エピローグ

 

 一人の女の子が目の前に座っている。

 小さな丸椅子に腰掛けて、怯えた様子で左腕の袖をまくっている。

 肘の部分には痛々しい擦り傷。少女が怯えている理由はこれだ。

 正面の丸椅子に座る僕は、その傷口に右手をかざした。


「ヒール」


 すると右手に、白い光がぽわんと控えめに灯った。

 それはすぐに少女の傷を塞いでいき、たった数瞬で綺麗に完治させた。

 女の子はその光景を見つめて、「わぁ……」と感嘆の息を漏らしている。

 そしてすっかり元気を取り戻し、にこりと愛らしい笑みをこちらに向けた。


「ありがとう、おにいちゃん!」


「うん、どういたしまして、ユウちゃん」


 お礼を口にした少女――ノホホ村に住む大の仲良しのユウちゃんに対して、僕も笑顔で応えた。

 今回はお母さんと一緒ではなく、一人で勇気を持って来てくれたようだ。

 

「はい、ユウちゃん。これどうぞッス」

 

「あ、ありがとう」

 

 治療が終わったタイミングで、プランがユウちゃんにジュースを差し出した。

 以前、酸っぱくて唇をすぼめてしまったジュースと同じものだ。

 それを受け取ったユウちゃんは、弱々しく眉を寄せる。

 ちょっとくらい気ぃ遣ってやれよとプランに思ってしまうが、ユウちゃんは覚悟を決めたようにそれを呷った。

 

「おぉ、ユウちゃんすごいぞ。大人になったな」

 

「お、美味しいから、大丈夫だった」

 

 少し辛そうにするユウちゃんを見て、思わず僕は感心する。

 ユウちゃんママと一緒にではなく、たった一人でこの治療院までやってきて、おまけに苦手な果実ジュースを飲めるようになったなんて、本当に偉くなったんだな。

 そう思っていると、ユウちゃんが心なしか得意げに言った。

 

「わたしも、次の次のおたんじょうびには、ぎしきを受けて『てんしょく』をもらうから、大人にならなきゃ、ダメなんだ」

 

「……そっか」

 

 自然、笑みが零れてしまう。

 するとそんな僕を不思議そうに見つめながら、不意にユウちゃんが言った。

 

「そういえば、おにいちゃん」

 

「んっ?」

 

「しばらく、お店やすんじゃってたけど、何かあったの?」

 

「えっ?」

 

 突然の質問につい目を丸くしてしまう。

 次いで急いで言い訳をするように答えた。

 

「あぁ、そのぉ……ほらうち、新しく二階建てになっただろ? その増築をやってたんだよ」

 

「へぇ、そうなんだぁ」

 

「うんうん。あっ、そういえばユウちゃん、まだうちの二階って見たことないだろ? アメリアも今は二階にいるし、一緒に遊んで来たらどうだ?」

 

「うん!」

 

 そう勧めてあげると、ユウちゃんは椅子から飛び上がり、ダダダと階段を駈け上がっていった。

 直後に聞こえてくるアメリアの不満そうな声。

 ユウちゃんが来た時からずっと二階に逃げていたので、ちょっとしたお仕置きである。

 

「子供は元気ッスねぇ」

 

「だな。ていうかお前もまだ子供のうちに入るけどな」

 

「ど、どういう意味ッスかそれ!? あっ、そういえばノンさん」

 

「んっ?」

 

「新しく付けた治療院の看板、少しズレてるので後で直しておきますッスね」

 

「あぁ、頼むわ」

 

「……ていうかあれも、職人さんに任せた方がよかったんじゃないッスか? 自分たちで付けたせいでガッタガタになってるッスよ」

 

「いいだろ別に。ああいうのは自分で付けるから味が出るんだよ。とにかく修正頼むわ」

 

「はぁ~いッス」

 

