしても――


かわいすぎる、この制服!!

嬉しい! しかもお金も払わなくていいんだよ。

『超考堂』の名前を考えたんだもんね、美南ちゃんと。


あ、そうだ! AIと言えば!!!


「ねぇねぇ、美月先生がメールに書いてたけど、おじいちゃんのAIを作ってくれたの?」

「うん。ユイゴンっていうんだ。怪獣みたいなかわいい名前になっちゃったけど」


 

ユ イ ゴ ン !



「あれ、聞いてない? 美月先生がつけてくれたんだけど」

「知らなかった! えっと、ユイゴンは何が出来るの?」

「いろいろ出来るよ。将棋も指せる。結のおじいちゃんの頭脳をインストールしているからね」

「すごい!」

「普通、将棋のAIって、当たり前だけど勝利が目的として設定されているんだ。でもね、ユイゴンは違う。ユイゴンの目的は――結を元気にすること」



ゆ い を


げ ん き に す る こ と



「それは照れる!」

「じつは今日、オレが迎えに来たのも、ユイゴンの指し手なんだ」

「そ、そうなの?!」

「まあ、オレは最初からゆいを迎えに行くつもりだったんだけどね。AIと読み筋が一致した」

「ありがとう! 海馬くん。AIに負けてないね」

「ああ、負けてないよ。結のこと考える対決では負けられない」



ゆ い の こ と 


か ん が え る 


た い け つ !



「たとえおじいちゃんのAIが相手でもハンデはいらない。平手対決だ」

「海馬くん、それ――ホンキで言ってるの?」



胸が高鳴る。


冗談じゃなかったらどうしよう。


ちがう、ちがう。


考えることが好きなだけだよね、海馬くんは。


誰のこともホンキで考える。


みんなのことをトコトン考える。


わたしだけが特別なわけじゃない。


それは解ってる。解ってる。解ってる。



「ただ、ぶっちゃけAIと人間の間には、すごい差があるんだ。たとえばオレ、足の速さには自信があるけど」


知ってる。あの日――バスに負けていない速さだった!

中学のときにいた陸上部の速いセンパイよりずっと速かった!!


「ロケットのスピードからみれば、オレも結も変わらないだろ。そのくらい違うんだ。あまりに差がありすぎて、AIにとっては人間同士の知力の差なんて、完全になくなって見える」

「それはない!」

「理論上というか、物理的にはそうなんだ」

「海馬くんとわたしの考えるレベルが同じなんて思えないよ」


それは、ぜったいに同意できない。


「でも、それって悪くない状態だと思う。人間同士にちがいがないことを理解できれば、くだらないプライドをかけて争ったり、ちょっとした価値観の違いで悩んだりしなくてすむんだ」

「え?」

「制服廃止の指示をした校長のAIは、『校長ロール』っていうんだけどね」



こ う ち ょ う の


え え あ い ?



「人間の思考とぜんぜんちがう判断を下せるんだ。将棋で言えば・・・歩も玉も同じように扱うことを目的にしたAIなんだ。だからもはや将棋じゃない。人間が生み出した平等っていうコンセプトというか戦略をとらない。それでいて才能の差異にまったく基づかない、シンプルな喜びとか豊かさを正義とするというか・・・まだオレも把握してないんだけど、人間の根源的な喜びを志向し、くっきりさせてくれるAIなんだ」

「人間の根源的な喜び・・・」


並べられた言葉は難しい。ちょっと宇宙語みたいだ。


「人間があまりにフツーで見落としていた、好きなヤツとふたりで歩くと幸せになれるとか、そういうシンプルな喜びがAIの示す最善手だったりする」



好 き な ヤ ツ と


ふ た り で あ る く と 


し あ わ せ に な れ る



「そうするともう、学校が学校でなくなる。同じ制服を着て、与えられた勉強だけをやるとか論外。誰かが決めた受験勉強という枠で争ってもしょうがない。人間同士の争いを解除すると、あらゆる秩序が解体され、新しく社会を構築しなおさなくちゃいけない。いったんはバラバラになっちゃうけれど、再生されるとき、すごいパワーが生まれる。こういうのをルネサンスっていうのかな。それはきっと――メチャクチャ面白い」


銀髪の少年は、挑戦的な顔をした。


ヴィンセント・VAN・海馬――


その顔は荒野に旗を立てる、パイオニアの相貌だ。


「オレは人とは争わないことに決めたんだ。新しいものを創ることに手を尽くす。ユイゴンにだって背伸びして平手で挑むし、超考堂の予想を超える手を目指す。校長ロールの示した手を読み解き、食らいついていく」

「だから海馬くんは――」


結は海馬を真似て、道筋がわからないのに、思い浮かんだ結論のイメージだけを口にしてみた。


「オレンジのジャージを着なくちゃなんだね」

「そう! だからオレンジのジャージだし、自作の制服なんだ」

「そして、それは――ちっともすごくない」

「うん! すごくない。すごいのはオレたちじゃない。オレたちは同じだよ。本当にすごいのは――オレじゃない方の海馬だと思う」

「オレじゃない方の海馬?」

「オレの頭にも、結の頭の中にもある海馬っていう器官。それが埋め込まれているから、死んだ人の思いさえ受信できる」


少年は銀色の髪に人差し指を突き立てる。


「過去から未来まで、どんな情報でも読み解くことができる。これが生まれつきインストールされているとか、感謝しかない」

「そう考えると、すごいね」

「うん。でも海馬は体の器官だ。当然それだけじゃ生きられない」

「うん」

「大切にしなくちゃ。世界は――あらゆる人と情報はぜんぶつながっている。こんな感じで」


少年は少女の手をそっと取った。


手をつないで歩くなんていつ以来だろう。


もちろん、少年は少女の心を見透かしている。


「4月5日入学式の日も、オレは結の手を引いたよ」


海馬くんの手は、最初は少し冷たかったけれど、しばらくすると温かくなってきた。ベッドで握ったおじいちゃんの手も最後のギリギリの瞬間まで温かった。


校門までくると、オレンジのジャージの少年は手を離した。


「じゃあ、オレ、今日は用事があるからここで」

「え?」


どこに行くんだろう。

わからないけれど、でも。

どこにいても、手を離しても、生きていても、死んでいても。


大丈夫。つながっている――


「ほら、先生もみんなも、結が来るのを待ってるよ」

「そ、そうかな。うわー、緊張するよ」

「じゃあ、また」


海馬くんは学校ではないどこかへ走り去る。

結はひとりで教室へと向かう。


そして――


結は教室の扉を開けて気づく。

笑顔のみんなが、自分を待っていてくれたことに。


さらに――


教室のみんなが同じ制服を着ているということに。


制服がなくなったなんて冗談だった!


「もう、海馬くん!」


どうしよう、制服。

ヴィンセント・VAN・海馬

期待とVANが入り混じる。


あまりにも未知未知ている高校生活が再開し、結の海馬は今にも泳ぎ出しそうだった。



(完)

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ヴィンセント海馬 藍澤 誠 @aizawamakoto

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