第58話 「心機一転」
長期休暇を経て、仕事への意識を一新してから十日。
僕はこれまでと比べて見違えるほど、治療院の先生として立派な働きをしていた。
お客さんが来たら丁寧に対応をし、時間があるときは窓際の席でのんびりすることはなく、治療記録を見返して皆の怪我の傾向を窺っている。
どんな要因で怪我をしているのか知ることができれば、治療の際に掛けられる助言もより的確なものにできるから。
治療院では怪我の治療だけではなく、再発防止を促すことも仕事の内に入っているのだ。
など以前では決して考えようともしていなかった事柄にまで、最近の僕は手を出している。
怠け者だった頃の僕の影は、今やほとんど見られない。
そして今日も、僕は治療院の先生としてキリキリと働いていた。
「森の中で小さな魔物に噛まれてしまい、治療を受けに来ました。よろしくお願いします」
目の前の椅子に座る男性は、袖を捲ってこちらに腕を見せてくる。
前腕の部分には言った通りの噛み傷が付いていた。
それを見た僕はしばし逡巡し……
「少し失礼します」
やがて男性に断りを入れて、腕にそっと触れた。
(……診察っと)
すると男性の身体情報が頭の中に流れ込んでくる。
その情報を見た僕は、予想が当たっていたことに人知れず頷いた。
「おそらくあなたが遭遇した魔物は、微量ながら毒を宿している魔物だったみたいですね。僅かに体内に毒が入り込んでいます」
「ど、毒ですか!?」
突然言い渡された診察結果に、男性もさすがに動揺を見せた。
魔物に噛まれただけと思っていたら、まさか毒に冒されていたなんて普通に怖いよな。
見たところこの人は気弱な性格っぽいし。
「そ、それってすごくマズイんじゃ……」
「焦らなくても大丈夫ですよ。かなり弱い毒ですので、すぐにどうにかなってしまうわけではありません。現に時間が経っても、体に異常が出ていないのがその証拠です」
「そ、そういえばそうですね」
男性は自身の体にペタペタと触れて無事を確認する。
僕が静かな声音で話したこともあってか、彼は取り乱すこともなく落ち着いてくれた。
「まあ、だからといって放っておいていいものでもありませんので、傷と一緒に治療させていただきますね」
「は、はい。よろしくお願いします」
僕は男性の腕の傷に右手をかざし、短く唱えた。
「キュアー、ヒール」
青い光と白い光が二度瞬き、男性の体を瞬時に完治させた。
「はい、これで大丈夫ですよ。毒を完全に抜いて、傷も塞ぎました」
「あ、ありがとうございます。こんなにあっさりと治療できてしまうんですね」
あまりにも早く治療が終わってしまい、男性は呆気にとられている。
初めて無詠唱の回復魔法を見た人は、だいたいこのような反応をしてくれる。
この時だけは少しだけ得意げな気分になれて悪くない。
「今後は不用意に森には近づかず、魔物と遭遇したらすぐに逃げてくださいね。小さな魔物だからって、甘く見てはいけませんよ」
「はい。これからは気を付けます」
男性は苦笑を浮かべて頭を掻いた。
それを傍らで見ていたアメリアが、タイミングを見計らったように彼の前に出た。
「出口までご案内いたします。足元にお気を付けください」
「ど、どうも」
男性を立ち上がらせ、出口の前まで案内する。
そこには最近設けた簡素な受付カウンターがあり、そこでアメリアは会計を始めた。
「お支払い500ガルズになります」
「えっ? 傷の治療以外に、解毒までしてもらったのに、500ガルズでいいんですか?」
「はい。ノンプラン治療院は一律500ガルズで治療させていただいていますので、それ以上は頂戴いたしません」
「……じゃ、じゃあ」
男性はおもむろに500ガルズを手渡し、最後にぺこりと頭を下げて治療院を出た。
「ご利用ありがとうございました」
同様にアメリアも頭を下げ、お客さんである男性を見送る。
やがてバタンと扉が閉まると、治療院の中がシンと静まり返った。
また一人、治癒師として怪我人の傷を癒すことができた。
一仕事終えて息をついていると、いまだに扉に向かって頭を下げたままのアメリアが、ぼそりと一言付け足した。
「……またお越しくださいませ」
「なに物騒なこと言ってんだお前」
見過ごせない台詞を口にしたアメリアに、さすがにツッコミを止めることができなかった。
またお越しくださいませって、下手なこと口にするんじゃねえよ。
「また来てくれたほうが治療院の売り上げが良くなるであろう。当然のことを言ったまでだ」
「ここは怪我した人が来る治療院なんだから、『またお越しくださいませ』は『また怪我をしてください』って言ってるのと同じなんだぞ。そんな物騒なこと二度と言うなよ」
以前にプランにも言ったことを、念を押して伝えておく。
ていうかこいつ、アルバイトとして働き始めたときのプランと似たような思考になってるじゃねえか。
ここは治療院なんだから、悪いことが起きて初めて儲けが出る場所なんだぞ。
「とは言っても、仕事を頑張ると決めた以上、客足を伸ばしたいとは少なからず思っているであろう? 客が来なければ仕事を頑張ることもできないからな」
「うん、まあ、それもその通りなんだけどな」
アメリアの言うことも一理ある。
長期休暇を経て、仕事への意欲を向上させた僕としては、お客さんがたくさん来てくれたほうが確かに好都合だ。
そのために今、少しずつだが営業の幅を広げる政策を行なっているのだからな。
「あの盗賊娘に治療院の”宣伝”に行ってもらっているのも、さらなる集客のためであろう? 私もその手助けを少しでもしてやれたらいいと思っているのだ」
「……いやまあ、その心意気は素直に嬉しいけどな」
そう、今はプランに治療院の宣伝に行ってもらっているのだ。
それゆえ現在ノンプラン治療院には、僕とアメリアの二人しかいない。
いつもより静かで、僕とアメリアの気の抜けた声しかしないのはそのためだ。
普段からあまり覇気のない僕たちが宣伝に行くより、プランのほうが断然声の通りが良さそうだったしな。
その甲斐あってか、ノホホ村だけにとどまらず、他の町や村からも何人か新しいお客さんたちがここへ足を運んでくれている。
プランのその頑張りに倣って、アメリアもアメリアなりに集客の手助けをしてくれようとしたのは素直に嬉しいのだが、やっぱり『またお越しくださいませ』は絶対にナシだろ。
そもそもこいつは、さっき僕が男性にしたアドバイスの意味をわかっていないのだろうか?