 アメリアと同様、プランも不満そうな声を上げながら二階へと上がっていった。

 治療院は新しく二階建てになった。

 本当はもう少し大きくしようかとも考えていたのだが、やはり住み慣れた小屋という形に、結局は落ち着いてしまったというわけだ。

 まあ、階が増えただけで相当住みやすくはなったので、増築はこれで正解だっただろう。

 初めは埃まみれでひどい有様だったのになぁ、と感慨深く治療院の室内を見渡していると……

 コンコンと、扉を叩く音が聞こえてきた。

 

「……? はいは~い、どちら様ですかぁ?」

 

 普段は看板娘のアメリアが出迎えをするのだが。

 現在は二階でユウちゃんと遊んでいるので、僕が出ることにする。

 もしかしたらユウちゃんのお母さんが心配になって見に来たのかも、そう思いながらガチャと扉を開けてみると……

 

「……ひ、久しぶり」

 

「……はっ?」

 

 ぎこちない様子で挨拶をしてくる、幼馴染のマリンがいた。

 

 

 

 場所を移し、治療院に続く道の途中。

 二階ではアメリアとユウちゃんが遊んでいて、プランが看板の修正を行なっていたりするので、騒がしくて話しがしづらいと思った。

 二人してテクテクと道を歩いていく。

 しばし無言が続いているため、耳に痛い静寂がこの場を包み込んでいた。

 早く何か言ってほしいものだ。向こうからこちらを訪ねてきたのにもかかわらず、マリンはただ黙って前を歩いているだけなのだから。

 いったい何の用事なんだろう? と疑問に思っていると、ふとマリンが要件を話し始めた。

 

「あ、改めて、お礼を言いに来たのよ」

 

「お礼? って、あぁ、あの魔王討伐のときのか」

 

「そうそう。あの後はなんだかんだで、ちゃんと言う機会がなかったから。ひと月くらい経っちゃった後で悪いけど、今言うわね」

 

「ひと月じゃなくてふた月だけどな」

 

「と、とにかく、テレアを助けてくれてありがとう。それと、魔王討伐にも協力してくれて」

 

「はいはい、どういたしまして」

 

 ちらりとマリンが後方を一瞥してくる。

 

「な、なんか気のない返事ね。もう少ししっかり反応しなさいよ。私がこんなこと言うの珍しいんだから」


「自覚はあったのか。んで、これで用は済んだのか? なら僕、このまま治療院に戻るけど……」


「あっ、ちょっと待って! あと一つ、あんたに聞きたいことがあるんだけど……」

 

「……?」

 

 お礼だけではないのか?

 聞きたいことってなんだろう? と内心で首を傾げていると、不意にマリンが足を止めた。

 思わず僕は、青い長髪を流す彼女の背中にぶつかりそうになり、咄嗟に立ち止まる。

 するとマリンは、ゆっくりとこちらを振り返り、真顔を向けてきた。

 なんだか妙に改まった様子だな、と思っていると、マリンが真剣な声音で訊ねてきた。

 

「あんた、勇者パーティーに戻ってこない?」

 

「……」

 

 まるで予想もしていなかった質問。

 思いがけず僕は硬直してしまう。

 そんなこちらを置き去りにして、捲し立てるようにマリンは続けた。

 

「ほら、魔王の野望は阻止できたわけだけど、世界にはまだたくさんの悪い魔族たちがいるでしょ? そいつらが魔王の座を争って暴れ始めているみたいだし、また私たち勇者パーティーは旅をすることになったのよ。今度はもっとたくさんの人たちに褒めてもらえるわ。それに、追い出しちゃった後で言うのもなんだけど、あんたの力、意外に使えるし。だから……」

 

「……」

 

 勇者パーティーに戻ってこないか。

 そう問われ、僕の頭の中では色々な思いが巡る。

 またあの栄誉ある勇者パーティーの回復役として活躍できる。

 面倒ながらもそれなりの楽しさもあった勇者パーティーの世話も焼くことができる。

 魔王城崩落の知らせで益々勇者パーティーの評判は上昇し、もしそのパーティーで回復役として活躍できたら、確かにたくさんの人たちから褒めてもらえるだろう。

 そうとわかり、僕は短い答えをマリンに返した。

 

「いや、いいや」

 

「……」

 

