第96話 「最終手段」


 結局、デートをして聖女の天職を取り戻すことはできなかった。

 実に不甲斐ないばかりである。

 おまけにデートが終わった後、ずっと後ろをついて来ていたマリンに……


『何カッコつけてんのよバカゼノン! 何もかも台無しじゃない!』


 と厳しく罵られてしまった。

 カッコつけた覚えがなかったため、『なんだとこの野郎』と内心で思ったけれど、実際に口に出すことはしなかった。

 そんなマリンはともかくとして、せっかく作戦を考えてくれたプランには申し訳ないことをしたと思う。

 悪くない作戦だったけれど、それ以上にテレアが曲者だった。

 僕たちは彼女の気持ちを甘く見ていたのだ。

 たった一回だけのデートで気持ちを冷ますには無理があった。

 そもそも人の気持ちというのはそう易々と変わるものではない。

 ましてや『泥の上で踏みつけにされても笑いながら許す』という熱情を、小細工だけでどうにかするなんて不可能な話なのだ。

 というわけで、結論はこうなった。


「その“変な魔族”とやらを、直接倒すしかないだろ」


 テレアの聖女の天職を取り戻すのは無理。

 連なってルベラとシーラ、他の被害者たちを治療することもできない。

 となれば後はもう、その変な魔族とやらに直接会って、問題の解決に努めるしか道は残ってなさそうだ。


「変な魔族を倒して、捕縛して、魔法の解き方を無理にでも吐かせて、問題を解決するしか手はない。ていうかその方が、色々と回りくどいことをしなくて済むだろ」


 そう提案すると、皆は怪訝そうな顔をして僕を見た。

 そんな彼女らを代表するように、マリンが疑問を口にする。


「あんた、本気で言ってるの? 相手は未知の魔法を使う魔族なのよ? しかもこっちには治療の手段がない。おまけにルベラとシーラもこんな状態だし、戦力なんてほとんどないじゃない」


 それでどうやって戦うつもりなの?

 と、マリンは視線だけでそう問いかけてきた。

 そんなの僕だってわかってるさ。

 でも……


「それ以外に方法がないんだから仕方ないだろ。僕だってそんな怖い奴には死んでも会いたくないさ。勝てる気もしないしね」


 しかしそれでも戦わざるを得ない。

 テレアに治してもらうのが一番簡単だとは思うけれど、今そうできないのだから仕方がないのだ。

 何より、結局のところ、その変な魔族とやらを倒さなければまた新たな被害者が生まれてしまう。

 このままでは、いつまでも終わらないイタチごっことなってしまい、聖女の天職を取り戻したところで事件は解決しないのだ。

 草取りは根本から、とも言うので、この際元凶となっている魔族をシメるのが確実だと判断した。

 僕は間違っていないはずだ。……たぶん。


「それにしてもマリンさん、あの世界を救ったと名高い『勇者様』が、随分と弱気なんじゃありませんか?」


「はっ?」


 僕は先刻のマリンの言葉を思い出し、嘲るように続ける。


「もしかして、その変な魔族に勝つ自信がないとか? あっ、それとも、負けるのが怖いとか? まあそりゃそうだよな。だって一回は尻尾巻いて逃げ出してるわけだし、また同じように大敗北でもしたら、さすがの勇者様だってメンツが立たなくなっちゃうもんなぁ」


