第55話 「けじめ」

 

「い、今のあの一瞬で盗っちゃったのか?」


「はい、盗っちゃったッス。あまりにも隙だらけだったので」


 プランは実に嬉しそうに杖をフリフリする。

 その杖は間違いなく、あのキノコ王子が持っていたトランスの杖だ。

 奴はまだそのことに気づかず呑気にくるくると回っている。

 僕としては近づきがたくて厄介な奴だと思ってたんだけど、中距離から発動できる『窃盗』スキル持ちのプランからすれば隙だらけだったみたいだな。


「んっ? どうしたんだい君たち? いったい何をこそこそ話して……」


 やがてマッシュは回転を止め、僕たちに訝しい目を向けてくる。

 そしてプランが見覚えのある杖を握っていることに今さらながら気づき、奴は慌てて懐をまさぐり始めた。


「んっ? あれっ? ない!? どこにもないぞ! もしかしてそれって……」


「あなた気付くの遅すぎじゃないッスかね? 魔法の杖はアタシが預からせてもらったッス」


 呆れた様子のプランを見て、マッシュは口を開けて愕然とした。

 しばし固まったのち、奴はハッとなって動き出す。


「ぼ、僕ちんの杖をかえっ――!」


 言いながら飛び掛かろうとしてくるマッシュ。

 僕はすかさずプランを後ろに下げて庇おうとするが、その必要がなかったと言うようにリックが叫んだ。


「動くな!」


「――っ!?」


「あんたが毒煙を撒いている間に、周りに罠を仕掛けさせてもらった。下手に動いたら全身が細切れになると思え」


「……こ、こま――」


 見るからにマッシュは顔を青くして冷や汗を流していた。

 自らが千切りになることを想像してしまったのだろう。

 にしてもリックの奴、さっきから姿が見えないと思ったら罠なんて仕掛けてたのか。

 しかも今の短時間でマッシュを囲うほどの罠を張るとは、とんでもない仕事の速さだな。


「魔法の杖さえあれば、母ちゃんを治せることがわかったからな。もうあんたに遠慮なんかしない。母ちゃんを苦しめた報いを受けろ、クソキノコ野郎」


 リックも相当怒っていたみたいだ。

 これでマッシュはあの場から一歩も動くことがない。まな板の上のキノコ同然である。

 大盗賊と罠師の活躍により、一切の身動きがとれなくなったキノコ男を見て、僕は仲間たちに言った。


「よし、帰るぞお前ら」


「はいッス」


「うむ」


 そのまま踵を返して帰ろうとすると、マッシュが慌てて呼び止めてきた。


「えっ? ちょちょ、ちょっと待ってくれ! 僕ちんと戦わずにこのまま帰ってしまうのかい!?」


「はっ? そんなの当たり前だろ。んな面倒くさいことしなくても目的の杖はこうして手に入ったわけだし、お前はそこから動けないみたいだしな。ずっとそこで棒立ちでもしてろよ。お前の大好きなキノコみたいにな」


「……」


 皮肉まじりの台詞を置き土産にして、再び立ち去ろうとする。

 僕らが立ち止まらないと悟ったマッシュは、リックの忠告も無視して直接こちらを止めようとしてきた。


「そ、そんな脅しに屈するほど僕ちんはやわじゃない! それにその少女の言っていることだってでたらめの可能性が……」


 言いながら奴は一歩を踏み出しかける。

 するとその瞬間、カチッとどこからか物音が鳴り、真横から鎌が飛んできた。

 それはマッシュの頬を僅かに掠めて、傍らの木に『ガンッ!』と突き刺さる。

 奴はその鎌を横目に見ながら冷や汗を流し、ごくりと息を呑んだ。


「嘘だと思うのはお前の勝手だけど、細切れになった後で文句を言われても僕には治せないからな」


「うっ……」


 その台詞が決め手となった。

 マッシュはその場から動くことを諦め、力なくへたり込んでしまった。

 どうしていいかわからなくなったのか、膝を抱えて黙り込んでしまった奴を尻目に、今度こそ僕たちはそこから立ち去ったのだった。




「……で、森を出ちゃったのはいいけど、本当のところあれで大丈夫なのか?」 


 マッシュを放って、馬車で森から出た後のこと。

 今さらながら不安に思った僕は、上機嫌で外を眺めるリックに尋ねた。

 あれ以上戦うのが面倒だったのは確かだけど、本当に放ってきてしまってよかったのだろうか?


「他の魔族があいつを助けたり、関係ない一般人が近づいて罠が作動したりとか……」


「心配はいらねえよ。あいつの周りに仕掛けた罠はそうそう解除できるもんじゃねえし、一応魔の者にしか反応しないようになってる。助けようとする魔族がいても一緒に細切れになるだけだ」


