第2部 最終章
第91話 「ただいま」
なんでテレアがここにいるんだ?
僕が今から探しに行こうと思っていたのに。
まさか幻? テレアを求めるあまり、僕の脳が勝手に作り上げた幻覚なのではないか?
半ば混乱した頭でそんなことを考えていると、目の前の少女の一声により我に返らされた。
「……おかえり」
「えっ……? あっ、うん、ただいま」
思わず何気なく返事をしてしまう。
だって、向こうがあまりにも普通に挨拶するもんだから、僕もつい釣られてしまったのだ。
『おかえり』と言われれば、多くの人間は反射的に『ただいま』と返してしまうはず。
だから僕は悪くない。
……って、そうじゃなくて。
「な、なんでテレアがここにいるんだよ?」
僕は遅まきながら、朝に似合わない頓狂な声で問いかけた。
『おかえり』に話を持っていかれそうになったけれど、そうはいかない。
どうしてテレアがここにいるのか、ちゃんとした説明をしてもらわなきゃ歯痒いぞ。
するとテレアは、少し考えるように眉を寄せ、やがて短い答えを僕に返してきた。
「トイレ、借りてた」
「はいっ?」
「二階で寝てたけど、トイレ、一階にしかないから。だからボクは、ここにいるの」
「……」
いや、そういうことではない。
どうして“一階の玄関際”にいるのかを問いかけたのではなく、どうして“ノンプラン治療院”にいるのかを僕は尋ねたのだ。
確かにトイレは一階にしかないし、玄関の前を通らなければ入れないけれど、僕が聞いたのはもっと根本的なことだぞ。
話が噛み合っていない。しかし少なからずわかったこともある。
このトンチンカンな雰囲気、間違いなくあのテレアだ。
僕の代わりに勇者パーティーの回復役に抜擢され、多大な活躍を上げる聖女テレア。
その実態は、美少女でありながら感情の起伏が窺えない無表情人形であり、ほとんど口を動かさずに喋るためその人形さに拍車をかけている。
加えて変わった言動や行動で周囲を戸惑わせる不思議ちゃんでもあり、すでに幾度となく僕もその被害を受けている。
まあ何が言いたいのかと言うと、ようするに、今の寝不足の頭で対話するのはちとキツい。
「えっと、その……僕が聞いたのは、どうしてテレアがこのノンプラン治療院にいるのかだよ。テレアは今、勇者パーティーの回復役として、次世代の魔王誕生を阻止するために、魔族討伐の旅をしてる最中じゃなかったか?」
だからこそ僕は町で勇者パーティーの情報を仕入れ、彼女たちの後を追いかけようと計画していたのだ。
それがどうして都合よく、テレアがノンプラン治療院にいてくれたのだろうか?
改めて丁寧にそう尋ねると、テレアは僕の質問の意図を理解したのか、僅かに目を丸くして答えた。
「それは、その、あの……」
「……?」
妙に言い淀むテレアに、僕は疑問符を禁じ得ない。
なんでそんなに言いづらそうにしているのだろうか?
何か説明しづらい理由でもあるのかな?
