第77話 「記憶はどこに」

 

 誰ですか?

 それは、アヤメさんがヒナタちゃんに言われた台詞とまったく同じものだった。

 まさか、そんなことがあるわけ…… 


「い、いや、誰って、僕はノンだよ。お、覚えて、ないのか?」


 動揺しているあまり、自分でも声が震えているのがわかった。

 認めたくはないけれど、嫌な予感が正しいものだとプランの返答が証明する。


「ノ……ン? ノン? え、えっと、その…………わかりません」


「……」


 間違いない。

 記憶が……なくなってしまっている。

 僕のことを……完全に忘れてしまっている。

 ヒナタちゃんがアヤメさんの記憶を失ってしまったのと同じように。

 もっと言うなら、臆病で人見知りだったらしい、昔のプランに戻ってしまっている。

 つまりそれは、僕のことはおろか、盗賊団に入ってからの出来事を、ごっそり失ってしまっているのだ。


「な、なんで……急に……そんな……」


 あまりに突然のことで頭の整理が追いつかない。

 なんでプランは突然、記憶を失ってしまったのだ?

 いや、そんなの決まっている。

 このハテハテ村で蔓延している記憶喪失の事件に巻き込まれてしまったのだ。

 昨日のヒナタちゃんのお母さんの台詞を借りるなら、『モグが出た』のだ。

 でも、なんでプランなんだ? この村の住人でもなければ、一度宿を借りて休んだだけだというのに。


「……条件?」


 そう、きっと条件があるんだ。

 この村で記憶を失う条件。

 それを満たしてしまったから、プランは記憶を失ってしまったのだと考えるのが自然である。

 じゃあ、プランは昨日何をした?

 このハテハテ村に来て、村人と話して、宿に泊まって寝た。

 これといって特筆するようなことは何もしていないはず。

 そもそもずっと僕と一緒に行動していて、眠った部屋も同じなのだから、プランが条件を満たしているとしたら僕だって記憶を失って然るべきだ。

 しかし僕は今日までのことをちゃんと覚えている。特に不自然なことはない。

 なら、記憶を失う人間は無作為に選ばれるのか?

 偶発的な病気のように、たまたまプランが記憶を失ってしまっただけなのか?


「あ、あの……?」


「えっ?」


 深い思考に陥っていたため、目の前のプランが余計警戒してしまっていることに気が付かなかった。

 そんな彼女を落ち着かせた方がいいとわかっていたものの、僕はまず先に別のことを確かめに行った。

 

