第86話 「頂上」

 

 坑道の出口を出てみると、そこは僕たちが目指していた“岩山の頂上”だった。

 そこに到着するや、まず最初にすっかり暗くなった空が僕らを迎えてくれた。

 と言っても、今夜は月が綺麗に見えるので、それが光源となっていて視界は良好である。

 何より山の頂上にいるため、その明るさは言わずもがなだ。

 にしても、ずっと坑道の中にいたので、自然の光を見てなんだか安心する。

 同時に、無事に登頂できてよかったという安堵の気持ちが湧いてきた。

 本当に何事もなく坑道を突破することができてよかった。

 と、安心する反面、その気持ちを上塗りするくらい大きな“驚き”を、僕とアヤメさんは感じていた。


「なに……あれ……?」


 繰り返すようだが、岩山の頂上は『モグの住処』だと言われているらしい。

 だから記憶喪失の事件の手掛かりがあるのではないかと思って、僕たちはこうして頂上までやってきたわけだ。

 怪物の住処というからには、何やら仰々しい“祭壇”とか、おどろおどろしい“建築物”でもあるのではないかと、内心身構えていた。

 しかし、そこにあったものを見て、僕は思わず言葉を失ってしまった。

 拍子が抜けたと言ってもいいかもしれない。

 だって、そこにあったのは……


「……普通の“家”じゃん」


 何の変哲もない、ただの木造りの“一軒家”だった。

 中から家族の団欒でも聞こえてきそうなくらいの、本当にただの家。

 町の風景から切り取って、この場に貼り付けたかのような違和感すら覚えてしまう。

 周りには背の低い木製の柵があり、一軒家の周囲をぐるりと広めに囲っている。

 そして庭のようになっているスペースには、物干し竿と水桶、さらには揺り椅子まで置かれている。

 なんとも生活感の漂っている光景が、僕たちの目の前に広がっていた。

 逆に、それ以外は何もない。

 岩山の頂上らしく、ゴツゴツとした岩の地面と、切り立った崖くらいしか見当たらなかった。

 そこに間違えたようにポツンと建っている一軒家。

 僕とアヤメさんは視界が不良を起こしたのではないかと目を疑ってしまった。

 やがて、少ししてから我に返り、遅ればせながら疑問を抱く。

 

「ここが本当に、モグの住処なのかな?」

 

「わ、わかりません。というか、なんでこんな所に家が建っているんでしょうか?」


 まったく意味がわからない。 

 ともあれ、ここが岩山の頂上で、『モグの住処』と言われているのは紛うことなき事実だ。

 そしてお誂え向きと言わんばかりに、そこには家が建っている。

 これが“手掛かり”以外の、いったいなんだと言うのだろうか。

 正直、大して期待はしていなかった。

『モグの住処』なんて言われているけれど、どうせ村の人が勝手に言っているだけで、山頂には何もないだろうと。

 ましてや記憶喪失の事件に関する手掛かりなんて、都合良くありはしないだろうと。

 でも、僕たちは見つけてしまった。手掛かりと思しきものを。

 いや、ていうか絶対にこれは何かしらあるでしょ。

 どう見たって確実に怪しいもん。


「……よ、よし」


 僕はそう思って、恐る恐る家へと近づいていった。

 その後ろを心底怯えた様子でアヤメさんがついて来る。

 やがて僕たちは玄関前で立ち止まり、そこからどうしたものか思い悩んだ。

 これは、家に入るべきなのだろうか?

 それとも礼儀正しくノックするべきなのだろうか?

 どうするべきなのか正解がわからない。

 目の前に建っている“これ”を、“普通の家”として扱うべきなのか判断に迷う。

 もし中に化け物が住んでいるとしたら、訪ねるのは明らかに悪手だ。

 かといってここで引き下がるわけにもいかないし。

 結果僕は、普通にドアをノックすることにした。

 コンコンコンッ。


「ご、ごめんくださーい」


 ノックに加えて声も上げてみる。

 しかし、しばし待っても扉の向こうから返事は来なかった。

 ていうかよくよく見ると、窓の向こうに明かりが灯っていない。

 同じように屋内の様子を見たアヤメさんが、不思議そうに首を傾げた。


「誰もいないんでしょうか?」


「……わからない」


 僕たちの気配を事前に嗅ぎ取って、中に潜んでいるだけなのかも。

 ともあれこのままでは進展しないと思い、僕は意を決して扉を開けてみることにした。

 ガチャ。


「し、失礼しまーす」

 

