第2部 第3章
第57話 「おはよう」
人ってなぜ眠るのだろう?
人だけではなく生物全体にも言えることだが、眠る理由を明確に説明することは誰にもできない。
その日の疲れを癒すため? 生活リズムの一環として? お母さんにそう躾けられたから?
何かの本で読んだ気もするが、その日の出来事を記憶に残すために睡眠をとるという考え方もあるらしい。
まあ、多くの人たちはそんな理由なんて考えず、ただただ眠いから毎日ベッドに入ってまどろみに身を任せていることだろう。
しかし僕の場合は少しだけ違う。
僕は眠ることが好きだ。眠るという行為自体を愛している。
そして眠るのが好きだから毎日眠っていると言っても過言ではない。
例えようのないあの寝起きの気持ち良さ。短すぎず長すぎない、適正な時間で睡眠をとれた時のあの快感。
それを味わうために毎晩、あるいは昼下がりのウトウトする時間に、僕はベッドや窓際の席に行って気ままに眠りについている。
なぜ急にこんな聞き苦しい持論を脳内で展開させたのかというと……
その大好きな睡眠という行為に水を差され、思わず自分の睡眠に対する想いを振り返ってしまうほど、今の僕が大変ご立腹だからである。
もっと簡潔に言うと、朝起きたらベッドの隣に誰かいた。
「あっ、おはようございますッスノンさん! いい夢は見られましたか?」
「……」
悪夢だった。
実際には覚えていないほどどうでもいい夢を見ていた気がするけど、寝起きが最悪になっただけで悪夢を見てしまった気分だ。
隣にはナイトキャップまでしっかり被った、パジャマ姿のプランが寝そべっていた。
僕は神経質なのか、枕が変わっただけで眠れないタイプである。そんな僕が誰かと寝床を一緒にできるはずもなく、違和感のせいでいつもより二時間も早く起床してしまった。
こいつ、結構前から僕のベッドに入り込んでいたな。
僕はひどく機嫌を損ねながら、自分でも引くくらい悪い目つきでプランを睨んだ。
「何してんのお前?」
「えっ? 何ってそれは……」
隣で寝そべるプランは、悪びれた様子でチラリと目を逸らす。
そして目を泳がせながらしばらく逡巡した。
今理由考えてやがるなこいつ。せめて何かしらの言い訳を考えてからかかってこいや。
やがてプランはわざとらしくハッとなって言う。
「あ、あれれ~? おかしいッスね~? 昨日の夜中、お花を摘みに行った帰りに、間違えてノンさんのお部屋に入ってしまったのかもしれないッス。アタシってばドジッスね」
「……僕の部屋、鍵付きの扉なんだけど」
寝ぼけて入れるような作りにはなっていない。
わかりやすい嘘を容易く看破するが、それでもプランは往生際悪く足掻いてきた。
「寝る前に鍵かけ忘れちゃったんじゃないッスかね? ほら昨日なんて結構忙しくて、ノンさんも疲れてたじゃないッスか」
「いや、確実に掛けたの確認してから寝たんですけど。ていうかさっきからずっと気になってたんだけど……」
僕はチラッと部屋の床に目を向けて続ける。
「そこに落ちてる、不自然にくねくね曲がった針金はいったいなんなんだ? あれ見てもまだしらばっくれるつもりかお前?」
「……」
プランは笑顔のまま固まり、次第に玉のような冷や汗を額に滲ませた。
あれを使って部屋の鍵をどうにかしたのは確かだな。
盗賊の手癖の悪さが嫌というほど滲み出ている。
やがて彼女は諦めがついたのか、ニヤリと笑みを浮かべ、右手の親指をぐっと立てて言った。
「五秒で解いてやったッスよ」
「自信満々で言ってんじゃねえ!」
思わず僕は枕を取り、全力でプランに投げつけた。
それは見事に奴の顔面に直撃し、「グヘッ!」と不細工な声を漏らしてベッドから落ちる。
相変わらずのプランの奇行に呆れていると、奴は力なくよろよろと立ち上がった。
「だって、ノンさんと一緒に寝たかったんスもん……ノンさんの寝顔を目に焼き付けたかったんスもん……」
「スもんじゃねえよ。そんなくだらないことのために大盗賊の力を使ってんじゃねえ」
その器用さをもっと利口なことに活用しろよ。
再び呆れ果てながら、僕はようやくベッドから下り、クローゼットの方へ向かう。
そして寝巻を脱ぎ、いつもの白衣コートに手を掛けて着替えを始めた。
「ったく、朝っぱらから大きな声出させるんじゃねえよ。いつもより二時間も早く目が覚めちゃったじゃんか。お前の奇行に付き合わされるこっちの身にもなってくれ」
「奇行じゃないッスもん。そろそろこの曖昧な関係性も煩わしいと思ったので、アタシなりにはっきりさせようとやってみたんスよ」
プランは部屋の床に座り込んでグスッと鼻をすすっているが、正直出て行ってほしいなぁ。
ひょっとして僕の着替えを眺めるためにわざと居座っているのだろうか?
