第100話 「お遊び」
静かな憤りに背を押されるように、僕は駆け出す。
逆手持ちにしたネビロナイフを構え、ゴーストに斬りかかった。
呪いで少し痛い目に遭ってもらおう。
「ふふっ、お兄さんもぼくと遊んでくれるんだねぇ。退屈しないなぁ」
一回り体が大きい大人に迫られても、ゴーストは余裕の笑みを崩さない。
秘めている力が未知数の相手なので、こちらは油断せずに警戒を強める。
しかし特に何事もなく間合いに入ることができたので、僕はナイフを突き込んだ。
「はっ!」
ゴーストは袖をヒラヒラと揺らしながら刃を躱す。
すかさず追撃を加えるが、それも危なげなく回避されてしまった。
かなりすばしっこい奴だ。
俊敏性が高いと言うより、身のこなしが上手い。
のらりくらいと煙のように、僕の攻撃を躱していく。
掴みづらいのは性格だけではないようだ。
「砂浜で鬼ごっこだぁ。楽しいなぁ、楽しいなぁ」
なんて呑気なことを言いながら、ゆらゆらと僕の攻撃を躱していく。
弄ばれているようで腹が立ってきた。
ついナイフを持つ手にも力が入り、攻撃が単調なものになりかけてしまったが……
不意にゴーストの背後に、青髪を靡かせて大剣を振り上げる女の姿が見えた。
聖剣を構えるマリンである。
「はっ!」
完全に不意を突いた一撃。
だったはずが、ゴーストはそれを寸前で感知したようで、紙一重で避けてみせた。
聖剣が地面に叩きつけられる。
その勢いで砂が舞い、ゴーストの白い袴にいくつかの汚れを付着させた。
途端、ゴーストの頰から余裕の笑みが僅かに崩れる。
「私もいること、忘れないで頂戴」
「……」
僕とゴースト、どちらに掛けられたかわからないマリンの言葉。
それを受けて、僕は頭に上っていた血がすっと引いていく。
水を掛けられたように冷静になると、マリンは呆れたような顔を僕に向けてきた。
「怒ってんのはあんただけじゃないのよ。仲間をやられた私だって火がついてる。ただでさえ戦力少ないんだから、一人で勝手に暴走してくたばるんじゃないわよ」
「……お、おう」
いつもは僕の方から掛けるような台詞。
しかし今だけは、立場が逆転してしまった。
確かに僕は、マリンがいることを忘れていた。
怒りに任せて、一人で突っ込んでしまった。
そのことを深く反省する。
二人で行こうと言ったのはそもそも僕の方なのだから、ちゃんと協力しよう。
するとゴーストが、僕らのやり取りを見たのちに余裕の笑みを取り戻した。
「今日はとても賑やかだねぇ。楽しくて仕方がないよぉ。僕も思い切り遊びたいからさぁ、たくさんの魔法を使わせてもらおうかなぉ」
いよいよ奴は、防御的な姿勢を崩して攻撃態勢に入るようだった。
その証拠に、ゴーストは懐から“杖”を取り出す。
おそらく例の、不思議な魔法が込められた杖。
ゴーストはその先端を、おもむろにこちらに向けてきた。
「さあ、まずは加齢魔法の『エイジング』だよぉ。おじいちゃんおばあちゃんになっちゃえぇ」
「「うわっ!」」
ゴーストが魔法名を言うや、杖の先端から光球が飛び出してきた。
僕とマリンは驚いてそれを躱す。
速度はキャッチボールの投球並に緩やかだが、予備動作なしで飛んでくるとさすがに焦る。
しかもそれが……
「それそれそれぇ!」
ほぼ時間差なしで連発されてくるので、僕とマリンはあたふたしながら砂浜を駆け回った。
これでは奴に近づくこともできない。
一発でも当たれば老人にされてしまうのだから。
「わかってる!? 一発でも食らったら終わりだからね! 絶対に当たるんじゃないわよ!」
「わかってるわかってる! マリンも絶対に当たるんじゃないぞ!」
そう言い合いながら、僕とマリンはとりあえず回避を続けた。
やがて杖を振り回すゴーストが、もう片方の手を懐に入れる。
すると中から、もう一本の杖を取り出してきた。
「次は変身魔法の『トランス』だよぉ。二人ともどんな動物が好きなのかなぁ? とりあえず海らしく亀さんになっちゃえぇ!」
「「うわっ!」」
もう一本の杖からも光球が飛び出してくる。
先ほどと比べて二倍の数の光球が僕たちの元へ飛来してきた。
そのため回避に掛ける労力も倍になる。
額に汗を滲ませて逃げ回っていると、同じように走り回っているマリンが僕に言った。