というか、『不思議人形のテレアちゃん』でもこんなに戸惑うことがあるんだな。
……って、そんな今さらながらの事実に驚いている場合ではない。
とりあえず、テレアがノンプラン治療院にいる理由なんてどうだっていいじゃないか。
そんなことよりも大切なこと――優先すべきことが、僕にはある。
「と、とにかく、ここにいてくれてちょうど良かったよ。テレアのことを探しに行こうと思ってたんだ。ちょっとテレアに頼みたいことがあってさ」
「……?」
わかりやすく首を傾げるテレアに、僕は事情を説明した。
「知ってるかはわかんないけど、今あちこちで魔族たちが変な事件を起こしてるんだ。そのせいで治療が必要な人たちが出てきちゃって、僕の回復魔法じゃ治してあげることができなかった。たぶん『聖女』の回復魔法じゃないと、治療は難しいと思う。だからさ……」
テレアにその人たちの治療をしてほしいんだ。
そうお願いしようとしたのだが、台詞を言い切る前にテレアが、きっぱりと言い切った。
「無理」
「えっ?」
「治療は無理。ボクにはできない」
「……」
あまりにあっさりと、端的に断られたため、思わず僕は放心する。
別に、簡単に承諾をもらえると思っていたわけではない。
やりたくないのなら無理強いはするまいと、僕は心にだって決めていた。
だがしかし、まさかたったの二文字だけで完全拒否されるとは、正直思ってもみなかった。
だから僕は言葉を搾り出すようにして、テレアに理由を尋ねてみる。
「ど、どうして治療が無理なんだよ? 治療の依頼を引き受けるのが嫌なのか? テレアにはあんまり、無理をさせるつもりはないんだけど……」
恐る恐る説得を試みる。
テレアに引き受けてもらえなきゃ、もう誰もハテハテ村の人たちの記憶を元に戻すことはできない。
だから何としてもテレアに、首を縦に振ってもらわなきゃいけないのだ。
無理をさせるつもりはないし、何か報酬や要望があるならできるだけそれも叶えるつもりでいる。
治療が嫌な理由があるならそれも言ってみてほしい。
そう続けようとしたのだが、テレアは僕の声を遮るようにかぶりを振った。
「そうじゃ……ない。治療は別に、嫌じゃないの」
「嫌じゃない? じゃあ、どうして治療が無理なんだよ……?」
「ボクじゃ、みんなのことを治せないの」
治せない?
これには思わず疑問符が浮かぶ。
再三に渡って語ってきたが、『聖女』の天職は最上級の回復職だ。
数ある回復系天職の中で最高度の治癒能力を有しており、治せない傷や呪いはないとさえ言われている。
唯一の例外を挙げるとすれば、過去に勇者マリンが天職を失った際に、回復魔法で治すことができなかったくらいだが、まああれは言ってしまえば特例中の特例だ。
さすがに天職が絡んだ事案に、回復魔法が介入できるはずもない。
しかし今回の事件は、犯人が『魔族』で、原因が『魔法』だとわかっている。
それならきっと、聖女の回復魔法で事件を解決させられるはずだ。
なのにどうしてテレアは、やってもみないで治療を諦めてしまっているのだろうか?
やってみなきゃわからないだろう。
そう声を掛けようとした、その瞬間――
「あっ、あんた!? やっと帰ってきたわね!」
「んっ?」
最近聞いていなかったのにもかかわらず、すっかり耳慣れた女性の声が、治療院の奥から聞こえてきた。
見るとそこには、青色の長髪を腰まで伸ばしている、青パジャマ姿の女子がいた。
寝起きと言わんばかりに青髪の所々をぴょんと跳ねさせて、険しい顔でこちらを指差している。
僕の見間違いじゃなければ、あれは幼馴染の勇者マリンだ。
ていうかよくよく見れば、目の前のテレアも白っぽいパジャマを着て、黒髪に寝癖を付けていた。
二人とも寝起きなのか?
「どこに行ってたのよあんた!? 治療院を留守にする治癒師なんて信じられないわ!」
「わ、悪い悪い。こっちもちょっと立て込んでてさ。ていうか、なんでそんなに怒ってんだよ? そもそも、マリンこそなんでこんなところにいるんだよ?」
いや、テレアが治療院にいる時点でいるとは思っていたけれど。
となると、他の勇者パーティーの面々もこの治療院に来ているというわけだな。
しかしどうして今さら、勇者パーティーが揃ってノンプラン治療院にやってきたのだ?
「まさか勇者パーティー全員で、治療院に遊びに来てくれたのか? ならちょっと悪いけど、今はマリンの相手をしてる暇はないんだよ。ごめんな」
「なんであんたに相手されなきゃなんないのよ! てかわざわざこんなところに遊びに来るわけないでしょ!」
少しだけからかってみると、マリンは眉をつり上げて激昂した。
あぁ、いつも通りのマリンだ。
そう安堵することで、ようやく目の前の景色が幻ではないのだと確信を得る。
本当にノンプラン治療院に、また勇者パーティーがやってきたのだな。
「あれっ? そういえば、ルベラとシーラはどこにいるんだ? 姿が見えないみたいだけど」
今さらながらに思う。
勇者パーティーの古株二人――剣聖ルベラと賢者シーラの姿が、先ほどからまったく見えない。
まだ寝ているのだろうか?
