第101話 「治癒師の信念」
「やはり今日は、治療院を臨時休業にすればよかったのではないか?」
治療院に一人の幼女の声が響く。
それを耳にした他の二人の少女が、揃って幼女の方に目を向けた。
どうして? と言いたげな顔。でも口には出さない。
そんな表情を見せられたアメリアは、つい『どちらでもいいから声を上げろ』と呆れてしまった。
いつもはうるさいはずの同僚がすっかり大人しくなってしまったせいで、なんだか張り合いがない。
ともあれ無音の空間が嫌だったので、アメリアは“治療院を臨時休業にすべき”と言った理由を話し始めた。
「このように院内は小動物だらけ。おまけに院長のノンも不在で、頼りなさそうな娘たちしかいない状況と来ている。無理に治療院を開かずに閉じていた方がよかったのではないか?」
その説明に合わせるように、院内にいる小動物たちが『ワンッ』『ニャー』と鳴いたのだった。
ノンとマリンが出発してからすぐのこと。
こんな現状でも一応、ノンプラン治療院は通常営業を貫いていた。
ノンたちが今どんな現状に立たされていても、怪我人たちには関係のない話だからである。
しかしながらアメリアは、今になってその判断に後悔し始めた。
院内を見渡せば、いつもはいない小動物たちが気ままに鳴き声を上げている。
おまけになんだか頼りない少女が二人いるだけ。
無事なのは接客担当のアメリアとヒルドラだけで、果たしてそれで業務が滞りなく進められるだろうか。
そう危惧したアメリアだったが、プランが窓の外を一瞥しながら声を返した。
「ま、まあ、ヒルドラちゃんがいるので、大丈夫じゃないでしょうか? それにお客さんも、あんまり来てないですし……」
「……まあ、それもそうだな」
いつも大して来るわけではないし。特に問題はないのかもしれない。
それにノンの代わりにヒールドラゴンことヒルドラが怪我人の治療をしてくれる。
なら後は訪問者たちが見知らぬ小動物らを快く受け入れてくれるかどうかだが、基本この村の人間たちはおおらかで順応力に長けている。
ヒルドラをすぐに治療院の一員として認めてくれたのがその証拠だ。
一方でプランの方も、今は記憶を失ってはいるが、持ち前の器用さは健全なままなので、家事全般を問題なくこなすことができている。
とりあえずは臨時休業をしなくても問題はないか、とアメリアは危惧する気持ちを改めたのだった。
そんな彼女に対し、不意にテレアが問いかけた。
「一日に、どれくらい来るの?」
「んっ?」
「怪我、してる人たち」
そう問いかけられたアメリアは、すごく意外そうな顔で目を丸くする。
テレアが自発的に質問をしてくるとは思っていなかったからだ。
現に先ほどからまったく声を出しておらず、ようやく口を開いたかと思えばそんな何気ない質問。
やはり特異職の人間はおかしな奴が多いな、とアメリアは心中で呟いた。
次いで彼女は、チラリとプランを一瞥する。
現在プランは記憶を失っているため、まともに返答できるのはアメリアしかいない。
よってアメリアは普段のことを思い返しながらテレアに返答した。
「日によってバラバラだな。十人や二十人来ることもあるし、雨天時には数人という日もある。まったく来ない日も珍しくはないぞ」
「……それだけ?」
「んっ?」
「町の、治療院とかは、もっと多いのに」
もっと多い。おそらく怪我人の数が多いということだろう。
アメリアは一度訪れたことのある町の治療院――『トトロロ治療院』のことを思い出した。
確かにあそこの治療院は、うちとは比べ物にならない集客力を誇っていた。
その分、稼いでいる治療額も比較にならないくらいだろう。
ではなぜそのように町で活動せず、細々と少ない額を稼いでいるのだろうか?
