第10話 「毒でも呪いでもない何か」

 

 お姫様はしばし魂が抜けたように固まっていた。

 やがて彼女ははっと我に返り、椅子から腰を上げて騒ぎ始める。


「は、話が違いますわよ! あなたは多くの人が認める凄腕の治癒師ではなかったんですの!?」


 そう言われ、思わず僕は呆れたため息を漏らした。


「だからそれは町の人たちの買いかぶりだって言っただろ。僕はただ無詠唱で回復魔法を使えるだけの応急師で、どんな怪我や病気も治せる超能力者じゃないぞ。それに治療院を開いたのだって最近だし、知識に限って言えば全然素人みたいなもんだよ」


「そ、そんな……」


 衝撃の事実を突き付けられ、婆さんは力なく椅子に腰を落とす。

 わざわざここまでついて来てもらって悪いけど、僕は凄腕の治癒師じゃないんだよ。

 ただ無詠唱で回復魔法を使えるだけで、どんなお悩みも解決できる超能力者じゃない。

 それに言った通り、治療院を開いたのはつい最近で、怪我や病気に対する知識は皆無に等しいのだ。

 そんな僕が王家専属の治癒師たちが匙を投げた案件を解決できるはずがない。

 今一度そのことを念押しすると、ババローナ姫は絶望した様子で呟いた。


「で、では、ワタクシはいったい何のためにここまで来たんですの? これではただ秘密を暴露しただけではありませんか」


「いや知らないよ。あんたが勝手に僕を凄腕の治癒師だと勘違いして、ここまでついて来ちゃっただけだろ」


 僕は何も悪くない。ましてやお姫様も悪くはない。

 ただ運が悪かっただけだ。

 そう割り切ってもらうことにして、僕はババローナ姫に改めて言った。


「ま、そういうわけだから、どうかここはお引き取りくださいお姫様」


「……」


 お帰りいただくように促す。

 これで面倒な依頼を回避できて、いつも通りの緩い日常が過ごせるわけだ。

 あぁ~よかった~……と内心でほっとしていると、不意にお姫様が歯を食いしばって俯いた。

 そして床に目を落としながら、誰に言うでもなく呟く。


「このままタダで引き下がるわけにはいきませんわ」


「はっ?」


 その言葉の意味を理解するよりも早く、ババローナ姫が顔を上げた。

 シワの付いたその顔からは、燃え上がるような凄まじい熱気を感じる。

 何かを決心した様子の彼女は、目の前に座る僕にビシッと指を差してきた。


「秘密を知ったからには、あなたにも協力してもらいますわよ! 高速の癒し手さん!」


「えっ?」


「ワタクシを元の姿に戻すのに手を貸してもらいますわ! 拒否権はありませんわよ!」


 ……何を言ってるんだろうこの婆さん?

 秘密を知ったからには協力してもらう?

 元の姿に戻すのに手を貸してもらう?

 そのうえ拒否権はない?

 そっちが勝手に秘密を暴露したんだろうが。

 当然僕はかぶりを振って抵抗した。


「い、嫌に決まってるだろそんなの。他の奴にでも頼めよ」


「他の人に頼めないからこうしてあなたに頼んでいるのではありませんか! もうあなた以外に当てになる治癒師はいませんのよ! ですからどうか協力してくださいませ!」


 婆さんは限界まで顔を近づけて、必死に懇願してくる。

 それでも頷こうとしない僕を見て、彼女ははっと何かを思いついたみたいに言った。


「あっ、わかりましたわ! お金! お金ですわね! それならワタクシのお小遣いから半分ほど治療費としてお渡しいたします! ね、それならいいでしょう!?」


「いやよくないよ。お金の問題じゃないんだよこれは。単純に僕がこの依頼を受けたくないってだけで……」


「およそガルズですのよ! それでも引き受けてはいただけませんの!?」


「せ、せんごひゃくっ!?」


 目ん玉が転がり落ちるかと思った。

 同様にアルバイトのプランとアメリアもあわわと慌てている。

 1500万ガルズはぶっちゃけやばい。

 何がやばいって、このお姫様が1500万の倍、3000万ガルズもの小遣いを持っているのが何よりやばすぎる。

 ていうか1500万ガルズって、僕がおよそ1000日働いてようやく稼げる額ではないか。

 それがたった一回の依頼だけで……

 

 自ずとごくりと喉が鳴る。

 心の中で天使と悪魔がせめぎ合う。

 しかし僕は確固たる精神でそれを押しとどめ、変わらずかぶりを振り続けた。


「お、おお、お金の問題じゃないって言ってるだろ。そ、そんな金額を提示されても、僕の鋼のような心は、まま、まったく微動だにしないからな」


「いえノンさん、めちゃくちゃ心が乱されてますッスよ」


 気が付けば手がぶるぶると震えていた。

 静まれ僕の魂。金の暴力に屈してはならない。


「と、とにかく、こんな依頼は絶対に受けないぞ! 治し方がわからない依頼なんてまっぴらごめんだ! 面倒くさい依頼を僕に持ってくるな!」


「あなたそれでも治癒師ですの!? 病気や怪我に苦しんでいる人たちを救うのがあなた方のお仕事ではありませんの!?」


「いや、そう言われたらその通りなんだけどさ」


 治癒師の側にも、依頼を選ぶ権利くらいはある。

 僕はこんな面倒くさそうな依頼は絶対に受けたくない。

 何より……


「これは治癒師の仕事の領分を遥かに超えてるよ。いや、超えているというより仕事の”範疇外”だ」


「は、範疇外?」


「治癒師っていうのは、回復魔法や解毒魔法を使って怪我や毒を治す職業だ。たまに解呪魔法で呪いなんかを解くこともあるけど。でもあんたが持ってきた依頼は毒や呪いとも違う、言っちゃえば”未知の現象”だよ。それを一介の治癒師がどうこうできるはずもない」