「お、驚かせてごめん。で、突然で悪いんだけど、ちょっとこの部屋で待っててくれないか」


「……?」


 言うや、僕は早々に宿部屋を飛び出した。

 そして別の部屋へ急ぐ。

 プランとアヤメさんのために借りた、二人用の部屋へ。

 プランの記憶が消えて、僕の記憶は無事。

 けれど、一緒にこの宿に泊まったもう一人の人物――アヤメさんの記憶まで無事だとは限らない。

 彼女も僕たちとほとんど同じ行動をとっていたのだから。


「アヤメさん! 起きてますか!? アヤメさん!」


 ドンドンッ! と扉を叩く。

 すると部屋の中からギッギッと床を踏む音が聞こえてきた。

 幸いなことに、アヤメさんは起きていたみたいだ。


「お、おはようございます。なんでしょうか?」


 突然押し掛けられたせいか、恐る恐るといった様子で出てきてくれる。

 まだ起きて間もないのか、ダボッとした地味な黒パジャマを着ていた。


「朝早くからごめんアヤメさん。それで、急に悪いんだけど……?」


「えっ? お、覚えてるかなって、それってどういう……?」


 いきなりの問いかけに、アヤメさんは戸惑ってしまった。

 無理もない。けれど今は時間が惜しい。

 僕は詰め寄るようにアヤメさんに顔を近づけ、間近で目を見つめて問い直した。


「僕の名前は?」


「えっ? ノ、ノノ、ノンさん、ですよね? わ、私の依頼を引き受けてくれた、治癒師のノンさん……と、というか、顔が近いです……」


 顔を真っ赤にしながらも答えてくれたアヤメさん。

 その返答を聞き、僕は思わず心の底から安堵した。

 アヤメさんは僕のことを覚えている。

 今日までの出来事を、ちゃんと全部覚えてくれている。

 もし僕だけが記憶を保ったままという、心細い状況になっていたらどうしようかと思った。

 ともあれ、これで記憶が無くなったのはプランだけということがわかった。

 これだとますます、偶発的な事象という可能性が高くなった。

 たまたまプランの記憶は無くなってしまった。

 となると治療の糸口を見つけるのが相当困難だぞ。


「あ、あの、何かあったんですか? というか、朝からプランさんが見当たらないんですけど?」


 またも考え込んでいたせいで、目の前の少女に不審がられてしまった。

 僕は一度深呼吸を挟み、起きてから終始ざわついていた気持ちを、改めて落ち着かせる。


「プランなら今、僕の部屋にいるよ。昨日の夜中、ちょっと話があって、そのまま寝ちゃったから」


「そ、そうですか。それならよかったです。それで、私に何かご用ですか?」


 用ならたった今済んだ。

 そのことを僕はアヤメさんに伝える。


「変な質問をしたのは訳があって、その……」


「……?」


「こ、こんなこと突然言われて、信じられないと思うんだけど、プランが僕のことを忘れてるみたいなんだ。たぶん、記憶が無くなっている。ヒナタちゃんと同じみたいに」


「えっ?」


 アヤメさんは目を丸くして固まってしまう。

 すぐに信じられないのも仕方がない。

 僕もいまだに、夢なのではないかと思っているくらいだから。


「それで、アヤメさんの方の記憶はどうかなって、心配になっちゃって。押し掛けるみたいな形になっちゃって、本当に申し訳ないんだけど……」


 驚かせてしまったことを謝罪すると、しばし硬直していたアヤメさんが、はっとなって言った。


「い、いえ、それは全然大丈夫ですけど……。ほ、本当に、プランさんの記憶が……?」


 それを確かめるためだろうか、アヤメさんは小走りで僕の部屋の方へと急いでいった。

 僕もすぐに彼女の背中を追いかけ、二人でプランの待つ部屋へと入る。

 するとプランはいまだに部屋の隅っこで、ビクビクと怯えた様子で縮こまっていた。


「プ、プランさん、ですよね? あ、あの、大丈夫……ですか?」


 普段の様子とは打って変わって、まるで別人みたいになってしまったプランに、アヤメさんは動揺を隠せない。

 それでもなんとか声を掛け、プランの記憶の無事を確かめた。

 このとき僕は密かに、アヤメさんの後ろで淡い期待を抱いていた。

 もしかしたら僕のことは忘れていても、アヤメさんのことは覚えているかも、と。

 だが……


「え、えっと、あなたは……誰?」


「……」


 やはり、僕のことだけじゃない。

 最近知り合ったばかりのアヤメさんのことも忘れてしまっている。

 となると、アメリアのことやヒルドラのこと、少なくとも僕と出会ってからの記憶は完全に消えてしまっているだろうな。

 というかこの臆病で人見知りな様子からすると、盗賊団に入ってからの記憶をすべて失っていると考えた方がいい。

 プランが明るく元気な性格になったのは、盗賊団に入ってからだと言っていたから。

 

「ど、どうして、プランさんまで、記憶が……? 昨日まで、何もなかったのに……」


 アヤメさんの零した疑問に、僕も同じ気持ちで答える。


「理由はわからないけど、記憶が無くなってるのは確かみたいだ。僕のことはおろか、たぶん昔の大切なことまで忘れてる。あんなプラン、見たことないから」


「な、なんでプランさんだけ、そんなに症状がひどいんでしょうか? ヒナタちゃんだって、少なくても、私のことだけなのに……」


 アヤメさんの言う通りである。

 プランだけ記憶喪失の症状がかなりひどい。

 聞いた話によると、せいぜいこの村の人たちに起きている記憶喪失は物忘れ程度のものばかりだ。

 あのヒナタちゃんでさえも、親友であるアヤメさんとの思い出を忘れてしまった一方で、それ以外のことは覚えているみたいだった。

 仲の良いお母さんのことはちゃんと覚えているみたいだし、村人たちとも問題なく交流していた。

 そんな中で、どうしてプランだけ、幼い頃の人格まで戻ってしまうほど、記憶をごっそり持っていかれてしまったのだ?


「い、いや、今はそんなことよりも、とりあえず……」


 僕は慌ただしくなってしまったこの場を落ち着かせることにした。

 差し当たっては、いまだに警戒心を解いてくれないプランに対して、落ち着いた声音で語り掛ける。


「え、えっと、突然驚かせてごめんね。僕の名前はノンって言うんだ。初めまして、になるかな? で、こっちはアヤメさん。混乱してると思うけど、ちょっとだけ僕の話を聞いてもらえないかな?」


「は、はなし……?」


 すぐに信じてもらえるとも思えなかったが、僕は事情の説明をすることにした。

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