くっきりとしたVAN

結のおじいちゃんは病院に搬送された時点で、もう助からない状態だった。

医者の話によると、脳幹という重要な部分の血管が切れ、そこから脳全体に出血が拡がり、現在はもう手の施しようがない状態、あとは数時間後に訪れるであろう死を待つだけだった。


ついさっきまで、おじいちゃんは元気だったらしい。

登校する結にも「いってらっしゃい」と声をかけたそうだ。

その日はたまたま結の母の仕事が休みで、おじいちゃんが倒れた瞬間を目撃し、救急車の手配ができた。


そうでなかったら、誰も知らないところで息を引き取っていた可能性がある。

それは不幸中の幸いだった、と合流した結の父は気丈に美月先生と海馬へ語った。


結はベットに寝かされたおじいちゃんの、消え入りそうな命を前に、涙が止まらなかった。


「おじいちゃん、おじいちゃん」


医療器具をつけた、動かないおじいちゃん。


「おじいちゃん、おじいちゃん」


そう繰り返すばかりだった。



ピッピッピッピ



小さな電子音が薄暗い病室に響く。


海馬と美月はベッドから離れると、誰もいない待合室へ移った。



「わたしの父も、急に倒れて、そのまま逝ったんだ」


銀髪の少年は頭の中で、美月先生が用いた『いった』という語を『逝った』という文字に変換するのに、少し手間取った。それは彼にしてはとても珍しい現象だった。


「人が死ぬことを、逝くっていうんですね」

「うん」

「どこに逝くんでしょうね」

「どこだろうね。わたし、前に不思議な気持ちになったことがあるんだ」


美月先生は少し泣いた後、声と心を整え、続きを話した。


「家には仏壇があってね。そこに父の写真があったの。亡くなってから毎日、そこに話しかけてた。おはようとか、おやすみはもちろん、ふつうにそこにいるみたいに話しかけてた。そして四十九日。父が亡くなって納骨する日――焼かれた父の骨が入った骨壺を手にして、写真の父にわたしは言ったの。じゃあ、行ってくるねって。そして笑っちゃった。あれ? 父はどこにいるんだろう。あっちにいるの、こっちにいるの?」


美月先生は思い出して、また大粒の涙をこぼした。ヴィンセントはぼんやりと考察する。哀しさに比例して涙の粒も大きくなるのだろうか。


「父は死ぬのを恐れていない人だった。でもヘンなんだ。火葬場の火だけは嫌だって言うんだよ。火で燃やされるのだけは恐ろしいって。本当に、死を超越した人だった。死ぬなんて当たり前だよ。肉体を離すだけだからって。使命が終わったら肉体を離れるのが自然なことなんだよって笑顔で言うの。なのに火が怖いだなんて。焼かれるのは死んだあとなのに、熱いのは嫌だって。哀しそうな顔をしていた」

「はい」

「父が哀しい顔をしたときに、笑わせるのがわたしの役割なの。わたし、くだらない冗談を言うのが得意だから。得意って胸を張って言いきれるのはダジャレや冗談を考えることくらいなんだけどね」

「はい」

「はいって海馬くん、そこは他にもいいとこありますって言ってよ」


美月先生はいつものように、優しい笑顔を見せた。


「でもわたし、死ぬ話になるとぜんぜん面白いことを言えないの。火に怯える哀しそうな父を笑わせたいのに、思いつかない」

「はい」

「でもね、ギリギリの土壇場で、思いついたんだ」

「え?」

「土壇場っていうか火葬場だね。父が離した肉体は、高温の炎によって焼かれ、すっかり白い骨だけになった。父が焼かれている最中は、あんなに嫌いな火に包まれていると思うと苦しくて悲しくて仕方がなかったけれど、骨になっちゃえば、もう焼かれなくてすむもんね。お父さん、良かったね。もう怖いものなんてないね。骨になって、火葬場の係の人に手際よく、長いさい箸のようなもので骨壺に入れられていく父を見ながら、わたしは何度も思った。お父さん、ありがとう。いままで、ありがとう」


海馬はもちろん涙を流したりなんかしない。

その代わりに耳と心を澄ます。

深い森の湖のような瞳で、美月先生のすべてを優しく包む。

この世界で美月先生しか知らない貴重な情報を――父の思い出という大切な情報を、精確に脳の奥の海馬に刻む。



「そしていきなり思いついたの。父を笑わせられるレベルの冗談を。ねぇ、お父さん、見て見てあの係の人。ほらっ、骨を集めるのがすごく上手だね。あの人きっとコツをつかんでいるんだよ」

「あは!」

「父は笑ったと思う。不謹慎なギャグが大好きだったから。もしかしたら、おコッてないよ、なんて冗談で返してきたかもしれない」

「さすがですね! 先生も先生のお父さんも」


少年は情報のインストールをいったん中断して爆笑した。


「あはは、ひどいよ、先生もお父さんも」


笑い声はゆっくりと嗚咽へと変わっていった。


ヴィンセント・VAN・海馬――


まだ15年しか生きていないんだもんね。


きっと、向こうで泣くことしかできない結の代わりに、笑ってくれているんだ。

そして一緒に泣いてくれているんだ。


「どう? ツボだった?」

「あは! さらに重ねてきましたね」

「良かった、笑ってもらえて」

「はい、ひさびさに、こんなに笑った」


そして、泣いた――

 

「あのさ、結ちゃんに贈るAIの名前なんだけどさ」

「あ、はい」

「いま――くっきりと浮かんだよ」


国語教師水野美月は、結のおじいちゃんに命名した。


「『ゆいGONE』はどうかな。結+GONEでユイゴン。ゴンは行くっていう意味ね。GOの過去分詞。ジー、オウ、エヌ、イーでGONE」

「ユイゴン」

「ダメかな? やりすぎ?」


ダメなはずがない。

おじいちゃんはいつでも結のもとへ行く。

ゆいは『遺言』と『ゆいGONE』を携えて生きてき行く。


「ありがとうございます。ユイゴンにします」


きっと結も気に入ると思う。


海馬は頬をつたう一筋の液体を拭く。


バグった――

メソってる場合じゃない。


4月5日。結と交わした約束を思い出す。


祈る。

オレはめっちゃ祈る。

結とおじいちゃんの、

永遠の幸せをめっちゃ祈る――


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