「僕がついて行ったところで、邪魔にしかならないだろうし、魔族との戦いは勇者様たちに任せるとするよ。何より僕はもうへとへとだ。治療院のこともあるしな。だから悪いけど断らせてもらう。……まあ、またお前たちと一緒に旅すんのは、それなりに楽しそうだけどな」

 

 その答えを聞いたマリンは、しばし呆然とこちらを見つめる。

 やがてふっと顔を伏せてしまうと、心なしか体を震わせているような気がした。

 どんな表情をしているのやら、少し気になって覗き込んでしまいそうになるが、それよりも先にマリンが顔を上げた。

 予想に反し、心底つまらなそうな顔をして言う。

 

「あっそ、それじゃあね」

 

 要件はそれだけだったみたいだ。

 くるりと踵を返したマリンは、そのまま逃げるようにスタスタと歩き去ってしまう。

 その様子になんだか”らしくない”感じを覚えて、咄嗟に僕はマリンのことを呼び止めていた。

 

「おい、マリン!」

 

「……?」

 

「あっ、えっと、その……」

 

 伝えるべきことが思い浮かばず言い淀む。

 せっかくここまで来てくれて、要件をさっさと終わらせて帰らせるのはなんか悪い気がした。

 しかも素っ気ない返事もしてしまったし、このままお別れなんてことになったら、絶対に後味が悪いはずだから。

 だから何か言わなくちゃ。そう思って口をついたのは、自分でもまるで考えもしていなかった内容だった。

 

「あ、あのとき、僕のことを連れ出してくれて、ありがとな。最初はとんだ迷惑だと思ったけど、今思えばあのときお前が手を引いてくれたおかげで、今の僕がある気がするから。だから、その、ありがとう」

 

「……」

 

 なんでこのタイミングでこんなことを言ってしまったのかはわからない。

 しかし不思議と、マリンの顔を見ていると、あのときのことが鮮明に頭によぎってきた。

 祝福の儀が終わって、天職を授けてもらった後のこと。

 

『あんたも一緒について来なさいよ、魔王討伐』

 

『えぇ!? な、なんで僕まで? 僕、戦える天職じゃなかったし、回復魔法しか使えないみたいだし……』

 

『いいからいいから、黙って私について来なさいよ。栄光ある勇者パーティーの回復役にしてあげるから』

 

『うぅ、でも、魔大陸怖いし、危ないし、それに僕たちまだ十歳だし、もう少ししてからでも……』

 

『勇者である私がいるからだいじょ~ぶよ!』

 

『マリンがいるから心配なんだけど……』

  

 瞳を閉じればそのときの情景が目に浮かぶようだ。

 という会話を向こうも思い出したのだろうか、少し照れくさそうに、マリンもお礼を口にした。

 

「……こっちも、ありがと」

 

「んっ」

 

 そうして僕らは背中を向け合う。

 互いが行くべき方へと足を進めていく。

 勇者パーティーの一員として共に過ごしてきた日々は、バカらしく、それでいて言葉にできない楽しさもあった。

 しかし僕はもう、勇者パーティーには戻らない。

 先ほども言ったようにもう疲れたし、何より僕は、すでにマリンには必要のない存在だ。

 

 彼女の周りには今、ちゃんとした仲間がいる。

 僕なんかよりも頼りになって、支えてくれる仲間たちが。

 そして僕にも。

 

「あっ、ノンさ~ん! こんな感じでいいッスかぁ!?」

 

「おぉ、いい感じいい感じ!」

 

 治療院の前にたどり着くと、二階からプランが手を振っていた。

 見上げるとそこには、彼女が修正したと思われる看板も掛けられている。

 

『ノンプラン治療院』

 

 プランとアメリアが賭け事をして、プランが勝ったためこの名前になったのだ。

 アメリアは心底悔しそうにしていたが、語呂がいいということで最終的には認めてくれた。

 でかでかと書かれたその看板を見上げてから、僕は治療院の扉を勢いよく開け放った。

 

 今日ものんびり営業中。治療とは関係のない依頼はご遠慮ください。

 

 

 

 勇者パーティーで回復役だった僕は、田舎村で治療院を開きます 第1部 おわり


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