第60話 「顔なじみ」

 

 僕はアメリアに倣って慌てて頭を下げる。

 

「こ、こんにちは! すみません、気がつかなくて……」


 卵に気を取られすぎてお客さんに気がつかなかった。

 僕としたことが思わぬ失態である。

 仕事を頑張ると決めた矢先、今後このようなことで気を抜くわけにはいかない。

 その失敗を挽回するために深々と頭を下げ続けていると、やがてお客の少女が恐縮したように口を開いた。


「い、いえ……大丈夫です」


 そよ風が吹いただけで消え入ってしまいそうな細い声。

 うっかりすると空耳と間違えてしまいそうなほど小声である。

 いったいどこからそんな声が出ているのか? と疑問に思い、改めてお客さんを見てみることにした。

 頭を上げた先、そこに立っていたのは、十七、八と思しき細身の少女。

 橙色の髪を二本の三つ編みにし、前髪を長く伸ばして目元を隠している。

 僅かに見える小顔からは、ほとんど血の気を感じさせない薄い肌色が窺えた。

 頑張って目を合わせてみようとするけれど、彼女は俯き気味でこちらを見てくれない。

 人と話すのが苦手な子、なのかな?

 ノホホ村で見掛けたことがない女の子だ。

 布服の上に青色のロングエプロンを付けていることから、別の村で何か店でも営んでいるとは推測できるけど。

 ていうかこの子……

 考え事に浸っている中、じっと見過ぎたせいだろうか、少女は逃げるように踵を返そうとした。

 

「あ、あの……お忙しいようなら、また後で来ます」


「えっ? あっ、いやいや、全然大丈夫ですよ! 気を遣わせてしまってすみません! すぐに準備しますので」


 僕は慌てて少女を治療院の中へと招く。

 とりあえず卵の件はまた後だ。

 今はこの女の子の治療を優先し、何が何でも緊張を解いてもらう。

 お客さん全員が快適に利用できる治療院を目指すために。

 密かな決意を胸に少女を中まで誘導すると、急いで治療用の椅子に座らせた。

 そして僕は対面の診察椅子に腰掛けて、改まった感じで少女に問う。


「そ、それで、本日はどうなさいましたか? 見たところお怪我をされているご様子ではないみたいですが……」


「あっ、えっと、その……」


 少々食い気味に聞いてしまったせいか、少女は明らかに萎縮した。

 それでもいきなり逃げ帰ってしまうことはなく、彼女は静かに深呼吸する。

 やがて心が落ち着いたのだろうか、どこか意を決したようにこくりと頷いた。

 そしてスッと服の袖をまくって白い細腕を露わにする。


「これは……切り傷でしょうか?」


「は、はい」


 少女が見せてくれた細腕には、真っ直ぐな切り傷が付いていた。

 手首の下ーーつまり前腕の部分に、ペンで描いたかの如く赤い線が引かれている。

 怪我をして間もないのだろう。傷はまだ少しも乾いていなかった。


「森の中で、木の枝に、引っ掛けてしまって……」


「そうだったんですか。ではすぐに治しますね」


 少女からの依頼内容を聞いた僕は、さっと右手を傷口にかざした。


「ヒール」


 白い光がぽわんと灯り、見る間に腕の傷を完治させる。

 赤い線を白の絵の具で消し去るかのように治療を終えると、僕は少女に微笑んで告げた。


「はい、これで治療完了ですよ。今後は森の中に入るときなどは、周囲に充分注意してくださいね」


「……ご、ごめんなさい」


 助言のつもりで一言添えたのだが、少女は叱りを受けたかのように謝った。

 本当に気が小さい子なんだな。

 目元まで前髪を垂らして人と目を合わせないようにしているのも、その気弱さが理由だったりするのだろうか。

 そういえばこの子、さっき見た時も思ったんだけど……

 さらに怯えさせてしまうかとも思ったのだが、僕は気に掛かっていたことを少女に尋ねた。


「あ、あの、前にも何度かいらしてますよね?」


「えっ……」


 ずっと俯きがちだった顔を、少女が初めて上げてくれた。

 虚を突かれたせいか彼女はしばらく固まっていたが、やがて細々とした声を漏らす。


「お、覚えていて、くださったんですか?」


「はい、まあ」


 先ほど顔を見た時、『おや?』と思った。

 そして記憶を辿ってみたところ、以前も治療にやって来た少女だということを思い出した。

 接客業をやっていると頻繁に起きる現象である。

 特にここ最近は新規顧客が多くて、毎日違う人物の顔ばかり見ていたから、同じ人が訪ねてくれば自然と頭に残る。

 など様々な理由があるので話を割愛していると、少女は再び俯き加減になってぼそりと言った。


「そ、そうですか……」


「……?」

 

 何か言いたげというか、思うところがあるといった様子だ。

 僕に顔を覚えられていたのが嫌だったのかな?

