第72話 「母の思い込み」
「ここがヒナタちゃんのお家?」
「は、はい」
僕たちはハテハテ村の北端にある、木造の一軒家の前に来ていた。
どうやらここがヒナタちゃんの暮らしているお家らしい。
「前に一度連れて来てもらったので、お引っ越しなどしていなければ間違いないと思います」
「じゃあさっそくヒナタちゃんのお母さんに会ってみよう。できればヒナタちゃんが帰ってくる前に話を済ませておきたいし」
というわけで早々に、僕はヒナタちゃん宅の扉を叩くことにした。
すると奥から、「はいどうぞ〜」と間延びした女性の声が返ってくる。
入っても大丈夫、ということだろうか。
「し、失礼します」
と言って中にお邪魔させてもらうと、まず始めに広いリビングが目についた。
そしてその中央に大きめのテーブルがあり、近くの椅子には一人の女性が腰掛けている。
ヒナタちゃんと同じ金色の髪が特徴的な、整った顔立ちの大人の女性。
あれがヒナタちゃんのお母さんだろうか。
彼女は訪問して来た僕たちに気が付くと、まず先にアヤメさんに目を止めて、目を丸く見開いた。
「もしかして、アヤメちゃん?」
「は、はい……」
呼ばれたアヤメさんは恐る恐る返事をし、怯えるように僕とプランの後ろに隠れてしまう。
対してヒナタちゃんのお母さんは、パッと笑顔を咲かせ、椅子から半立ちになって声を上げた。
「わぁ! 久しぶりね! 元気にしてた!?」
「は、はい……」
先ほどとまったく同じ、怯えるような返答。
人見知りのアヤメさんにとって、友達のお母さんと話すのは緊張するものなのだろう。
ただでさえ、会うのは久しぶりみたいだし。
「私が腰を悪くしちゃって、果樹園に行けなくなってから、ほとんど会えなかったからね。元気そうでよかったよアヤメちゃん」
「……」
ちらりと後方を窺うと、アヤメさんは心なしか照れるように頬を染めている気がする。
恥ずかしくも嬉しいという心境が見て取れる。
それにしても、ヒナタちゃんのお母さんはどうやら腰を悪くしているみたいだ。
椅子から立たなかったのはそのためだったのか。
人知れず納得している中、お母さんの視線が今度は僕とプランに向けられた。
「ところで、そちらのお二人は?」
「あっ、僕たちはその……」
なんて説明したものか。
正直にアヤメさんから依頼を受けた『治癒師』と答えるのが正解か。
いやでも、変に警戒されたくないから、ここは別の理由を言うべきかな……
「アヤメさんのお友達ッス!」
「えっ、と、ともだ……?」
プランの唐突な返答に、困惑したのはお母さんではなくアヤメさんのほうだった。
彼女はガシッと僕の腕にしがみつき、どこか光のない目を浮かべて声を震わせた。
「わ、わたしと、お友達に、なってくれるんですか……? ほ、本当に……?」
「ちょ、アヤメさん、話がややこしくなるから、今はとりあえず落ち着いて」
余計お母さんに警戒されちゃうじゃないか。
ていうかプランのやつ、あまり不用意にテキトーなことを口走らないでほしい。
しかしまあ、それが一番妥当だと僕も思ったので、プランに合わせることにする。
「ぼ、僕たちは、アヤメさんの友達で、ちょっとした”相談”を受けてここまでついて来たんです」
「相談?」
「は、はい」
問題はここからである。
ヒナタちゃんの記憶のこと。
これを正直にヒナタちゃんのお母さんに言うのは躊躇われた。
娘さんは記憶障害になっている可能性があります、なんて突然聞かされるなんて良い気はしないはずだからな。
しかし僕は意を決し、言葉を選んで打ち明けることにする。
「なんだか最近、お友達のヒナタさんの様子がおかしいようなんです」
「えっ? ヒナタの?」
「はい。どうやらヒナタさんは、アヤメさんのことや果樹園のことをすっかり忘れてしまっているみたいなんです。まるで記憶消失にでもなったみたいに」
「……」
これにはさすがに、お母さんも目を丸くする。
そこをさらに畳み掛けるようで申し訳なかったのだが、僕は話を進めることにした。
「それで、何か心当たりがないか、お母さんに聞いてみようと思って訪ねさせていただきました。突然こんな話をされて、信じられないとは思うんですけど……」
「あっ、いいえ、そんなことはないわよ。むしろ納得したくらいだわ」
「えっ?」
今度はこちらが驚く番だった。
むしろ納得した?
娘が記憶喪失になっている可能性があると急に聞かされ、どうしてそれが納得できるというのだろう?
やはり何か心当たりが……?
「私も最近、ヒナタの様子がおかしいなってずっと思ってたのよ。毎日のように果樹園に遊びに行っては、その日の話をずっとするような子だったのに、近頃はアヤメちゃんの話を全然しなくてね。まるでアヤメちゃんのこと、すっかり忘れちゃったみたいに」
アヤメさんが疑問に思っていたみたいに、どうやらお母さんもヒナタちゃんの異常には気が付いていたみたいだ。
いや、それは当然と言えば当然か。いつも一緒にいる家族なんだし。
と、ここで一つの疑問が浮上する。
「そ、それってもしかして、三ヶ月くらい前からですか?」
「あっ、そうそう。ちょうどそのくらい前からよ。ヒナタがアヤメちゃんの話をしなくなっちゃったの」
やっぱりそうだ。
ヒナタちゃんが果樹園に来なくなってしまった時期と確実に被る。
となれば、その三ヶ月前にヒナタちゃんに何かがあったんだ。友達のことを忘れてしまうような何かが。
「な、何か心当たりはないですか? ヒナタさんがアヤメさんのことを忘れてしまうような心当たりとか……」
「うぅ〜ん、特に頭を打ったとか、何か病気に掛かったりとかはしてないわよ。これといって何も思い浮かばないわね。それに私はてっきり、アヤメちゃんと喧嘩でもしちゃったのかと思ってたし」
やはりお母さんも、二人が喧嘩をしてしまったのではないかと思っていたみたいだ。
特定の友達の話をしなくなるなんて、それくらいの理由しか考えられないからな。
しかし二人は喧嘩なんかしていない。それは後ろで今、ぶんぶんとかぶりを振っているアヤメさん自身が言っているのだ。
その様子を見たお母さんがさらに続けた。
「どうやらそうでもないみたいだし、私も心当たりはまったくないわ。力になれなくてごめんなさいね」
「い、いえ……」
お母さんも心当たりは無し、か。
これで完全に八方塞がりになってしまった。
呪い状態でもない。
毒状態でもない。
病気に掛かっているわけでもない。
頭を強く打ったわけでもない。
それなのにヒナタちゃんは大切な思い出を忘れてしまっている。
これはいったいどういうことなのだろうか?
と、黙って考え込んでいると、不意にヒナタちゃんのお母さんが不思議なことを言い出した。
「もしかしたら、『モグ』が出たのかもしれないわね」
「えっ? モ、モグ?」
「あぁ、ごめんなさい。ちょっとしたお約束、というか、この村の人間の”口癖”だと思ってくれていいわよ」
くちぐせ?
なんのこっちゃと思っていると、お母さんがそれについて教えてくれた。
「この『ハテハテ村』は昔から、”物忘れ”が多い場所として、ちょっとだけ有名なのよ」
「も、物忘れ?」
「古くからの言い伝え、というか『おとぎ話』なんだけどね。この村には人の記憶を食べてしまう『モグ』という魔物が現れると言われているの」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます