第37話 「出張版」

 

「…………全然客が来ねぇ」

 

 出張版の治療院を開業してから二時間。

 まったく客が立ち止まる気配がなかった。

 いまだに来客数はゼロである。

 正直ここまで客足が伸びないとは思わなかった。

 ガヤヤの町で出張治療をした時は、息が上がるほど大量のお客さんが殺到したのに。

 まああの時は、近くで事件が起きたらしいので、運が良かったというのもあるが。

 だから同じくらい繁盛するとはさすがに考えていなかったが、今日の飯代くらいはすぐに集まるだろうと高を括っていた。

 それがまさかのお客さんゼロ。

 

「なんでみんなテーブルの前を素通りしていくんだよ? もしかして怪しまれてんのかな?」


 僕は一つの可能性を口に出す。

 ギルドの受付前にテーブルを設置しているので、みんな近くを通りかかるようになっているのだが。

 ちらりと視線をくれるだけですぐに去ってしまうのだ。

 僕がこの街の人間じゃないから怪しまれているのだろうか?


「まあ、その可能性も少しはあるだろうな」


 傍らで客引きをしていたアメリアが、僕が口にした可能性に同意を示した。

 それを受けて、思わず僕は首を捻ってしまう。

 その可能性”も”?

 他に何か考えついている可能性があるのだろうか?

 次いで彼女はギルドの入口に目を向けながら言葉を続けた。


「こんなことをしているのは私たちだけのようだし、不審に思って近づいてこない奴らが多いのだろう。しかし一番の原因は、やはり”あれ”ではないか?」


「……あれ?」


「ほら、この街の名物とかいう”温泉”だよ」


 そう言われ、再び僕は首を曲げる。

 温泉が原因ってどういうことだ?

 それが治療院の客足の悪さにどう繋がっているのだろうか?


「街を歩いている時に耳にした話だと、どうやらこの街の温泉には僅かながらも”治癒効果”があるようだ。冒険者たちは人の手からの治癒よりも、温泉に入って傷ついた体を癒したいと思っているのではないか?」


「えっ? そういうことなの?」


 アメリアが口にした可能性を聞き、僕は目を丸くする。

 この街の温泉にそんな効果があったのか。

 確かにそれなら出張版のノンプラン治療院に客が来ないのも納得できる。

 慣れ親しんだ温泉で傷の治癒をした方が安心できるもんな。

 おまけに体も温まるし、旅の汚れも綺麗に落とすことができる。


「だからさっきからボロボロの冒険者たちがテーブルの前を素通りしていくのか。そういえばこの街には治療院っぽい建物とかなかったし、治癒効果のある温泉が治療院代わりになってるのかもしれないな」


「かなり手強いライバル、ということだな」


 アメリアが決め顔でそう言った。

 まあその通りではあるんだけど、温泉がライバルってなんか違和感があるな。

 しかしそれは事実であり、かなり手強いというのもごもっともである。

 改めて現状の厳しさをアメリアと共に理解し、二人して腕組みをして頭を悩ませた。


「で、どうする? ここは一度撤退し、治療の需要がありそうな場所に移動してみるか?」


「ん~、そうだなぁ……」


 アメリアから提案を受け、僕はしばし逡巡する。

 治療の需要がありそうな場所に移動か。

 確かに有効な手段ではあるな。

 ここでいくらお客さんを待ったところで、怪我人は温泉の方に取られてしまうのだから。

 それを考慮に入れつつ考え込んでいると、やがて僕はピコンッと一つの案を閃いた。

 次いでアメリアの方を向いてかぶりを振ってみせる。


「いいや、もう少しだけ粘ってみよう。もしかしたらこのままでも大丈夫かもしれないからさ」


「……? 何かいい作戦でもあるのか?」


「うんまあ、期待は薄いけどな。とりあえず引き続き客引き頼むわ」


「……う、うむ」


 曖昧な返事をされて納得しきれていないようだったが、アメリアは再び客引きに戻ってくれた。

 まあ正直、僕が閃いた策はかなり希望が薄いからな。

 今この段階で大丈夫だと断言することはできない。

 だからあえて濁した返しをしたが、果たしてこれからどうなるだろうか?

