第24話 「想い人」

 

 ナイフの刃先を向けられたペトリーファは、余裕の笑みを崩すことなく佇んでいる。

 そして不意に指を咥え、”ピー”と指笛を鳴らした。


「来てっ、私の可愛いペットたちっ!」


 彼女が指笛を吹いた瞬間、黒髪のように靡いていた蛇たちがぞろぞろと地面に落ちた。

 すると奴の頭からは新たな蛇が生まれ、黒髪が再生する。

 地下迷宮に蔓延っていた大量の蛇たちは、奴がこのようにして生み出していたのだ。


「シャーーー!」


 すると地面に落ちた蛇たちは、次々と僕に飛びついて来た。


「石化した状態でその子たちの相手ができるかしらっ?」


 そんなペトリーファの挑発に耳を打たれつつ、僕は左手のナイフで蛇を屠っていく。


「うらあっ!」


 一匹、二匹、三匹。

 ナイフと両足を機敏に動かしながら、的確に蛇の頭を潰していく。

 どうやら今あいつが生み出した蛇は、全部危険な黒蛇のようなので、攻撃を受けないように注意しながら戦わなければならない。

 おまけに今は右手が完全に石化していて、動きも鈍くなっている。

 それでも僕は無傷で蛇を倒していき、いよいよ最後の一匹にナイフを振った。


「よっこい……しょ!」


 ズバッと頭の先から尻尾まで両断する。

 刃に付着した血を払うようにナイフを振ると、それを見ていたペトリーファが僅かに眉を寄せた。

 次いで奴はちらりと傍らに倒れる大蛇を一瞥し、ふっと微笑む。


「この子を倒したくらいだから、それなりに戦えるとは思っていたけど、まさかここまでとはねっ」


 どうやら称賛をしてくれているようだ。

 すると奴は不意に、自分の懐に手を入れ始めた。

 そこから細長い何かを取り出す。

 手に馴染ませるように何度か素振りされたそれは、見るからに一本の”鞭”だった。

 そしてよくよく見ればその鞭の正体は、一匹の細長い蛇で、鱗が刃のように鋭くなっている。


「すこ~しだけ本気を出させてもらおうかしらっ」


 可愛い子ぶるように小首を傾げながらそう言うと、奴は愛らしさの欠片もない太刀筋で鞭を振ってきた。

 僕はすかさず横に飛び、寸前でそれを回避する。

 充分にゆとりを持って避けられる距離だったのだが、右手が重いせいで上手く体が動かせない。

 そのためぎりぎりでの回避になってしまった。


「まずはその石化した右手を壊してあげるっ!」


 こちらの動揺を読み取ったのだろうか、ペトリーファはますます前のめりになって攻撃をしてきた。

 まるで多数の蛇たちが飛びついて来るように鞭が放たれる。

 どうやらペトリーファは魔法に頼るだけの魔族ではないらしく、鞭の腕も確かなようだ。

 おまけにこちらが石化していることもあって、完全に攻撃を避けることができない。

 僕は手痛い鞭打ちを受けることになった。


「くっ……! ヒール」


 すかさず回復魔法で傷んだ箇所を治療する。

 これなら痛みは数瞬で済み、鋭利な鞭だって怖くない。

 だから僕も奴に負けじと勢いよく攻めていった。


「はあぁぁぁぁぁ!!!」


 全力で左手のナイフを振っていく。

 対してペトリーファは鋭利な鞭でそれを捌きつつ、再び髪の後ろから無数の蛇を生み出し始めた。

 鞭に加えて蛇も飛びついて来る。

 それを受けて僕は、なるべく蛇の攻撃だけは捌きつつ、鞭の攻撃は回復魔法で凌ぐことにした。


「ヒールヒール」


 そんな攻防を一分ほど続けると、やがてペトリーファが攻撃の手を緩めた。

 僕はそれを何かしらの行動の前振りだと思い、反射的に足を止める。

 警戒ながら身構えていると、奴はまったく予想外の行動に出た。


「あなたに剣術を教えたのはどこの誰かしらっ?」


「……?」


「いいえ。あなたの戦い方があまりに乱暴だったから、それを教えた人があなたに対してすごく冷たいんじゃないかなって思っただけよっ」


 突然問いかけられた僕は、つい首を捻ってしまう。

 質問の意図はよくわからないが、とりあえずかぶりを振ることにした。


「別に、誰かに教わったわけでもないよ。ただの我流さ」


「そっ。それならあなたは相当な死にたがり屋さんなのかしらっ。もう少し自分の体を大事にした方がいいと思うわよっ」


 ということを聞き、奴が問いかけてきた意味を密かに悟った。

 おそらくペトリーファには、僕の戦い方が異常に見えたのだろう。

 それこそ命知らずな死にたがり屋にでも映ったのではないだろうか。

 回復魔法が使えるのはもうわかっているとは思うが、それにしても戦い方が雑だと。

 もしそんな戦い方を教えた指導者がいるなら、確かに冷たい奴もいたものだなと思ってしまう。

 まあこの乱暴なスタイルはただの我流だけど。

 

