第84話 「呪われた天職」
『診察』のスキルというのが、他人の身体情報を覗くものだとアヤメは知っている。
ハテハテ村に来た初め、ノンがヒナタの心身状態を確認するためにそのスキルを使っていたから。
ゆえに偽証は不可能であり、天職を含めた身体情報をすでに見られているとアヤメは悟った。
そもそも誤魔化すつもりなんて彼女にはない。
ここまでしてしまった以上、正直に話して謝罪をするのが道理と言うものだ。
その上でアヤメは、ふと疑問に思ったことを、恐る恐る確認しておくことにした。
「『狂戦士』を……私の天職のことを、ご存知なんですか?」
ノンは先ほどこう言った。
『診察』のスキルで『狂戦士』の天職を確認した後、『もしかしたらと思って回復魔法を掛けた』と。
その対応は概ね正しい。
むしろこの上なく適切な判断だ。
言うなれば、あの状況で取り得たであろう最善の選択。
それができたのは一重に、『狂戦士』の天職が如何なるものかを知っているからではないだろうかとアヤメは考えた。
もしそうなら、絶対に気味悪がられただろうし、何より嫌われてしまったかもしれない。
その確認のために問いかけてみると、アヤメにとっては望ましくない答えが返ってきた。
「うん、まあ、一応知ってるよ。僕もそこまで詳しいわけじゃないけど、『自分の体が傷つけば傷つくほど戦闘能力が上昇する』天職なんだよね。でもその代わりに、傷つき過ぎると“自我を失う”って……」
正しくその通りだった。
アヤメが女神様から授かった天職は『狂戦士』。
それは傷つけば傷つくほど戦闘能力が著しく上昇し、同時に自我を失っていく狂った天職。
転んで擦り傷ができただけでも、目が充血して頭がカアッと熱くなる。
手首を切ろうものなら、完全に我を忘れて、怒りの発散のみに没頭する狂人へと変貌してしまう。
そのことをノンは、少なからずだが知っていたようだ。
「だから試しに回復魔法を使ってみたんだ。傷つき過ぎて自我を失うなら、傷が治れば自我を取り戻してくれるんじゃないかなって思って。ちょっと安直だったかもしれないけど」
照れるように苦笑するノンだったが、彼の言っていることはまたも正しかった。
傷を負えば狂暴化するのに対し、逆に傷が癒えれば暴走は収まる。
それが『狂戦士』の持つ『狂人化』のスキルの全貌だ。
だからアヤメは、転んだなどで深めの怪我を負った際は、気持ちが落ち着くまで怪我の回復を待つように、日常的に心得ている。
大怪我をしている状態――つまりは狂暴化している時に、万が一誰かに会いでもしたら、その怒りをぶつけてしまう危険があるからだ。
事実、魔物の大群との戦闘で負傷した彼女は、自我を失ってノンを襲ってしまった。
今もなおノンの左肩に刺さっているナイフが、その事実を色濃く証明していた。
だからアヤメは唇を噛み締めて、ノンに謝ろうと口を開きかける。
だが……
「気が付かなくてごめん。治療院に来てくれた時に、ちゃんと『診察』していれば、もう少し気遣ってあげられたかもしれないのに……」
先にノンに謝られてしまった。
アヤメは罪悪感に押し潰されそうになり、ズキッと胸を痛める。
確かにノンの言う通り、アヤメはすでに何度もノンプラン治療院で治療を受けている。
ゆえにアヤメに対して『診察』のスキルを使い、身体情報を診る機会はいくらでもあったはずだ。
それで『狂戦士』のことを事前に知っておけば、確かに気遣いの言葉の一つくらいは掛けられただろう。
でもノンはそうしなかった。
理由は大方想像がつく。
きっと彼は、特別な理由がない限りは、極力他人に『診察』の能力を使わないようにしているのだ。
人の身体情報というのは、気軽に見ていいものではないから。
毒や呪いの治療を依頼してきたのならまだしも、ただの擦り傷の治療に来ただけのアヤメに、診察の能力を使わなかったのは、ある種当然のことと言えよう。
