第34話 「油断」
温泉から上がった後、僕は程よい眠気に襲われながら部屋に戻ることにした。
扉を開けて入ってみると、そこには先に女子組が待っていた。
どうやら僕よりも早く風呂から上がっていたらしい。
そんな彼女たちは宿から貸し出されている袖の大きな服に着替え、同様に僕も色違いのそれを着用していた。
初めは着方がわからなかったけれど、脱衣所に説明板があったのでなんとか着ることができた。
おそらく彼女たちも同じようにそれを着たのだろう、と思っていると、二人は僕が戻ってきたことに気が付き、最初にアメリアが呆れたように声を掛けてきた。
「温泉に入って、一層だらしない顔つきになったな」
開口一番でなかなかに辛辣な物言いだ。
しかし僕は怒ったりしない。
逆に笑顔を絶やさずにアメリアに返した。
「いやいや~、そんなことないっつ~の。これがいつも通りの顔だよ」
「そんなセリフは鏡をよく見てから言え」
アメリアはますます呆れた顔で言った。
そんなにだらしない顔つきになっているのだろうか?
まあ、温泉は温かかったし、今は若干の眠気に襲われているので仕方がないけれど。
なんて思いながら部屋に入り、ドスンと腰を落ち着けると、続いてプランが声を上げた。
「で、これからどうしますッスか? 予定通り観光の続きでもしますッスか?」
やや興奮気味に尋ねてくる。
プランは温泉に入ってもテンションが上昇したままのようだ。
むしろ温泉に入ったことでますます高揚している。
「うぅ~ん……腹も膨れて風呂にも入っちゃったから、少し眠くなってきたんだよなぁ。このまま部屋で一眠りするのも悪くないかも」
「えぇ~、せっかく旅行に来たんスから、もっと外を歩きましょうッス。まだ見てないところがたくさんあるんスから」
と言われ、僕はふと窓の外に目を向ける。
どうやらこのポカポカの街は、温泉以外にも観光の名所として知られている場所が多いようで、普通に街を歩いているだけで退屈しないようだ。
まあせっかく来たのだから、一度くらいは見ておきたいけれど。
という気持ちを後押しするようにプランが続けた。
「それにほら、外を歩いてたら眠気も覚めるかもしれないッスよ。ちょっとした散歩だと思って一緒に行きましょうッス」
「あぁ、それもそうかもしれないな」
納得した僕はプランの提案に乗ることにする。
観光の続きをするために財布だけを持ち、また三人で街に繰り出すことにした。
袖の大きな服に身を包み、温泉街を歩いていく。
「なんだかこの街の人間になった感じがするな」
「そうッスね。完全に溶け込んでる感じがするッス」
手に紐付きの布袋を下げたプランは、心底嬉しそうに笑った。
カランカランと木造りの履き物を上機嫌に鳴らしながら、僕たちよりも先に歩く。
その背中を追いかけるように温泉街を進んでいくと……
「おっ?」
やがて一つの建物を見つけた。
赤い三角屋根の建物で、一見他と同じように見えてしまう。
しかしどこかで見たことのある看板が下げられており、明らかに他の人たちと違った服装の人物が出入りをしていた。
ある者は鎧を纏って剣を背負い、ある者はローブを着こんで杖を握っている。
「あれってもしかして、”冒険者ギルド”か?」
「そう……みたいッスね」
同じく建物を見つけたプランが同意を示した。
あれはどこからどう見ても冒険者ギルドだ。
主に魔物討伐や手配犯の捕獲を活動内容としている冒険者たちが、依頼を求めて集う場所。
僕たち三人も以前に別の町で立ち入ったことがある。
「こんな穏やかそうな街にもギルドがあるんだな。特に事件とかなさそうなのに」
「そうッスね。あっ、でも、街の周りにはそれなりに魔物がいるようですし、討伐依頼とかが来るんじゃないッスか? ただでさえ観光客が多い街なので、その足を途絶えさせないためにも安全には気を遣っているのかもしれないッス」
というプランの予想を聞き人知れず納得する。
そういえば馬車でこの街に来る途中、時折魔物たちを見掛けた気がする。
