第70話 「思い出の消失」

 

 まるで、知らない人に話し掛けられたみたいに。

 昔から遊んでいた友達と、三ヶ月ぶりに会っただけなのに。

 そんなことが、本当にあり得るのだろうか?

 という疑問は僕だけのものではなく、隣で聞いていたプランも抱いていた。


「さ、三ヶ月会ってないだけで、友達に顔を忘れられてしまったってことッスか? それっていくらなんでもおかしすぎないッスか?」


 狼狽るプランに、僕は同意を示す。


「だよな。小さい頃からずっと遊んでる幼馴染が、三ヶ月会わないだけですっかり顔を忘れるなんて、忘れる方が無理ってもんだろ」


「じゃあ、なんでヒナタちゃんは『えっ? だれ?』なんて言ったんでしょう?」


 という僕らの会話に、いまだに涙ぐむアヤメさんが入ってくる。


「私も最初は何かの冗談かと思いました。ヒナタちゃんはとても優しいんですけど、たまに意地悪なことも言って、私を困らせて面白がる女の子でしたから。でもヒナタちゃんは、完全に私のことを忘れてしまっていたんです。うちの果樹園のことも。小さい頃からの思い出も……」


「……」


 ポタポタと、アヤメさんの瞳から涙が滴る。

 その様子を見て、僕は密かに奥歯を噛み締めた。

 たった一人の友達に、思い出を忘れられてしまう。

 それがどれだけ辛いことなのか、当事者ではない僕にはわからない。

 けれど今のアヤメさんを見れば、とても苦しいことだというのが一目瞭然だった。

 アヤメさんにとってヒナタちゃんとの思い出は、何よりの拠り所だったのだろう。


「それでアヤメさんは、ヒナタちゃんの”記憶”に何かあったんじゃないかって思って、治癒師にそれを直してもらおうと考えたわけか」


「は、はい。その通りです」


 ふむ……

 事情はすべて理解した。

 確かに不可解な事件のようだな。

 これが治療の依頼に含まれるかわからないのも無理はない。

 治癒師の僕にだって判断が難しいのだから。

 ただまあ、ちょっとだけ考えてみるか。


「アヤメさん、ちょっと変なこと聞くようだけど、何かヒナタちゃんを怒らせるようなことをした覚えはある?」


「お、怒らせるようなこと、ですか?」


 脈絡のない問いに、アヤメさんは目を丸くして驚く。

 僕はその問いの意味を説明した。


「もしかしたらヒナタちゃんは、アヤメさんに対して何らかの憤りを感じている。それで果樹園にも来なくなって、話し掛けても忘れているフリをしてるんじゃないのかな?」


 人間が突然記憶を失くすなんてありえない。

 ならば、ヒナタちゃんの記憶に何かがあったと考えるより、こちらの方がよほど現実的ではないだろうか。

 と思って尋ねてみたのだが、アヤメさんはみるみる内に顔を真っ青にした。


「き、きき、嫌われてしまったって、ことですか……」


「い、いや、これはあくまで可能性の話だから! あんまり深刻に考えないで!」


 僕の言い方が悪かった。

 もう少しオブラートに包んで聞けばよかったな。

 それでもアヤメさんはなんとか心を持ち直し、僕の問いに答えてくれた。


「お、怒らせるようなことをした覚えは、特に何も……。最後にここで遊んだ日も、いつも通り楽しくお話しができましたし、お別れの時は普通にバイバイしましたけど……」


「じゃあ、怒って無視してる可能性はなさそうだな」


 僕は再び考える。

 怒って無視していないのであれば、やはりヒナタちゃんの記憶そのものに何かがあったと考えるべきなのだろうか?

 でも何があったんだ? 何があって突然友達のことを忘れてしまったのだ?


「あっ、ヒナタちゃんのお母さんはどうだったんスか?」


「えっ?」


「ヒナタちゃんの記憶がおかしくなってるとしても、お母さんはアヤメさんのこと覚えてるんじゃないッスか?」


 プランが唐突にそう言った。

 確かにそれもそうだな。

 ヒナタちゃんはアヤメさんのことを覚えていないようだけど、お母さんの方はどうなのだろう?