そもそも、見ていたからといって何ができたわけでもあるまい。
それほどまでに、アヤメの力は狂暴で凶悪だ。
そしてそんな危険な天職を有していることを、アヤメはずっと隠していた。
そのことこそ謝罪するべきだとアヤメは思った。
「隠していて、ごめんなさい。私のせいで、ノンさんが……」
改めてノンに与えてしまった傷を見て、アヤメは思わず声を震わせる。
常人ならば泣き叫んでいるであろう深傷。
それを受けながらなお、自分の体よりもアヤメのことを優先して、彼は回復魔法を使ってくれた。
その事実がこの上なく罪悪感を募らせ、同時に取り返しのつかない事態に焦りが生まれる。
けれどノンはまたしても、調子外れに明るい声を上げて、笑みを滲ませた。
「これくらいどうってことないよ」
そして彼は躊躇いなく肩からナイフを引き抜く。
一瞬だけ血が溢れたかと思うと、すぐにノンは右手をかざして一言唱えた。
「ヒール」
瞬間、真っ白な光が手に灯り、あっという間に傷を塞いでしまった。
これがノンの『応急師』の力。
素早く怪我を癒すことができる、『狂戦士』とは違う人の為になる能力。
「ほらねっ。僕なら心配はいらないよ。怪我なら慣れっこだし。それよりも、どうしてアヤメさんは一人でここに来たの?」
今度は逆に質問されて、アヤメは返答に迷った。
ハテハテ村でノンと落ち合うはずだったのに、その約束を無視して勝手に岩山に入った。
それを申し訳なく思っているのもそうだが、何より一人で山に来た理由が、なんとも情けないものだからだ。
人に話すのも烏滸がましい。
でも、隠すわけにはいかない。
迷惑を掛けてしまった以上、アヤメは偽ることをしないと心に誓った。
「……私だけ、何もできていなかったから」
「何も?」
「ノンさんは、ヒナタちゃんの記憶を戻すために、色々と方法を考えてくれて、プランさんは、落ち込んでいる私をたくさん慰めてくれました。でも、私だけ、何もしていません。ノンさんとプランさんに頼りっきりで、ヒナタちゃんのためにしてあげられたことは、何もないんです……」
家族以外の人に、こうも長々と話したのは、とても久しぶりのように感じる。
それはやはり、普段から物静かで人見知りなアヤメにとって、ヒナタだけが唯一の話し相手だったからに他ならない。
まるで懺悔のようにこぼされたその声に、ノンは労わるような声音で返した。
「それで責任を感じて、一人で岩山の調査に?」
「……はい」
何もできていなかったからこそ、今度こそ役に立とうとアヤメは思った。
少なくても、ノンがハテハテ村に戻ってくる前に、岩山の頂上に『モグの住処』があるかどうかくらいは確かめておこうと思ったのだ。
しかし……
「でも、やっぱり私には何もできませんでした。一人で岩山を登ることも、自分の力を制御することもできずに、ただ悪戯に、ノンさんを傷つけてしまいました」
自分の弱さにこれ以上ない悔しさを感じる。
そしてアヤメは唇を噛み締めて、今にも泣き出してしまいそうな声で弱音を吐いた。
「それに、こんな危ない力を持っている私に、友達を作る資格なんてないんです。ヒナタちゃんの記憶は、もうこのままずっと、戻らない方がいいんですよ」
気分が沈むあまり、ずっと思っていたことを口からこぼしてしまった。
ともすれば、ヒナタの記憶がなくなる前から考えていたこと。
彼女と友達をやめるべきではないかと。
自分がどれだけ危険な存在なのか、自分が一番よくわかっている。
そしてヒナタはそれを知らない。
いや、アヤメがそれを隠しているだけなのだ。
言えばきっと嫌われてしまうから。避けられてしまうから。
だけど今回の件を機に、改めてアヤメはヒナタと友達をやめるべきだと思った。
ノンに怪我をさせてしまったのを見て痛感した。天職の力の制御がまったくできていない。
