第68話 「その紅茶は何味?」

 

 まずはお互い、落ち着くことにしよう。

 そう言ったのはあれからどれくらい経ってからだろうか。

 僕たちはとりあえず気持ちを落ち着かせ、改めて”話し合い”をすることにした。

 何やら僕らは変な勘違いをしているようなので、それを正しておかなければならない。

 さしあたってしたことは、まず少女に僕の上から退いてもらった。

 そして森のド真ん中で話すのもあれだということで、彼女の家である例の小屋に入れてもらうことになった。

 プラン共々、緊張した面持ちで小屋にお邪魔する。


「し、失礼しまーす」


 中は先ほど見た時と変わらず薄暗く、血の跡もくっきり残っている。

 他は特に目を引くものはなく、強いて言えばそれなりに大きいキッチンくらいだろうか。

 そんな中でテーブルに案内され、温かいフルーツティーを出してもらったが、僕とプランは依然として身を強張らせていた。

 だって、あんな光景を見せつけられた小屋で、優雅にお茶ができるはずもないじゃないか。

 緊張のせいか、紅茶の味だってよくわからない。色は薄い赤色で、酸っぱいような甘いような、それでいて苦さも感じる不思議な味。何の果物を使っているのだろう?

 プランに至っては、目をギョロギョロと泳がせながら、紅茶には口を付けず、膝の上で固い握り拳を作っていた。

 仕事の面接でも受けに来たのか。


「あ、あの……」


「……?」


 しばしの沈黙が続いたのち、ようやくそれを破ったのは少女だった。

 彼女は横並びで座る僕とプランの対面に腰掛け、卓上に目を落としている。

 そして僅かに顔を上げて、いつもの細い声でこちらに問いかけてきた。


「わ、わたし、自分の腕を自分で傷付けている、心の不安定な人間とか、思われてませんか?」


 …………ち、違うのか?

 少女の問いかけに対し、ついつい僕はそう聞き返してしまいそうになる。

 あんな光景を見たら、誰だってそう思ってしまう。

 もしかしたら彼女は不安定な心を落ち着かせるために、あんな”自傷行為”をしているのではないかと。

 それを治すために治療院に通っていたのなら説明もつくしな。

 しかしどうやらそうではなく、彼女はそう思われたくなくてこんな質問をしてきたのだろう。

 ならば何も言うことはない。


「えっ? 違うんスか?」


 だが、このアホは違った。

 僕の隣に座るプランは、不躾にも思ったことをそのまま口にしてしまった。

 それに対し、少女は頬を真っ赤に染めて慌ててかぶりを振る。

 

「ち、違うんです! 心が不安定だから、あんなことをしてたわけじゃなく、私はただ治癒師さんに……」


「……」


 段々と声が先細りになっていく。

 やがて口を閉ざしてしまった少女を見て、僕はとりあえず頷きを返した。


「わ、わかった。とりあえず普通の人間だってことは理解できたよ。だからまずは自己紹介から始めないか?」


「じ、自己紹介?」


「僕の名前はノン。『治癒師さん』って呼ばれて嫌な気はしないけど、どうせなら親しみやすく名前で呼んでくれないかな? そうした方が、言いづらいことでも話しやすくなる気がするし」


「ノ、ノンさん、ですか……」


 前髪に隠れて定かではないが、少女は目を丸くして驚いているように見える。

 次いで彼女は口に馴染ませるように、何度か僕の名前を呟くと、こくりと頷いて答えてくれた。


「わ、私の名前は……アヤメです」


「アヤメさんね。うん、覚えた。常連さんの名前はできるだけ知っておきたいから、この機会に聞けてよかったよ」


 素直な笑みをアヤメさんに返す。

 思えば、何度も顔を合わせているのに、お互い名前を知らないなんておかしな話だ。

 この機会に自己紹介ができて、僕は素直に嬉しいと思った。

 するとアヤメさんは、不意にぽかんと口を開け、次いでバッと顔を伏せてしまう。

 そのまま目を合わせてくれなかったので、僕はとりあえず話を進めてみることにした。


「そ、それで、アヤメさんはどうして、自分で自分の腕を切っていたのかな?」


 さっそく本題に切り込む。

 もう少し世間話などを挟んでもよかったかもしれないが、この子の場合はそれは悪手だろう。

 そういうのが得意なタイプではないので、早急に話を進めてしまった方がいい。

 するとアヤメさんはおもむろに顔を上げて、言葉を選ぶようにゆっくりと答えてくれた。


「……き、きっかけが、欲しかったんです」


「きっかけ?」


「ち、治療院に入るきっかけ、と言いますか……ノンさんにお願いしたいことがあったんですけど、それが治療の依頼になるかどうか、よくわからなかったので……」


「……?」


 治療の依頼になるかわからない?

 それはいったいどんな依頼内容なのだ?

 いや、それよりもまず、少女に確かめておかなければならないことがある。


「つ、つまり、治療じゃないお願いをするためだけに、治療院に入るのが気まずかった。だからまずは自分の腕を切って、治療院に入るきっかけを作ったってことでいいのかな?」


「……」


 僅かな沈黙ののち、アヤメさんは恥ずかしそうにこくりと頷いた。

 ……な、なんじゃそりゃ?

 それってまるで、雑貨屋さんでトイレを借りるために、別に欲しくもない商品を買うみたいな。

 トイレだけを借りるのはなんだか悪い気がするから、とりあえず何かしらの商品を買うことで、免罪符を得るみたいなことなのだろうか?

 確かにその気持ちはわからないでもない。

 しかしそれならば普通に治療院に入って、普通に僕に聞いてくれればよかったのに。

 自傷してまで治療院に入る理由を作る必要はなかったんじゃないか?

 別に怪我をしていなければ治療院に入ってはいけない決まりはないんだし。

 こ、この子、もしかしてとんでもない……


「と、とんでもない”コミュ障”ッスね」


 このアホは、またも不躾な台詞でアヤメさんを赤面させた。

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