 というか今こっちは時間が惜しいのだ。

 もたもたしていたら石化の侵食が右腕だけじゃなく全身まで回ってしまうのだから。

 と、その不安が石化の侵食に影響を与えてしまったのか、不意に体がぐらついた。

 思わず膝をついて足元を見ると、今度はなんと左足が石化されていた。

 感覚がまるでない。膝下あたりまで石化されているので立つことすらままならない。


「ほらっ、今度は足まで石化してしまったわよっ。いよいよ万事休すなんじゃないっ?」


「……」


 膝をついた僕を見て、ペトリーファはさぞ嬉しそうにはしゃぎ始める。

 対して僕は弱ったように眉を寄せながら、奴に鋭い視線を返した。

 確かに万事休すかもしれないな。

 右手だけじゃなく左足まで石化されてしまったのだから。

 しかし僕は戦いを諦めることはせず、改めてナイフを力強く握った。

 そして右足だけで地面を蹴る。


「うらあっ!」


「――ッ!?」


 急に飛び出してきた僕を見て、ペトリーファは赤い瞳を大きく見張った。

 咄嗟に体を捻って回避するが、僕の一太刀で髪の何本かが巻き込まれる。

 そのまま奴の横を通り過ぎていった僕は、片足での着地が難しく転びながら停止した。

 それでも余裕の笑みを作って、挑発するようにペトリーファに言う。


「お前を倒すのなんか、片手と片足が動けばそれで充分だ」


 奴はその挑発を受けても、呆然としたように立ち尽くしていた。

 先ほど刃が寸前まで迫ったので、その驚きが隠せずにいるのだろう。

 そんな彼女を放って置き、僕は残る蛇も倒してしまうことにした。

 片手と片足だけを使って上手く体を動かし、黒蛇を屠っていく。

 幸いにも足に関しては膝下までしか石化が侵食していないので、若干間抜けながらも”けんけん”の状態で移動することができる。

 片手での攻撃も少し慣れてきたので、無傷で蛇を倒すのも楽になってきた。

 

 というように慣れを実感しつつ蛇を倒していると、いつの間にか周りには一匹も残っていなかった。

 どうやらあらかた倒してしまったらしい。

 そしてついでに自分の体にも目を配ると、石化の侵食が完全に止まっていた。

 効力が弱まってきたのだろうか?

 これならもうしばらくは戦うことができるぞ。

 そう思っていまだに立ち尽くしている奴に視線を向けると、彼女は戦場を見ながら難しい顔をしていた。


「うぅ~ん、長期戦に持ち込めば私の勝ちだと思ってたんだけど、この様子じゃしばらく勝負はつきそうにないわねっ。いったいどうしたものかしらっ……」


 奴が悩んでいる姿を見て、僕も同じ気持ちを抱いた。

 どうも敵はこちらを攻めあぐねている状態で、僕も石化の影響で決め手に欠けているというのが現状だ。

 お互いに足踏みを余儀なくされている。

 この状況を打開するために、どちらかが何かしらのアクションを起こすしかない。

 という結論に奴も至ったのだろうか、唐突に彼女は僕に尋ねてきた。


「もしかしてあの三人の中に、あなたの”想い人”でもいるのかしらっ?」


「はっ?」


 あの三人?

 というと『プラン、アメリア、ババローナ』の三人のことだろうか?

 ていうか想い人って、なんで今そんなことを?

 そう思っていると、奴は自信満々な様子で続けた。


「ここまで石化魔法が効かないとなると、あの三人の中にあなたの想い人がいて、私のことを魅力的に感じていない可能性が高いわっ。えぇ、そうとしか考えられないっ!」


「いや、そもそも好みと外れているという可能性は考えないのか?」


 まるで自分は誰からも好かれるみたいな言い方だな。

 魔族って自信過剰な連中が多いのだろうか?

