第69話 「たった一人の友達」

 

 頬を赤らめて恥ずかしがっていたアヤメさんは、しばらくして落ち着きを取り戻した。

 そして辿々しく話を再開してくれる。


「じ、自分でも、人付き合いが苦手なのは、理解しています。理由がなければ、まともに人と話すことができない、コミュ障ですから。だから、治療院に入るきっかけを、精一杯考えたんです」


 ……その結果があの自傷か。

 正直あまり褒められる方法じゃないよな。

 治癒師としても容認できる手段ではない。

 まあ、人見知りなりに必死に考えて、治療院に入るきっかけを搾り出したのだろう。


「よ、よし、わかった。治療院に入るために自傷してたのは理解できた。で、でも、なんで何回も自傷して、うちに連日のように通ってたんだ? 最初に治療院に入ったその時に、話してくれればよかったんじゃ……」


 最初の一歩が難しかったから、アヤメさんは自分の腕を切った。

 それで治療院に入ってもいい理由を作ったのに、なんで一回目に依頼内容を伝えてくれなかったのだろう?


「い、一回目は、なんだか緊張しちゃって……。それで二回目も、上手く話せなくて……」


 アヤメさんは先ほど以上に顔を赤くし、聞き取れないほど小さな声で続けた。


「そ、そんな風に、何回も怪我を治してもらってるうちに、だんだん……」


「……?」


 だんだん……なんなのだろう?

 思わず小首を傾げていると、隣に座るプランが急に大声を上げた。


「わかる! わかるッスよ、その気持ち! ”なんちゃらは盲目”ってよく言いますからね。治療してもらってるうちに、気持ちがどんどん盛り上がってしまって、本来の目的を見失ってしまうのは仕方がないことッス。だからノンさん、これ以上聞くのは野暮ってもんスよ」


「えっ? お、おう……」


 とりあえず頷いてはみたけれど、いったいどういう意味なのだろう?

 ていうか、なんでこいつは急に元気になったんだ?

 さっきまでガチガチに緊張してたくせに。

 まあいいか……


「と、とりあえず、事の成り行きは把握した。それでようやく本題なんだけど、僕にお願いしたいことって結局なんなんだ? 治療の依頼かどうかわからないって言ってたけど……」


 そんな曖昧なお願いとはいったいなんなのだろう? 普通に気になってしまう。

 ただまあ、『治療以外の依頼はご遠慮ください』がうちの信条だ。

 正直、ここまで話してもらって悪いのだけれど、治療の依頼だと判断できなければ、信条に従って断ることも視野に入れている。


「そ、その……」


 疑問の視線を向けられたアヤメさんは、目を泳がせて言い淀む。

 やがて意を決したように頷くと、これまでで一番大きな声で、ようやくお願いの内容を口にした。


「と、友達の記憶を直してほしいんです!」


「……と、”友達の記憶”?」


 ……それが、治療の依頼かどうかわからないお願いなのか?

 首を傾げる僕と同じように、横に座っているプランもぽかんとしていた。

 記憶を直す? しかも『友達の』って、いったいどういう意味なのだろう?

 疑問に満ちた顔をしていると、アヤメさんは詳しく説明してくれた。

 

「わ、私には、たった一人だけ、友達がいるんです」


「た、たった一人ね……」


 さらっと悲しいこと言うなこの子。


「名前は『ヒナタちゃん』って言って、小さい頃からよく遊んでいたんです。元は、お父さんとお母さんが面倒を見ているこの果樹園に、ヒナタちゃんのお母さんがよく買い物に来てくれて、それで私はヒナタちゃんと友達になったんです」


 割とありふれたような話だった。

 何らかの店を営んでいる家庭では、むしろ多い話なのではないだろうか。

 と、そこで僕は『おやっ?』と頭に引っ掛かることがあった。


「アヤメさんのお父さんとお母さんは、今どうしてるの?」


「果物を遠くの町まで売りに行ってます。こんな人里離れた森の中じゃ、まったくお客さんが来てくれないので……。帰るのはおそらく何日か後になります」


 という返答に、僕は深く納得した。

 確かにこの場所で商売しようと思っても、お客さんが来なくて難しいだろう。

 果物を育てられる場所も決まっているので、森の中で実らせた果物を町に売りに行くのは当然のことと言える。

 ということはアヤメさんが今、この果樹園で留守番をしているというわけか。

 てっきり一人で切り盛りしているのかと思ったが、さすがにこの歳でそれはないか。


「そうやって町や村に売りに行って、うちの果物を気に入ってくれたヒナタちゃんお母さんが、わざわざこんな遠くまで買いに来てくれるようになったんです。今は足腰を悪くしてしまったみたいで、来てはくれないんですけど」


 アヤメさんは苦笑を滲ませた後、すぐに微笑みを浮かべて続けた。


「その代わりに、ヒナタちゃんが一人でここに来てくれるようになって、毎日買い物ついでに私と遊んでくれました。おつかいがない日でも、わざわざ果樹園まで遊びに来てくれて、たまに果樹園の仕事も手伝ってくれたり。反対に、村まで私を案内してくれて、そこで一緒に遊んだり。とても……楽しかったです」


 そう語るアヤメさんの表情は、いつもより断然明るく見えた。

 口数も多く、友達のヒナタちゃんのことをとても大切にしているのだと見てわかる。

 しかし不意に……


「でも、ある日……」


 アヤメさんは暗い顔になり、落ち込んだ様子で言った。


「ヒナタちゃんはぱったり果樹園に来なくなってしまったんです」


「えっ? 来なくなった? それってどうして……」


「初めは、何か忙しい用事でもあるんじゃないかなって思ったんです。しばらくしたらまた来てくれるようになるんじゃないかなって。でも、待っても待ってもヒナタちゃんは来てくれませんでした。一ヶ月、二ヶ月……三ヶ月待っても」


 三ヶ月も、か……

 毎日のように来てくれていた友達が、急に足を運ばなくなった。

 明らかに不自然なことだ。

 アヤメさんの言うように、何か忙しい用事ができて、果樹園に来れなくなってしまった可能性が高い。

 

「それで私は気になって、ヒナタちゃんの住んでる村まで行ってみることにしたんです。私が一人で村まで遊びに行ったことはなかったんですけど、すごく心配だったので……」


「まあ、普通だったらそうするよな。それで、どうだったんだ?」


 そう聞くと、アヤメさんは少し顔に明るさを戻して答えた。


「ヒナタちゃんは、とても元気そうにしていました。もしかしたら怪我とか病気をして、果樹園まで来られなくなってしまったのかと思っていたので、すごくほっとしました」


「そっか、それならよかった。あれっ? でもじゃあなんで、ヒナタちゃんは果樹園に来なくなっちゃったんだ? 元気そうにしてたんだろ?」


「は、はい。私もそれが気になったので、思い切って、ヒナタちゃんに話しかけてみることにしたんです。そうしたら……」


 アヤメさんの顔に、再び暗雲が立ち込める。

 

「『えっ、だれ?』……って、ヒナタちゃんに言われたんですよ」


「えっ……」


「まるで、まったく知らない人に、話しかけられたみたいに」


 そう語るアヤメさんの声が、次第に涙混じりになっていくのがわかった。

  

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