第56話 「改心」

 

「あっ、ホントにノンさん帰ってきてる!」


 治療院の扉を開けて入ってきたのは、ノホホ村の中央広場で八百屋をやっているレギルさんだった。

 窓際の席で少しウトウトしていた僕は、その眠気を払って椅子から立つ。

 今はちょうどプランもアメリアも席を外しているので、代わりに僕が出迎えをすることにした。


「こんにちはレギルさん。お久しぶりです。どうかしましたか?」


「うん、ちょっと前に怪我しちゃったところがあってさ。お買い物に来たプランちゃんから『ノンさんが帰ってきてる』って聞いて、治してもらおうと思ったんだ」


 レギルさんはお客さん用の席に座って、左腕の肘をこちらに見せてくる。

 そこには擦り剥いたと思われる傷があった。

 僕たちがいない間にできた傷だろうな。

 で、今広場まで買い物に出かけているプランから、治療院が開かれていることを聞いてやって来たと。

 ならそろそろあいつも帰ってくるかな。

 なんて考えながらレギルさんの傷を即行で治し、治療費の500ガルズを受け取った。

 代わりというわけではないが、次いで彼女にお茶を差し出し、僕もお茶を口にする。

 アルバイトが加わってからはなかった、お客さんと二人きりの時間を過ごしていると、先にレギルさんが話を切り出した。


「温泉街まで旅行に行ってたんだよね。どうだったの?」


「うっ……」


 お茶を持つ手が僅かに揺れる。

 すぐに答えを返せずにいると、レギルさんはその様子をおかしく思ったようだ。


「あ、あれっ? 楽しくなかったの? ポカポカの街での旅行なんて、つまらなくする方が難しい気が……」


「あっ、いや、その……つまらなかったわけじゃないんですけど、楽しかったと言うよりか疲れたと言いますか……」


「疲れた……?」


 まあ、信じられないのも無理はない。

 僕だって最初はゆっくり楽しむはずで旅行に行ったんだから。

 しかし実際はトラブル続きの動きっぱなしで、羽を伸ばすどころではなかった。

 むしろいつも以上に忙しかった気がするぞ。


「ま、まあ旅行って、行ってた時はすごく楽しく感じるけど、家に帰ってきたら途端にドッと疲れが押し寄せてきたりするからね。今はそう感じるのも無理ないよ」


「は、はは、そうですね……」


「しばらくしたら、『あの時は楽しかったなぁ』っていい思い出になったりするから、少しの間は我慢だよノンさん」


 こちらの顔から何かを察したらしく、レギルさんは気を遣ってくれる。

 次いで彼女は席を立ち、出口の方まで向かっていった。


「それじゃあ私はこれで、お茶ご馳走様」


「は、はい。ありがとうございます」


 本当に色々と。

 と、一仕事終わったので再び窓際の席でのんびりしようと思ったのだが、一度退室したレギルさんがまた戻ってきて、にこりと僕に微笑んだ。


「あっ、言い忘れてたけど、ノンさんがいない間に怪我しちゃった人たち多くて困ってたから、後でたくさん来るかもしれないよ。ノンさんファイト!」


「……が、頑張ります」


 物騒な台詞を置き去りにして、今度こそレギルさんは治療院を後にした。

 しばし僕は静まり返った室内で立ち尽くし、倒れるように椅子に腰を落とす。


「はぁ~~~……」


 体中の疲れを息に乗せるように吐き出すと、ちょうどそのタイミングで階段から誰かが下りてきた。

 パジャマ姿のまま枕を脇に抱えたアメリアだ。


「ため息一回につき、不幸が一度訪れると言われているぞ。気を付けろノン」


「幸せが逃げるんじゃなくて不幸が訪れるのかよ。魔族の間じゃそんなネガティブな表現されてるのか。まあ逃げる分の幸せもないからそれで合ってるけど」


 いや、そんなことはどうでもよくて。


「で、お前はようやくお目覚めか? もう始業時間から一時間も経ってるけど……」


「ノンと同じで、どうやらまだ疲れが抜けないみたいだ。正直あと五時間は寝ていたい」


「おいコラ」


 引っぱたいてやりたい衝動をどうにかして抑える。

 院長の僕が仕事して、プランが買い物に行ってる間、こいつだけ呑気に眠りこけやがって。

 おかげで治療院がすっかり静かだったじゃねえか。


「まあ、今はあんまりお客さん来てないから大丈夫だけど、たぶん後で忙しくなると思うから、その時は接客よろしく」


「うむ、任せておけノン」


 アメリアはドンッと慎ましい胸を叩いて宣言する。

 そんな堂々とした様子とは裏腹に、奴の頭は寝癖でボサボサになっていた。

 頼りねえ。まずはその寝癖を直して、脇に抱えた枕を置いてこい。


「にしても旅行って、本当に何もいいことないな。移動だけで相当体力持ってかれるわ、旅先ではトラブルに巻き込まれるわ、帰ってきたら仕事は溜まってるわで……。僕が旅行を楽しめない性格なだけだと思うけど」


