第80話 「伝承の続き」
ノンとプランがハテハテ村を出てから三時間。
ノンが危惧した通り、臆病で人見知りな少女は、誰にも話しかけられずに村の中を放浪していた。
アヤメのことである。
彼女はハテハテ村に残って『記憶喪失事件』の情報を少しでも集めるとノンに宣言した。
記憶喪失はどうやら村に伝わっているおとぎ話が関係している可能性があるので、村での聞き込み調査が最も効果的と判断したためである。
しかし言わずもがな、アヤメは超が付くほど消極的だ。
見ず知らずの村人に話しかけるなんてハードルが高すぎるし、逆に話しかけてもらったとしても緊張のあまりその場から逃げ出してしまうことだろう。
『こんにちは』と挨拶されても、ペコリとぎこちない会釈を返すのが関の山で、情報収集なんて以ての他である。
というわけでかれこれ三時間も誰にも話しかけることができずに、ビクビクと村を徘徊していると、突然どこからか名前を呼ばれた。
「あっ、アヤメちゃん!」
「えっ?」
不意なことに、アヤメはビクッと肩を揺らす。
コミュニケーション能力が不足している人間は、誰かから名前を呼ばれるという機会があまりにも少ないため、普通のトーンで名前を呼ばれたとしても多少の驚きが生じてしまう。
にもかかわらずそこそこの声量で、後ろから声を掛けられたのだから、アヤメの動揺は当然のものだったと言えよう。
しかし幸いにも声の主は、アヤメの動揺を不自然には思わなかったようだ。
「まだ村にいてくれたのね。よかったわ」
「……ヒ、ヒナタちゃんの、お母さん」
声を掛けてきたのは親友の母だった。
昨日の夕方頃、この村に伝わっているおとぎ話を聞かせてくれたのは彼女で、それぶりの再会である。
まったく見知らぬ人に声を掛けられたのではないとわかり、アヤメは心底胸を撫で下ろした。
同時に、人知れず首を傾げる。
なぜなら、向こうもなんだかほっとしているような様子だったからだ。
「ちょっとアヤメちゃんたちに話したいことがあったのよ。まだ帰ってなくて本当によかったわ」
「は、話したいこと、ですか?」
「うんそう。昨日の話の続き、っていうか続報なんだけどね……ところで、友達の二人はどうしたの?」
ヒナタの母は遅まきながら、アヤメが一人でいることに疑問符を浮かべた。
「こ、ここに残っているのは、私だけです。二人は、いったん元の村に帰ってしまいました」
「あらっ、そうなの。あっ、でも、また後で戻ってきてくれるのね?」
「は、はい……。おそらく」
としかアヤメには言えなかった。
ノンは一度ハテハテ村に寄ってくれると言っていたけれど、本当に来てくれるかどうかは定かではない。
嘘を吐くような人ではないと見受けたけれど、向こうにだって色々と事情はある。
もしかしたら治療院が忙しくて来てくれないかも……なんて風に、アヤメは悪い癖で、ネガティブな思考を巡らせた。
当然、ヒナタの母はそんなのことを知る由もなく、話を続ける。
「それなら、友達にも一応伝えておいてもらえないかしら?」
「……な、何をでしょう?」
「アヤメちゃんたちが帰った後でね、私も色々と『モグ』の言い伝えについて聞いて回ってみたのよ。そしたらやっぱり、村のおじいちゃんおばあちゃんたちは結構色んなことを知ってたわ。モグが出た時の『対処法』みたいなものとかね」
ヒナタは現在、家にいるのだろうか。
ヒナタの母は、自分の娘に視線を向けるように、家のある方を見ながらさらに続けた。
「もしかしたらそれが、何か記憶を取り戻すきっかけになるんじゃないかなって思って、それをアヤメちゃんたちにも教えてあげたくてさ。色々とヒナタのために、動いてくれてるし」
