第5章
第57話 「助けて」
――あんたの回復魔法、傷の治り悪いし。
――それに次に行く魔大陸はもっと魔物が強くなるみたいだから。
――これから回復役はこの子に任せることにしたから、あんたはもういらなーい。
今でも脳裏に焼き付いているマリンの声。
そう言って彼女が連れてきたのは、『聖女』というとても珍しい天職を持った可愛らしい少女だった。
名はテレア。
テレアはマリンが求めている要素をすべて兼ね備えていた。
まず、超強力な回復魔法。
そして極めつけは、その可愛らしさ。
マリンにとっては後者が何よりも重要な要素で、可愛い回復役が見つかったということで問答無用で僕は解雇されてしまった。
まあ、パーティーリーダーであるマリンが言うのだから、それは仕方のないことなのだ。
僕だって聖女のテレアには劣っていた自覚があったし、思えば前々からマリンとは反りが合っていないように感じていた。
だから僕は黙って解雇を受け入れ、これっきり勇者パーティーの連中とは絶対に関わらないようにしようと思ったのだ。
だが、しかし……
その聖女テレアが今、僕の治療院にやってきている。
椅子に腰掛けて、差し出したお茶と睨めっこをしている。
かれこれこんな状態が、もう十分近く。
僕とテレアは向かい合って座り、お互いにシーンと静まり返っていた。
「……」
「……」
……なんだこれ?
初々しい若者同士のお見合いか?
ていうか、なんでこの子は何も言わないんだ?
いや、治療院に招き入れておいて、何も要件を訊ねていない僕も悪いんだけど。
でも今さら、十分も経った後で”本日はどうなさいましたか?”とか聞くのも恥ずかしいし。
お互いに話を切り出すタイミングを見失って、僕らはただ口を固く閉ざしていた。
そんな最中、僕の後方から怯えた声が聞こえる。
「だ、誰スかこの人? なんか怖いんスけど」
振り返るとそこには、控えめに震えるプランがいた。
僕の後ろに隠れるようにして小さくなり、異様なものを見る目で聖女テレアを窺っている。
確かプランも聖女のことは知っているはずだけど、この様子じゃ顔までは知らないのかな?
だから僕はプランに、テレアのことを教えようとした。
「あぁ、えっと、この人はだな……」
だが、それよりも早く、もう一人の従業員が動きを見せた。
うちの看板娘のアメリアである。
テレアから僅かに距離をとる僕やプランと違って、彼女はにこやかな営業スマイルを浮かべて近づいていった。
「こんにちは。本日はどうなさいましたか?」
「……」
すっかり恒例となった、アメリアの元気な挨拶。
しかしそれを受けても、聖女テレアはピクリとも動かなかった。
まるで人形のようだ。
するとその姿を見たアメリアが、唐突にふむと考え込む。
そして不意に両手をパッと開くと、閃くような速さで聖女さんの”胸”を鷲掴んだ。
もみもみもみ。
何してるのこいつ?
「おい、寝てるぞこの娘。今なら触り放題だ」
「いや、ただ無口なだけだろ。ていうかお前は何してんだ?」
「いやいや、ノンの様子から見てお客ではないと判断してな。無視された腹癒せに、もう何をやっても良いかと思ったのだ」
「いやいやいや、良いわけあるかよバカ野郎。いいからお前も後ろに下がっとけ」
とんでもねえ幼女だな。
もしこれが一般の人だったら、間違いなく叫ばれて大問題になってるぞ。
アメリアが渋々と後ろに下がったのを確認すると、ようやく僕はテレアに要件を聞いた。
「お、おいあんた、いったいここに何しに来たんだよ? 治療院に上げた後で聞くのもなんだけど」
するとその問いに対しても……
「……」
彼女は何も答えない。
ただじっと卓上のお茶に目を落としていた。
まさか、本当に寝てるんじゃ? とさすがに疑わしく思い始めた――その時。
「…………けて」
「……はいっ?」
ようやくテレアが口を開いた。
意外にも高く、可愛らしい声だと僕は思う。
しかし、あえなくその内容までは聞き逃してしまった。
なんだって?
「たす……けて」
「……助けて? 助けてって、誰を?」
やっとこさ聞き取ることができたテレアの声。
それを耳にして、思わず僕は疑問符を浮かべる。
助けて? 誰のことを助けてほしいのだ?
首を傾げていると、テレアは答えた。
「マリン」
「……」
それは僕の幼馴染であり、勇者の名前だ。
マリンのことを助けてほしい。
テレアはそう言っている。
彼女からのその要望を聞いて、途端に僕は眉を寄せた。
空気がピりつくのを感じる。
どういう意味で助けを求めているのか定かではない。
マリンたちが今どうなっているのか知る由もないけど。
しかし何よりもまず先に、僕はテレアに言いたいことがあった。
「……お前たちが僕に何をしたのか、忘れたわけじゃないだろうな」
「……」
自分でも思った以上に低い声が出た。
先ほどとは打って変わって真剣なムードになり、プランとアメリアもそれを感じ取る。
そして心なしかテレアは、居心地悪そうに視線を逸らした。
僕は続ける。
「理不尽な理由で勇者のパーティーを追い出されて、そのあと僕がどれだけ辛い目に遭ったのか、あんたらは何も知らないだろ」
「……」
「それなのに今さら助けてほしい? 嫌に決まってるだろ、ふざけるな」
完全な拒否をした。
治療院を訪れた人に対して、ここまで尖った反応をするのも初めてだ。
しかしそれも無理からぬ。
そして今の話の流れで、後ろの二人も目の前の少女がどんな人物なのか、あらかた理解したらしい。
不思議と肩を落としているように見えるテレアを見て、またみんなは黙ってしまった。
再び僕は続ける。
「それに何より、『助けてほしい』ってマリンがそう頼んでるのか?」
「……ううん。マリンは、頼んでない」
だろうな。
あいつがそんなこと言うはずがない。
たとえ言うことになったとしても、僕にだけは死んでもお願いなんてしたくないだろう。
『何か物を頼むのも困難な状況』にあれば、言えないのも仕方がないだろうが。
となればテレアは、マリンには内緒でここに来たわけだ。
ルベラとシーラの二人は知らんけど。
ならばと僕は、三度続ける。
「ならなおさら、僕が助けてやる義理はないな」
「えっ?」
「本人がそれを求めてないんだろ? なら、僕が助けてやる義理はない。助けてほしいなら直接僕に言いに来い。ついでに勇者パーティーを追い出したことも謝ってもらう。それならまあ、診てやってもいいけど。……ていうか、勇者のあいつに助けがいるのかも疑わしいもんだ。本当にあいつには助けがいるのか?」
改めて彼女の強さを思い出し、僕はそう問いただす。
勇者の力は絶大なのだ。
どんな相手でも負けなしで、苦戦しているのを見たことがない。
悔しながら、間近でマリンを見ていたからこそわかる。
だから僕は疑問を覚えた。
助けがほしいなんて嘘なんじゃないのか?
という心中の声が聞こえたわけじゃなかろうが、テレアはかぶりを振るように、弱々しい声で呟いた。
「嘘じゃ……ない」
「はいっ?」
「嘘じゃ、ない。マリンは今、大変な状態になってる。だから、あなたの助けが必要なの」
「……」
常に無表情だったテレアが、ほんの少しだけ顔を曇らせたように見えた。
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