第2部 第1章

第1話 「新しい治療院」

 

 一人の女性が目の前に座っている。

 木造り小屋の中央に置かれた椅子に腰掛けて、左腕の袖をまくっている。

 露わになったその素肌は、僅かに赤く腫れ上がっていた。

 見るからに火傷をしている。

 正面に腰掛ける僕は、女性の左腕にそっと右手をかざした。

 

「ヒール」


 右手に白い光がぽわんと灯る。

 すると火傷をして荒れていた肌が、たった数瞬で綺麗に完治した。

 女性はその光景を見つめて、驚いた様子で口元に手を当てる。

 そして姿勢を正し、ぺこりと頭を下げた。


「ありがとうございますノンさん。回復魔法、本当にすごいですね」


「いえいえ、これが僕の仕事ですから」


 妙に改まった様子でお礼を言われ、思わず僕は頭を掻いた。

 彼女はよく治療院にやってきてくれる女の子――ユウちゃんのお母さんだ。

 普段はユウちゃんが怪我をして、その治療の付き添いでお母さんが来るのだが。

 どうやら料理中に火傷をしてしまったらしく、今日はママさんの治療をすることになった。

 初めは冷やしておくだけでいいと思ったらしいが、近くで見ていたユウちゃんが「治療院に行こう」と手を引っ張ってきたらしい。


「大した怪我ではなかったのですが、あの子がどうしてもと言うので」


「まあ、ユウちゃんはお母さんが心配だったのでしょう。普段は自分が怪我をしている分、逆にお母さんのことを助けたいと思ったのかもしれないですよ」


 なんて話をして、二人して笑みを零した。

 今日も平和だなぁ。




 勇者によって魔王が倒されてから、早くも二ヶ月。

 世界はすっかり平和を取り戻していた。

 魔王軍による侵略の恐れは完全になくなり、人々は安心して今を生きている。

 ただ、魔王がいなくなったことにより、次世代の魔王を目指す魔族たちが各地で暴れているらしい。

 しかしそれも勇者たちが継続して抑制しているため心配はいらなさそうだ。


 何よりここは世界で一番平和と言われているマルマル大陸。

 その最東端に位置する田舎村――ノホホ村なのだから。

 そこで僕は今日も、のんびりと程々に治療院を開いている。

 ユウちゃんママの治療を終えると、ちょうどそのタイミングでスッとお茶が差し出された。


「はい、ユウちゃんママさん。これどうぞッス」


「あっ、プランさん。ありがとうございます」


 さらしと短パンの上にエプロンを付けたプラン。

 彼女がお茶を渡すと、ママさんは軽く会釈をした。

 どうやらプランは治療が終わるタイミングを待っていたらしい。

 さらにプランはお茶と同時に、ママさんに一言添えた。


「ユウちゃんは今、二階でうちの子と遊んでますッスよ」


「あぁ、アメリアちゃんとですか」

 

 ユウちゃんママは納得したように頷く。

 次いで彼女はお茶を手にしながら申し訳なさそうに眉を寄せた。


「最近あの子、よくこの治療院に遊びに来てしまって、ご迷惑をお掛けしていませんか?」


「そんなことはありませんよ。これからもどんどん遊びに来ちゃってください。アメリアも嬉しそうにしてますから」


 と言った瞬間、天井から『ドンッ!』と叩くような音が聞こえてきた。

 この真上はアメリアの部屋。もしかして今の話を聞いていたのか?

 ”誰も嬉しくなどないわ”という無言の圧力を感じる中、同じく天井を見上げていたママさんが話を振ってきた。


「そういえばノンさん、この治療院二階建てになったのですね?」


「あっ、はい。ついこの間、治療院の修理と一緒に増築したんですよ。三人で暮らすには手狭でしたし」


「あら、そうだったのですか。確か、ここだけ地震で揺れて、治療院が崩れてしまったんでしたっけ? 災難でしたね」


 ママさんから労わりの言葉を頂戴し、僕は歯がゆい思いを抱く。

 実際は地震なんかではなく、魔王リリウムガーデンが治療院を壊したんだけど。

 そのことは一応、みんなには内緒にしている。

 本当のことを話して村人たちを不安にさせたくないからな。


「治療院を直している間、あんまり治療活動もできなくて申し訳ありませんでした」


「いえ、ノンさんはいつも村の人たちのために頑張っていますし、それに地震なら仕方のないことですよ」


 そう言ってもらえて、僕の心は少しだけ軽くなった。

 と、ちょうどその時……


「おかあさん、だいじょうぶ?」


 階段の方から幼げな声が聞こえてきた。

 そこには、不安そうにお母さんを見つめるユウちゃんがいた。

 どうやら治療の様子を見に来たらしい。


「うん。ノンさんが治してくれたよ」


 ママさんが微笑みながらそう言うと、ユウちゃんは笑顔を咲かせた。

 次いですかさずお母さんに駆け寄る。

 火傷が大したことなくて安心したのだろうか、すっかり安堵した顔で僕の方を振り返ってきた。

 