「何か、記憶を取り戻す方法がわかったんですか?」
「うぅ〜ん、ちょっと曖昧なんだけどね、なんか物忘れしちゃった人たちには、“酸っぱい物”を食べさせてあげるといいって言ってたよ」
「す、酸っぱい物?」
対処法というからには、かなり大掛かりなことをするのかと思いきや。
なんとも民間療法的な処置だとアヤメは思った。
「そ、そんなので本当に、記憶喪失が直るんですか?」
「あっ、いや、ダメだったよ」
「ダメだった?」
「昨日その話を聞いた後、試しに晩ご飯で酸っぱい物をたくさん出してみたんだけど、ヒナタの物忘れは全然直らなかったよ。まあこれはただの言い伝えだから、どこかから降って湧いたデマカセかもしれないわね」
「そ、そうですか……」
アヤメは密かに肩を落とす。
それで直ってくれたら簡単でよかったのだが、そう上手くはいかないらしい。
「他にもね、酸っぱい物じゃなくて、辛い物を食べさせたら直るっていう噂も聞いたから、今度は試しに朝ご飯に辛い物をいっぱい出してみたんだけど……」
「……けど?」
「やっぱりそれもダメだった。で、酸っぱい物とか辛い物ばっかり出したせいで、『なんかお母さん変っ!』ってヒナタに言われちゃったよ」
「……」
“あはは”と苦笑する母を見て、アヤメは例えようのないもやもやを感じた。
このハテハテ村の人たちは、記憶喪失の事件をどこか軽いものとして見ている節がある。
昔からの言い伝えだからさ、なんて風に不自然な物忘れを軽視していて、誰も記憶を元に戻そうとは思っていないみたいなのだ。
きっとヒナタの母も、そんな村人の一人だったと思う。
けれど彼女は娘のために色々と頑張ってくれている。
母親なんだから当然、と思われるかもしれないが、ヒナタの記憶喪失はあくまでアヤメとの思い出だけなのだ。
日常生活を送る上で不都合はないほどの物忘れで、早急に対処すべき件ではない。
それでもヒナタの母は、娘のためにあれこれと動いてくれている。
否、娘のためだけではなく、これはアヤメのためにもなっているのだ。
ヒナタはアヤメの親友で、失った記憶は掛け替えのない大切な思い出だから。
だからアヤメは言い知れぬもやもやを感じた。
自分のために、あれこれと動いてもらっていることを、悪いと思ってしまっている。
ヒナタの記憶がなくなっているかもと自分が言い出さなければ、手を煩わせることもなかったのに……。
ともあれ、物忘れに対する対抗策が、それなりに言い伝えられているということがわかった。
まあ、どれも実証がある治療法ではなく、あくまで気休め程度の民間療法にとどまっているようだけど。
もしかしたら中には真の治療法が隠されているかもしれないけれど、それを一つ一つしらみ潰しにしていくのは相当な時間が掛かるはず。
それにすべてデマカセで終わるという可能性も充分あり得る話だ。
「やっぱり、記憶を戻すのは、無理なんでしょうか……?」
「うぅ〜ん、自力では難しいのかもしれないわね。やっぱり自然に直るのを待つしか……」
と同意しかけたヒナタ母は、途端に言葉を途切れさせた。
そして何かを思い出したように、僅かに目を見張る。
「あっ、そういえば……」
「……?」
「『モグの住処』があるって噂も、ちょっと聞いたような……」
「モグの、住処……?」
アヤメは首を傾げる。
モグとはハテハテ村で起きている物忘れの元凶として語られている“怪物”だ。
いわく、人の記憶を食べる怪物だとか。
そんな魔物がいるという話は聞いたことがないので、おそらく物忘れの理由付けとして空想された存在だろうとアヤメは考えていた。
それなのに住処があるとはいったいどういうことなのだろう? モグはあくまで空想上の生物ではないのだろうか?
