第20話 「迷宮の大蛇」

 

 部屋の手前で大蛇を確認した僕たちは、思わずそこで立ち止まってしまう。

 そしてみんな揃ってぽか~んと口を開けてしまった。

 目の前の現実を受け入れられずにいる。

 やがて僕たちは我に返り、最初にプランが震えた声を漏らした。


「で、でで、でかすぎじゃないッスかあれ? 部屋の天井に頭がつきそうになってますッスよ」


「あぁ、上の層にいた蛇たちとは比べ物にならないな。ていうか、どうやってこの地下迷宮の中に入ったんだよ」


 人を丸呑みにできるだろうあの大きさでは、通路を通ることができないだろう。

 どうやってこの第三層まで入ってきたんだ?

 まさかこの大部屋で過ごしているうちに体が肥大化してしまったとか?

 あっ、いや、そんなことはどうでもよくて……


「ど、どどど、どういたしますのよあれ!? とても人が勝てるような魔物には見えませんわよ!」


「ちょ、おい、あんまり大声出すなよ。それに反応して攻撃してきたらどうすんだ」


 慌てるあまり声が裏返っているババローナに、僕は咄嗟に忠告する。

 今はまだ部屋の前から覗いているだけなので、大蛇はこちらを睨んでいるだけだが。

 変に刺激したら絶対に攻撃してくる。

 だがお姫様の言うことも事実で、あの魔物をどうすればいいか全然わからなかった。

 人が立ち向かっていい大きさではない。

 密かに怖気づいていると、それを察したアメリアが妥当な提案をしてきた。


「勝てそうにないなら、いっそ戦わずに奥へ進むか?」


「それができたら一番いいんだけど、全員無事にこの大部屋を突破できるかわかんなくないか? てかそうすると帰りが大変だろ」


 部屋の奥に下に続く階段が見えるが、そこをあの巨体で塞がれたら完全に詰む。

 それにもしこの先にも同じような大蛇がいたら、文字通り八方塞がりになってしまうではないか。

 ここは慎重に動かなければならない。

 そう思った僕は、隣で大蛇を凝視しているプランに問いかけた。


「プ、プラン、あいつの観察終わった?」


「い、一応できましたけど、他の蛇たちと一緒で弱点はないッスよ。おまけにさっきの黒蛇より強力な毒を持ってるみたいッス」


「……マジか」


 まさかの弱点なし。

 その上さっきの黒蛇以上の猛毒を持っているという。

 ていうかあの巨体で毒なんか必要ないだろ。

 人間なんてパクッと丸呑みにできるだろうし。

 いよいよ手詰まりかと思った僕だけど、心中で盛大にため息を吐いて言った。


「まあ、やるしかないよな」


 ここを越えなければ犯人は捕まえられない。

 僕は意を決して大蛇へと立ち向かっていった。


「ノ、ノンさん!?」


「お前たちはそこに隠れてろ!」


 僕は三人にそう言い、走りながらナイフを力強く握った。

 いまだにこちらを睨んでいるだけの大蛇に、先制の一撃をくれてやる。


「はあぁぁぁぁぁ!」


 叫びながらナイフを振ると、刃が大蛇の外皮にぶつかって鈍い音が鳴った。

 同時に鉄を叩いたような衝撃を受ける。


(硬っ!)


 全力の一撃だったのに、蛇には掠り傷一つすらついていなかった。


「シャーーーーー!!!」


 そこでようやく大蛇が反応を見せる。

 奴は真下まで来た僕を睨み、大口を開いて噛みつこうとしてきた。


「危なっ!」


 咄嗟に僕は後方へ飛び退る。

 間一髪のところで噛みつき、というか食らいつきを回避できたものの、奴の攻撃はそれだけで終わらなかった。

 大蛇は体を捻り、そのまま勢いをつけて巨大な尻尾を振ってきた。


「ぐっ!」


 飛び退いていた影響で、僕はそれを避けることができなかった。

 鉄の塊でぶん殴られたような衝撃を受ける。

 そのまま大部屋の端まで吹き飛ばされて、迷宮の岩肌に叩きつけられた。

 そのせいですぐに立ち上がることができず、僕は倒れ伏しながら顔をしかめる。


「いっつつ~、効くなぁ」


 自分でも声が掠れているのがわかった。

 明らかに骨折したな。

 咄嗟に右腕を構えてガードしたけど、その腕もバキバキに折られてしまった。


「ヒール、ヒール」


 すかさず僕は回復魔法を連射する。

 自分の体を即効で治療すると、僕は手早く立ち上がった。

 あぁ、痛かった。死ぬかと思った。

 

「ノ、ノンさん!」


「大丈夫ですの!?」


 仲間たちが心配の声を上げる中、僕はそれに軽く手を振り返す。

 それから大部屋の奥にいる大蛇に目をやり、困ったように眉を寄せた。

 どうしたものか。

 あの巨体から放たれる重い攻撃もさることながら、何よりあの外皮が厄介すぎる。

 こちらの攻撃が通らないのであれば勝ち筋が見えない。

 そう思って不意にナイフに目を落とし、僕はふとあることを思い出す。

 