テレアはそう疑問に思ったらしい。
アメリアはそのことを察し、ノンの能力を頭に浮かべながら答えた。
「まあ、あいつの治癒能力ならば十倍、いや二十倍の人数になったとしても余裕で捌くことができるだろう。そうした方がもっと稼ぎが伸びて生活にゆとりだってできるだろうしな。しかしあいつはそうしない。そうしない確固たる理由がある」
「理由?」
テレアは気になった。
顔には出さないけどものすごく気になった。
あの底知れない治癒師の彼が、いったいいかなる理由で町での活動を控え、静かな田舎村で治療院を営んでいるのか。
前にこの治療院を訪れた時も、その疑問はテレアの中に存在していた。
だから若干前のめりになって返答を待つと、アメリアは苦笑いしながら答えてくれた。
「面倒臭い、からだそうだ」
「め、面倒臭い……?」
「多忙になるのが、というより、人付き合いが多くなることを嫌がっているように見える。少ない時間でたくさんの客を捌くより、たくさんの時間で少ない客と話をする方が、ノンの性に合っているみたいだぞ」
ちょうどそのタイミングで、ノンプラン治療院の扉が開かれた。
ノホホ村に住んでいる主婦の方だ。
時折どこかしらに怪我をして、この治療院を訪ねて来てくれる、言ってはなんだがお得意様である。
怪我人が見えたので、アメリアはすぐに接客担当としてお迎えに行った。
「こんにちは。本日はどうなさいましたか?」
「ちょっと、包丁で指を切っちゃって。そこを治してもらいたいのだけれど」
主婦さんは、次いでぐるりと治療院を見渡して首を傾げた。
「あらっ、今日はノンさんお休みなのかしら?」
「はい。少し用事がありまして、代わりにこちらのヒルドラが傷の治療をさせていただきます」
「クゥ〜クゥ〜」
「まあ、そうなの」
少し残念そうにした主婦さんは、手に下げていた紙袋をアメリアの前に掲げた。
「この前、荷物が多くて広場で困ってる時に、ノンさんに助けていただいたのよ。その時のお礼もしたくて、お菓子を持ってきたのだけれど、よかったら『ありがとう』って伝えておいてもらえないかしら? お菓子は治療院のみんなで食べて」
「ありがとうございます」
アメリアはお礼と共にお菓子の入った紙袋を受け取った。
そしてヒルドラがヒールブレスを掛けて、主婦さんの傷を手早く癒す。
いつも通り500ガルズを頂戴すると、主婦さんは手を振って治療院を後にした。
テレアはその様子を、傍らで物珍しげに見つめていた。
するとアメリアは、先ほどの会話の続きをするように、もらったお菓子を大事そうに抱えながら口を開いた。
「治癒師の仕事は確かに怪我人の治療だが、客とのコミュニケーションも大事だとノンは考えているようだ。考えているというか単純にコミュニケーションが好きなのだろう。その時間を大切にしたいから、田舎村で静かに治療院を開いているらしい」
コミュニケーションが好き。
テレアには縁遠い話だと思った。
ノンに言われた通り、テレアは自他共に認めるコミュ障だからである。
そんな自分が、世界中の人々に慈愛を持って接しなければならない『聖女』だなんて、本当に似合わない。
自分は『聖女』に相応しくないと、ずっとそう心根で思っていた。
ましてや先ほどのように、不在というだけでお客さんに残念そうな顔をさせる治癒師になんて、決してなることができない。
やっぱりあの人は自分とは違う。本当にあの人は……
「……すごい」
「んっ? いやいや、別にすごくはないだろう」
「えっ?」
「あいつはコミュニケーションが好きというだけで、別に得意というわけではないからな。むしろ人付き合いは不得意のように見える。だからこそノンは、応急師の力で高速治癒ができるというのに、わざわざ時間を掛けてコミュニケーションをとっているのだ」
あれでコミュニケーションが不得意? テレアには信じられない話だった。
そしてアメリアは、呆然とするテレアに対し、意図せず光明とも思える台詞を叩きつけた。
「治療してる時間より無駄話してる方が長い治癒師。そんなだからあいつは、治療に来てくれた人間たち全員から愛されている。同時にあいつは、その全員のことが大好きなのだ」
「……」
全員のことが好き。
怪我人の一人一人と向き合って、真摯に治癒活動に取り組んできた証拠。
流されるままに生きてきたテレアとは、まるで正反対の存在だ。
やはりあの人はすごい治癒師だ。
でも、そんなあの人も、同じようにコミュニケーションが不得意だった。
それを補うためにたくさんの“時間”を掛けて、周りの人たちと仲を深めていった。
そんな方法があったのかと、テレアは目から鱗が落ちた気持ちになった。
同時に、はたと気付かされる。
そうか、自分はたぶん……
「いやはやまったく困ったものだ。そんな思わせぶりなことばかりしているからこのような……」
早く帰って来ないと全部食べてしまうぞ、とアメリアは、もらった菓子を抱えながら呟いた。
その傍らでテレアは、胸の内に生まれた言い知れぬ温もりを、静かに感じていた。
これがあの人の……信念。
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