第50話 「さすらいの治癒師」

 

 倦怠と焦燥が渦巻くギルドの中。

 連結している酒場の席には、傷ついた冒険者たちが力なく座っている。

 傷自体は大したことはない。けれど、治療の順番を待たされていることに嫌気が差しているようだ。

 

「うっ、いってえなぁ」

 

「まだ順番回って来ねえのかよ」

 

 所々から不満の声が上がっている。

 この町の治療院はたった二つしかなく、大量の怪我人が駆け込んでくるとすぐに溢れてしまうのが難点だ。

 パーティーに治癒師の一人でもいれば話は別だが、希少天職ゆえほとんどのパーティーには回復役がいない。

 

 だからこうして冒険者たちは、治療の順番を待っているのだ。

 早急な措置が必要なわけではないが、放っておけもしない中途半端な傷のために。

 そんな中、一人の少女の声が響いた。

 

「あの、皆さん!」

 

 『……?』

 

 ざわざわとした喧騒が一時止む。

 そして声のする方に視線を殺到させると、そこには淡い紫色のショートヘアの少女が立っていた。

 冒険者ギルドには似つかわしくない、幼女と言っても差し支えのない女の子。

 さらに彼女の後ろのテーブルには、冴えない黒髪青年と活発そうな白髪少女が二人座っている。

 

 彼女らはいったいどこの誰だろう?

 屈強な冒険者たちが一同に疑問の視線を向ける中、幼女は一切臆することなく彼らに問いかけた。

 

「回復魔法をご所望ではありませんか?」

 

 『……?』

 

 再び冒険者たちの首が傾く。

 治療院の順番待ちをしている集団なのだから、全員が回復魔法を所望しているに決まっているじゃないか。

 というか傷を見ればそんなの聞かずともわかるだろ。

 誰もがそう思っている中、三度少女は言葉を続けた。

 

「私たちは遠い村から来た治療院の者です。どうか皆様のお怪我の治療を、私たちにさせていただけませんか?」

 

 『……』

 

 しばしの静寂がギルドを満たす。

 怪我の治療をしてくれるのならそれは大歓迎である。

 しかし冒険者たちは、各々顔を見合わせて、どうするかを迷っていた。

 それは、本当に彼女たちが回復魔法を使えるのかどうか、定かではなかったから。

 一同が疑いを抱く中、まるで皆を代表するように、やがて一人の頑固そうな男性が少女たちの前に腰掛けた。

 

「治療院の者って……じゃあそこに座ってる兄ちゃんが治癒師なのかい?」

 

 青年は答える。

 

「はい、そうです」

 

「ほぅ、兄ちゃんがねぇ……。なら、回復魔法を使える証拠をこの場で見せてもらいてえなぁ」

 

 まるで周囲の冒険者たちに聞こえるように男は言う。

 治癒師ならばまずその証拠を見せてもらいたい。

 でなければ自分の怪我を任せることなんて怖くてできないからだ。

 周りの冒険者たちは何も言わなかったが、男性の意見には概ね賛成だった。

 

 至極真っ当な申し出を受けると、一度幼女がちらりと青年を見る。

 それに対して彼は軽く頷き返すと、同じく男性冒険者にも頷きを見せた。

 

「はい、わかりました。少々お待ちください」

 

 そう言うと青年は、隣のテーブルに置いてあったナイフを持ってくる。

 なんてことはない、この酒場で果実を頼めば付いてくるただの果物ナイフだ。

 彼はそれを右手に持ち、自分の左手甲に当てた。

 すると次の瞬間――

 

 青年は躊躇いなく、ナイフで肌を撫でた。

 

 彼の手の甲に、一筋の赤い線が走る。

 自分の身を傷つけることに抵抗がないのだろうか。

 恐ろしく冷静な顔で彼は、自らの手の甲をナイフで切ってみせた。

 

 しかしこれは別に、この青年が痛みに慣れているからではないだろう。

 ”治す自信”があるからこそ、落ち着いていられるのだ。

 そして青年は唱える。

 

「ヒール」

 

 その声に合わせて右手が淡く光ると、彼は左手の傷にそれを当てた。

 すると瞬く間に、ナイフで付けた傷が消えてしまった。

 否、消えるというよりかは、塞がるといった方が正しいだろうか。

 

 確かに言葉通り、彼は回復魔法を使えるようだ。

 遠い村の治療院から来たというのも本当のことなのだろう。

 改めて彼らの言葉が証明される中、しかし男性冒険者はぽかんと青年の顔を見つめていた。

 

 見間違いでもなく、聞き間違いでもない。

 確かに今、この青年は……

 

「お、おい兄ちゃん。今、回復魔法を、無詠唱で……」

 

「ふぅ……これで、僕が治癒師だと信じていただけたでしょうか? 治療費は一律で500ガルズを予定していますが、治療をご希望なされますか?」

 

「えっ? あ、あぁ……」

 

 男は思わず頷いてしまう。

 そして問い詰める隙もなく、青年は再び回復魔法を発動させた。

 

「ヒール」

 

 右手に淡い光が灯る。

 青年はその手を、男性が怪我をしている右肩にかざし、男はそれをただ呆然と見つめていた。

 気づけば、右肩からは痛みが失せ、傷が完全に塞がっていた。

 

「う、嘘……だろ。やっぱりこの兄ちゃん、詠唱なしで回復魔法を……」

 

 当然その様子は、周囲の冒険者たちも目撃していた。

 誰もが信じがたい光景を見たと言わんばかりに、目を大きく見開いている。

 

 通常、回復魔法を発動させるには、長ったらしい詠唱が必要になる。

 そのため回復を待つ人たちは、その長い詠唱が煩わしい、あるいは命取りになると感じ、回復魔法の欠点としてそれを挙げているのだ。

 今こうして治療院の順番を待たされているのも、それが一番の原因である。

 

 おまけに回復魔法を使ったところで、すぐに傷が塞がるわけではない。

 治療が完了するまで数秒、大きさによっては数十秒から数分も掛かることがあるのだ。

 だからこそ男性冒険者は今、驚愕の表情で青年のことを見つめている。

 無詠唱で回復魔法を使い、かつ一瞬の内に傷を塞いでしまった彼のことを。

 倦怠と焦燥が渦巻いていたギルドが一転、驚愕の一色に塗りつぶされると、再び幼女の声が皆の耳を打った。

 

「他にも治療をご希望される方は、こちらの席にお並びください。傷の具合にかかわらず、治療費は一律500ガルズを予定しております。お時間は掛かりません。すぐに治療は済みます。魔力が切れ次第終了となりますので、ご希望される方はお早めに……」

 

 ギルドにいる怪我人たちが青年のテーブルに殺到した。

 

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