「で、ですが、そうだとしても……」


「もちろん、体に何かしらの異常が起きている人たちを救うのも治癒師や薬師の仕事だ。でもこれだけは訳が違うよ。もっと別の場所で相談するなり対処を考えてもらった方が的確だ。だから僕はこの依頼を受けない。絶対に」


「う、うぅ……」


 ババローナ姫は目に見えて気持ちを落とす。

 ちょっと言い過ぎたかもしれないけれど、このお姫様にはこれくらい言わないと効かない気がしたからな。

 それにこれは純然たる事実だ。

 怪我や毒、もしくは呪いによってババア化したなら、僕でも治療はできたと思う。

 けれど今回の案件はそのどれにも当てはまらない未知の現象だ。

 まだ誰も見たことがない、ステータスにも表れない新しい状態異常。

 

 それを僕が治せるはずもない。

 だから僕はお姫様からの依頼を断った。

 そのことを今一度ご理解していただくと、ババローナ姫はしばしじっと椅子に腰掛けていた。

 やがて彼女は、本当に渋々といった感じで席を立つ。


「わ、わかりましたわ。そこまで言われてしまっては、引き下がる他ありませんわね。他の人を当たってみますわ」


「うん。悪いけどそうしてくれ」


 そしてお姫様は、マントに付いているフードを被って出ていく準備を整えた。

 終始肩を落としているその姿には、自然と同情の念が湧いてくるけど。

 でも僕は心を鬼にして婆さんを見送ることにした。

 こういうとこで甘いことを言うから、いつも面倒くさい目に遭ったりするんだぞ。

 そう自分を戒めていると、不意にババローナ姫が治療院の窓に目を向けた。

 そして外を眺めながらぼそっと呟く。


「それにしてもここ、なんとも埃くさいド田舎ですわね。治療院も小さいですし」


「帰る前に張り倒すぞコラ」


 なんで急に喧嘩を売ってきたんだ?

 確かにこの治療院はまだ小さいけど、ノホホ村のことを悪く言うのだけは許さない。

 ていうかいいから早く帰ってくれよ。

 そう思っていると、ババローナ姫はふとこちらに視線を移し、覇気のない様子で聞いてきた。


「どうしてあなたはこの場所で治療院を開いていますの? もっと大きな町で治癒活動をした方がいいのではなくて? 最後にそれだけでも教えてはくださいませんか?」


「えっ? いやどうしてって、僕はただ田舎の方でゆっくり暮らしたいって思っただけだよ。町の方で治療院を開くと、行列とかができて色々と忙しくなるだろ。それが嫌だったんだ」


 端的にそう答えると、彼女はまたしてもぼそりと言った。


「そうでしたの。もったいない力の使い方をしていますのね」


「うるせぇほっとけ。ていうかいいからさっさと帰れよ。お姫様がこんな場所にいるのを誰かに見られたら騒ぎになっちゃうだろ」


 改めてそう言って立ち去るように促す。

 するとババローナ姫はようやく出口の方へ向かってくれた。

 これでやっと治療院が静かになる。

 部屋の模様替えだってまだしてないし、早めにそれにも取り掛かりたいんだよ。

 なんて心中で文句を垂れていると、まさかそれが聞こえたわけでもあるまいが、不意に姫様がこちらを振り向いた。

 そしてじっと僕の顔を見つめてくる。

 意味ありげに、執拗に、隅々まで観察するように視線で刺してくる。

 なんなんだいったい?


「ところであなた、以前にワタクシとどこかでお会いしませんでした?」


「はっ? いや知らないよ。誰かと見間違えてんじゃないのか?」


「いいえ。ワタクシ一度見た人の顔は大抵忘れませんのよ。自分の方が美しい顔だと比較するために」


「おいコラ」


 ホント失礼なお姫様だな。

 なんて言ってる場合ではなく、僕は密かに嫌な予感を抱いていた。

 上手くは言えない。上手くは言えないけど、何か良からぬ事が起きそうな気がする。

 早くこのお姫様を追い払った方がいい。

 そう危惧するけれど、ババローナ姫は依然として頭に引っ掛かりを覚えていた。


「うぅ~ん、どこでお会いしたんでしたっけ? そこまで昔のことではないような気がするのですけど……」


「あ、あんたの勘違いだろ。僕はお姫様と会った記憶なんてないし、何より大陸一の美女と顔を合わせているなら嫌でも覚えてるはずだろ。いいからとっとと帰ってくれ」


 そのままお姫様のことを治療院の外へ追い出そうとする。

 しかし、その刹那――

 ふと彼女は目が覚めたようにカッと瞳を見開いた。


「……祝賀会」


「えっ?」


「そうですわ! 祝賀会ですわ! 勇者パーティーの皆様が魔王軍の四天王の一人を討伐なさった時に、王都で催された祝賀会であなたのお顔を拝見したんですわ! 間違いありません!」


「……」


 お姫様が霞んでいた記憶を掴み取り、僕は人知れず額に冷や汗を流した。

 ……これはまずい気がする。

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