 柄頭に小さなドクロが付いている黒いナイフ。

 そういえばこれは切った相手を少しの間だけ呪い状態にできる品だったな。

 ネビロが作り上げた一級品のナイフで、ボウボウ大陸に行った時も世話になった。

 あの時は幼児化していて、ろくに力も出せなかったから、それを補うためにこのナイフの効果を利用したのだ。

 相手に呪いを掛け、その状態で回復魔法を浴びせて効果を反転させた。


「……これしかないか」


 人知れず呟き、僕はナイフを握り直す。

 そして地面を蹴り、足が許す限りの速度で大蛇に接近した。


「シャーーーーー!!!」


 対して大蛇は再び長い体を捻る。

 先ほどよりも一層の勢いをつけて、巨大な尻尾を横薙ぎに振ってきた。

 すかさず僕は地面から跳ぶ。

 尻尾を追い越すようにして攻撃を躱し、がら空きになっている腹部にナイフを突きこんだ。


「うらぁぁぁぁぁ!!!」


 ガンッ! とまたも鉄を突いたような感触が手に走る。

 その痛みに思わず顔をしかめながら、僕は外皮に触れている刃先に注目した。

 そこには浅い傷が付いていた。

 決してダメージとは言えないくらいの、大蛇にとっては蚊に刺された程度の傷。

 しかしこれで充分だ。

 掠り傷さえ与えられればこっちの勝ち。

 見るとその傷口からは、僅かに黒いもやが漏れていた。

 間違いなく呪い状態になった証。

 それを確認した僕は、すぐさまナイフを持っていない左手を外皮に当て、回復魔法を発動させた。


「ヒール!」


 瞬間、ジュワッと灼けたような音が鳴る。


「ギシャーーーーー!!!」


 それを受けた大蛇は、苦しみ悶えるように叫び声を上げた。

 通常ならば敵の傷を癒やすことになる行為が、逆に敵にダメージを与えている。

 呪い状態で回復魔法を受けた場合、その効果は反転されるからだ。

 ボウボウ大陸にいた茨女を倒すために、同じ方法を用いたことがある。

 これならば敵の防御力に関係なく大ダメージを与えられるからな。


 その思惑通り大蛇は体を焼かれているような叫びを上げ続けていた。

 やがて奴は声を上げるのをやめ、僕を鋭く睨んだ。

 反撃と言わんばかりに尻尾を振り、僕のことを払い落とす。

 が、すぐに僕は地面を蹴り、再び大蛇の横腹に飛びついた。


「ヒールヒールヒール!」


 外皮に当てた左手に、癒やしの光が三回灯る。

 それは奴の体を癒やすのではなく浄化するように、容赦なく焼き続けた。


「ギジャーーーーー!!!」


 連続の回復魔法を受けて、先刻よりも激しい叫びを轟かせる。

 言ってしまえばアンデッド系の魔物に回復魔法を使った時と同じなので、その痛みは計り知れないだろう。

 おまけに僕は無詠唱で回復魔法を使えて、高速の追い打ちも可能だ。


「ヒールヒールヒール!」


 再び三連続の回復魔法。

 呪い状態で計七回の回復魔法を受けた大蛇は、もう叫び声を上げることもなく地面に倒れた。

 巨体が地面に叩きつけられ、大部屋が激しく揺れる。

 土煙が上がる中で後方を振り返ると、戦いを見守っていた仲間たちが揃って口を開けていた。

 そんな彼女らの元まで戻ると、最初にプランが硬直を解いて飛びついて来た。


「す、すごいッス! ノンさんすごいッス!」


「ちょ、おい、急に抱きついてくんな」


 さっきまで大怪我してた人間だぞ。

 回復魔法で治したとはいえ、もう少し体を労わってほしいものだ。


「本当にあの魔物を倒してしまうなんて、ノンさん世界一強いッス!」


「いやあのな、褒めてくれるのは嬉しいんだけど、世界一はさすがに大袈裟だ。一撃食らっただけであんなにボロボロになってたし、それにマリンとかだったら瞬きしてる間に敵が木っ端微塵になってると思うぞ」


 それに比べたら僕なんて本当にただのか弱い治癒師だ。

 自分を卑下するようにそう言うと、プランは僕に抱きつきながらかぶりを振った。


「それでもすごかったッスよノンさん! 超かっこよかったッス!」


「あぁ、はいはい。ありがとうありがとう。んなことよりも、さっさと奥に進もうぜ。こいつが一匹だけとは限らないんだしさ」


 そう言うと、我に返ったアメリアと共にプランも頷いた。

 そして僕たちは先に進もうとする。

 するといまだにお姫様がぼぉーっと固まっていたので、仕方なく彼女の手を引こうとした。

 その時――


「あら、私の可愛らしいペットにひどいことをするのねっ」


 不意に大蛇の後ろから女の声が聞こえてきた。

 僕たちは咄嗟にそちらを振り向く。

 語尾を高く弾ませるような喋り方。

 大部屋に反響してしばらく音が残っている。

 その余韻が収まる前に、声の主は大蛇の後ろからすっと現れた。

 

 色の薄い青白い肌。

 くりっとまん丸な赤い瞳。

 真っ黒な長髪が蛇のように靡いているかと思いきや、本物の黒蛇が髪の代わりに生えている。

 装いも特徴的で、やけにフリルの多いピンク色の服と、ふんわりとしたスカートを着用していた。

 明らかに怪しい背格好の女は、僕たちを舐めるような視線で一望し、可愛さを作るようにして小首を傾げた。


「ここに何の用かしらっ? 人間さんたちっ」

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