「ちょっとノン、あんたこれなんとかしなさいよ! てか、あんたさっき『ちょっとだけ痛い目に遭ってもらうぞ』とかめちゃくちゃかっこつけてたくせに、何いきなりチョロチョロ逃げてんのよ!」
「仕方ないだろ! 無傷で倒すのはさすがに難しいんだよ! 僕なんてただでさえ怪我前提の戦い方してたんだから! てかそっちこそさっきはめっちゃかっこいいこと言ってたくせにチョロチョロ逃げてんじゃん! お前勇者様じゃないのかよ!」
「あぁもうゴチャゴチャうるさいわねっ!」
窮地に立たされたため、二人して混乱してしまう。
するとその姿を見たゴーストが、不意にクスッと笑い声を漏らした。
「カップルだったらもう少し仲良くした方が良いと思うなぁ」
「「カップルじゃない!」」
くそっ、完全に遊ばれているな。
先ほどのマリンの不意打ちはよかったものの、それ以降は奴の余裕が崩れる様子がまったくない。
まだまだ余力を残しているということなのだろう。
色々な魔族の悪事を裏で操っているような奴なので、本人はさほど実力がないかと思っていたが、そんなことは全然ないようだな。
まあ、勇者パーティーを単体で迎撃した実績があるのだから、弱い魔族のはずがないか。
「あっ、いいこと思いついたかもぉ」
「「……?」」
必死に逃げ惑っていると、ふとゴーストが一本の杖を収めて、再び懐に手を入れた。
するとそこから、また別の魔法の杖を取り出してくる。
マリンと一緒に怪訝な目でそれを見つめていると、やがてゴーストは杖を“∞”の字を描くようにして振り始めた。
「まずはモクモクぅ」
瞬間、杖の先端から真っ白な煙が噴き出してくる。
それは瞬く間に僕らの周囲を覆っていき、海岸を白一色で埋め尽くしてしまった。
これは……毒?
いや、そういうわけではないらしい。
特に毒や呪いの効果があるわけではなく、少し濃い目のただの“煙幕”のようだ。
視界が不明瞭になるだけなのは安心だけれど、いったいゴーストはどれだけ魔法の引き出しがあるのだろうか。
一応、なるべく吸わないように注意しながら経過を見守る。
これといって煙幕に乗じて攻撃を仕掛けてくる様子もなく、しばらくしたら煙は晴れていった。
いったい何がしたかったのだろう? と疑問に思いながら、辺りを見渡してみると……
「はっ?」
僅かに離れたところに、マリンがいた。
いや、マリンがいたこと自体は意外でも何でもない。
むしろ無事でいてくれたみたいで安心した。
問題は、そのマリンがなんと……二人いたということだ。
「……な、なんで?」
僕の見間違いだろうか?
もしくは先ほどの煙幕に幻覚作用でもあったのだろうか?
間違いなく今の僕の視界には、マリンが二人映っていた。
姿が鏡写しの如く同じである。
ちなみにその代わりと言わんばかりに、ゴーストの姿はどこにも見えなかった。
「な、なんで私がもう一人いるのよ!?」
「そ、それはこっちの台詞よ! あんたいったい誰よ!?」
遅まきながらマリンも事態を察したようで、お互いに困惑の色を見せた。
ものすごくシュールな絵面である。
なんて他人事のように思っていると、二人のマリンが同時に、何か閃いたような反応を見せた。
「あっ、わかったわ! あの魔族が変身魔法を使って、私の姿に化けたのよ!」
「さっきの煙幕はそれを隠すための細工だったんだわ!」
「……お、おう」
僕は“なるほど”と二人のマリンの意見を聞いて納得する。
変身魔法の『トランス』を使ってマリンの姿に化けたのか。
それなら確かにゴーストの姿が見えないことも説明がつく。
きっとこちらの油断を突いて攻撃してくるつもりなのだろう。
まさか奴がこんな作戦を考えていたとは。
「私の姿に化けるなんて命知らずもいいところね! 斬られる覚悟があるってことかしら!」
「それはこっちの台詞よ偽物野郎! 私が本物なんだからあんたが偽物って簡単にわかるじゃない! 随分と無意味なことをしたわね!」
二人のマリンは、聖剣を構えながらそんな言い合いを始めてしまった。
やがて彼女らは、突如として僕の方に視線を振ってくる。
「「ほらノンっ! さっさとその偽物を攻撃しなさい!」」