「……」


 よもや、僕の口からそんな舐めた台詞が出てくるとは、思っていなかったのだろう。

 マリンは自殺志願者でも見るような瞳で、僕のことを凝視していた。

 事実、口にしている僕だって恐ろしくて声が詰まってしまいそうだった。

 けれどこの挑発は、必要不可欠なことだ。

 テレアもルベラもシーラも、勇者パーティーのメンバーが軒並み戦闘不可の状態なので、あと頼りになる人物と言えばマリンしかいない。

 そのマリンが魔族討伐に乗り気じゃないのは、正直僕としては困るのである。

 ていうか、本当にマリンにしては珍しく弱気だったので、ちょっとそれが気になったというのも正直なところだ。

 別に、心配してやった、というわけではない。


「負けるのが怖い……ですって?」


「んっ、なんだよマリン?」


「負けるのが怖いって、そんなことあるわけないでしょ! 私を誰だと思ってんのよ! 戦うに決まってるじゃない!」


 簡単に乗ってくれた。

 やはりこの勇者、単純である。

 とりあえずこれで、揃えられるだけの戦力は揃った。

 って言っても、僕とマリンだけだけれど。

 他に連れて行けるとしても、魅了魔法の使えないアメリアに、記憶を失ったプランだけ。

 二人を連れて行くのはやはり危険だし、僕とマリンの二人で行くしかなさそうだな。

 他に協力を求めるというのも一つの手だが、勇者パーティーを撃退まで追いやった魔族に対抗できる人材が易々と見つかるとは思えない。

 僕のツテで頼りになりそうな人たちは、まあいないこともないけれど、さすがに今回の事態に巻き込むのは気が引ける。

 何より半端な戦力というのは、逆に足枷になることもある。

 今回のルベラとシーラが良い例だ。人が増えればそれだけ相手にとっての標的が増えるということ。

 少数精鋭で挑んだ方が、作戦が失敗した際の被害を小さく抑えることができる。

 何よりうちには今、相手の魔法に対抗できる“治療手段”がない。

 マリンの言った通り、変な魔族と戦うのは計り知れない危険を伴うのだ。

 失敗を前提に動いた方が賢明だろう。

 と、そこまで考えたところで、僕はふと疑問に思っていたことをマリンに尋ねた。


「そういえば、リリウムガーデンって今どうしてるんだ?」


「あぁ、リリィはもう戦う意思も魔力も無くなったみたいだったから、魔族を保護する施設に預けてきたわ。だから問題を起こすことはないだろうし、手伝いを頼むことも無理よ」


「……そっか」


 僕の言いたいことが何か、事前に察しての答えが返ってきた。

 リリウムガーデンは元魔王。実力は折り紙付き。

 しかも今はマリンにベタ惚れしている。

 助っ人としては文句なしの逸材のため、できれば頼めればと思って聞いてみたのだが、まさか魔力まで無くしているとは想定外だ。

 ていうか魔族の魔力って消えるようなものなんだ。

 人間で言う天職――もっと言えば特異職と似た概念なのだろうか?

 まあそれはいっか。


「んじゃまあ、二人で行くとしますか」


「……えぇ、そうね」


 マリンと互いに頷きを交わし、今一度二人で向かうことを決意した。

 次いで事前に確認しておかなければならないことを尋ねる。


「で、その変な魔族と出会したのはどんな場所なんだ?」


 それがわからなければ何も始まらない。


「名無しの大陸よ。大陸って言うほど大きくもなくて、このマルマル大陸から北東の場所にある無人の島なの。密林と岩山があるだけの島で、船で一週間ってところかしら」


「……結構遠いな」


 一週間か。

 ノホホ村から港までの時間も含めると、到着まではさらに日数が掛かりそうだ。

 マリンたちが襲われてから時間も経っているだろうし、その変な魔族が今もその無人島にいる可能性は限りなく薄い。

 かといって他に当てもないから、そこを目指すしかないんだけど……


「ていうかなんでそんな場所行ってたんだよ? まさかバカンスってわけでもないだろ?」


「たくさんの魔族がその島に集まってるって情報があって、近くを通る予定があったからついでに寄ってみただけよ。そしたらえらい目に遭ったわ」


 マリンはうんざりしたように、ため息まじりに呟いた。

 確かに今の状況を鑑みると、えらい目に遭ったと言って差し支えない。

 まさか無人と言われている島で奇妙な魔族と出会し、仲間を犬猫に変貌させられるとは誰が予想できただろう。

 たくさんの魔族が集まってるっていう情報も気になるところではあるが、それに怯えて躊躇している暇なんて僕たちにはない。

 当たって砕けるのみ。

 変な魔族を捕らえるために、その島に向かうとしよう。

 できればその魔族がどこぞに行ってしまう前に、早めに島に到着したいところだが……

 

「うーん、何か良い方法はないかな……?」


 こうしている今も、魔族がその島に残ってくれているという保証はない。

 時間が経つに連れて、その可能性もどんどんと下がっているのだ。

 何か手っ取り早く島に行ける方法はないだろうか?