 果樹園のことを気に入ったのもお母さんの方だったみたいだし、覚えていても不思議ではない。

 と思ったのだが……


「さ、さあ? どうでしょうね……」


「んっ?」


 アヤメさんは不意に僕たちから目を逸らした。

 なんだか悪びれた様子だな。

 まさか……


「もしかして、ヒナタちゃんには話しかけてきたけど、そのお母さんには会ってこなかったのか?」


「……」


 アヤメさんは沈黙という形で肯定した。

 このコミュ障め……

 ヒナタちゃんの記憶がおかしくなっていても、お母さんの方が大丈夫なら色々とわかることもあるだろう。

 例えば最近、ヒナタちゃんが頭を強く打ったとか。

 そういう事実が確認できたら記憶に異常が起きている理由も説明がつく。

 仮に、これでもしヒナタちゃんのお母さんの記憶にも何らかの異常が見られたら、その村全土で何かしらの異常事態が起きているということになる。

 どちらにしてもヒナタちゃんのお母さんに話を聞けばこの謎の真相に近づけるのは間違いないのだ。

 それを怠るとは……。まあ人見知りなら仕方ないか。


「ならとりあえず、そのヒナタちゃんがいる村まで行ってみるしかなさそうだな」


「えっ? ひ、引き受けて、くださるんですか? 私の依頼……」


 不安そうにするアヤメさんに、僕は頷きを返す。


「もしヒナタちゃんの記憶に何らかの異常が生じているなら、可能性として考えられるのはまず『呪い』だ。頭を強く打ったとかなら、僕じゃどうしようもないけど、もし呪いのせいで記憶障害が起きているならそれは治癒師の領分だからな。ばっちり治療の依頼に含まれるよ」


 なんだか言い訳がましい思いで長台詞を口にすると、僕はすかさずアヤメさんに問う。


「ここからどれくらいなんだ? そのヒナタちゃんがいる村までは?」


「え、えっと、森の中を通っていけば、二時間ほどで着きますけど……」


「わかった。じゃあ案内とか頼めるかな?」


「は、はい。わかり……ました。じゃ、じゃあ私、すぐに外に出る準備してきます」


 着替えるためか、アヤメさんは慌てた様子で席を立ち、隣の部屋に入っていった。

 そんな彼女の背を見送りながら、僕もさっそく席を立つ。

 そしてぐっと背中を伸ばしていると、隣のプランがニヤニヤしながら囁いてきた。


「さすがノンさん、とっても優しいですね」


「はっ? 何言ってんだよお前。僕はただ治療の依頼を引き受けただけだ。なんでそれで優しいってことになるんだよ?」


 目を細めて尋ねると、プランは悪戯っぽい笑みを浮かべて続けた。


「『治療とは関係のない依頼はご遠慮ください』が信条じゃなかったんスか?」


「はっ? ますます意味わかんないぞお前。これは治療の依頼だから引き受けただけで、別に優しいからとかじゃなく……」


「正しくは、『治療の依頼……かもしれない依頼』ッスよノンさん。この段階じゃ、まだ治療の依頼とは断定できないと思いますッス。もしここにあの後輩君がいたら、『また面倒事に首を突っ込むのか』って呆れられてたと思いますッスよ」


「うっ……」


 ……確かにそうかもしれない。

 これは誰がどう見ても治療の依頼ではないだろう。

 プランの言う通り、治療の依頼……かもしれない依頼だ。

 僕の信条からすると、引き受けるべきではなかったかもしれない。

 しかし僕はこの依頼を受けることにした。

 だって、ここまで話を聞いておいて、無情にもほったらかしにできるほど、心が腐っているわけじゃないからな。

 それに……


「……」


 僕はちらりと卓上に目を向けて、アヤメさんの涙で濡れている跡を見た。

 アヤメさんの涙に、ちょっとやられたとは恥ずかしくて言えないな。


「アメリアとヒルドラには悪いけど、ちょっくら様子だけでも見に行ってみようぜ。それだけなら別に問題ないだろ」


「はい、そうッスね」


 というわけで僕とプランは、友達の記憶を直したいというアヤメさんの依頼を、引き受けることにしたのだった。


「あっ、なんだったらお前は先に帰って、このことアメリアたちに伝えに行ってもいいけど……」


「いやいやぁ、冗談きついッスよノンさん。ここまで来たら普通、最後まで一緒に行動するのがお決まりじゃないッスか」


「何のお決まりだよ」

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