第65話 「留守番」
「……い、いやいや、さすがにそれは悪い冗談だろ?」
僕は引きつった笑みを浮かべる。
次いで信じられないと言わんばかりにかぶりを振った。
「ぼ、暴力とか、いくらなんでも突拍子がなさすぎる。魔王軍の元四天王だからって、別に怖いこと言わなくても……」
唐突に漂った緊張感を誤魔化すために、調子外れな声音で話す。
毎日普通に治療院に来てくれるあの子が、そんな現実離れした事に巻き込まれているなんて考えたくない。
しかしアメリアは依然として氷のように冷たい無表情を貫き、真っ当な意見を返してきた。
「確かにあの娘の傷は不自然だ。木の枝に引っ掛けただけでは到底出来るものではない。加えて冒険者ではないのなら、魔族や魔物のせいで怪我をすることもないだろう。となれば、”人の手”によるものと考えるのが妥当ではないか?」
「……」
違う、とすぐに否定することができなかった。
それはきっと、僕自身も頭のどこかでその可能性に気付いていたからだ。
気付いていながら、その可能性から目を背けていた。
改めてアメリアからその可能性を突き付けられ、僕は唾を飲んで反論する。
「だ、だとしても、家庭内や恋人から暴力を受けてるなんて結論にはならないだろ。その発想はさすがに物騒すぎる」
いまだに信じ難いと言うように僕は続けるが、アメリアは答え合わせを始めるように聞いてきた。
「では、他にどのような理由があって、あの娘は人から傷付けられるというのだ?」
「そ、それは……」
「人が人を傷付ける理由など、魔族の私には見当もつかない。ただでさえ私たち魔族は同種族間での規律が厳しく、争い事を固く禁じているからな。そんな私でも真っ先に考えついたのが、他人からの理不尽な”暴力”だ。あの娘の性格上、喧嘩によって怪我をしているとはまず思えないし、一方的に傷付けられている立場と考えるのが自然だろう」
説得力のある言葉だった。
僕からは何の返答もできずに固まっていると、代わりと言わんばかりにプランが声を上げた。
「そ、それなら、あんまり考えたくはないんスけど、友達同士の”いじめ”の可能性もあるんじゃないッスか? 見た感じ大人しそうな女の子ですし、意地悪な友達の標的になってるかも……」
「もちろんその可能性も充分にある。しかしいじめにしては同じ箇所に傷を作るというおかしな怪我の仕方をしている。周りに悟られないよう、袖の内側に傷を残すのは、いじめというより家庭内や恋人間での暴力の方が信憑性が高いのではないか? まあどっちにしろ悪い方向にしか傾かないのは事実だがな」
これまたアメリアの言う通りだった。
もしプランの言った可能性が正しくても、悪い方向にしか傾かない。
あの少女の置かれている状況が厳しいことに変わりはないのだ。
時間が経つにつれ増していく緊張感の中、僕は重い口を開く。
「も、もし仮に、その暴力を振るっている人間がいるって話を信じるとしたら、おかしな点が一つあるぞ」
「……なんだ?」
「暴力を振るっている側は、なんで毎回腕が治っていることに疑問を持ってないんだ? 周りに悟られないようにあの子のことを傷付けているなら、何度も治療院に行くことを許すはずがない」
今みたいに僕たちが疑問を抱いて、暴力の件がバレてしまうから。
というささやかな抵抗も、事態を悪化させるための追加材料にしかならなかった。
「もしかしたら加害者側からの指示かもしれないな」
「指示?」
「何度も傷付けるために、あえて治療院に行かせて怪我を治させているのかもしれない。それならば怪我が治るまで待つ必要がなく、毎日のように暴力を繰り返すことができるのではないか」
「……」
だからあの子は、毎日のように治療院に来て、傷を治しているのか。
加害者側からの指示だとすれば、当然口止めもされており、僕に嘘を吐いたのも頷ける。
つまり、僕が治せば治すほど、あの子はさらに傷付くことに……
「い、今すぐあの子を助けに……!」
思わず飛び出し掛けた僕の前に、スッとアメリアが立ち塞がった。
彼女はようやく無表情を解き、いつもの呆れた表情でこちらの顔を見上げてきた。
「不安を煽るようなことを言った後でなんだが、今のはすべて『もしも』の話だぞ。本当はまったく別の理由で、あの娘は助けなんて必要としていないかもしれない。そんな低い可能性を信じて助けに行くなど時間の無駄だ。ただでさえ最近は忙しいのだから、いつものお人好しは程々にしておけ馬鹿者」
「……お、おう」
見慣れたアメリアの呆れ顔を前にして、僅かに冷静さを取り戻す。
そう、これはあくまで『もしも』の話だ。
全部憶測に過ぎず、確定的な証拠があるわけでもないので妄想の域を出ない。
事実はまったく違っていて、僕の不安はただの空回りでしかないのかもしれない。
というかその可能性の方が圧倒的に高いだろう。
しかし、アメリアの話がまったくの的外れかというと、そういうわけでもない。
むしろこの違和感を拭うのに最適な答えのように思え、あの少女のことが余計に頭から離れなくなってしまった。
このままでは、ろくに仕事に集中することができない。
事実を確かめて、このもやもやをどうにかして解消せねば……
「さっ、午後からの客が来店し始める時間だ。くだらない妄想話はここまでにして、仕事に意識を切り替えるぞノン」
「……」
このもやもやを取り除きたい気持ちはあるが、忙しい時期というのもまた事実。
お客さんをほっぽり出して別の案件に手を出すわけにもいかない。
つい最近、仕事を頑張ると決意したばかりなので、ここで背を向けてしまえば三日坊主もいいところだ。
晴れない心を押し殺して仕事をするしか、僕に道はない。
と、思い悩む僕の耳に……
「クゥ~!」
「んっ?」
可愛らしい小動物の鳴き声が届いた。
ちらりとそちらに視線をやると、そこには僕が仕事中に使っている椅子があり、その上にヒールドラゴンことヒルドラがお座りしていた。
意味ありげな目で僕のことを見つめてじっとしている。
何だろう? 僕に何か伝えたいことでもあるだろうか?