「そ、そうですか……」


 ならよかったです。

 どうやらリックの仕掛けた罠は相当の力作になっているみたいだな。心配はいらなさそうだ。

 まあそもそもこんな森の奥底に他の誰かが来るとは思えないし、あの個性的な魔族を好んで助けようとする物好きがいるとも思えないしな。

 それでも一応、街に戻ったら冒険者の人に通報だけでもしておこう。

 で、この周りに規制線とか張ってもらえばあいつに近づく人は完全にいなくなるだろう。


「さっ、リックのお母さんを元に戻せる杖も手に入ったわけだし、ちゃっちゃと帰ることにしようぜ。つーわけでプラン、最速で飛ばしてくれ」


「了解ッス!」


 プランは手綱をグッと引き、金馬の速度を上げる。

 僕たちは馬車の荷台で激しく揺られながら、リックの家を目指して草原を駆けていった。




「ただいま母ちゃん!」


 お母さんの待つ自宅に帰って来るや、リックは嬉しそうに中に飛び込んでいった。

 それに続いて僕たちも中に入ると、さっそくリックがお母さんを治す準備を始めていた。


「これで母ちゃんを治すことができるぞ! 今すぐ治してやるからな!」


 マッシュから奪った杖をふりふりしながら言い、次いでそれをまじまじと睨み始める。

 しばらくふりふりしたりつついたりした後、彼女は困った様子で眉を寄せたので、僕は傍らから助言を送った。


「杖の先端をお母さんに向けながら、『トランス』って唱えればたぶん行けると思うぞ。あっ、ちゃんとお母さんの元の姿を思い浮かべながらな」


「あ、あぁ、わかった」


 リックは緊張した面持ちで杖を構え、お母さんにその先端を向けた。


「ト、『トランス』!」


 リックがそう言うと、杖が僅かに光り、先っぽから光球が放たれた。

 ゆらゆらと頼りなく飛んだそれは、コタンゴ姿のお母さんにパチンと被弾する。

 すると全身が光に包まれ、次第にシルエットが大きくなっていった。

 やがてその変化が収まり、僕たちの前には一人の女性が横たわった姿で現れた。

 リックとは似つかない橙色の長髪と、優しさを感じさせる垂れた眉。

 トランスの魔法による影響なのかスヤスヤと眠っているので、僕は声を落としてリックに問いかけた。


「こ、これが、元のお母さんの姿なのか? 僕たちは知らないから成功したのかわかんないんだけど……」


「だ、大丈夫だ。ちゃんと元の母ちゃんに戻ったぞ。アタイの知ってる、優しくて大好きな母ちゃんだ……」


 次第に涙声になるリック。

 表情を見ずとも顔が涙で濡れていることがわかった。


「ありがとうプラン姉たち。アタイ一人じゃ絶対に母ちゃんを助けられなかった。プラン姉の言う通り、もっと早く誰かに助けを求めていたら……」


 今さらながら後悔するリックに、プランはそっと寄り添う。


「それをわかってくれただけでいいッスよ。一人じゃどうしようもない時は、遠慮なく周りの人を頼るようにしてほしいッス。それで助けてもらった後は、ちゃんと今みたいに『ありがとう』って言うんスよ。アタシとの約束ッス」


「うん、うん……わかったよプラン姉」


 リックは噛み締めるようにこくこくと頷く。

 次いで彼女ははっとなって戸棚がある方へ走っていった。


「あっ、そういえば、500ガルズだけ払わなきゃいけないんだよな。ちょっと待っててくれ、今すぐに払うから」


「あぁ、いや、それは別に急がなくてもいいんだけどさ、とりあえず僕たちの財布返してくれないか? よく考えたらまだ返してもらってなかったし。あと、今まで盗った他の人のお金も全部渡してくれ」


 そう言うや、傍らのアメリアが感心するように微笑んだ。


「なかなか欲張りではないかノン。治療費の500ガルズのみならず、他の連中の金までせしめようとは……恐ろしい奴め」


「この状況でそんな発想できるお前の方がおっかねえわ。全部元の人まで返すんだよ。たぶんあの温泉街のギルドまで持っていけば、盗られた人たちの手元まで返してくれると思うからさ」


 アメリアは『チェッ』と物惜しそうに声を漏らした。

 他の人の金までかっさらうつもりだったのかこいつ。

 そういう冗談はさておき、僕はリックから全員分の財布を受け取るために手を伸ばす。

 しかしリックは躊躇うように唇を噛んだ。


「わ、悪いけどノン、それはできない」


「……?」


「できれば盗んだ財布は、その……」


 言い淀むリックを前に、思わず僕は冷や汗を流す。

 まさか、盗った財布をそのままネコババする気なのか? とアメリア並に邪な想像をしていると、リックが意を決した顔で宣言した。


「できれば盗んだ財布は、自分の手で全員に返したいんだ。それで償いきれるとは思ってないけど、そこまでノンに頼ったらダメな気がするから」


「……そっか」


 これがリックなりの償いなのだろう。

 おそらく盗んだお金には一切手を付けていないだろうが、盗んだ事実に変わりはないので罪の意識を重々感じていると思う。


「けどそうするとお前は、財布を盗った連中からひどい扱いを受けるんじゃないのか? それでも……」


「それでも構わない。たとえ罵られたりぶっ飛ばされたりしても、アタイはそれくらいのことをやったわけだから、償いとして当然の痛みは受けるべきだと思ってる」


 むしろぶっ飛ばされた方がスッキリするくらいだ。そう言わんばかりにリックの顔には揺るがない意思を感じた。

 自分が間違ったことをして、己への怒りをどこへ向けていいのかわからない状態なのだろう。


「ま、リックがそう決めたなら止める気はないよ。僕たちの代わりに温泉街のギルドまで財布を持って行って、持ち主と直接会ってくれ。で、もし本当にぶっ飛ばされて怪我とかしたら、その時は治癒師として僕が治してやるから、遠慮なく頼ってくれよ。ちょっとくらいならサービスしてやるから」


「おう。その時はよろしく頼む」


 冗談まじりに言ってみたのだが、リックはぶっ飛ばされる気満々の様子で大きく頷いた。

 初めに出会った時と変わらないはずの、罠張りが得意で器用な、人に頼ることができない不器用な少女。

 そんな彼女が少しだけ、僕たちの目に大人っぽく映った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る