鬱陶しい気持ちになりながらも着替えを進めていると、いつしか鼻すすりをやめていたプランが、唐突に僕に聞いてきた。
「ノンさんって、今までに好きになった人とかいないんスか?」
「はっ?」
思わず眉を寄せて振り返る。
「なんだよその質問? 意図がまったく見えないんだけど」
「いやだって、アタシがこうしてベッドに潜り込んでも、まったく動揺してくれないじゃないッスか。もしかして女の子に興味ないのかなって思って……」
「ベッドに潜り込んだってはっきり言ったなお前」
まあそれはいいとして……
プランが何か変な勘違いをする前に、僕は彼女の意識を正しておこうと思った。
「確かに好きな人は今までできたことはないけど、別に女の子に興味ないわけじゃないよ。美人を見たら綺麗だなって思うし、好みの子がいたら自然と目で追ってるからな」
「えぇ~、本当ッスか? そんな素振りまるで見せたことないじゃないッスか。目で追われていたらさすがのアタシだって気づきますッス」
「なんでお前のことを好いてる前提で話してんだよ」
どんだけポジティブなんだこいつ。
朝っぱらからよくそこまで前向きな考えを持てるよな。
僕が過去に一度でもプランのことを好意的に想っていると発言したことなんてないのに。
「とにかく、僕は女の子に興味がないわけじゃない。変な誤解をされないためにこれだけははっきり言っておくぞ」
「ん~、そうやって堂々と断言されても、アタシとしては納得の行かない部分が多いッスよ。だって女の子に多少の興味がある男子なら、歳の近い女子がベッドの隣で寝そべっていて何も感じないのはおかしな話じゃないッスか。ロリコンかホモって疑われても仕方がないことッスよ」
「誰がロリコンかホモだ。別にどっちでもないよ」
そういう変な誤解をされないために、付け加えて僕は言う。
「歳が近い異性ってだけでドキドキするほど、男子は安い作りになってない。むしろその他が重要なんだ」
「その他?」
「顔とか性格とかスタイルとか、まあ色々。人には人の好みがあるんだから、それに合わせて男子を攻めなきゃ効果的じゃない。男子をドキドキさせたいならもっと頭を使って、”計画的”に行動しろ」
「け、計画的に……」
こいつにこんなこと言っても無駄なんだろうけど。
しかしいい機会だ。ここで自分の欠点に気づかせてやって、言動や性格を改めてもらうのも悪くないかもしれない。
プランは少し慎みを覚えたほうがいいからな。
僕は一時着替えを中断し、下はパジャマで上は仕事着という中途半端な格好でプランの方を向いた。
「例えば、無理やり鍵を突破してベッドに潜り込んだりする変態行為をやめる」
「うぐっ!」
「必要以上に僕に接触してくるのをやめる」
「あうっ!」
「あとその、何々『ッス』っていう語尾も女の子らしくないからやめたほうがいい」
「ぐはっ!」
精神的にダメージを負ったらしいプランは、涙目になって頭を抱えた。
「そ、それってつまり、アタシのこと全否定ってことッスか……」
「まあ、端的に言えば……。いやでも、お前にだっていいところはちゃんとあると思うぞ。大盗賊の天職を授かって器用だから、掃除がすごい得意とか、洗濯物はシワ一つないとか、料理は店開けるレベルで美味いとか。その特技を生かして男子をドキドキさせたらいいんじゃないか。だから今日の朝飯も期待してるぞプラン」
「う、うぅ……。それってただの家政婦と変わんないッスよ」
……かもしれないな。
しかし手先が器用で家事万能なのは女子としてポイントが高いのも事実。
部屋が汚くて服がシワクチャで飯マズな女の子に比べればプランは断然いい女子だ。
慎みさえ覚えてくれたらだけど。
「でもまあ、男子を有効的に攻める手立てがわかってよかったッス。それにノンさんも、ロリコンでもホモでもなくてちゃんと女の子に興味があるみたいで安心したッス。まだ”可能性”が残されているっていう確かな証拠ッスからね。それが知れただけでも忍び込んだ甲斐は充分にあったッス」
「忍び込んだってはっきり言ったなお前」
そういうところだよそういうところ。
再び呆れながら着替えを再開させ、最後に白衣コートをバサッと羽織ると、そのタイミングでプランがすっと立ち上がった。
「それではノンさん、朝早くから失礼しましたッス。先に下に行ってご飯作っておきますッスね」
「うん、よろしく頼むわ」
プランは扉を開けて廊下に出る。
そのまま階段に向けて足を進めかけたが、一歩踏み出したところでピタリと止まった。
「あっ、ちなみに参考までに聞いておきたいんスけど……」
「朝ご飯のリクエストか? 今日は早めに起きちゃって胃の準備が出来てないから、さっぱり目のメニューでお願いしたいんだけど……」
「いえいえ、それももちろん重要なことなんスけど……」
プランはにこりと微笑んで続けた。
「好みの女の子ってどんな感じの子なんスか?」
「……」
おそらく先ほど口走ってしまった、『好みの子がいたら目で追ってる』という発言に対しての質問なのだろう。
あれは自分でも失言だったと思っている。
それを聞き逃していなかったらしいプランは、笑顔にも関わらず若干鋭い目つきで僕のことをジッと窺っていた。
隙を見せた獲物を狙う獣のような眼差しだ。下手なこと言って誤魔化せる雰囲気じゃないな。
僕の好みの女の子。それは可愛くて、慎みがあって、一緒にいて静かに過ごせそうな、ちょっとくらい無口な同年代の子。
そのすべてを集約させた端的な答えを、コートの前ボタンを掛けながら僕は返した。
「お前っぽくない人」
「一瞬で可能性が消えたッス!」
僅かに抱いていたであろう奴の小さな希望を、粉々に打ち砕いてやった。
きっちり最後まで僕の着替えを見ておいて、満足したらトンズラだもんな。
そんな変態にはちょうどいい仕置きになっただろう。
さてと、今日も仕事がんばろ。
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