第85話 「狂戦士と応急師」

 

 坑道でアヤメさんと合流した後。

 僕は彼女と共に、岩山の頂上を目指すことにした。

 先ほどはどうなることかと思った。

 魔物の大群の中でアヤメさんが暴れていて、まさかいきなり襲い掛かってくるなんていったい誰が想像できただろう。

 何より『狂戦士』という珍しい天職を宿していることを知って、さらに驚きを覚えたものだ。

 けれど、よくよく振り返ってみると、思い当たる節がいくつかある。

 自傷行為を覗いて追いかけられた時、アヤメさんからはただならぬ気配を感じて怖気だったものだ。

 おまけに凄まじい走力で僕に追いついてきて、それらがすべて『狂戦士』の恩恵によるものだとしたら、むしろ大いに納得できる。

 まあ、何はともあれ、こうして何事もなく再会できて本当によかった。

 そして僕たちは坑道を進んでいく。

 ぐねぐねと曲がりくねった道を歩いていき、着実に岩山の頂上に近づいていった。


「おっ……」


 するとまたしても、坑道の先にゲッコウモリの大群を見つけた。

 やはり避けては通れないらしい。

 願わくば、こっそりと気付かれずに素通りしたいところなんだけど、満遍なく天井に張り付いていてそれは難しそうだ。

 プランの大盗賊の能力なら、敵に見つからずにやり過ごせるのだろうけど、今は無い物ねだりもいいところである。

 だから僕は仕方なく戦うことにして、腰に吊るしてあるネビロナイフを抜いた。

 そして先手必勝で突っ込もうとした時、視界の端でアヤメさんが固まっているのが見えた。

 横目に窺うと、彼女が体を震わせているのがわかる。

 とても怯えている様子だ。


「……アヤメさん?」


「……」


 彼女は右手に果物ナイフを携えて、それを左手首に当てている。

 おそらくそれで自傷して『狂人化』のスキルを発動させようとしているのだろうが、怯えているせいで体が固まってしまっている。

 何を怖がっているのだろうか? 自分の腕を傷つけるのが怖いとか?

 いや、そういうわけではないだろう。

 自傷行為を躊躇うなんて、彼女にとっては今さらのことだ。

 まあ、だいたいの察しはつく。

 たぶん、また暴走してしまわないか不安なのだろう。

 というアヤメさんの心情を悟って、僕は静かに声を掛けた。


「大丈夫だよ。また危なくなったら、僕が絶対に治すから」


「……は、はい」


 アヤメさんは頼りない返事をしながらも、意を決したように表情を引き締めた。

 そして勇気を持ち、左手首に当てているナイフを鋭く振り抜く。

 瞬間、数滴の血玉が手首から散った。

 ポタポタと左手から鮮血が滴り、生々しい血痕を洞窟の地面に残す。


「う、ううっ……!」


 するとアヤメさんのつぶらな瞳が、次第に赤く染まっていった。

 これが『狂人化』のスキルが発動した証。

 傷つけば傷つくほど戦闘能力が向上し、自我を失っていく力である。

 しかし先ほどのように真っ赤な瞳になることはなく、あくまで少し充血したくらいの濃さに留まった。

 視線もちゃんと安定していて、意識もしっかりと保たれている様子である。

 ちょうど良い具合に自傷できたみたいだ。

 そう安心する傍らで、アヤメさんは先行してゲッコウモリの大群に突っ込んでいった。


「キィィィ!!!」


 するとアヤメさんの姿を捉えたコウモリたちが、総勢で耳障りな声を上げた。

 次いで天井から飛び立ち、牙や翼をギラつかせてアヤメさんに襲い掛かっていく。


「ハアッ!」


 対してアヤメさんは、右手の頼りない果物ナイフで応戦した。

 ゲッコウモリたちの牙や翼には、血の凝固を妨げる毒が付着している。

 先ほどはそれを浴びたせいで、アヤメさんは想定以上に血を流してしまい、意識が飛んでしまったのだと考えられる。

 だとしたら、奴らに傷つけられたその瞬間に、即座に治療に向かった方が良さそうだ。

 なんて考えながら、僕もネビロナイフを構えてアヤメさんに続く。


「はあっ!」


 二人して飛び掛かってくるコウモリたちを捌き、次々と地面に落としていった。

 そして僕は合間を見て、アヤメさんの治療も行う。

 そんな戦闘が三分程度続いた。

 やがて耳障りな喧騒が止み、洞窟の中に静寂が訪れる。


「お、終わりました、ノンさん」


「そう……みたいだね」


 辺りを見回すと、ゲッコウモリの大群はすべて地に落ちていた。

 たった二人だけだったけど、僅か三分のうちに数十体のコウモリを捌くことができたようだ。

 僕よりもアヤメさんの健闘の方が遥かに目立っていたけれど。

 何というかアヤメさんの戦闘は、“とにかく素早い”の一言だった。

 僕も勇者パーティーにいてそれなりに戦闘能力が鍛えられたと自負していたけれど、おそらく彼女の方が基礎能力は上のはず。

 このうえ経験を積み重ねれば、僕なんかが及びもつかないほどの戦士に化けるのではないだろうか?