なんてぼんやり思いながらしばしヒルドラと見つめ合った僕は、遅れてはっと気が付いた。
「あっ、そっか」
今はこの治療院に、”ヒルドラ”がいるじゃないか。
お客さんの怪我を治してあげられるのは、僕だけじゃない。
もし僕が治療院に不在でも、ここにやって来た怪我人を治すことはできる。
それで仕事をしているのかと問われれば、素直に頷き返すことはできないけれど、せっかく来てくれた怪我人を諦めなくて済むのなら……
「ねえヒルドラ、僕の代わりに店番してくれるか?」
「クゥ~クゥ~!」
どうやらそのつもりで僕に視線を送っていたらしい。
ヒルドラは楽しそうな泣き声を上げるという形で、こちらの頼みを二つ返事で了承してくれた。
さっそく僕はコート掛けから白衣コートを手に取り、バサッと羽織って扉に手を掛ける。
「お、おい! どこに行くというのだノン!? もうすぐで午後の客が……!」
「悪いなアメリア。さすがにあんな話された後で冷静でいられるほど、図太い神経してないんだよ。ちょっくら出掛けてくるわ」
シュッと手刀を切って謝意を示すと、傍らで立ち尽くしていたプランが僕の後に続いた。
「ア、アタシもお供しますッス! あの女の子の追跡はアタシに任せてくださいッス!」
「おう! よろしく頼むぞプラン」
これであの子の追跡に関して心配する点はなくなった。
女の子の跡を男一人で追うのも抵抗があったしな。
以上の問題がなくなったので、早々に扉を開けて外に出ようとすると、後ろからアメリアの戸惑った声が聞こえた。
「ほ、本気で行くつもりなのか? 正直、かなりテキトーなことを言ったつもりだぞ私は。そんな話を信じて……」
「まっ、ちょっと様子を見に行くだけだよ。あながち的外れな話でもなかったし、アメリアの勘は当てになりそうだからな。ていうかそっちから脅して来たくせに今さら何言ってんだよ。つーわけで悪いんだけど、ヒルドラと留守番よろしく」
再び手刀を切って治療院を任せようとする。
まあ正論を叩きつけられて断られるだろうな、なんて考えていると、意外なことにアメリアは肩をすくめた。
「…………はぁ、ノンのお人好しにはほとほと呆れるな。変なところで心配性なのも気に食わん。まあ今さらのことかもしれんが」
「悪いなアメリア。毎度叱ってもらってばっかりなのに、仕事ほっぽり出して治療院まで任せちゃって」
「院長命令ならば仕方あるまい。私はあくまでノンプラン治療院のアルバイトだからな。院長に言われるがままに働くだけだ。だが、いつか寝首を掻かれんように気を付けることだな。いずれ立場が逆転し、治療院の名前が変わるかもしれんぞ」
「……それはちょっと冗談になってない気がするからやめて」
アメリアの悪戯的な笑みを見て、僕は苦笑と共に冷や汗を滲ませる。
あまりにもサボり癖が付き過ぎて、いつか『アメリア治療院』って風に看板が書き換わっていても不思議ではない。
サキュバスとドラゴンに治療院を乗っ取られるなんて、勇者パーティーの元回復役としてあってはならない事態だな。
無鉄砲は程々にしておこう。
ともあれ、遠回しにアメリアから了承をもらった僕は、プランと二人で例の常連の女の子を調べることにしたのだった。
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