「おにいちゃん、ありがとう」


「いえいえ、どういたしまして」


 村人たちのこの笑顔を見るためにやってることですから。

 その後、治療費として500ガルズを頂戴し、ユウちゃんたちと別れた。

 一つの依頼を終えてぐっと背中を伸ばしていると、先ほどのユウちゃんと同様、階段の方からアメリアが現れた。

 なんだかひどくやつれた様子だ。


「あの黒髪の娘は帰ったか」


「おぉ、アメリア、お疲れ~」


 労いの言葉を掛けると、なぜかアメリアは不満そうな視線を返してきた。

 何か言いたいことでもあるのだろうか?


「まったく、私はいつから子守り担当になったのだ。あの娘の面倒などもう見たくはないぞ」


「いや、今さら何言ってんだよ」


 思わず僕は呆れた声を漏らしてしまう。


「お前は元々接客担当だろ。僕が治療をしている間、お客さんと接するのも仕事の範疇だ。それにお前、ユウちゃんと遊ぶの好きだろ?」


「好きではないわ! 私は女児が好かんと以前に言ったであろう! 先ほどの大人しい黒髪の娘しかり、八百屋のやかましい娘しかり」


 ユウちゃんとコマちゃんのことを嫌そうに語る。

 あんなにいい子たちなのに、いったい彼女たちの何が気に入らないというのだろう?

 という疑問が顔に表れていたのか、アメリアは改まった感じで宣言した。


「私は元々メロメロ大陸を支配していたサキュバスの女王だぞ。これは本来の姿ではなく、元は大人らしい立派な体つきをしていた。百歩譲ってあの娘らの面倒を見ることは承知するが、それを『遊んでいる』などと誤訳するのではない」


 ババンッ! とかっこつけた様子で言い放つ。

 その立ち姿は、まさにどこからどう見てもただの幼女。

 淡い紫色のショートヘアと、同色のくりっとしたつぶらな瞳。

 さらにはフリルの付いた白のワンピースと、側頭部に結った黒のリボンが幼さに拍車をかけている。

 そんな格好でサキュバスの女王だったと言われても貫禄は一切ない。

 まあそれも、ボウボウ大陸の毒草から受けた毒のせいなんだけど。


「ま、次もよろしく頼むよ。アメリアは嫌だと思ってても、ユウちゃんやコマちゃんはお前と遊ぶの好きっぽいし。それにノホホ村には同じくらいの歳の子が全然いないみたいだからさ」


「むぅ……」


 アメリアは変わらず不満そうな顔をする。

 そんな顔しないでほしいな。

 僕だって村の人たちと接したい中、治療の依頼を優先しているのだから。

 それにユウちゃんやコマちゃんの場合は、アメリアが一番適任だろうし。

 なんて思っていると、不意にアメリアが声を掛けてきた。


「そんなことよりもノン」


「んっ?」


「私の部屋の椅子が壊れそうで少し困っている。それと、木製の床を直に歩いているので、ささくれが足に刺さってとても痛い」


「あぁ……」


 納得の声を漏らす。

 そういえば僕もスリッパを履かずに部屋を歩いていたら、木のささくれが足の裏に刺さったっけ?

 あれはめっちゃ痛かったなぁ。下手すれば魔王の一撃より痛かった気がする。

 苦い思い出を振り返っていると、今度は逆方向からプランの声がした。


「あっ、ノンさんノンさん、アタシの部屋の机もガタガタ言ってるッス。何回か自分で修理してみたんスけど、そろそろ限界で……」


「プランの部屋もか」


 僕は思わずふむと考え込む。

 椅子や机。どれも家具に異常があるみたいだ。

 まあ増築したばかりで、二人の部屋には急ごしらえの家具を詰め込んだだけだからな。

 中には手作りの物も多く、ちゃんとしたお店で買ったわけではない。

 何より一度魔王に全部を吹き飛ばされて、足りてないものも数多くあるのだ。

 今一度そのことを思い出し、僕は二人に提案した。


「よし。じゃあ明日辺りにでも町に行って、新しい家具とか買うか」


「「えっ!?」」


 その提案に二人の目が大きく見開かれる。


「い、いいんスかノンさん!? 好きなもの買っても!?」


「わわ、私も選んでいいのか!?」


「お、おぉ。お前らそんなに買い物行きたかったのか」


 まあ、アルバイトとして雇った日から、これといった休日を与えたことがなかったからな。

 買い物もろくにできず、欲しい物が手に入らなかったのかもしれない。

 それに二人とも女子だし、僕がもう少し気を遣ってやるべきだった。

 というわけで僕たちは明日、町に買い物に行くことになった。

 ……それにしてもやっぱり、何事もなくて平和だなぁ。

 

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