こんなことでは、いつこの力がヒナタに牙を剥くかわかったものではないから。
何よりそれを隠し続けていること自体、友達失格の証に他ならない。
そこに重なるように訪れた、記憶喪失の事件。
きっとこれは、ヒナタの身を案じた神様が、アヤメと関係を断つために起こした事件に違いないのだ。
だからもう、この依頼はここでおしまい。
アヤメはそう決意して、じわりと瞼を湿らせた。
そんな彼女にノンは、真っ直ぐな視線を向けて、静かに問いかける。
「アヤメさんはどうしたいの?」
「えっ?」
「ヒナタちゃんのためを思うなら、記憶はこのままの方がいいのかもしれない。でも、アヤメさん自身はどうしたいって思ってるの?」
「わたし、自身……」
アヤメは目を泳がせて困惑した。
自分はどうしたいと思っているのか。
ヒナタのことばかりを考えるあまり、自分自身がどうしたいのか、具体的に言葉にすることができなかった。
自分はいったい、どうしたいのだろう?
「僕はヒナタちゃんのことをよく知ってるわけじゃないけど、アヤメさんのことならもう知ってる。僕の知ってるアヤメさんは、臆病で人見知りで……でもだからこそ、人の痛みがわかるような優しい女の子だ」
普段ならば、こんなことを言われれば照れて顔を伏せてしまうアヤメだったが。
今ばかりは罪悪感の方が遥かに上回っていて、彼女は思わず歯を食いしばった。
そんなことを言ってもらう資格なんてない。
自分はただの、ずるい女の子だ。
しかしノンは、そうは思っていなかった。
「そんな優しいアヤメさんが、親友だって思ってるヒナタちゃんは、きっと天職だけで相手を嫌うような女の子じゃないよ。それくらいなら僕にだってわかる。なら後は、アヤメさんがどうしたいのか、それだけじゃないかな?」
「……」
アヤメは呆然とノンの笑顔を見据えた。
ヒナタが優しい女の子だということは、アヤメもとうに知っている。
そしてそんなヒナタが、おそらくアヤメの天職を知ってもなお、嫌ってくるような少女ではないということも、薄々はわかっている。
なら後は、自分がどうしたいか。
危険な天職を持っているからとか、記憶喪失がどうかとか、そんなのは一切関係ない。
アヤメは、自分の胸に秘めていた正直な気持ちを、涙まじりに告白した。
「ヒナタちゃんと、また友達になりたい。昔みたいにまた、一緒に遊びたいです。私の天職のことも話して、今度こそ、ちゃんとした友達に……」
「……うん」
その答えがわかっていたかのように、ノンは頷いた。
アヤメの気持ちはただ一つ。またヒナタと友達になること。
今度はちゃんと天職のことも話して、その上で改めて友達になりたい。
そのためには昔の記憶も取り戻して、きちんと天職を隠していたことを謝らなければならない。
そうじゃないと、本当の友達になったとは言えないから。
アヤメは諦めかけていた気持ちを捨て去り、思いを新たにした。
何より、記憶を失くしているのはヒナタだけではない。
たくさん自分のことを慰めてくれたプランも、記憶喪失の被害に遭っているのだ。
それは他ならない、アヤメの依頼を聞いてハテハテ村まで来てくれたからである。
それなのに事件の解決を諦めるだなんて、あまりにも無責任ではないか。
アヤメは改めて気持ちを一新し、記憶喪失の事件を解決する決意を固めた。
そしてその気持ちは、ノンも同様に抱いていた。
「それじゃあ、一緒に行こうアヤメさん」
「えっ?」
「この岩山の頂上に、『モグの住処』があるんでしょ? それなら二人で一緒に、岩山の頂上を目指そうよ。僕がまたアヤメさんの怪我を治せば、暴走だって止められるし、二人ならきっと岩山の頂上まで辿り着けるはずだよ」
その提案を聞き、アヤメは思わず目を丸くした。
あれほどの目に遭ったばかりで、どうしてそのような提案ができるのだろうか?