 

 と、疑問に思いながら客引きをして、さらに一時間が経過した。

 空はすっかり真っ暗になり、温泉街には特徴的な赤いランプが至る所で灯っている。

 酒場などからは賑やかな声が漏れており、今まさに夜の宴を楽しんでいる最中のようだ。

 本当だったら僕たちも今頃、温泉で温まった体をさらに熱すように、美味い酒をがぶがぶと呷っていたはずなんだけど。

 財布が盗られてしまったのでそんなことをしている暇はない。

 というより計三時間も費やしたのに、結局お客さんはゼロのままだ。


「おいノン、そろそろ別の場所に移動した方がいいのではないか? さすがにこれ以上粘っても客が来ることはないぞ」


「……」


 さすがのアメリアも少し業を煮やしたようで、訝しい顔をしながら指摘をしてきた。

 対して僕は椅子に腰掛けたまま固まり、しばしむむっと考え込む。

 やがて人差し指と親指で何かを摘まむような仕草を取って、それを見せながらアメリアに返した。


「もうちょいだけ頼む。たぶんこのままでも大丈夫だと思うからさ。ここは僕を信じて待っててくれないか?」


「……と言われてもなぁ」


 相変わらず冒険者たちは僕たちの前で止まる様子はなく、てくてくと素通りしてしまう。

 付け加えて言うなら次第に冒険者の数も少なくなってきて、ギルドの中が閑散とし始めてきた。

 このままいくら粘ったところで時間の無駄になるだろう。

 アメリアは周囲の状況を見て、そう言いたげに眉を寄せた。

 彼女の言い分ももちろんわかるけれど、もう少しだけ待ってみてほしい。

 たぶんそろそろ来てもおかしくないはずだから。

 ……という声が届いたわけでもあるまいが――


「あ、あの、すみません」


「んっ?」


 不意に傍らから声を掛けられた。

 くるりとそちらを振り向いてみると、そこには三人の女性冒険者の姿があった。

 簡素な装備を見るからに、まだ新人の冒険者だろうか?

 彼女たちから声を掛けられて、しばしアメリアは呆然と立ち尽くしていたが、お客さんとわかった瞬間、急いで接客用の笑みを顔に浮かべた。


「え、えっと、治療をご希望の方でしょうか? それでしたら傷口を見えるようにして出していただいて、対面の席に腰掛けていただけたら……」


「あっ、いえ、そういうわけではなくて……」


 女性冒険者は弱々しくかぶりを振る。

 それを受けたアメリアは、待望のお客さんが来たと思っていたので、そうではないと言われて僅かに肩を落とした。

 次いできょとんと首を傾げる。

 お客さんではないのならいったい何の用なのだろうか?

 という疑問の表情をアメリアが浮かべると、女性冒険者はアメリアではなく”僕”に向けて言ってきた。


「治癒師のお兄さん。どうか私たちに手を貸していただけませんか?」


 その問いを受けて、僕は内心で『かかった!』と頬を緩ませた。

 やっぱり来たか。

 ここで長時間待っていたら、いずれ来るだろうと確信していた。

 アメリアはますます不思議そうに首を傾げているが、対して僕は冷静な態度を貫く。

 すると女性冒険者は、問いかけの意味について話し始めてくれた。


「あの、私たち、まだ新人の冒険者で、仲間も揃っていないんです。特に回復役をやってくれる人が全然見つからなくて、探している最中なんですけど……」


 次いでぺこりと頭を下げて続けた。


「もしよければ、私たちのパーティーに入って臨時の回復役をやっていただけませんか? 次に受ける依頼にどうしても回復役の力が必要なので」


 その言葉を聞き、アメリアははっとなって僕に視線を向けた。

 どうやら彼女も気付いたみたいだな。

 僕がここで粘っていた理由について。

 そう、何も金を稼ぐ手段は治療だけではない。

 回復魔法の力を必要としているのは怪我人だけではないのだ。

 思惑通り冒険者からのスカウトを受けた僕は、爽やかな笑みを浮かべつつ問い返した。


「詳しい話を聞かせていただけませんか?」

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