第90話 「独りぼっちで狂戦士だった私は……」
ネムが眠りについたことで、彼女の手から魔法の杖が落ちた。
そして僕たちはその杖を入手する。
記憶奪取の魔法が込められている異質な触媒を。
その後、静まり返った室内で、僕とアヤメさんは一度腰を落ち着けることにした。
今後のことを話し合うためである。
ネムとアヤメさんが友達になったことはとても微笑ましいことだけれど、それで事件が解決したわけではない。
「それで、どうやって記憶を戻せばいいんでしょうか?」
アヤメさんもそのことは充分わかっているようで、困ったように眉を寄せていた。
そう、みんなの記憶はまだネムの頭の中にあるのだ。
それをどのようにして戻せばいいのか、解決策がいまだに見つかっていない。
とりあえずここに、記憶奪取の触媒はあるけれど……
「これを使って記憶を元に戻すのは、たぶん無理だろうね」
「えっ? どうしてですか?」
「たぶんだけど、この杖に込められている魔法は、『近くにいる人から記憶を奪う』ってものだと思う。だからもう一度それを使えば、記憶を戻せるかもしれないけど……」
僕は木の杖をじっと見つめながら続けた。
「魔法の“対象者”は、おそらく無作為に選ばれる」
「無作為?」
「誰から記憶を奪うか、自分では選べないってこと」
ネムの話によると、杖を握ったまま眠ると良い夢が見られるそうだ。
その効果で、ハテハテ村の人たちの記憶や、プランやヒナタちゃんの記憶を盗み見たらしい。
ではそれは、いったいどのようにして“対象者”を定めたのだろうか?
杖を握ったまま眠るだけという簡単な発動方法や、効果範囲の広さから、対象者は無作為に選ばれるとしか考えられない。
でなければ悪意のないネムに記憶奪取の魔法を使わせることは、そもそもできないだろうから。
「で、では、この杖を手に入れたところで、みんなの記憶は元に戻せないってことですか?」
「うん、たぶんそうなるかな。まあ、ある程度の狙いは付けられるとは思うよ。だからこそプランやヒナタちゃんの記憶が奪われたんだと思うし」
「……? それってどういう……」
首を傾げるアヤメさんに、僕は自分なりの考えを話した。
「無作為に選ばれるって言ったけど、たぶん完全に無作為じゃない。ネムが『楽しい夢を見たい』って思って魔法を使ったら、その通り楽しい記憶を見ることができた。だからたぶん、記憶奪取の魔法を使う時の“イメージ”によって、誰からどんな記憶を奪うのか、ある程度決められるんだと思う」
ネムは『楽しい夢を見たい』と思って魔法を使い、事実楽しい記憶を盗み見ることができた。
ならば、そのイメージによって魔法が起動したと考えるのが自然だろう。
イメージ通りの記憶を持っている人を探知し、その記憶を奪い取る。
おそらく、イメージに近ければ近いほど、魔法の探知に引っ掛かりやすくなるのではないだろうか。
ハテハテ村に来たばかりのプランが標的になったのも、それが理由だと考えられる。
というように推論を語ってみると、アヤメさんは信じられないと言いたげな表情で僕を見た。
「そ、それって……」
「……」
僕はアヤメさんが考えていることを悟って、こくりと頷き返した。
「プランは自分の記憶を何よりも楽しいものだって思ってた。それでヒナタちゃんも、アヤメさんとの思い出をとても大切にしていたってことじゃないかな」
だからネムの使った魔法に、二人の記憶が探知されたのだ。
改めて言葉にしてそう伝えると、アヤメさんはじわりと涙を滲ませた。
自分だけではなかったのだ。
思い出を大切にしていたのは、友達のヒナタちゃんもまた同じだったということである。
ネムに記憶を盗られてしまったのが、その何よりの“証明”。
そうとわかり、アヤメさんが涙してしまうのも無理はない。
だからこそ、全部元に戻さなければならないのだ。
ヒナタちゃんやプランの記憶だけじゃなく、ハテハテ村の人たちの記憶すべてを。
そのためにどうすればいいか、僕は思考を巡らせる。
「今ここにあるのは杖一つ。これだけでみんなの記憶を元に戻すには……」
記憶を失くした人たちに杖を使ってもらって、ネムの頭から記憶を取り戻すとか?
以前にも不可思議な事件が起きた時には、逆に触媒を利用して丸く収めたものだ。
老けたババローナ姫を元の年齢に戻したり、魔物に変えられたリックのお母さんを人間に戻したり。
しかし、今回はその手は使えそうにない。
先刻語った通り、魔法の対象者は無作為に選ばれるからだ。
もしネムの頭から自分の記憶だけを抜き出そうとしても、周りまで効果範囲が広がってしまうので確実性はないだろう。
では、ネムと被害者を無人島などに連れて行き、二人だけの空間にして記憶奪取の魔法を使うとか?
