第89話 「おやすみ」
「ネムが持っているその杖は、たぶん他者から記憶を奪って、それを夢として追体験できる魔法が込められているんだ。それを握ったまま眠ることで、魔法の発動が可能になってるんだと思う」
これまで聞いた情報を総合して、僕なりに導き出した見解。
それを伝えると、ネムは驚いた様子で右手の杖に目を落とした。
記憶奪取の魔法が込められているだろう、魔法の杖を。
思い返してみると、プランが記憶を失くしてしまったのは夜中。
夜に寝て、朝に起きたら一部の記憶が消えていた。
もし同じ時間にネムも眠りにつき、記憶奪取の魔法を使ったとなると時間もぴったり合う。
するとネムは、事態を受け入れられないという表情で僕を見た。
「記憶を、奪って、夢にするの……?」
「言ったでしょ、僕たちは“ある事件”の調査のためにここに来たって。実はこの近くにある村で、村人たちが記憶喪失になる事件が起きているんだ。それでアヤメさんの友達と、僕の仲間もその事件に巻き込まれて記憶を失くした」
ネムの見ている夢と関係している可能性は充分にある。
すると今度はアヤメさんが、恐る恐るといった様子で僕に声を掛けてきた。
「で、でもノンさん、この子が記憶喪失の事件に関係しているとは言い切れないんじゃ……」
もちろん、この段階で断定することはできない。
もしかしたらネムは、本当にただこの場所で眠っているだけで、持っている杖もただの棒切れかもしれないからな。
だからそのことを確かめるように、僕は改めてネムに聞いた。
「ネムはさっき、僕のことを『ノンさん』って呼んだよね」
「……うん」
「で、アヤメさんのことは『アヤメちゃん』って呼んだ。どうしてそういう風に呼んだの?」
「だ、だって、夢の中で二人に会って、そういう風に呼んでたから」
やっぱり間違いないな。
僕はアヤメさんの方に目を向けて、確信を話した。
「ネムが見た夢は、たぶん“ヒナタちゃん”と“プラン”の記憶だ」
「えっ?」
「呼び方がプランそのままなんだよ。それにヒナタちゃんがアヤメさんのことを呼ぶ時って、どういう風に呼んでた?」
「え、えっと……『ちゃん』付けで」
「でしょ」
たまたま見た夢にしては、あまりにも合致し過ぎている。
プランの呼び方とヒナタちゃんの呼び方。それを把握しているネム。
おまけに呼び方だけではなく、僕が治療院を開いていることも知っているみたいだし、プランの記憶を見たのはほぼ確実だろう。
「それに、ネムの持っているその“杖”にも見覚えがあるんだ。前に悪い魔族たちが、似たような杖を悪用しているのを見たことがある。それぞれ特殊な魔法が込められていて、みんな“ある魔族”からもらったって言ってたよ」
「……」
ネムはこれまた、信じられないと言いたげな表情を浮かべた。
よもや自分が握っている杖に、特殊な魔法が込められているなんて考えていなかったのだろう。
そして、その杖のせいで、取り返しのつかない事態が発生しているなんて、この場で眠っているだけでは及びもつかないはずだ。
ネムはその事実を受け、不意に泣き出しそうな顔を見せた。
「わたし、悪いこと、してたの?」
「あっ、いや、ネムは悪くない……と思う。悪いのは、ネムにここで眠るように差し向けた“変な魔族”だ。だから、そんな顔しなくても……」
慌てて慰めるけれど、ネムの抱いている罪悪感は、僕が思っている以上に大きなものだった。
「でも、誰かの記憶を、盗んでたんでしょ? 悪いこと、してたんでしょ?」
「……」
「わたし、もう、楽しい夢を見ちゃ、ダメなんだよね? ここで眠っちゃ、ダメなんだよね?」
ネムの言葉尻から、涙まじりの声が滲み始める。
見ると、表情の乏しいネムの瞳から、一雫の涙がこぼれていた。
この子はただ、楽しい夢を見たかっただけ。
眠ることしか楽しみのないゴーレムだから、せめて友達と遊ぶような楽しい夢を見たかっただけなんだ。
それなのに、変な魔族に騙されて、知らず知らずに悪いことをさせられてて。
それでいきなり、もう楽しい夢を見るのはやめろなんて、とても僕の口からは……