「……いや、その、ちょっと待って。僕にはどっちがどっちかまだわかってないんだけど」
攻撃したいのは山々なれど、僕にはどちらが本物かパッと見ではわからない。
だからすぐに気を取り直して、偽物のマリンを見分けることにした。
偽物はどっちだろう? じっと目を凝らして二人のマリンを見つめてみる。
だが……
「ど、どっち?」
正直、見た目だけでは判断がつかなかった。
まるっきり同じ姿をしている。
敵ながら称賛を送りたくなるほど、凄まじい再現度だった。
どっちも本物なんじゃないの? ついそう思ってしまうほどだ。
となると見分ける手段は自ずと限られてくる。
「そ、そうよっ! あんたの【診察】の能力で二人の心身状態を確認すればいいんだわ!」
「本物には『勇者』の天職が宿ってるんだから、簡単に見分けがつくわよ!」
「いやいや、僕の【診察】の力は、対象者に触れなきゃ発動できないものなんだよ。敵かもしれない相手に不用意に近づきたくはない。偽物はこのままの状態で見つけよう」
確かに僕も【診察】が確実だと思ったけれど、誤って偽物に接近して魔法を食らうのが怖い。
それに奴の変身魔法はまだ底が知れないので、もしかしたら天職や魔法まで再現している可能性がある。
だから見極めは【診察】の力を使わず、この状態のままで行うのがベストだ。
じゃあいったいどうするつもりなのかと言いたげな二人のマリンだが、このままでもできる見分け方はある。
それは、『本物にしかわからない質問』をするんだ。
変身魔法で姿や能力が変わっているとしても、記憶や性格までは再現できているとは思えない。
だから本物にしか答えられない質問をして、その答えが間違っていたり、問いに答えられなかった場合はそちらが偽物で間違いない。
少々古典的だろうか? いやでも、これが確実だよな。
「マリン、お前の好きな食べ物は?」
「はっ? いきなり何よ?」
「そんなの聞いてどうするつもり?」
怪訝そうに顔をしかめたが、『いいからとりあえず答えなさい』と視線で訴えた。
「あんたも知っての通り、甘い物よ」
「あとはまあ、肉とパンかしら? ちなみに嫌いな食べ物は野菜と骨の多い魚よ」
「……うん、正解」
どっちもマリンらしい回答だった。
我先に甘い物と答えたマリンもそうだが、二番手が言った嫌いな食べ物もマリンの性格と一致する。
特に骨の多い魚をピックアップするところがいかにもマリンっぽい。
晩飯にそういうのを出すと、『あぁもうめんどくさい!』とか『骨全部とってから出しなさいよ!』とか色々と文句が飛んできてたからな。
骨全部とるのはさすがに無茶だろ。
ともあれ、好物で断定するのは難しいか。
テキトーに答えて正解を出したという可能性だってあるし。
早々に見切りをつけた僕は、次なる質問で正体を暴くことにした。
「じゃ、じゃあ、次の問題……」
「いつからクイズ大会になったのよ」
「実はあんたちょっとだけ楽しんでんじゃないでしょうね」
楽しんではいない。
こっちだっていつ偽物のマリンに攻撃されるか気が気じゃないんだぞ。
だから早めに偽物を看破したいところである。
というわけで僕は、好物を聞くというぬるい方法ではなく、もっと具体的な、マリンらしい答えを引き出せる質問をすることにした。
「ある二人の美少女がいました。この二人はとても仲が良く、手を繋いでお買い物なんかをしたりもします。さて、この二人の間に誰か一人を加えるとしたら、次のうち誰? A、もう一人の美少女。B、年端も行かない小さな男の子。C、金髪ピアスの不良男」
自分で言っていて、意味不明な問いかけだと思ってしまう。
けれどこの質問こそマリンにはぴったりなのだ。
事実マリンは……
「「はっ、そんなの簡単よ」」
僕の質問を鼻で笑い、間髪入れずに即答してきた。
「「答えは……Dのわたし!」」
「…………せ、正解」
くそっ、またしてもマリンらしい回答が出てしまった。
しかも綺麗に声が揃うところまでまったく同じである。
三択を与えた中で、自ら四択目の回答を作り出す型破りな思考。
加えて美少女とお近づきになりたいというマリンっぽい願望が滲み出た見事な回答だ。
どっちも本物なのではないか? もしくは僕が幻覚を見せられているだけとか?