 扉は施錠されていなかった。

 そのことに若干の驚きと、許可なく人の家に踏み入る心苦しさを感じながら、僕は家の中に入った。

 そして最大限の注意を払って、慎重に暗い屋内を見回してみる。

 中も外観と同じく、本当に普通の室内だった。

 置いてあるものも、テーブルや椅子、棚やキッチンといった一般的な家具ばかり。

 特に目を引くものはないが、強いて言えばベッドが少し大きいくらいだろうか。

 他の家具を部屋の片隅に寄せて、リビングの半分を占領している。

 まるで家具を買いすぎて、ベッドしか置けなくなってしまった計画性のない部屋のようだ。

 という確認をしていると、ビクビクと震えたアヤメさんも、僕の後について来てくれた。


「だ、誰かいますか?」


「うぅーん、なんか誰もいなさそうだよ。灯りもついてないし、それに所々埃を被ってるみたいだから、もしかしたら誰も住んでないのかもね」


 だとしたら納得できる。

 こんな何もない岩山の頂上に人が住んでいるなんて、そもそも考えられないからね。

 水や食料だって手に入らないだろうし、普通の生活が送れるとはとても思えない。

 それに家具のほとんどが埃を被っているため、それが誰も住んでいないという何よりの証明になっている。

 ということがわかったため、僕はこの場を後にすることにした。

 これ以上調べても何も出てきそうにないし。

 それにもしかしたら、この岩山がまだ鉱山として利用されていた時代に、鉱夫の誰かが気まぐれでこういう家を建てたのかもしれない。

 というかその可能性が一番高そうだな。

 なんて思いながら僕は、踵を返そうとした。

 するとその時……


「んっ?」

 

 視界の端で何かが動いたような気がした。

 より厳密に言うなら巨大ベッドの上。

 薄暗くて見づらいけれど、確かに今そこで何かが動いたような……


「……あっ」


 よくよく目を凝らしてみると、ベッドの上に横たわる“人影”が見えた。

 ベッドの大きさに見合わない小さな人影。

 顔の半分まで布団を深く被っていて、小さな頭を枕に預けている。

 全然気が付かなかった。

 部屋が暗いのはもちろんだけど、布団を頭まで被っているせいで人がいるなんてわからなかったぞ。

 今は寝ているのだろうか?

 アヤメさんも僕と同じく、ベッドの上の人影に気付いたようで、僕たちは思わず怪訝な顔を見合わせた。

 たぶんこの家の住人だろうけど、よもや人が住んでいるなんて思わなかった。

 まあとりあえず、無駄足にならなくてよかったと思うべきか。

 この岩山の頂上に住んでいるということは、記憶喪失の事件に関わっている可能性が少なからずある。

 色々と聞きたいこともあるし、話を伺ってみよう。

 というわけで、寝ている時に悪いけれど、出直す余裕もないため声を掛けることにした。


「あ、あのー、すみませーん」


 と言いながら、僕はベッドに近づいていく。

 すると朧げだった人影が次第に明らかになっていき、僕は何度目とも知らぬ衝撃を受けた。

 なんとそこに寝ていたのは、年端もいかない“女の子”だった。

 歳のくらいは十歳少しと言ったところだろうか。

 薄茶色の短髪に、程良く焼けたような褐色の肌が特徴的である。

 しかしそれ以外に特筆するような特徴はなく、本当にただの少女にしか見えない。

 なんでこんな小さな女の子が、一人で岩山の頂上に?


「……」


 少し考えてみたけれど、理由はさっぱりわからなかった。

 だから僕は聞くが早いと思い、続けて少女に声を掛ける。


「あのー、もしもしー。僕たち近くの村から来た者なんですけどー」


「……」


「ちょっとだけ話を伺わせてもらえませんかー?」


「……」

 

 まるで起きる気配がない。

 玄関とは正反対に、瞳はがっちりと施錠されているみたいに固く閉ざされている。

 少しだけ体も揺すってみるが、ピクリとも反応しない。

 それを僕の後ろから見ていたアヤメさんが、息を呑んで呟いた。


「も、もしかして、死んで……」


「いやいや、ちゃんと生きてるよ。普通に寝息立ててるし、体もちゃんとあったかいから」


 何より最初に身動ぎもした。

 死んでいるということはない。

 たぶんかなり深い眠りについているか、そもそもこの子が“起こしても起きないタイプ”なのだろう。

 それよりも気になるのは、この子の“体”の方だ。

 体というか肌かな?

 程良く焼けたような褐色肌で、傷もなくてとても綺麗だと思う。

 ……と、見ただけではそれくらいしかわからないが、僕は直接触れたことでその異質さに気付けた。

 肌がまるで、“岩”のように固かった。

 少女特有のモチモチとした肌ではなく、まるでゴツゴツとした岩壁のような岩肌。

 少女どころか人の肌ですらない。

 …………一応補足しておくと、普段治療院でユウちゃんとかの手に触れているため、女の子の肌質を知っているのであって、僕が別に危ない事件に関わっているとか、そういうことは一切ない。

 と、誰に向けているのかわからない言い訳を心中でしていると、不意にベッドの上の少女が声を漏らした。


「……んっ」


 僕たちが騒ぎ立てたことで、ようやく意識が覚醒したのだろうか。

 褐色少女が、閉ざしていた瞳をおもむろに開いた。

 そしていまだに眠そうに半目を開いて、ぼんやりとした視線で僕を見てくる。

 そんな少女の目を呆然と見返していると、やがて彼女は、ムニャムニャとおぼつかない様子で口を開いた。


「……おはよう」


「……おは……よう?」


 予想外の第一声に、僕は思わず面食らった。

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