第87話 「夢」
どうしていきなり『おはよう』なのだろう?
もっと他に言うべきことがあるんじゃないか?
あまりに突然だったため、僕もつい『おはよう』って返しちゃったけど。
なんて思っていると、いまだにベッドで横になっている褐色少女が、今度はきょとんと首を傾げた。
「あなた、だれ?」
「……それは最初にするべき質問だったな」
僕は思わず呆れ顔でそう返す。
そうそう、その質問を僕は期待していたのだ。
後、『なに勝手に人ん家に上がってんだこの野郎!』という罵倒も覚悟していた。
それなのにいきなり『おはよう』だから、なんとも調子が狂ってしまう。
褐色少女のふわふわとした感じに力が抜けながらも、僕はなんとか彼女に返答した。
「僕たちはこの岩山の近くにある村から来たんだ。許しもなく家に上がっててごめん。ノックしたんだけど、返事がなかったからさ。あっ、それで、僕の名前は……」
遅ればせながら、自己紹介しようとすると、それより先に少女が口を開いた。
「ノンさん」
「……えっ?」
「ノンさん。あなたの名前は、ノンさん」
「……」
いったいどういうわけだろうか、自己紹介を横取りされてしまった。
あれっ? 僕ってまだ名乗ってないよね?
なんでこの子は僕の名前を知ってるんだ?
名札とか別に付けてないんだけど。
「えっと、僕たちって、どっかで会ったことあるっけ?」
「ない。初めまして」
「……だ、だよね。ていうかさっき『だれ?』って聞いてきたもんね。じゃあ、どうして僕の名前を……?」
不思議に思ってそう尋ねてみると、少女は天井を仰ぎながら答えてくれた。
「夢で見た」
「ゆめ?」
「夢の中で、あなたのことを見た。あなたはノンさん。みんなの怪我を治してる、ノンさん」
「……」
いったいなんなんだこの子?
夢の中で僕を見たってどういうことなんだ?
それに、『みんなの怪我を治してる』って、僕が“治癒師”だってことも知っているってことか?
なんか怖いぞこの子。
人知れず恐怖を覚えていると、褐色少女が今度はアヤメさんに眠そうな目を向けて口を開いた。
「あなたは、アヤメちゃん」
「えっ?」
「あなたの名前は、アヤメちゃん。合ってる?」
「……は、はい。合ってます」
よもやアヤメさんの名前まで知っているようだ。
僕は驚きよりも恐怖が先行し、思わず少女から一歩退いてしまう。
しかしそこで踏み留まり、ふと思ったことを尋ねてみた。
「アヤメさんのことも、僕と同じように“夢”で見たの?」
「そう」
「……」
“夢”で見た、か。
彼女がそういう能力でも持っているのだろうか?
見知らぬ人のことを、まったく別の場所から見ることができる能力。
言っちゃえば『千里眼』みたいな。
彼女はそれを夢として見ることができるみたいなので、『千里夢』とでも名付けようか。
この世には色んな天職があり、まだ誰も知らないような能力を持っている人もいるだろうし、褐色少女がそんな力を宿していても不思議ではない。
正直聞いたこともないような能力だけど。
それにしても、ノン“さん”とアヤメ“ちゃん”という呼び方には、ちょっとばかり引っ掛かりを覚える。
「どうしてノンさんとアヤメちゃんは、ここに来たの?」
「えっ……?」
ついつい考えふけっていると、再び少女が問いかけてきた。
僕は僅かにどう答えたものか思い悩む。
「えっとね……僕たちはある事件の調査のために、この山頂まで来たんだよ。それでこの家を見つけたから、住んでる人にちょっと話を聞いてみようと思って……」
「……そう」
至って当たり障りのない回答。
なんだか、いきなり『記憶喪失』の事件のことを持ち出すのは悪手だと思った。
一見無害そうに見えるこの少女も、まだ完全に信用できるとは言い切れない。
もしかしたら僕たちの前で間の抜けた感じを装っているだけで、実は事件に関わっている“敵”なのかも。
という可能性も捨て切れなかったので、僕は核心に触れないまでも、意味のある質問を考えることにした。
この子が事件に関わっているかどうかを、一発で知ることができる質問。
かつ不自然ではなく、とても自然な問いかけ。
……これしかない。
「そういえば、君の“名前”は?」
「名前? 私の名前は……」
遅まきながらそんな質問をし、僕はごくりと固唾を飲む。
そして少女は、こちらの緊張などまるで知らぬ様子で、ムニャムニャと名乗ってくれた。
「ネム」
「ネム?」
「そう。私の名前はネム。初めまして」
「……」
嘘を吐いている感じではない。
少女の返答を聞いて、僕は思わず拍子抜けしてしまった。
ぶっちゃけ、『モグ』という返答を期待していた。
けれどそれは、僕の早とちりだったみたいだな。
この子が記憶を食べる怪物『モグ』なら、色々と話は早く済んだんだけれど、そう上手くは行かないらしい。
まあ、『モグの住処』と言われている山頂にいるだけで、モグ本人と決めつけるのはさすがに早計か。
頑張って考えた質問が見事にスカり、僕は嘆息する。
こうなったら気になっていることを洗いざらい聞いてやる、と思って、僕は立て続けに質問した。
「君はここで、一人で暮らしてるの?」
「うん、そう」
「お父さんとかお母さんは? 一緒じゃないの?」
「そんなのいない」
「そんなのって……。じゃあ、ご飯とかどうしてるの? 食べ物が手に入りそうな場所とか無さそうだけど」
僕は家の周りの光景を思い出しながらそう尋ねる。
この山頂にはこの一軒家以外に何もなかった。
見渡す限り岩の地面が広がっているだけで、食糧や水が確保できそうな場所はどこにもない。
一応、山を下りれば村や森とかがあるけど、坑道に魔物がいる関係でそう易々と下山だってできない。
この子はいったいどうやって食いつないでいるのだろうか?
そんな僕の疑問に対し、少女はなんとも素っ頓狂な答えを返してきた。
「そんなのいらない」
「えっ?」
「ご飯なんて、いらない。“岩”か“土”があればそれだけでいい」
「いわ? つち?」
何を言ってるんだこの子?
疑問符を重ねる僕に追い討ちを掛けるように、褐色少女は驚きの告白をしてきた。
「だって私は、ゴーレムだから」
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