 まあわからなくはない。行きつけの店の店員に顔を覚えられて、それを嬉しく思う人間と嫌がる人間は両方存在する。

 そしておそらく彼女は後者。人見知りな性格の人ほどそれは顕著にあらわれる。

 接客業を生業としているのに、配慮が足りなかったな。

 ともあれこれで治療は完了したので、僕は少女を招いて受付カウンターの方へ案内した。

 治療後のお会計である。

 アメリアに任せてしまってもよかったのだが、せっかくここまで来たのだから僕が最後まで全うすることにした。


「500ガルズになります」


「は、はい」


 少女はおずおずと500ガルズをこちらに手渡す。

 次いでぺこりと無言の会釈をすると、そそくさと扉から出て行ってしまった。


「あ、ありがとうございました」


 おそらく最後まで聞こえていないだろう挨拶を寂しげに零す僕。

 人見知りのお客さん相手に、下手にコミュニケーションをとるのは迂闊だった。

 これはもう来てくれないかもしれないな。

 なんて遅まきながらの後悔をしていると、傍らで治療を見守っていたプランが感心したように口を開いた。


「すごいッスねノンさん。お客さんの顔全員覚えてるんスか?」


「いやまさか。さすがに今まで来てくれたお客さん全員を覚えるのは不可能だよ」


 呆れたように肩をすくめる。

 するとなぜかプランは不貞腐れたように頬を膨らませた。


「ふぅ~ん……じゃあどうしてあの子のことだけ鮮明に覚えていたのか、そこらへん詳しく聞いてもいいッスか?」


「なんだよその疑ってる目は。別に他意なんてないよ。人って、他人の顔をちゃんと覚えるまでに三回は会わなくちゃいけないみたいだぞ。で、さっきのあの子はもう三回以上この治療院に来てるってだけの話だ」


「本当ッスかね~……」


 依然としてプランは訝しい目をこちらに向けている。

 変な勘ぐりはよしてほしい。

 どうしてこのくらいの年代の女子は、何かと愛だの恋だのに話を繋げたがるのだろうか。

 まあ、それはもういいとして……

 少女が帰ったことで、僕は先ほどまでの話の続きを思い出すことにした。

 あの子が来る前は何の話をしてたんだっけ?


「そういえば盗賊娘よ」


「んっ? 何ッスか?」


「お前はいったいどんな宣伝の仕方をしているのだ? いくらなんでも客が集まりすぎではないのか?」


 改めてアメリアが疑問を口にし、僕の脳裏に引っかかっていたものがポロリと取れた。

 そうだそうだ。治療院の宣伝の仕方をプランに聞こうと思っていたのだ。

 この短期間で集客率がとんでもないことになっているその理由を。

 今一度その疑問を思い出した僕は、先ほどの仕返しと言わんばかりに訝しい目をプランに向けた。


「お前まさか、元勇者パーティーの回復役ゼノンが治癒師をやってるとか、元サキュバスの女王が受付をしてるとかいらないこと言いふらしてるわけじゃ……」


「ち、違いますッスよ! そんなノンさんが怒りそうなこと言うわけないじゃないッスか!」


 まあ、それもそうだよな。

 こいつもさすがにそこまで間抜けではあるまい。

 それにもしそんな宣伝の仕方をしているなら、誰か一人でも僕がゼノンかどうかを言葉で尋ねてくるはずだしな。

 じゃあいったいどうやってここまで客を集めることができているのか? と改めて僕は疑問に満ちた眼差しでプランを見た。


「アタシはただ、肌寒くなってきたこの時期に、手荒れがひどくなっている主婦の皆様に治療をおすすめしているだけッス。パックリ割れやささくれを一瞬で治すことができますよって。おまけにどこか怪我をしているなら、回復魔法で治すことで傷跡がまったく残りませんよって。宣伝はただそれだけッスよ」


「……」


 目から鱗が落ちた気分だった。

 怪我をしたせいで傷跡が残ることを気にする女性はかなり多い。

 手荒れによるパックリ割れやささくれも鬱陶しいものだ。

 その悩みを上手く宣伝材料として使い、プランは見事ここまでの集客を成し遂げてみせたのだ。 

 ……やるじゃんプラン。

 

 珍しく彼女に対して感嘆し、心中で賞賛を送った後、何かを忘れている気がしながらも、今日も僕は無事に治癒師としての務めを全うしたのだった。




 翌朝。

 大好きな睡眠に没頭する僕に、一つの違和感が襲い掛かってきた。

 起床予定時刻の二時間ほど前だろうか。

 再びあの、誰かが近くにやってきたという気持ち悪さがまとわりつく。

 おおよその見当はついている。

 またあいつがベッドに潜り込んできやがったのだ。

 昨日珍しく感心してやったのにもかかわらず、その賞賛をすぐに棒に振るようなことしやがって。

 案の定、瞼を持ち上げた先には、白い毛がふわりと揺れていた。

 そしてそれは僕の眠りを妨げるように、顔に”モフモフ”と押し付けられている。

 こうなったら、今後は鍵穴なしのタイプの鍵付きドアに改良しよう。

 そして二度とこんなことする気も起きないくらい、ガツンと注意してやるんだ。

 そうと決まれば、まずはこのバカを引き剥がして……


「んっ? モフモフ?」


 僕は思わず眉を寄せた。

 白い毛の触り心地に、違和感を感じる。

 あいつの髪の毛、こんなに撫で心地が豊かだったっけ?

 何事かと思った僕は、ゆっくりとその謎の物体を顔から引き剥がした。

 おもむろに持ち上げていき、次第にその姿が明らかになっていく。

 プランの髪の毛とはまた違った、掌にふわりと馴染む白毛。

 見るからに人とは違った、四つ足と翼を持った小さなシルエット。

 ともすれば小型犬に翼を付けたような姿を目の当たりにした僕は、驚愕のあまり口を開けて固まってしまった。

 そして言葉を失くした僕の代わりに、そいつが鳴き声を上げる。


「クルルゥ!」


 まだ夢を見ているなら、早く覚めてほしい。

 あるいは寝ぼけ眼のせいで幻覚を見ているだけかも。

 そう切に願わざるを得ない異質な状況。

 しかし僕は、自分でも驚くほど目が冴えていることを自覚し、半ば諦めた気持ちで現状を受け止めることにした。

 

 朝起きたら、顔の上にドラゴンが乗っかっていた。

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