もう訳わからんぞい……と心中で白旗を上げた僕は、やけくそ気味に三問目を繰り出した。
「そ、それなら、この問題でどうだ? マリンが一番好きな色は……」
「「青!」」
「……ですが、持っている下着の色で一番多いのは、意外なことに白である。マルかバツか」
瞬間、二人の顔に火がついた。
「そ、そんなの答えるわけないでしょうが!」
「てかなんであんたが私の下着のことまで知ってんのよ! 問題がまずおかしいじゃない!」
「いや、勇者パーティーの世話係してたんだから、そんなの知ってて当然だろ。もうお前らの下着なんて飽きるくらい見たんだからな」
「「女子のパンツを飽きるとか言うな!」」
二人のマリンは想像以上に激昂した。
そんなに怒るような問題でもないだろ。
ていうか、下着事情を知られたくないんだったら自分で洗濯すればよかったじゃん。
勇者パーティー時代なんて『せんたくっ』と言いながらパンツを投げて寄越してたくせに。
にしても、どっちも本物っぽいリアクションだな。
「んで、回答は?」
「「…………マル」」
「おぉ、正解」
回答まで正しい。これはいよいよ本当にわからなくなってきたな。
「おぉ、じゃないわよ!」
「あんた後で覚えておきなさいよ!」
「えぇ、だってこれくらいしか見分けが付かないと思ったからさ」
しかし、ここまで多彩な問題も難なく躱すとは。
ゴーストはいったいどこまで掌握しているのだろうか?
なんて人知れず疑問に思っていると……
「ぷっ、あははははっ!」
「……?」
突然何もない傍らから、奴の笑い声が聞こえてきた。
反射的にそちらに目を移す。
そこにはやはり誰もおらず、もちろんゴーストの姿だってどこにもない。
と思っていたら、視線の先の空間が、まるで陽炎のようにゆらゆらと揺れ始めた。
やがてその揺らぎから、白袴を着た少年が姿を現す。
「ごめんごめんお兄さん。ちょっと意地悪が過ぎたかもしれないねぇ」
「……ゴースト」
何もない空間から現れたゴーストに、僕とマリンは驚愕を禁じ得なかった。
するとそのタイミングで、片方のマリンが空気に溶けるようにして消えてしまった。
ゴーストが
完全に消えたということは、まったく別の魔法によって作り出された偽物。
おそらくその魔法は……
「今のは変身魔法じゃなくて、分身魔法の『クローン』だったんだよぉ。まさかこんな綺麗に騙されてくれるとは思わなかったなぁ。あぁ、面白かったぁ」
変身じゃなくて分身。
確かにそれなら同じ記憶と思考を持ち合わせていて当然か。
そして奴はその分身魔法を変身魔法に見せかけるべく、煙幕と透明化を使って姿を隠していた。
本当に色んな魔法が使えるみたいだな。
まんまと僕たちは騙されてしまったというわけだ。
ゴーストは悪戯が上手くいった子供のように無邪気な笑みを浮かべ、満足げな表情をしている。
対して必死になって思考を巡らせていた僕たちは、一杯食わされて歯を食いしばっていた。
奴にとってこれは、戦いではなく、ただの“遊び”なのだろう。
そして僕たちは敵ではなく、ただの遊び相手なのだ。
マリンにわざわざ分身魔法を掛けたのがその何よりの証拠。
別の魔法、例えば変身魔法なんかでマリンを小動物に変えていたとしたら、もうとっくに勝負はついていたはず。
でも奴はそうしなかった。面白いことを思いついてそっちを優先したからだ。
どこまでも僕たちを舐めやがって……
「それにしても、二人は本当に仲が良いんだねぇ。カップルじゃないっていうのは、やっぱり嘘なんじゃないのかなぁ?」
またしても奴は何か変な勘違いをしている。
僕たちは別にそんなんじゃないっていうのに。
なんて傍らで呆れた目を向けていると、突然ゴーストはハッと目を見開いた。
「あっ、またいいこと思いついたぁ」
「……?」
すると奴は、またしても袴の懐に手を突っ込む。
再びその中から一本の杖を取り出すと、それを僕とマリンにではなく、おもむろに天に掲げた。
いったい何を……? と疑問に思う中、ゴーストは静かに頬を緩ませた。
「それっ、『シャッフル』」
奴が魔法を唱えた瞬間、僕の視界は真っ白に染まった。
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