怪我の再発防止を促すのも治癒師の役目の一つなんだぞ。それなのに『また来てくれ』なんて矛盾もいいところだ。
治療院には基本、既存顧客という概念は存在しない。してはいけないのである。一部を除いてだけど。
それでもやはりアメリアは、自分なりに何か新しいことができないか考えているみたいだ。
「う~む、治療院の営業形態上、どうしても客が新規顧客に偏ってしまいがちだな。どうだノン? そろそろ新規顧客だけではなく、やはりリピーターを増やしてみるというのは?」
「リピーター?」
先刻のアメリアの台詞を繰り返す。
「そのための『またお越しくださいませ』だったっていうのか?」
「その通りだ。今はこうして宣伝のおかげで新規顧客が舞い込んでくるが、一過性のものに過ぎないだろう。だからこそ既存顧客のリピートを狙う作戦を考えようではないか」
まあ、言わんとしていることはわかる。
確かにこの景気の良さは一過性のものに過ぎないだろう。
大方の怪我人たちを治療してしまったら、しばらくは客足が遠のくに違いない。
また誰かが怪我をするのを待つ以外に方法はないのだ。
だからこそアメリアは、こちらから何か仕掛けることでお客さんが再びここに足を運んでくれるように作戦を練っているみたいだ。
「何かいい案でもあるのか? 怪我するのを待つ以外にリピーターを増やす方法なんて」
「う~む、差し当たってはそうだな……」
難しい顔をして考え込んだアメリアは、やがてパチンと指を鳴らして言った。
「ポイントカードとか作ったらどうだ?」
「だから物騒なこと言うんじゃねえよ! いっぱい怪我したらお得になるカードとか呪いの札かよ!」
誰も嬉しくないだろそのカード。
むしろポイントが貯まっていく度に、自分の愚かさが露見しているみたいで惨めな気持ちになるはずだ。
「カードの表面に私のイラストなど起用したら欲しがる者も増えるのではないか? むしろカード目的で治療院を利用する者まで出てくるやもしれんぞ」
「趣旨が微妙に変わってきてんじゃねえか。それなら無難にクーポンとかでいいだろ。ていうかやっぱりリピーターを狙うのはナシだな。結局はお客さんに怪我してもらわなきゃいけないわけだし、ポイントカードとかのためにわざと怪我されてもこっちが心苦しいからさ。基本は新規顧客狙いの集客でいいだろ」
と言ってアメリアの案を一蹴する。
それに……
「今はプランの宣伝のおかげで、想像以上に客足が伸びてるからな。これ以上下手に集客する必要はないよ。さっきのお客さんで、今日はもう”40人目”だし」
充分すぎる成績と言っていい。
これだけの怪我人を一日で治しているのだから、治癒師としてちゃんと仕事を頑張っていると言えるだろう。
これからは真面目に働くという目的は達成できているのだ。
「何よりもこれ以上客が増えたら、僕が回復魔法を使えなくなる。僕の魔力だって無限じゃないんだし」
「ま、それもその通りだな。ノンの魔力が切れるほど客が来て、もしそのタイミングで重傷者が現れでもしたら大惨事になるからな。今くらいの仕事量がちょうどいいのかもしれんな」
アメリアも納得してくれたみたいだ。
ヒールだってタダじゃない。僕が魔力を消費して発動していることを忘れてはならないのである。
「それにしてもあの盗賊娘、いったいどんな宣伝の仕方をしてここまで客を呼ぶことができているのだろうな? 特に疑問を持たずにいたが、いくらなんでも一日の客が多すぎではないか?」
「……まあ確かに」
今さらながらのことをアメリアが口にして、僕も改めて不思議に思う。
今までにも、この治療院がちょっとした話題になって五十人近くが来店した日があったけれど、それは一過性のものに過ぎなかった。
今回のように連日四十人から六十人が来店し続けるのはいくらなんでも妙だな。
特に女性の新規顧客が多い気がするけど、プランはいったいどんな宣伝の仕方をしているのだろうか?
宣伝係を任せたっきり、特に口出しとかしてこなかったからな。
「……帰ってきたらあいつに直接聞いてみるか」
「それがいいだろうな」
と簡単に結論をまとめて、僕たちは定位置に戻ることにした。
またいつ客が来るかもわからないからな。
いつでも迎えられる態勢を整えておかないと。
なんて思いながら出口に背を向けた瞬間ーー
「ただいまッス二人とも! 宣伝ついでに良い物買ってきたッスよ!」
この治療院で一番ハキハキしているアルバイト一号の少女が、勢いよく扉を開けて帰還した。
噂をすれば、というやつだ。
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