第73話 「おとぎ話」
人の記憶を食べる魔物?
ついぞ聞いたことがない話だ。
長らく勇者パーティーにいて、数多くの魔物と戦ってきた僕だけれど、そんな魔物は見たことも聞いたこともない。
「決まって真夜中に現れるみたいで、『早く寝ないと”モグ”に記憶を食べられちゃうよ〜』なんて小さい頃はよく大人たちから言われていたものよ。子供を早く寝かしつけるための『作り話』だって思うかもしれないけれど、実際にこの村では多くの村人たちが頻繁に物忘れをしているの。まあ、お年寄りが多いせいかもしれないけどね」
「へ、へぇ……」
このハテハテ村に、そんな『おとぎ話』があるのか。
なんというか、今の状況にすごく合っている気がする。
合っている気がするだけに、なんだか少々不気味だな。
「じゃあヒナタさんも、その物忘れの言い伝えのように、モグに記憶を食べられてしまったんでしょうか?」
「うぅ〜ん、あくまでこれはおとぎ話だからね。モグなんて魔物が本当にいるのかもわからないし。それに物忘れと言っても、買い物で何を買うか忘れちゃったり、台所まで行ったのに何をするか忘れちゃうみたいな、そんな些細な物忘れが少し多いってだけよ。だから今回の件には、あまり関係あるとは思えないわ」
確かにその程度の物忘れが多いくらいなら、関係あるとは言い切れないな。
まあ、完全に関係ないとも思えないけれど。
物忘れの伝承が存在するこの村で、一人の少女が大切な記憶をごっそり失っている。
関係ないと言う方が無理な気がする。
と、人知れず考え込んでいると、再びお母さんが思いついたような声を上げた。
「あっ、そういえば……」
「……?」
「なんか最近、ただの物忘れとは思えないようなことが、村の人たちに起きているっていうのは聞いたことがあるわね」
「ただの物忘れとは、思えないようなこと?」
具体的にどういうことなのだろう?
「それこそ、大切な約束を忘れちゃったり、昨日の出来事を何も思い出せないみたいな。今までの『ちょっとした物忘れ』とは違うような『ひどい物忘れ』が、近頃多いって」
「えっ? それももしかして、三ヶ月くらい前からですか?」
「え、えぇ。そういえばそうね。この話が広まり始めたのも、ちょうど三ヶ月くらい前だった気がするわ。それでもやっぱりみんなは、『モグが出たモグが出た』って、そうとしか言わないんだけどね」
ヒナタちゃんだけじゃなく、他にも記憶喪失になっている村の人たちがいるのか。
ただの物忘れではなく、明らかに何らかの事象による記憶喪失。
しかも同じく三ヶ月前。
だとしたら考えられるのは、ヒナタちゃんの身に何かがあったのではなく、このハテハテ村そのもので何かが起きているということだ。
いったいこの村で、何が起きているというのだろう?
「その『ひどい物忘れ』をしてしまった人たちは、失くしてしまった記憶をどうしているんですか?」
「どうもしてないわよ」
「えっ?」
「『モグが出たなら仕方がない』って、みんなそうとしか言わないの。それに、大抵は大したことのない記憶がなくなっているだけだから、村の人たちもそこまで気にしているわけじゃないのよ。実際どうすることもできないし。物忘れは物忘れ。思い出すのをじっと待つしかないらしいわ」
「……」
となるといよいよ、本格的に手詰まりである。
ヒナタちゃんの記憶を元に戻す手立てが完全になくなってしまった。
物忘れと言われてしまったら、確かに思い出すのを待つしかない。
けれど本当にそれだけで記憶が元に戻るのだろうか?
という心中の問いかけが聞こえたわけでもあるまいが、お母さんはさらに続けた。
「もしヒナタも村の人たちと同じように『ひどい物忘れ』をしてしまっているのだとしたら、思い出すのを待つしかないわ。時間が解決……してくれたらいいんだけど」
声を先細りにして、不安げな表情をする。
どうもこの様子だと、実際に記憶が戻った人はいないみたいだな。
じっと待っていても、自然に記憶が戻る可能性は皆無と言っていい。
「ごめんなさいねアヤメちゃん。大切な思い出なのに、勝手に忘れてしまって」
「い、いえ。お母さんのせいでは、ありませんので……」
「ヒナタの記憶が元に戻せないか、私も村の人たちに色々と話を聞いてみるわ。年配の村人なら、もしかしたら直し方を知っているかもしれないし」
まあ、現状ではそれくらいしかできないだろうな。
他に僕たちに何かができるわけでもないし、ここは素直にお母さんに任せることにしよう。
「わ、わかりました。突然押し掛けてしまって申し訳ございません。お話を聞かせていただいてありがとうございます」
「いいえこちらこそ。娘のためにわざわざこんなところまで来てくれて、本当にありがとうね」
というわけで僕たちは、ヒナタちゃん宅から引き上げることにした。
収穫があったと言えばあったし、なかったと言えばなかった気もする。
わかったことと言えば、これ以上は何もわからないということだけだ。
というわけで僕たちは、手ぶら気分でヒナタちゃん家を後にした。
薄暗くなりつつある外へ飛び出すと、後ろからお母さんがアヤメさんのことを呼び止めた。
「あっ、アヤメちゃん」
「……?」
「こんなこと言うのは、まだ早いかもしれないんだけどね……もしね、ヒナタの記憶が戻らなかったとしたら、またもう一度ヒナタと友達になってくれると、とても嬉しいわ」
「えっ……」
突然そんなことをお願いされて、アヤメさんは目を見開く。
「あの子、アヤメちゃんの話をする時、本当に楽しそうに笑うのよ。他のどんな話をする時よりもね。あの笑顔をもう一度見たいから……だからお願い、もう一度あの子と友達になってあげて」
「……は、はい」
アヤメさんは弱々しい頷きをお母さんに返した。
どうやらヒナタちゃんは、本当にアヤメさんと仲が良かったのだろう。
それこそ他の友達以上に友情が大きく、親友と呼んでも差し支えないほどに。
ならばもう一度友達になることは難しいことではない。お母さんが娘の代わりにそれを望むのも大いに頷ける。
しかし、お願いされた時のアヤメさんの横顔が、心なしか寂しそうに僕には見えた。
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