第48話 「それだけの一言」

 

「いっっってぇな! なにしやがんだ!?」


 プランに手刀を食らったリックは、顔を赤くして激怒した。

 歯を食いしばりながら詰め寄り、間近で睨みを利かせている。

 そんなやり取りを見つめて、思わず僕は”ほぉ”と声を漏らしてしまった。

 まさかプランが人を叩くとはな。

 軽めの手刀を頭に入れただけだが、プランが誰かを叩いたりしたのは初めて見たかもしれない。

 呑気にそんなことを思っていると、リックに睨まれたプランは物怖じせずに返した。


「お母さんを助けるためにスリをしてるなんて、あなたのやっていることは間違ってるッス」


「――っ!?」


「どうしてもお母さんを助けたいというあなたの思いは理解できるッスよ。でも、その助け方には異議を唱えたいところッス。いいッスか? 人の物を盗むのは絶対にしてはいけないことなんスよ」


「……」


 どんな気持ちでこいつの話を聞いていればいいんだろう?

 ツッコミたい衝動をぐっと押し殺しながら、僕は続く二人のやり取りを静かに見守った。


「やっちゃいけないことだってくらい、アタイだって充分にわかってる。でもこれ以外に助ける方法がねえから仕方なくやってんだろうが」


「どうしてそうやって勝手に決めつけてるんスか? 考えることをやめてしまっているんスか? 助ける方法が他にないって、誰かにそう言われたんスか?」


 プランの問いに対し、リックは無言と言う形でかぶりを返す。

 するとプランは押し黙るリックの前に屈み、目線を合わせて改めて問いかけた。


「あなたはどうしてもお母さんのことを助けたいんスよね?」


「あ、あぁそうだ。だからなんとしても大金を得るために、色んな連中から金を盗ってるんだよ。これの何が間違ってるって言うんだ!」


「お母さんのことをどうしても助けたいなら、なおさらこんな方法を取るのはやめるッス」


「えっ?」


 プランはちらりとリックの後ろで怯える母親を見て続ける。


「もしあなたがたくさんのお金を盗んできて、それでお母さんのことを助けられたとしても、それで優しいお母さんは喜ぶと思いますッスか? 盗んできた汚いお金で救われて、お母さんは納得すると思いますッスか? アタシはそうは思わないッス。優しいお母さんのことッスから、きっと悲しむと思いますッス」


「で、でも、アタイにはこれしかできないから……」


「だから、どうしてそうやって決めつけちゃってるんスか? お母さんだってあなたにそんなことをしてほしくないって思ってるはずッスよ。“基本的”に盗みは誰かを悲しませる悪質な行為ッスから。中には盗みで人助けをしている盗賊たちもいますが、あなたのやっていることは悲しむ人たちを大勢出してるだけッス。そんなことには何の意味もないッスよ」


 プランの説教を聞き、いよいよリックは涙目になりながら叫びを上げた。


「じゃ、じゃあ、アタイはいったいどうすればよかったんだよ!? アタイはこれ以外に金を得る方法を知らねえ! 母ちゃんを助ける方法なんかわかんねえ! 盗んじゃダメだって言うなら、アタイはいったいどうすれば……」


 まるで縋るような問いかけに、プランは優しい声音で囁き返した。


「『助けて』って、誰かに一言でも言ったことがありますッスか?」


「えっ……」


「もしかしなくてもあなた、誰かに『助けて』って言ったことないんじゃないッスか? 全部自分の力だけで解決しようとして、誰かに頼ったこととかないんじゃないッスか?」


 とても単純な方法を、悪戯をした子供をあやすように教えている。

 それなのにも関わらず、リックは目から鱗と言わんばかりに瞳を丸くした。


「でもそれは仕方のないことでもあるッス。あなたは今まで一人で生きてきて、誰かに頼るという術を知らなかったわけッスから。それに育った町も町ッスから、頼んだだけで快く助けてくれる人がいるなんて普通は考えないッスよね」


 次いで彼女はリックの小さな両肩にそっと手を乗せながら続けた。


「でも、中には確かにいるんスよ。面倒な事が嫌いなくせに、困っている人を放って置けないどうしようもない超お人好しさんが。その人は過度な見返りなんて求めませんし、ちゃんとみんなのことを笑顔にしてくれるッス。アタシもその人に会うまでは、そんな人がいるなんて夢にも思ってなかったッスから」


 不意にプランの視線がこちらに向けられる。

 僕はなんだか居心地悪くなり、つい目を逸らしてしまった。

 するとすぐにプランはリックに視線を戻し、再び囁きかける。


「とっても簡単なことッスよ。『助けて』って、たったそれだけの一言でいいんス。誰かから盗んでまでお金を集める必要もないですし、子供は子供らしくお兄さんやお姉さんに頼っていいんスよ」


