第4章
第43話 「看板娘」
朝。
小鳥のさえずりが目覚ましとなり、僕は微かに目を開ける。
治療院の室内は窓辺から射し込む朝日に照らされて、僅かに白く輝いていた。
その光に目を細めながら、僕は再び毛布を被る。
布団の誘惑には抗えない。
それがたとえ、ソファと毛布だけで作られた簡易ベッドだろうとも。
すっかり寝慣れた寝床で、二度目の睡魔に襲われていると……
ふと、部屋の端から声が聞こえてきた。
「いいッスか後輩くん? 今日からさっそく接客に入ってもらうッス。心の準備はいいッスか?」
「無論だ」
二人の少女の声。
一人はアルバイト1号の元盗賊プラン。
もう一人は、先日新しく入ったアルバイト2号の魔王軍元四天王アメリア。
こんな朝早くからいったい何を? と布団の中で不思議に思っていると、再び彼女たちの声が聞こえてきた。
「じゃあまず最初に、先輩であるアタシがお手本を見せるッス。それに倣って続けてくださいッス」
「了解した」
何やら接客の練習をするらしい。
つい昨日アルバイトになったにしては、なかなか気合が入っているではないか。
そう感心する一方、必要以上に先輩風を吹かせるプランに、お前もまだ入ったばっかだろと心中でツッコミを入れていると、早々に練習が開始された。
「いらっしゃいませこんにちは! さん、はい」
「い、いらっしゃいませ、こんにちは。……お、おい、これは治療院の挨拶として正しいのか? 何か違和感が……」
「先輩であるアタシが言ってるんスよ。間違いないッス」
間違いだらけじゃねえか。
と、注意したいのは山々だったけど、二度寝の誘惑には抗えなかったので聞き流すことにした。
後で言えばいいだろ。
彼女たちの練習は続く。
「いらっしゃいませこんにちは! さん、はい」
「い、いらっしゃいませ、こんにちは……」
「もっと腹の底から声を出すッス! いらっしゃいませこんにちは!!!」
「い、いらっしゃいませこんにちは!」
なんか段々うるさくなってきたな。
さすがにこんな状況で二度寝ができるはずもなく、僕は毛布を被りながらイライラしていた。
やがてプランがテンションを最高潮に高めて言う。
「そんなんじゃお客さん帰っちゃいますッスよ! それでもいいんスか!?」
「そ、それは困るな。私のせいで客が帰ったら、ノンに叱られてしまう」
「そうッスよ! だからもっと大きな声で挨拶をするッス! いらっしゃいませこんにちは!!!」
「いらっしゃいませこんにちは!!!」
「いらっしゃいませじゃねえんだよ! 朝っぱらからギャーギャーうるせえ!」
客が帰る帰らないにかかわらず、思わず僕は怒声を上げた。
朝っぱらから本当にうるさい。
バカなのかこいつら。
「あっ、ノンさん。おはようございますッス」
「おはようじゃねえよ。朝っぱらから何してんだ」
「何って、今日から現場入りする後輩に、先輩として一つ助言をしていたんスよ」
「助言って……あれが?」
ただ騒いでいたようにしか聞こえない。
もしあれが挨拶の練習のつもりなら、こいつの意識を変えておく必要があるな。
そう考えて僕は伝えた。
「あのな、ここはレストランとか居酒屋じゃなくて、怪我人がやって来る治療院なんだぞ。それはわかってんのか?」
「そんなの知ってますッスよ。アタシがどれくらいこの治療院にいると思ってんスか?」
「ほんの数週間だろうが! ていうかわかってんならあんな挨拶の仕方教えてんじゃねえ! 怪我人は静けさを求めてんだよ」
と教えてやると、”えぇ、賑やかな方がいいと思うんスけど”とプランは納得できない様子を滲ませた。
そりゃ、普通のお店なら元気があった方がいいかもしれないけど。
ここは怪我人が集う治療院なんだぞ。
騒いだら傷に響くだろうが。
至極当たり前のことを伝え終えると、その指導を受けていたアメリアにも一言言っておいた。
「ていうかアメリアも、こいつの言うことなんて聞かなくていいからな。ただ先輩風吹かせたいだけなんだよこいつは。前までは大人しい奴だと思ってたのに……」
「いいや、これは私から頼んだことなのだ」
「えっ?」
意外な返答に、僕は眉を寄せる。
アメリアから頼んだ?