「なら、私が友達になります!」
「……アヤメさん?」
アヤメさんからの突然の声に、僕は驚いて目を見張った。
そして彼女の方はというと、自分でも思った以上に大きな声が出てしまったのか、ハッとなって赤面している。
しかしすぐに意を決したように、アヤメさんはネムに語りかけた。
「と、友達と遊びたいなら、私が友達になります。体が重くて動かないなら、毎日遊びに来ます。だからもう、そんな顔、しないでください……」
「……」
段々と先細りになる声。
ネムに釣られてだろうか、その声は涙まじりにもなっていた。
恥ずかしさがあるのだろうが、それ以上にネムのことを慰めてあげたいという優しい想いが、アヤメさんのその台詞から感じ取れる。
そして彼女は、ぎこちなくも温かい笑みを浮かべて続けた。
「そ、それに、夢の中でしか友達に会えないなんて、すごく寂しいじゃないですか。起きている間に友達と遊べた方が、絶対に楽しいじゃないですか。夢は、いつかは覚めてしまうものですから。何より……」
アヤメさんは頰を赤らめて、緊張した声音でネムに言った。
「夢を夢のまま終わらせるなんて、とても勿体ないじゃないですか。ですから私と……と、友達になってくれませんか?」
「……」
ネムは驚いた様子で目を丸くする。
同様に僕も、顔を紅潮させたアヤメさんを見つめながら、思わず呆然としてしまった。
僕も以前に同じようにして、ゴーレムの少女と友達になった。
まるでそれを見てきたかのようにアヤメさんが再現したため、僕は思わず面食らってしまったのだ。
何より、人見知りで恥ずかしがり屋なアヤメさんが、魔族の少女のために勇気を振り絞ったことに、不覚にも感動してしまった。
友達のヒナタちゃんを助けたいという想い。
それと同じくらい、独りぼっちのネムを救いたいという気持ちが湧いてきたのだろう。
そんなアヤメさんの優しさを前にして、僕は自然と笑みをこぼした。
そしてネムは、いまだに驚愕した様子で問いかける。
「私と、友達になってくれるの? 悪いことをしてた私と、本当に……?」
「そ、その、私もあんまりお喋りとか得意じゃなくて、危ない天職とかも持ってるんですけど、それでも、よければ……」
恥ずかしそうに身をよじるアヤメさん。
そんな彼女を見つめながら、ネムは固まっていた頰をゆっくりと綻ばせた。
そして嬉しそうな笑顔を、パッと咲かせる。
「ありがとう、アヤメちゃん。よろしく、ね」
「は、はい! よろしくお願いします、ネムちゃん」
目の前で、二人の少女が友達になった。
するとネムは、友達ができたことに安心したのだろうか、またも眠そうに瞳をとろんと緩ませた。
そしてゆっくりと、ベッドに体を沈めていく。
次第に両目を閉じていき、やがて小さな口から微かな寝息が漏れてきた。
ネムは再び眠りについた。
今度は、右手に握っていた杖を手放して。
これで誰かから記憶を奪うことはなくなり、同時に楽しい夢を見ることもできなくなるはずだが。
眠りについたネムの顔は、大層嬉しそうに綻んでいた。
いったいどんな夢を見ているんだろう。いや、もしかしたら夢なんて見ていないのかもしれない。
そんなネムの寝姿を見つめながら、僕はいつしかの独白を思い出す。
『人ってなぜ眠るのだろう?』
その日の疲れを癒すため? 生活リズムの一環として? お母さんにそう躾けられたから?
多くの人たちはそんな理由なんて考えず、ただただ眠いから毎日決まったように眠りについていることだろう。
そして僕の場合は、ただ単純に眠ることが好きだから。
では、このゴーレムの女の子は?
楽しい夢を見るために眠っている……と、少し前はそう言っていたけれど。
でも、これからは違う。
きっとこれからは、夢を見るために眠るのではなく……
友達のいる明日を迎えるために、眠るようになるだろうな。
「おやすみ」
その声が聞こえたかのように、ネムは寝顔をさらに綻ばせた。
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