 ついつい愚痴をこぼしてしまうと、アメリアが寝癖を直しながら返してきた。


「では、もう一度長期休暇が取れたとしても、旅行へは行かないのか?」


「二度とごめんだよ。やっぱりうちでゆっくりしてるのが正しい休日の過ごし方だよ」


 これは今回の教訓だ。

 僕は基本的にアウトドアに向いていない。

 性格的にも境遇的にも、治療院で大人しく仕事をしている方がゆっくり過ごせることが証明されてしまった。

 たまにはいいのかもしれないけれど、しばらくは本当にいいや。


「ノンさーん、お買い物終わりましたッスよー」


 そう言いながら、両手に買い物袋を提げたプランが帰ってきた。

 お疲れ気味の僕たちと違って、プランだけは元気な様子でいつも通り笑っている。

 何気にこの中で一番アウトドアに向いているのかもしれないな、こいつ。


「さっきそこでレギルさんとすれ違いましたッスよ。レギルさんちゃんと治療しにきたんスね」


「うん。僕たちが旅行行ってる間に怪我しちゃってたらしくてさ、ついさっき終わったばっかだよ」


「そうなんスか。おかげで八百屋さんの店番をコマちゃんがやってて、天手古舞になってましたッスよ。あっ、そういえばなんスけど、中央広場で情報誌をもらってきましたッスよ。ポカポカの街のことが小さく書かれてますッス」


 買い物袋を置いたプランが、その中から一冊の冊子を取り出した。

 ページの端を折ったところを広げて机に置き、さらに隅っこの記事を指し示す。

 そこに目を落とすと、確かにポカポカの街でのことが小さく書かれていた。

 どうやら、街の近辺で大量出没していたキノコ型の魔物が、次第にその数を減らしているらしい。

 それから、街中で横行していたスリもすっかり鳴りを潜め、今ではいつも通りの平穏な街に戻っているみたいだ。


「ふぅ~ん、この記事を見る限りだと、リックが犯人として吊るし上げられた様子はなさそうだな。もしそうなってるなら『スリの正体見たり! なんと十歳前後の少女でした!』って一面を飾ってるはずだからな」


「そうッスね。真剣に謝って許してもらえたんじゃないッスか。ノンさんのお世話になることがなくて何よりッス」


 プランと同様、僕も密かに胸を撫で下ろす。

 あの時は冗談のつもりで言ったけど、リックがぶっ飛ばされて僕の治療が必要になる可能性はゼロじゃなかったからな。

 人によっては子供だろうと容赦しないなんてこともあるだろうし、冗談が本当にならなくてよかった。

 ともあれこれであの子も、今後はスリなんて間違ったことはしないで、困ったら人を頼るようになるだろう。

 それに今度は、ちゃんと怒ってくれる優しいお母さんがいるわけだし。


「これで一件落着ッスかね。旅行って言いながら、なんだかんだでいつも通りの人助けをしちゃったッスね」


「うん、そうだな」


 僕は深く椅子に腰掛けなおし、宙を見上げながらぼやく。


「なんつーか、散々な目に遭ってばかりの旅行だった気がするけど、改めてお金の大切さも理解できたよ。人って金がなくなるとあんなにテンパるもんなんだな。それがわかったって意味では、いい旅になったのかもしれない」


 独り言のようにそう呟くと、洗面台の方から戻ってきたアメリアが、にやりと微笑をたたえた。


「ふっ、今後は大金を抱えているからといって甘えたりせず、怠惰な暮らしは控えることだな」


「今の寝癖だらけのお前にそう言われると果てしなくムカつくけど……まあ、これからは真面目に働きます」


 いつ食い扶持がなくなるかわかったもんじゃないし、怠けてると本当に天罰が下るってわかったからな。

 それに……


「あっ、ホントにノンさん帰ってきてる!」


「ちょっと治してほしいところがあるんだけど!」


「私も私も!」


 僕が長期間いなくなると、村の人たちを怪我した状態で待たせることもわかったしな。

 続々とやってくる怪我人たちを見て、僕は袖をまくって治療に取り掛かる。

 大金が入ってきて以来、希薄になっていた勤労への意識を、僕は僅かながらだが向上させたのだった。

 



 第二部 第二章 おわり

 

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