挨拶の練習を?
「初日から迷惑を掛けてはなんだと思ってな、ちょっとした思い付きだ」
「そう……だったのか」
てっきり僕は、プランが無理矢理練習させたのかと思った。
それがまさかアメリアが自主的に言い出したことだとは。
なんだ、プランのときよりもやる気を感じるぞ。
「なかなか見上げたアルバイト魂ッスよね。特に、アタシを先輩として頼ってきたのはポイント高いッスよ」
「いや、バリバリのマイナスポイントだろ」
とんでもない挨拶の仕方を教えてたじゃねえか。
そのことを改めて理解したらしいアメリアが、こくこくと同意した。
「あぁ、確かにマイナスポイントだったよ。朝早くからやる気になってみれば、ここのアルバイト1号はまったく使えないではないか。挨拶一つもろくにできずに、よくこの治療院は潰れずに済んだな。もう少し人選には気を遣ったほうがいいのではないか?」
「いや、お前も途中まで鵜呑みにしてただろ。ていうか、魔王軍の元四天王がそれ言うのか」
たぶんお前は、世界で一番危うい人選だと思うぞ。
なんて思っていると、不意にアメリアが微笑んだ。
「だがまあ……ふふ、大体わかったぞ」
「はっ? 何が?」
「治療院の接客についてだ。これから私が、本物の接客というものをお前たちに見せてやろう。人を魅了するのはサキュバスの得意分野だからな」
にやりと頬を緩める、サキュバスの元女王。
何か挨拶の神髄を掴んだみたいだが、僕は彼女の発言を聞いて嫌な予感しか覚えなかった。
「お前、ここはいかがわしいお店でもねえからな」
「そ、そんな接客はせんわ!」
本当だろうな?
訝しい目を向けていると、アメリアが僕の背中を押した。
「ほら、客の役をやれノン。実際に体験させてやろう」
「お、おう」
僕は押されるがままに治療院を出ていく。
ていうか、僕がお客さんの役をやるのか。
ここは普通プランが客の役をやって、その様子を僕が後ろから眺めるもんじゃないのか?
まあ別にいいけど。
ガチャ。
「うぅ、痛いよぉ。死んじゃうよぉ」
「そういう小芝居はいらんから普通に入ってこい。ていうかやるならもう少し真面目にやれ」
「……あっ、そう」
ちょっと魔が差してふざけてしまった。
こういうことやるの初めてだから。
入り直し。
ガチャ。
「失礼します」
「こんにちは。本日はどうなさいましたか?」
「えっ? あっ、えっと……腕を少し擦り剥いてしまいまして」
「かしこまりました。では、傷の具合を確認したのち治療に移りますので、安静にしてお待ちください」
「……」
治療院に入ってきた僕を、流れるように案内する笑顔の幼女。
その姿を見て僕は、思わず口を開けて固まってしまった。
なんだ、やればできるじゃないか。
というよりこいつ……普通にしてれば結構可愛いぞ。
さすがはメロメロ大陸の長。
「ふふん、どうだ? まだ少し拙い部分があるかもしれないが、そこの泥棒女よりはかなりマシなんじゃないのか?」
「ちょ、誰が泥棒女ッスか!? ちゃんとプラン先輩と呼びなさいッス!」
そんなやり取りも今の僕の耳には入って来ず、ただ呆然とアメリアのことを見つめていた。
繰り返し言うようだが、僕はロリコンではない。ただ子供が好きなだけだ。
しかしこれは、認めざるを得ないのかもしれない。
よ、ようやく……
「ようやく、僕の治療院にも、華の看板娘が……」
「えっ、ちょ、ノンさんここココ! 看板娘ならとっくにここにいますッスよ!」
密かに憧れのあった看板娘を手に入れて、僕は思わず涙ぐんだ。
プランの声なんて、もう耳に届くことはなかった。
そこまで看板娘として見てもらいたいなら、少しは後輩にそれらしい挨拶の仕方を教えてやってほしいものだ。
もしかしてこいつ、わざとあんな挨拶の仕方教えて、アメリアに失敗をさせようとしてたんじゃ……
どんだけアメリアのこと嫌いなんだよ。
とにもかくにもこうしてアメリアは、家事係のプランと違い、看板娘としての地位を確立したのだった。
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