「……」


 リックは目を丸くして固まっている。

 やがて彼女は唇を噛みしめて、プランから目を逸らすように顔を伏せた。

 それだけでよかったのだと気づかせてもらった。

 今までの自分の行いが間違っていると理解できた。

 だからだろう。リックは涙に濡れた顔を上げ、噛みしめた口を開いて言った。


「ア、アタイの母ちゃんを、どうか……助けてくれ!」


 少女の健気なお願いを受けて、プランは笑顔で頷き返した。


「もちろんいいッスよ。お母さんだけじゃなく、泣いてるあなたのことも助けてあげるッス。困ってる時はそうやって誰かに頼っていいんスからね。ねっ、ノンさん?」


 プランの笑みがこちらに向けられる。

 同じ境遇に立っていた者として、何より似た者同士としてリックのことを放っておけないのだろう。

 初めは耳を引っ張りながら説教してやるとか言ってたくせに、結局事情を聞いて助けようとしている。

 ”どっちの方がお人好しなんだか”と、僕はツッコミを入れたくなってしまった。

 次いで僕は仕方がないと思いつつ、プランと同じ意思であることをリックに伝えた。


「はぁ、わかったよ。特別にお前のお母さんの姿を元に戻してやる。さすがに治癒師としてこの状況はほったらかしにできないからな」


「ほ、本当か? 本当にアタイの母ちゃんのことを……」


「ただし!」


 一度リックの声を遮り、僕は改めて続けた。


「これからはスリなんて汚い真似はやめて、財布も元の持ち主のところに全部返せよ。あと、僕は治癒師としてこの依頼を受けるから、一律の金額だけは払ってもらうぞ」


「い、一律の金額?」


 再び金の話を持ち出されて、リックは心なしか警戒するように足を引いた。

 見返りなんて求めずに助けてくれる人がいると聞いた後で、いきなり金の話をされたら警戒するのも無理はない。

 そんな彼女に対して、僕は手をパッと開いて言い放った。


「500ガルズになります」


「ご、500ガルズ? 50万とか500万とかじゃなく、500ガルズ? たったそれだけで、本当にいいのか?」


 金額を聞いて絶句している。

 まあ、こいつが依頼を頼もうとしていたぼったくりの医者に比べたら、確かに安い金額なんだろうな。

 ていうか普通に見ても、このお母さんの治療方法なんて皆目見当がつかないし、本当に治せるかどうかは判断がつかない。

 そんな状態で手探りで治療法を探すとなると、この金額では明らかに割に合っていないだろう。

 しかしこれがうちの一律の治療費なのだ。高かろうが安かろうがそれだけは最低限払ってもらうし、僕だってその金額で依頼を受けることにしている。

 という意思が伝わったのだろう。リックは激しく動揺していた。

 そして口を何度も開閉して、何かを言おうとしている。

 しかし上手い言葉が思いつかないのか、しばしの沈黙が僕たちの間に訪れた。

 そこにプランの声が響き渡る。


「こういう時は素直に、『ありがとう』でいいんスよ」


「あ……ありがとう」


 リックは改まった様子で頭を下げ、僕たちはそれに頷きを返した。

 普通にしていればただの幼い、ちょっと常識を知らないだけの健気な女の子だと今一度思った。

 というわけで僕たちは、スリのリックの依頼を受けて、彼女のお母さんを助けることになった。


 ……と、決定を下した直後に。


「珍しいではないか」


「んっ? 何がだ?」


 不意にアメリアが、傍らで小さな声を漏らした。

 それを耳にした僕はちらりと彼女に視線をやり、同時に疑問符を浮かべる。

 何が珍しいというのだろう?

 するとアメリアは肩をすくめながら僕に返した。


「いつもだったら『やりたくない、面倒くさい』と言って始めは渋り、結局最後は『やれやれ』と言いながら依頼を受けるのがノンだっただろう? 今日はやけに素直ではないか」


「お前は僕をどんな人間だと思ってるんだよ」


 始めは渋って結局最後は依頼を受けるって。

 まあ確かにその通りなんだけど、僕は別に好きでそんなスタンスをとっているわけではない。

 本当なら面倒くさい依頼は全部断りたいと思っているんだから。

 でも今回のこの依頼だけは、簡単に無視できるものではないのだ。

 僕はその理由を頬を掻きながらアメリアに説明した。


「まあ、家族系の話に弱いってのも理由の一つだけど、それよりも確かめなくちゃいけないことができちゃったからさ」


「確かめなければいけないこと?」


 アメリアの言う通り、いつもなら理由をつけて渋っている場面である。

 しかし今回ばかりは確かめなければならないことが一つできてしまったのだ。

 この予想だけは絶対に外れていてほしい。

 僕は依然として頬を掻きながら、苦笑い気味にアメリアに暴露した。


「も、もしかしたら僕……かも」


「…………へっ?」


 本当に、この予想だけは外れていてほしい。

 

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