第82話 「赤目の人影」
ハテハテ村で話を聞いた僕は、慌てて岩山へと向かった。
理由はもちろん、嫌な予感を抱いたからである。
本当ならばハテハテ村に着いた時、そこで待っているはずのアヤメさんと合流する予定だった。
しかし彼女は、なぜか姿を消していた。
ヒナタちゃんのお母さんの話によると、言い伝えの続きを教えてあげた後に別れて、それっきり見ていないという。
そして言い伝えの続きとして、『モグの住処』も教えてあげたらしい。
だから僕は嫌な予感を抱いた。
もしかしたらアヤメさんは、自分の手で事件を解決させるために、モグの住処に向かったのではないかと。
僕の考えすぎだろうか? あんなに臆病な子が一人で危ない真似をするだろうか?
考えにくいことではある。でも、絶対にあり得ないことではない。
あの子は人見知りで臆病な子ではあるけど、それとは裏腹になかなかに大胆な行動に出る少女でもある。
いまだに信じがたいが、ノンプラン治療院に入るために、わざと自分の腕を切って理由を作ったりしていた。
そんな風に僕にとって想定外の行動に出る可能性は充分に考えられる。
「……あんまり当たってほしくないけど」
だから僕はすでに疲れ切っている脚を酷使して、岩山もといモグの住処へと急いでいた。
やがて十五分ほどで岩山の近くへと辿り着き、僕は改めて山を仰ぎ見る。
山というよりほぼ岩壁だ。切り立った崖だとも言える。
急な角度の斜面とデコボコとした岩の足場のせいで、とても登れそうな山ではない。
登山用の特別な道具があればもしかしたら、と思わなくもないが、そっち方面の知識は皆無なので僕では無理だろうな。
超人的な器用さを誇るプランならあるいは……
いや、今のあいつは記憶を失って、ただの臆病な少女になってしまっている。
たとえここに呼んだところで、僕と同じく岩山を仰ぎ見ることしか叶わないだろう。
無い物ねだりもいいところだ。
まあ、何はともあれ……
「えっと、確か……」
僕は首を巡らして、辺りを見回してみた。
すると岩壁の一部に、洞窟のような洞穴を見つけた。
人工的に掘り進められたような洞窟で、おそらくこれがヒナタちゃんのお母さんが言っていた“坑道”だろう。
この中を通っていけば岩山の頂上まで行けるらしい。
僕は意を決してその洞窟の中に入っていった。
頂上を目指すためではなく、アヤメさんを探すために。
「……よかった。ちゃんと見える」
坑道に入った僕は、まず第一に心配していたことについて確認した。
坑道内部には古びたランプがいくつか架けられているが、今は使われていないため当然光は灯っていない。
しかしそれでも洞窟の中は、不明瞭ながらも充分見通すことができた。
岩壁がほのかに青白く光っているおかげである。
壁の中にある鉱石が発光しているのだろうか?
そういえばこの山の中に住み着いている魔物は、鉱物の光に誘われて集まってきたとヒナタちゃんのお母さんは言っていた。
この光がそうなのか。
なかなかに不思議な鉱物が埋まっているみたいだ。
そのせいで魔物が集まってきてしまったのは嘆かわしいことだが、僕からすればそのおかげでなんとか手ぶらでも坑道の探索ができそうで僥倖である。
「よしっ!」
坑道内部の状況を確認した僕は、急いでアヤメさんを探すために走り出した。
ぐねぐねと蛇のように曲がっている道を駆け抜けていく。
おまけに道幅は膨らんだり萎んだりしていて、なかなかに忙しい洞窟だ。
なんて思っていると、やがて道の先に何やら落ちているのが見えてきた。
遠目からだと、黒い影のようなものに見える。
近づいていくと、それが影ではなく生き物の“亡骸”であることがわかった。
「これは……コウモリ?」
僕は足元にある亡骸を見下ろして眉を寄せた。
これは"コウモリ“の死骸?