そう疑問に思っていると、ヒナタの母が北の方を指差した。
「ほら、あそこに大きな"岩山”があるでしょ?」
「は、はい」
「あの岩山わね、昔は鉱山として鉱石の採掘が行われていた場所なのよ。でもね、いつからか山の中に魔物が住み着いちゃって、誰も近寄らなくなっちゃったみたいなの。で、これまたいつからか、あの岩山の頂上が『モグの住処』だって言われるようになったらしいんだって」
「……」
アヤメは少々遠方に見える岩山を見据えた。
あそこの頂上にモグがいる?
本当のことなのだろうか?
ただの言い伝えだからその可能性はほぼ皆無だろうけど、もし事実ならば直談判して記憶を戻すように頼むこともできるのではないか?
という淡い期待を、アヤメは人知れず抱いた。
「たぶん、魔物が住み着いて誰も近寄らないようにしてるから、その雰囲気が言い伝えの舞台に相応しくて採用されたってところじゃないかしら? 実際に山の中には危ない魔物がいて、頂上に行くには洞窟みたいになってる坑道を通る必要があるみたいだから、誰も真相を確かめられないっていうのが良い塩梅になってるのかもね」
そう、これはあくまでおとぎ話の延長。
記憶を食べる怪物『モグ』という存在も、ただの言い伝えでしかなく、それが村の近くの岩山に住み着いているなんて都合の良すぎる話である。
ヒナタの母もそうと思っているからか、半分忘れかけていたみたいだし。
「とりあえず、私が聞いた言い伝えの続きはこれくらいだけど、何か手掛かりになりそうなものがあったかしら?」
「わ、わかりません。一応、ノンさんたちにも、話してみますけど……」
「うん、ありがとうねアヤメちゃん。私もまた村の人たちから色々と話を聞いてみることにするよ」
ヒナタの母はそう言って、自宅の方へと戻っていった。
対してアヤメは、しばらくその場に立ち止まりながら、聞いた話を整理する。
記憶喪失を直すには酸っぱい物を食べさせたらいいらしい、という言い伝えがある。
また辛い物を食べさせたらいいという話もあり、しかしどれもヒナタには効果がなかったようだ。
それなら甘い物ならどうだろう? もしくはもっと別の食べ物とか……
どれにしろそれはヒナタの母が色々とやってくれると思うので、アヤメの出る幕はない。
それよりも気になるのは、『モグの住処』についてだ。
本当にあの岩山の頂上にモグがいるのならば、記憶を元に戻すことは簡単にできる。
モグに直接会って記憶を戻すように説得すればいいのだ。
仮にモグがいないとしても、言い伝えの舞台になっているくらいなので、もしかしたら何かしらの手掛かりがあるかもしれない。
ノンが戻ってきたら今の話を伝えて、一緒に岩山の頂上に確かめに行ってみよう。
魔物が出て危険だと聞くし、頼りになる彼を待っていた方が賢明である。
だから今の自分にできることはもう何もない。待つことしか自分にはできないのだ。
「……」
なんとも他人任せな考えを持ち、アヤメは人知れず眉を寄せた。
そして胸をぎゅっと掴まれる思いを抱く。
(私だけ、何もしていない……)
よくよく思い返してみると、自分だけ何もしていない気がする。
ノンを待つ間、情報収集すると自分から言い出したにもかかわらず、結局ヒナタの母に話しかけられるまで何もすることができなかった。
その前も、記憶喪失の原因を探る時も、ノンにすべてを任せてしまった。
プランは落ち込んでいる自分を終始励ましてくれていたし、ヒナタの母は娘のために色々と動いてくれている。自分よりも情報収集をしているのも本当にすごいと思う。
じゃあ自分は? 親友のために何をしてあげた? 自分から言い出したことなのに自分にはいったい何ができた?
何もしていないのだ。全部全部、他人に任せてしまっている。
そしてまた、ノンに頼ろうとしてしまっている。危ないからと、自分にはできないからと。
本当にそれでいいのだろうか? それで親友の記憶を取り戻せたとして、自分は心から満足できるだろうか?
笑顔で親友と再会することが、果たしてできるだろうか?
「わた……しは……」
アヤメは遠方に見える岩山を見据え、止まっていた足を動かした。
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