テレアが二階で寝ていたと言っていたので、いまだに二階で夢の中にいるのかもしれない。
尋ねた後でそこまで考えついたのだが、マリンはなぜか居心地悪そうな顔で……
「……」
口を閉ざして目を逸らしてしまった。
なんだよその顔は?
まるで何か言いづらいことを抱えているような表情。
なんでさっきからテレアもマリンも、そんな不自然な様子で目を逸らしてしまうのだろうか?
と、疑問に思っていると……
「早かったではないかノン」
「んっ?」
そんな声と共に、不意に部屋の明かりがパッと灯った。
不明瞭だった視界が明るく照らし出される。
すると部屋の片隅に、うちのアルバイト二号がいるのを発見した。
紫パジャマに寝ぼけ眼のアメリアである。
先ほどのマリンの怒声で目を覚ましたのかもしれない。
「おぉ、アメリアただいま。ちょっと着替えに帰ってきたんだけど、これっていったいどういう状況なの? 寝起きでさっそく悪いんだけど、詳しく説明してもらってもいいか?」
テレアとマリンでは話にならないと思った僕は、アメリアにすべての説明を任せることにした。
これでは一向に状況整理もままならないからな。
なぜ勇者パーティーがノンプラン治療院にいるのか、僕がいない間に何があったのか。
おそらく僕が勇者パーティーを探しに出かけた後で、入れ違う形でマリンたちが治療院にやってきたのだろうけど、ここはきちんとアメリアに言葉にしてもらうことにしよう。
と、思っていたのだが……
「……って、なんだよその“ワンちゃん”と“ニャンちゃん”? どこで拾ってきたんだよ?」
なぜかアメリアが“子犬”と“子猫”を抱えていたので、ついそちらに気を取られてしまった。
燃えるような赤毛の子犬と、輝くような金毛の子猫。
なんとも不自然な姿をしている。普通の犬猫とは思えないような存在だ。
そう思って訝しい目で犬猫を凝視していると、アメリアが寝癖頭を横に揺らした。
「いやいや、拾ってきたのではない。これはそこにいる勇者が連れてきたのだ」
「はっ? なんで?」
見るとマリンは、再びバツが悪そうな顔をして目を逸らしてしまった。
もしかしてこいつ……
「まさかとは思うけど、旅の途中でワンちゃんとニャンちゃんを拾ったから、ここで飼ってくれって話じゃないよな? それなら悪いけどお断りさせてもらうぞ。ペットなら一匹で充分だからな」
うちにはすでに立派な看板竜――ヒールドラゴンことヒルドラが在籍している。
これ以上ペットを増やして現場をややこしくしたくないのだ。
だから即刻拒否させてもらうと、マリンはこちらから目を逸らしたまま、ぎこちない様子で口を開いた。
「そ、そうじゃないわよ。その犬と猫は、その……」
「……?」
またはっきりしない様子。
なんだかさっきからマリンらしくない。
いつもなら無愛想な感じで、こちらの問いに端的に答えるはずなのに、どうして今日はそんなに躊躇いがちなんだろうか?
そう思っていたら、言い淀むマリンの代わりに、アメリアが言葉を紡いだ。
「この犬と猫がその、ルベラとシーラらしいぞ」
「……はっ?」
これには思わず、素っ頓狂な声が漏れた。
アメリアの抱えている子犬と子猫が、ルベラとシーラ?
あの美麗で才覚溢れる剣聖様と賢者様が、まさかの犬と猫?
何を言ってるんだこのロリサキュバスは?
冗談にしてはまったく面白くもないし、脈絡だってない。
そう考えてチラリとマリンの方に視線をやると、彼女はいまだに居心地悪そうに目を逸らしていた。
まるで目の前の現状が、事実であると自ら吐露するように。
「……」
そんな惨状を前にして、僕は言葉を失って放心した。
テレアには治療を拒まれ、様子のおかしいマリンには違和感を抱かされ、目の前の犬猫がルベラとシーラなのだと訳のわからないことを言われてしまった。
本当に、いったいどういう状況なのだろう?
寝不足の頭で理解するには、あまりに複雑な光景だった。
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