また危険な目に遭わせてしまうかもしれない。
そもそもノンの実力ならば、おそらく一人で坑道を突破することだって充分可能なはずだ。
わざわざ危険な『狂戦士』を連れていく意味なんて……
「……あっ」
アヤメはそう疑問に思ったが、すぐにハッとなって悟る。
この人は自分に、チャンスを与えてくれているのだ。
ヒナタのために何かをしたいと思うアヤメを、この上なく気遣ってくれている。
確かにノンの高速治癒があれば、『狂戦士』の暴走は止められると思う。
何より怪我の具合を調整し、自我を失わないギリギリのラインで『狂人化』を留めることも可能なはずだ。
無詠唱で回復魔法を使える『応急師』と一緒だからこそできる“連携”。
もし許してくれるのならば、それで魔物と戦わせてほしい。
ヒナタのために何もすることができていない自分に、挽回の機会を与えてほしい。
しかしそれは同時に、ノンを危険に晒すという行為にも繋がってしまう。
もしまた、『狂人化』の影響で我を忘れてしまったら……
「……またノンさんに、怪我をさせてしまうかもしれません」
そう危惧するあまり、思わずまた口からこぼれてしまった。
だって、そんなのは絶対に嫌だから。
もうこの人を傷つけることはしたくない。
気がついたらナイフで刺していたなんて、恐ろしい光景を目にしたくない。
それ以前に、もう彼に微塵も怪我をしてほしくないと思っているのだ。
これ以上、自分のワガママに付き合わせるわけには……
「うぅ〜ん、そうだなぁ……。あっ、じゃあこれでどうかな?」
「……?」
思い悩むアヤメに、ノンは再び提案する。
ごほんとわざとらしく咳払いをして、いつも治療院で見せてくれたあの笑顔をこちらに向けて……
すっかり耳慣れた台詞を、優しく掛けてくれた。
「お会計、500ガルズになります」
「……」
「アヤメさんの傷は僕が治す。それでアヤメさんは暴走することなく魔物と戦える。それならいつもの治療の依頼と、何も変わりはないでしょ?」
だから遠慮せずに頼ってよ。
ノンはそう言ってくれた。
ヒナタのために戦いたいと願う反面、ノンを傷つけたくないとも思うアヤメ。
そんな彼女のために提示された一つの妙案。
端から聞いていれば、なんとも不思議で理不尽な提案のように思えるだろう。
恐ろしいほどの低価格なれど、この状況で金銭を要求してくるなんて正気の沙汰ではない。
けれどアヤメはそうは思わない。
なぜなら彼女は、ノンプラン治療院に入るために、わざわざ自分の腕を切って“理由”を作るような、なんとも稀有な少女だからである。
だからノンは、これはあくまで治療の依頼だと言い張った。そうやって“理由”を作ってくれたのだ。
治療の依頼なのだから、たとえどんな状況であれ怪我人の治療をするのが治癒師の務め。それならアヤメだって、遠慮せずにノンを頼ることができるだろう。
そうとわかったアヤメは、ノンの温かな優しさに触れ、またじわりと涙を滲ませた。
そしてこくりと、鈍い頷きを返す。
「……宜しく、お願いします」
「はい、どうもありがとうございます」
治療以外の依頼はご遠慮ください。
アヤメはどこかで聞いたような台詞を思い出す。
それは治療以外の厄介な依頼を断るための“謳い文句”だと思っていたけれど。
もしかしたら本当は、困っている人を助けるための“建前”なのではないかと、アヤメは密かにそう感じた。
こうしてアヤメとノンは、協力して岩山の頂上を目指すことになった。
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