第3章
第25話 「暇」
「ふんふふ~ん!」
「……」
治療院の屋内に、プランの上機嫌な鼻歌が響く。
決して上手とは言えず、しかし音痴と言うほどでもない、なんともいじりようのない鼻歌。
僕は曲名もわからないそれに耳を傾けながら、手元の本をパラリとめくった。
今日ものんびりと治療院は営業中。
相変わらず僕は窓際の席に腰掛けて、そよ風に頬を撫でられながら読書に興じている。
するといつの間にか治療院に響いていた鼻歌が止まっていることに気が付き、僕は首を傾げた。
反射的に振り向いてみる。
そこには
「……んだよ?」
「いえ、なに読んでるのかなぁって思って」
別に用事はなかったようで、そのまま彼女は掃除の方に戻っていった。
プランも相変わらずアルバイトに精を出している。
ニココ村の流行り病の事件から早くも一週間。
これといったトラブルもなく、僕らはいつも通りの日常を過ごしていた。
新たにプランを加えた治療院に、一抹の不安を禁じ得なかった僕ではあるが。
今では割と充実したスローライフを満喫している。
アルバイトのプランは器用さを生かして家事をこなしてくれているし、むしろ一人の時よりも断然心と体が休まっているのだ。
そしてお客さんの入りはと言うと、日に二十人弱。
多い時は三十人くらい訪ねてくるけど、それ以上に増えることはない。
ほどほどに忙しく、それでいてのんびりと過ごせる。まさに僕が望んでいた環境だ。
しかしアルバイトのプランは、この現状を良しとは思っていないようだった。
「それにしてもこの治療院、相変わらず暇ッスね。もっとこう、お客さんがどばっ! と来たりしないもんスかね?」
「……大惨事じゃねえか」
部屋の隅をパタパタしながらぼやくプランに、僕は呆れた視線を向ける。
本当にそれを望んでいるのだろうか?
確かに今まで盗賊団の一員として慌ただしく動き回っていただろうプランからしてみれば、この治療院での日常は少し退屈に感じてしまうのかもしれない。
しかしこの治療院に盗賊団ほどの忙しさを求めるのはいささか軽率ではなかろうか。
彼女は何かを勘違いしているだろうと思い、僕は肩をすくめて教えてやった。
「ここは飲食店とか八百屋とかと違って、怪我や呪いを治すための治療院なんだぞ。僕たちが暇してるってことは、それだけでいいことなんだ。もし大忙しになってみろ、その時は血と叫びのオンパレードだぞ」
「そ、それもそうッスね。不謹慎なことを言っちゃったッス」
プランは苦笑しながら僕に謝る。
やはり何か勘違いしていたようだ。
おそらくこの治療院も、他のお店と同じように繁盛してほしいと純粋に思っていただけなのだろう。
しかし飲食店が儲かるのはお腹を空かせている人たちがいるからで、八百屋が儲かるのは野菜を欲している人たちがいるからだ。
対して治療院が繁盛する場合は、そこに大量の怪我人たちがいることになる。あまり良い状況とは言えないだろう。
だからそのことを今一度教えてあげて、プランはそれに納得したようだが、それでも彼女はなぜかかぶりを振った。
「でもでもノンさん」
「んっ?」
「そんなこと言ったって、やっぱりできるだけお客さんには治療に来てもらいたいところッスよ」
「……なんでだよ?」
「だってもう、お金ほとんどないッスよ」
……えっ?
突然の報告に、思わず言葉を失くしてしまう。
お金がない? そう聞かされて、急いで貯金箱代わりになっているタンスの一番上の棚を開けてみると……
「……マジじゃん」
中にはほとんどお金が入ってなかった。
随分と風通しがいい状況である。
思えばプランと二人暮らしを始めてから、出費が少し増えたような気がする。
それは当然のことと言えば当然のことで、いつかはお金に困る日が来るかもしれないと考えてはいた。
しかしまさか、こんなにも早くその日が来ようとは。
治療院の先生がこんなに甲斐性がなくていいのだろうか?
プランにアルバイト代を出しているわけでもないのに。
いっそ治療費の値上げでもするか、とも考えるが、それも村の人たちに悪いので気が引けてくる。
僕は密かにため息を吐きながら、今さらながらの後悔を吐き出した。
「かっこつけてパナシアさんから報酬をもらわなかったツケが、いよいよここで回ってきちゃったなぁ」
「あぁ、あの時のことッスか。確かにあの時の報酬を受け取っていれば、だいぶ懐に余裕ができたと思いますけど。ていうか今、かっこつけたって言いましたか?」
なぜかプランからむむむという視線を受けるが、今はそんなことどうでもいい。
マジでこれからどうするかなぁ?
そう考えながら財布の方を確認して、僕は吹っ切れたように言った。
「ん~、でもまあ、まだ完全にお金がなくなったわけじゃないし、節約して行けばなんとかなるだろ。というわけでプラン、ただちに格安で野菜を確保してくるのだ!」
「うぅ、丸投げッス……」
お買い物係のプランにすべてを託す。
今後の僕らの生活は、プランの節約の腕に掛かっていると言っても過言ではない。
治療院の先生として情けないことこの上ないが。
というわけでプランを買い物に送り出そうとしていると、不意に彼女は思いついたように声を上げた。
「あっ、そうですよノンさん」
「んっ?」
「今日は一緒にお買い物に行きませんか?」
「えっ? なんで?」
「いやなんでって、今日は格安で野菜を確保しなければなりませんので、ここはノンさんについて来てもらって、少しでもその可能性を上げようと思ったんス。ノンさんが一緒なら村の人たちももっと優しくなってくれると思うので」
「……ようは値引き交渉の材料ってわけか」
いや、材料じゃなくて武器か。
まあ、僕もちょうど村の人たちの顔を見たいと思ってたところだし、別にいいか。
「よし、わかったよ。んじゃあ一緒に行くか」
「はいッス! これで超安くお野菜を確保できますッスね! お買い物デート開始ッス!」
先刻よりもさらに上機嫌になったプランが、元気な声を張り上げた。
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