 なんて益体もないことを考えていると、ペトリーファは僕の後方にいる三人に目を移し、見定めるように眺め始めた。


「うぅ~ん、いったいどの子かしらねぇ~? あのお姫様はもうお婆ちゃんになってるし、まず彼女はあり得ないとして……」


 最初にババローナから視線を外し、次にアメリアに目を留めた。

 その幼き少女の姿を見て、ペトリーファはちらりと訝しい視線を僕に送る。


「もしかしてあなた、ロリコン?」


「殺すぞお前」


「嘘よ嘘っ! 冗談冗談っ! 石化魔法があまり効いていないのは確かだけど、少なからず私に魅力を感じているのは確かだものねっ。ロリコンならそもそも石化魔法が効いていないものっ」


 ”きゃははっ”と甲高い笑い声を響かせる。

 冗談に聞こえないんだよ。

 ただでさえあちこちからあらぬ疑惑を掛けられているんだぞ。

 人知れずジトッとした視線を送っていると、ペトリーファは続いてプランに目を留めた。


「となると残るのは、あの白髪の女の子だけどっ。もしかして彼女があなたの想い人なのかしらっ?」


「いや、それもないよ。そもそも僕に想い人なんかいないし」


「うぅ~ん、本当かしらねぇ~?」


 ペトリーファは面白がるように僕を見つめてくる。

 別に想い人なんかいないのに。いるのを前提に考えているのがまず間違いなのだ。

 なんて心の中で思っていても、ペトリーファに聞こえるはずもなかった。

 だから彼女は懲りずに、プランが僕の想い人ではないかと疑ってきた。


「ちょっと、試してみようかしらっ」


「えっ?」


「ねぇ、そこのあなた」


 不意にペトリーファに声を掛けられ、プランは思わずビクッとする。

 ”なんスか?”と言うように視線を返すと、ペトリーファはプランに対して漠然とした質問を投げた。


「この方とはどういう関係なのかしらっ?」


「えっ? ど、どういう関係ッスか? なんで今そんなことを……?」


 当然プランは質問の意図が読めずに困惑する。

 別に答えなくてもいいんだぞ。

 このバカメドゥーサが期待しているような事実はないんだから。

 と思っていると、プランは予想外の答えをペトリーファに返した。


「うぅ~ん、一言で表すのは難しいんスけど…………まあ、『夫婦』みたいなもんスかね」


「”もんスかね”じゃねえよ。全然的外れじゃねえか」


 ていうかなんで普通に答えてんだよ。

 相手は敵なんだぞ。もうちょっと危機感を持て。

 あまりにもフレンドリーに問いかけられたせいで、プランは思わず口を滑らせる。

 するとその答えを受けたペトリーファは、不意に不敵な笑みを浮かべた。


「ふふっ、決まりねっ」


「……?」


 僕は思わず首を傾げる。

 何が決まったというのだろうか? その疑問の答えを見つけるよりも先に……

 奴は突然、思い切り地面を蹴った。

 あまりの速さに、僕は容易く横を抜かれてしまう。

 そんなペトリーファが目指す先は、プランのいる場所。


「プランッ!」


 僕は咄嗟にプランに声を掛ける。

 しかしその声が届くよりも先に、ペトリーファの魔手が届くのが先になりそうだった。

 奴は自身の懐に手を入れ、鞭に続いて別の何かを取り出そうとした。


「まあもったいない気もするけど、私ももう少しだけ若返りたいって思ってるし、これが一番手っ取り早い方法だからねっ」


 懐から出てきたのは、一本の短い”杖”。

 魔術師が使っているような小杖で、何の変哲もない木の枝で出来ているようだ。

 しかし奴が取り出す道具に普通のものがあるはずがない。

 あれは何かしらの魔法道具。

 そして僕の予想が正しければ、あれは……


「食らいなさいっ! 『』!」


 僕の予想通り、ペトリーファは一つの魔法名を唱えて杖を前に向けた。

 やはりあれは加齢魔法『エイジング』が収められた杖。

 奴はあれを使ってお姫様を婆さんに変えたんだ。

 そして今度はプランにその加齢魔法を掛けようとしている。

 僕の想い人がプランであると勘違いし、彼女を婆さんにすることで石化魔法が効くようになると思い込んでいるのだ。

 そんなバカな理由でプランに危害を加えさせるわけにはいかない。そう思ってプランに逃げるように指示を出そうとしたのだが……


「あれっ?」


 そこにいたのはプランだけではなかった。


「ノンとお前が夫婦など私は認めん! それではまるで私が二人の子供みたいになるではないか!」


「あぁ、ちょうどいいんじゃないッスか? 治療院の名前もノンプラン治療院ですし、いっそ私たちの間に生まれた子供ってことにすれば……」


 なんかよくわかんない話題でアメリアとじゃれ合っていた。

 何してんだよあいつら。

 敵を前にしてよく喧嘩する余裕があるな。

 って、おいおいちょっと待て……


「ちょ、二人とも逃げろっ!」


 ペトリーファの接近に気付かずじゃれ合っている二人。

 足が石化されているせいで加勢に行けない僕。

 僕はただその場に立ち止まり、ペトリーファの魔手がプランに迫るのを見ていることしかできなかった。

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