 と、少し自信を無くしながらも、再びアヤメさんと共に坑道の奥へ進んでいく。

 その最中、僕はアヤメさんの傷を治しながら、先ほどの戦闘を思い出して彼女に言った。


「やっぱりすごく強いね、アヤメさん」


「えっ?」


「こう言うのもなんだけど、果物農家さんなのがちょっと勿体ないくらいだよ。冒険者とかになれば、すごく活躍できると思うんだけど」


 心の底からの称賛を送る。

 お世辞なしにアヤメさんの天職は強力だと思った。

 たぶん冒険者とかになれば、多大な活躍によって広く名前を轟かせることになるだろう。

 そう思ってちょっとした提案をしてみると、アヤメさんはぶんぶんと音が鳴るくらい激しくかぶりを振った。


「む、無理ですよ。私なんかが冒険者なんて」


「どうして?」


「だって、自分でも上手く力を使えていないのに、協力行動が前提の冒険者なんてとても務まるはずがありません。そもそも、こうしてノンさんに傷を治してもらっているから今は戦えているだけで、この天職はあまりにも危険過ぎます。あの場所でひっそりと果樹園の手伝いをしてる方が、私には合ってるんですよ」


 謙遜ではなく紛うことなき事実としてアヤメさんは語る。

 次いで彼女はその根拠を話し始めた。


「十二歳の頃に一度、それなりの大怪我をしてしまって、その時に町の中で暴れてしまったらしいんですよ」


「らしい?」


「理性を無くしていたので、私はそれをまったく覚えていなくて。たまたま居合わせた冒険者さんたちが、なんとか止めてくれたそうなんですけど、そのせいでその人たちを傷つけてしまいました。天職の暴走ということで咎められることはなかったんですが、それ以来私はこの天職の力を封印しているんです」


 当時のことを思い出しているのだろうか、アヤメさんは申し訳なさそうに目を伏せる。

 そして自分の左手首をさすりながら、自嘲的に続けた。


「今回はまあ、ちょっと例外ですけど、私は『狂戦士』の力をもう使いたくないんです。誰にも迷惑は掛けたくありませんので、冒険者にはなれません」


「……」

 

 そう言われてしまえば、僕もこれ以上勧めることはできなかった。

 まあ確かに『狂戦士』は危険な天職だからね。

 強力ゆえに相応のリスクを伴っている。

 だからその力を生かすよりも潜めておく方がいいとアヤメさんは判断したようだ。

 ……あっ、じゃあそれなら。


「……もし僕も冒険者になってて、アヤメさんと一緒にパーティーを組んでいたら、もしかしたらすごく良いパーティーになってたんじゃないかな?」


「えっ?」


「いやだってさ、『狂戦士』は大きなリスクがある反面、上手くサポートできれば強大な力を発揮できる天職でしょ。それで、もしそのサポートができる天職があるとしたら、きっとそれは僕の『応急師』以外に絶対にないと思うからさ」


 負傷によって力を解放する『狂戦士』。

 仲間の傷を高速で治癒する『応急師』。

 傷つきながら戦う狂戦士を、応急師が高速治癒によって補助する。

 もし傷が深まった場合は即座に治療して暴走を防ぎ、『狂人化』の能力を最適なラインで留める。

 これが普通の治癒師なら回復が間に合わずに、上手くサポートすることができないだろう。

『狂戦士』と『応急師』。互いの良いところを遺憾無く発揮できる組み合わせではないだろうか。

 何より……


「さっきの戦いでも感じたけど、やっぱり僕たちすごく“相性が良い”って思ったよ」


「……」


 正直なことを伝えると、アヤメさんはポカンと口を開けて、表情を固めてしまった。

 やがて彼女は僕から顔を逸らし、岩壁の方を向いてしまう。

 気に障るようなことを言ってしまっただろうか?

 なんて危惧していると……

 

「……うぅ」


 と、なんとも形容しがたいアヤメさんの声が聞こえたような気がした。

 壁の方を向いているので、表情は窺い知れない。

 そのまま彼女はしばらく岩壁の方を向いたまま、僕と顔を合わせてくれなかった。

 恥ずかしがっている、のだろうか?

 ……でもまあ、傷を負うことが前提の力なんて、やっぱり使わないに越したことはないよね。

 何よりアヤメさんは女の子なのだから、そもそも体に傷なんて作りたくないだろうし。

 やはり『狂戦士』の力は、今回の件を最後に封印した方がいいのかもしれないな。

 なんて他愛のない話をしながら、僕たちは岩山の頂上を目指して坑道を進んでいった。

 

 するとやがて、月明かりと共に坑道の出口が見えてきた。

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