いや、普通のコウモリではなさそうだ。
人間の大人と変わらないくらいの大きさで、翼が刃のように鋭く尖っている。
規格外のこの姿は、間違いなくただのコウモリではなく“魔物”だ。
コウモリ型の魔物。
僕の記憶が正しければ、勇者パーティー時代にも見たことがある『ゲッコウモリ』だと思われる。
縄張り意識の強い魔物で、自分たちのテリトリーに他種族が入って来た場合は即座に襲いかかってくる習性がある。
そしてゲッコウモリたちの出す毒には、血の凝固を阻害する効果があり、一度傷つけられたらなかなか血が止まらない。
魔大陸を冒険している時、かなり手こずった覚えのある魔物だ。
とは言っても、こいつらが活動できるのは夜の間だけで、月明かりを浴びなければ見る間に衰弱してしまう。
おまけに天候に恵まれない日が続いた場合は、月光を取り込むことができずに信じられないほど弱体化するという弱点がある。
そのため洞窟内部に誘き寄せて戦えば比較的簡単に倒すことが可能だった。
という攻略方法を思い出していると、僕はふとあることを思った。
「あっ、そっか。この洞窟の光って……」
この坑道の岩壁には特殊な鉱石が埋まっていて、ほのかに青白く光っている。
そしてその光に誘われて、とある魔物がこの坑道に集まって来たらしい。
おそらくそれがゲッコウモリのことだろう。
となるともしかしたら、この鉱石の光は“月光”に近い何らかの性質を宿しているのかもしれないぞ。
もしそうならゲッコウモリがこの坑道に集まって来たのも納得できる。
ここなら絶対に衰弱する心配はないからな。
そしてここを縄張りにして、近づいてくる者たちを容赦無く襲っているというわけだ。
となると自然、一つの疑問が湧いてくる。
衰弱することがないのだとしたら、どうしてここにいるゲッコウモリは倒れているのだろう?
それに一匹だけではない。
洞窟の先には同じようにゲッコウモリたちの死骸が道しるべのように続いている。
弱っていない状態のこいつらはかなり手強くて、勇者パーティーの面々も戦うのに一苦労していたのに。
いったい誰がゲッコウモリたちを倒したというのだろうか?
野生の熊や猪? 他の種族の魔物? いや、その可能性は低い。
何よりこのゲッコウモリたちの死骸は、まだほのかに温かい。
ついさっき、誰かがこいつらを倒したということだ。
「誰が、これを……」
僕は眉を寄せて洞窟の奥を見据える。
そして腰に携えていた『ネビロナイフ』を抜き、それを構えながら慎重に足を進めた。
僕はこの時すでに、嫌な予感を限界まで募らせていた。
この予想だけは当たっていてほしくない。僕のただの杞憂であってほしいと。
それでも事実は残酷に、悪い方向へと傾いてしまう。
やがて洞窟の奥から、ゲッコウモリたちの鳴き声が聞こえてきた。
「キィィ――ッ!」
「キィキィ!」
同時に騒がしい羽音と、人のものと思われる足音も耳に届いてきた。
僕はじっと目を凝らす。
するとそこには、小さなナイフを携えて、ゲッコウモリの群れと戦っている一人の“人物”がいた。
その人は天井からやってくるコウモリたちを、斬りつけ、あるいは殴りつけ、次々と葬っていく。
たとえ奴らに噛み付かれ、あるいは鋭い翼で斬られようとも、自分の怪我などお構いなしに反撃を加えていく。
いやむしろ、傷を追う度に動きが加速しているようにも見えた。
「う……そ……」
僕は驚愕のあまり、言葉を失って立ち尽くしていた。
その者の戦闘風景があまりにも狂気に満ちている……からというわけではない。
もちろんそれも凄まじく驚きを与えてきたが、僕が心から動転している理由はそれではない。
悪い予想の通り、その者の姿に、見覚えがあったからだ。
「……アヤメ、さん?」
十七、八と思しき細身の少女。
橙色の三つ編みを両肩に二本垂らし、前髪を長く伸ばして目元を隠している。
布服の上に青色のロングエプロンを付けていて、今はそれらに生々しく血玉が滲んでいた。
そのせいもあってか、より血の気の薄い姿が僕の目に映った。
「ア……アアッ!」
アヤメさんと思われるその人物は、周りにいるゲッコウモリたちを一掃すると、今度は僕の方に目を向けてきた。
充血したような真っ赤な視線でこちらを射抜き、僕の存在を認めるや、ギロッと鋭く目を細める。
右手に握られたナイフの先端から、ポタリと生々しく鮮血が滴った。
(あっ、これやばい――)
以前、自傷行為をしているアヤメさんを見た時と、僕はまったく同じ感覚を覚えた。
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