いくら穏やかな温泉街とはいえ、外では普通に魔物たちが闊歩しているようだ。
それらを討伐している人たちなのかもしれない。
きっとこの街の冒険者たちは、観光客のために魔物たちを討伐し、疲れた体を温泉で癒やしているのだろう。
そう考えるとこの街は、冒険者稼業をするならなかなか適している環境ということになる。
とまあ冒険者の話はここまでにしておいて、僕は改めて二人に言った。
「さっ、もうちょっと奥に進んでみようぜ。なんか滝みたいな温泉が見られるらしいし、その辺りにお土産屋さんもたくさんあるみたいだからさ」
「おぉ、いいッスね! それは楽しみッス!」
「……」
そして僕たちは温泉街のさらに奥に進んでいった。
その後、単純に観光を楽しんだり、帰りに買うお土産を決めたり、特に何も考えず街を歩いたり。
温泉旅行を存分に満喫した。
やっぱりこの街まで旅行に来て正解だったな。
温泉は気持ちよかったし、飯は美味いし、観光は楽しいし。
アルバイト二人にも休暇をとらせることができているので、僕からは一切文句はない。
これまた頬を緩ませながらそんなことを考えていると、やがて街の入口まで戻ってきてしまった。
どうやらぐるっと一周してきたらしい。
気が付けば日も落ちかけていて、人通りもまばらになっていた。
そうとわかった僕たちは、そろそろ宿に戻ることにして、ついでに途中で温泉卵を買うことにした。
温泉上がりにも食べたいと言っていたので、再び三人で食すことにする。
「ちょっと散歩したおかげで小腹も空いたし、ちょうどいいかもしれないな」
「そうッスね。ではさっそく買いましょうッス。今度はアタシがみんなの分を払いますッスね」
というわけで僕たちは僅かに並んでいる列に付くことにした。
待っている間、程よい眠気と心地よさに包まれて、ぽわぽわと幸せな気分に浸る。
面倒事や厄介事に巻き込まれたせいで憂鬱になっていた気持ちは、すでにこの場には存在しない。
僕はこの温泉旅行を通じて完全に浄化されたのだ。
と、そろそろ僕たちの番になろうという頃、プランは先に財布を出しておくために布袋の中に手を入れ始めた。
ごそごそと中を漁り、手探りで財布を探す。
やがて彼女は、僕と同じように緩めていた頬を次第に引き締めていき、同時に深く眉を寄せた。
「えっ? あれれっ? おかしいッスね……」
「んっ? どうしたんだ?」
「いやその、お財布が見当たらなくて……」
そう言ったプランに対し、僕は笑いながら返した。
「んだよおまえ~、宿の部屋にでも忘れてきたのか~? しょうがないから僕が代わりに払っといてやるよ」
「も、申し訳ないッス。で、でも、そんなはずはないんスけど……」
僕が代わりに払うと言ったのに、それでもプランは訝しそうに袋の中を確かめ続けた。
やがて僕たちの番がやってきて、先刻と同じ注文をおじさんに出す。
「おじさ~ん、温泉卵三つくだ……」
それと同時に僕も財布を出そうとした…………のだが。
財布を入れたはずの懐には何も入っていなかった。
「……あれっ?」
おかしいなぁと思いつつ僕は懐をまさぐる。
続いて他の場所もペタペタと触って確かめてみるが、財布らしき感触はどこにもない。
いやいやまさかと思いながら再び懐に手を入れるが、そこには何も入っておらず、僕は緩んでいた頬を徐々に真っ直ぐにしていった。
「あれっ? あれれっ? お、おかしいな? 確かにここに入れたはずなんだけど……」
信じられないと言いたげに手探りで懐を探り続ける。
それでも一向に財布が出てくることはなく、僕は密かに冷や汗を滲ませた。
温泉で温まったはずの体が次第に冷めていくのがわかる。
幸せな気分に浸っていた頭が強制的に現実に引き戻されていく。
懐に入れていた手をおもむろに抜きつつ、僕は何も握られていないそれを見て呆然と零した。
「…………財布が、ない」
僕は我に返ったように眠気が覚めた。
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