いやそれでも、正確に自分の記憶だけを抜き出すことは難しいだろう。
記憶を失くしているということは、自分がどんな記憶を奪われてしまったかもわからないということ。
奪いたい記憶をイメージできなければ、正確に記憶を取り戻すことはできない。
そもそも、この魔法の杖にも確か使用限度があったはずだ。人数分の回数が残っているかも怪しい。
杖を使っての解決は、やはり現実的ではないな。
こうなったら……
「……やっぱ、あいつに頼むしかないか」
「あいつ? だ、誰のことですか?」
不思議そうに小首を傾げるアヤメさんに、僕はため息まじりに答えた。
「聖女テレア」
「せ、聖女?」
「とんでもない回復魔法を使える、とんでもない治癒師だよ。そいつに治療してもらえば、もしかしたら全部元に戻せるかもしれない。正直、頼むのはちょっと気が引けるけど」
事件の解決を、まったく別の治癒師に任せる。
依頼を請け負った治癒師としては、やはり気が進むものではない。
でも、もうその手しか残ってなさそうだ。
情けないことこの上ないけれど、今回は聖女の回復魔法に頼らせてもらうことにしよう。
元々そういう予定だったしね。
「だから、事件の解決はもうちょっとだけ待っていてほしいんだ。僕がきっと、聖女テレアを連れてハテハテ村まで戻ってくるから、それまでは信じて待っていてほしい。僕に任せてもらえるかな?」
そう尋ねると、アヤメさんはしばし困ったように黙り込んでしまった。
何か言いたげな表情。
その困惑の理由は、なんとなくだけど察しがつく。
アヤメさんも、何か手伝いたいと思っているのだろう。
しかし僕の提案通りに行くと、手伝える隙がまるで無くなってしまう。
友達のヒナタちゃんのために何かしたいと事あるごとに言っていたので、僕の提案には素直に賛成できないのだろうけど、やがてアヤメさんは申し訳なさそうにこくりと頷いた。
「はい、信じて待っています。ネムちゃんやヒナタちゃんと一緒に、信じて待っていますから。ですから、もし私にもお手伝いできることがあれば、何でも言ってください」
「うん。その時が来たら、是非頼らせてもらうよ」
僕は確かな笑みを返し、アヤメさんと一つの約束を交わしたのだった。
それから僕たちは、起床したネムと二言三言交わし、山頂小屋を後にした。
そして山を下り、僕は一度、ノンプラン治療院に戻ることにした。
このまま町まで行って、勇者パーティーの情報を手に入れるのが先決と思ったが、そうしなかった理由はいくつかある。
まず一つは、血で汚れてしまった服を着替えたかったから。
アヤメさんにナイフで刺されて、傷そのものは完全に塞いだが、衣服に付着した血はそのままだ。
この格好で町まで行くのはさすがに躊躇われる。
ならば、ハテハテ村で新しい服を仕入れればいいではないか、とも考えたが、アヤメさんと一緒に山を下りる頃には、辺りはすっかり真っ暗になっていた。
まだ開いている店と言えば、先日泊まった宿屋くらいしかない。
加えて、町まで向かう馬車もこの時間は走っていないので、すぐに旅立つこともできなかった。
残された選択肢は、またも宿屋で一晩過ごすか、いっそ治療院まで戻って万全の状態に整え直すかだ。
結果、僕は後者を選択した。
理由はまあ、全力で走れば二時間ちょっとで着くし、上手くいけば今夜は自分の家のベッドで安眠できると考えたからである。
そしてハテハテ村からノホホ村まで、再びしんどい道のりを走ることになった。
途中で、やっぱりアヤメさんと同じように宿屋で休めばよかったと後悔したけれど、僕は辛抱してノホホ村まで走り切る。
そして治療院に着く頃には、予想外なことに、すっかり朝になっていた。
「……寝てる暇なさそうだなぁ」
治療院の前まで辿り着き、昇ったばかりの朝日を浴びながらぐっと背中を伸ばす。
もっと早く着く予定だったのに、想像以上に疲弊していたみたいだ。
正直、眠気が凄まじい。
一日で村と村を何度も行き来し、山では魔物とも戦ったりしたので、それは当然と言えば当然か。
ネムと同じように柔らかいベッドに身を預け、心地よい夢を見たいところだ。
けれど泣き言ばかり言ってもいられない。
服を着替えたら、またすぐに勇者パーティーを探しに町へと出発しなければならないのだから。
アヤメさんは急がなくてもいいと言ってくれたけれど、本心ではなるべく早くヒナタちゃんとの思い出を取り戻したいと思っているはず。
それにこちらも、プランの記憶はなるべく早く戻したいと思っているので、早め早めに動いて損はない。
まあ、ノホホ村からも町行きの馬車は出ているので、それに乗っている間に少し眠れば充分か。
ともあれ、さっさと服を着替えてしまおう。
そして僕は、この時間に誰も起きているとは思わなかったが、慣例に従って帰りの挨拶をしながら治療院に入った。
「ただいまー」
ガチャ、バタン。
と、虚しく扉の音が鳴っただけで、やはり返事が来ることはなかった。
予想はしていたけれど、いざ何もないと少し寂しい気持ちが湧いてくる。
まあ、起こすのも悪いので、静かに自分の部屋に行くことにしよう。
そう思って玄関を上がろうとした、その瞬間――
「んっ?」
遅まきながら、目の前に誰かが立っていることに気が付いた。
思わず僕は目を見開いて、“うおっ”と小さな声を漏らしてしまう。
薄暗いせいでまったく気が付かなかった。
それに、その人物も僕が入ってきたことにまったくリアクションを取らなかったので、本当に誰もいないと思ってしまった。
まるで置物みたいに無反応だったぞ。
いったい誰だろう? こんな朝早い時間に起きているなんて。
一目では誰かわからない。
身長的にプランだと思うけれど、なんだかちょっと様子がおかしいような気がする。
目を凝らして見てみると、次第にその人物の姿が明らかになった。
「えっ?」
プラン……ではなかった。
もちろんアメリアでもない。
プランでもアメリアでもなければ、治療院の人間ですらないことは考えずともわかる。
そもそも僕は、目の前に立っている人物に、深い見覚えがあった。
というより、今一番に頭の中に思い浮かべていた人物だ。
なんで、こんなところにいるんだよ。
今からまさに、“あんた”を探しに行こうとしていたはずなのに。
何の因果か、信じられないことに、彼女の方から僕の元へやって来てくれた。
「……テレア?」
「……」
感情の窺えないその無表情は、見紛うことなく聖女テレアだった。
第二部 第三章 おわり
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