 と、みんな揃って頭を捻っていると――

 バンッ! と玄関扉が開かれた。


「ばば〜んっ! またしてもこの絶妙なタイミングでパステートちゃん登場なのですぅ〜!」


「「……」」


 桃色の長髪を靡かせる可愛らしい女性。

 体の周囲にキラキラとした光子が見えるくらい、煌びやかな容姿をしていて、暗雲が立ち込めていた治療院がパッと明るくなったとさえ感じる。

 忘れるはずもない圧倒的な存在感。

 開門転移師のパステートさんだ。

 めちゃくちゃ久しぶりに顔を見たな。

 ていうかあれっ? 今回ももしかして、時間短縮できる感じですかね?

 言わずもがな、彼女の天職は『開門転移師』。

 どこにでも行ける転移門をパパッと作ってくれる、とんでも能力を有している。


「今日は趣向を変えて、訪問販売にやってきたのですよぉ〜」


「ほ、訪問販売?」


 突拍子もないことを言われて呆けていると、パステートさんは懐から何かを取り出して、僕たちの前に掲げた。


「今日ご紹介するのはこちらなのですぅ〜。円を描くだけで誰でも簡単に転移門を生成できるチョークなのですよぉ〜。ちっちゃい子が間違ってお口に入れても安心な成分でできているのでぇ〜、どこのご家庭でも重宝されること間違いなしなのですぅ〜」


「……」


 いつも使ってるあのチョークだ。

 魔王討伐の時にもお世話になった覚えがある。

 あれがなかったら、魔王城から帰って来るどころか、行くことすらできなかったのだから。


「今日はこちらのチョークを〜、通常価格500ガルズのところぉ〜、五本セットにしちゃいましてぇ〜。いいですかぁ〜、五本セットですよぉ〜? なんとお値段そのまま500ガルズなのですぅ〜! 一つのご家庭でワンセット限定の販売となるのでぇ〜、そこだけはご注意くださいねぇ〜」


「……」


 よく見られる訪問販売を真似したいのだろうか。

 パステートさんはそれらしく営業を掛けてきた。

 なんとも反応に困ってしまう。

 あまりにいきなり訪問販売を持ち掛けられたため、呆気にとられているというのが正直なところだ。

 しかしまあ、今の僕たちにとってはめちゃくちゃ美味しい話でもある。

 あの転移門を作れるチョークが、僕たちの目の前にある。

 そして僕たちは今、遠方にある島にいち早く辿り着きたいと思っている。

 ゆえに、チョークの価格が安かろうが高かろうが、一も二もなく即決だった。 


「そ、それください」


「は〜い、毎度ありなのですよぉ〜」


 僕は毎度のことのようにパステートさんに500ガルズを支払い、転移門チョークを入手した。

 するとパステートさんは、訪問販売が上手くいったためか、満足そうな笑顔で治療院を後にした。

 またしても、治療院に一時の静寂が訪れる。

 本当に、このためだけにノンプラン治療院に来てくれたかのようだな。

 まったくタイミングが良すぎる人である。

 僕は改めて、購入したチョークに目を落とすと、気を取り直すようにそれを掲げてマリンに言った。


「よ、よしじゃあ、移動手段も手に入ったところで、さっそくその島に行きますか」


「え、えぇ、そうね」


 都合の良い展開になって、理解が追いついていないという様子だが。

 マリンもすぐに気持ちを改めて、壁に掛けていた聖剣を携えた。

 これで準備は完了。

 あととりあえず、何かあった時のためにチョークを二本だけ治療院に残しておく。

 そして一度島に行ったことのあるマリンに、転移門を描いてもらうことにした。


「じゃ、じゃあ、行ってくるぞ二人とも。留守番よろしく」


「は、はい」


「気をつけて行ってくるのだぞ」


 プランとアメリアに留守を任せて、僕はマリンと共に転移門を潜ったのだった。

 言い知れない不安を胸に抱えて。

 

 そういえばマリンが『勇者』の天職を失った時も、似たような展開になったんだっけ?

 結局マリンの天職を取り戻すのを諦めて、魔王軍の四天王の説得に行ったのだ。

 なかなかに激動な展開だったため、昨日のことのように思い出せる。

 きっと今回の件も、忘れられない出来事の一つになるんだろうな。

 転移門を潜る寸前、傍らで僕らを見守っていたテレアが、申し訳なさそうな顔で『いってらっしゃい』と呟いたような気がした。

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