第16話 「流行り病」
プランはベッド使えよ。いいえノンさんがベッドを使ってください。
晩飯の後、代わりばんこで風呂に入り、就寝しようという時。
かれこれ三十分くらいそんな言い合いを続けて、ようやく僕らは寝床につくことができた。
僕としては女の子を地べたやソファで眠らせるのが耐えられず、一方でプランも家主を差し置いてベッドに寝ることに大きな抵抗を感じたらしい。
お互いのその意見もわからないではないので、ずいぶんと言い争いが長引いてしまった。
しかし最後にはプランにベッドを譲ることはできて、僕はソファで眠ることになった。
彼女は実に不満そうな顔をしていたが。
何はともあれ、これでゆっくりと寝られる。
というわけで僕らは、ベッドとソファに分かれて夜を過ごしたのだった。
――どうか明日も、今日みたいにゆっくりとした時間が過ごせますように。そんな願いを胸に抱いて。
翌朝。
いつもと違ってソファで眠ることになったのだが、思いのほか目覚めは良かった。
どこかを痛くすることもなかったし、僕は気分よく朝を迎えることができたのだった。
まだプランは寝ているようなので、起こさないようにして顔を洗う。
そのまま少し外の空気を吸おうと思って、僕は治療院から出た。
まだ朝露も晴れない畑の景色を眺めて、僕は欠伸を漏らす。
そのまま扉の前でぐっと背中を伸ばすと、残っていた眠気を僅かながらだが吹き飛ばした。
あぁ、気持ちがいい。
おかげで視界まで鮮明になってきて、僕は遅れて目の前に何かがあることに気が付く。
これは……人影?
目を凝らして眼前に焦点を当てると、そこには見覚えのない丸眼鏡を掛けた女性が立っていた。
「「……」」
……だ、誰?
突然視界に映った女性に、思わず僕は目を丸くしてしまう。
するとこちらの様子を見た女性は、すかさず視線を正し、物凄く慌てた感じで声を上げた。
「お、おおお、おはようございます。わわ、私、ニココ村という村から来た、ぱぱぱ、パナシアと言います。とと、突然押しかけてしまい申し訳ございません」
朝一番に聞いた声ゆえに、あまり頭の中に入ってこない。
おまけに向こうは尋常じゃなく緊張していて、まともに声が出せていなかった。
対人恐怖症なのだろうか? ていうかこの女の人は誰なんだ?
いまだに呆然としながら前方の女性を見つめて、少し遅れてから僕は彼女に問いかけた。
「う、うちに何かご用でしょうか?」
こんな朝早くに、という言葉は今のところは飲み込んでおく。
早朝に来たとはいえ、相手はおそらく”お客さん”なのだ。
いつも通りの接客をしなくてはならない。
ぼんやりとした思考の中でも、冷静にそう考えて問いかけてみると、丸眼鏡さんは変わらず慌てた様子で返してきた。
「あ、あのあの、もしかしてまだ、治療院やってませんでしたか?」
「……?」
「あっ、ほら、まだ起床されてから、あまり時間が経っていないようですし……」
おそらくみょんみょんと跳ねている僕の寝癖を見てそう思ったのだろう。
若干恥ずかしく思った僕は、それを手で隠しながら頷きを返した。
「まあ、はい、うちは九時始業なので、まだ開いてはいませんが、急ぎの用でしたらご対応しますよ」
「ほ、ほほ、本当ですか!? じじ、実は、治癒師の方にお願いがあってここまでやってきたのです!」
「……?」
眠る前、今日もゆっくりとした時間を過ごせるようにとお願いしたのだが。
女神様はそれを聞き届けてくれなかったようだ。
ものすご~く嫌な予感がします。
「どうぞ、お茶ッス」
「ど、どうも」
朝早くのお客さんを招き入れて、互いに席に着いた僕たち。
まだ意識がはっきりとしないまま、お客さんの対応をすることになった。
プランはいまだに真っ白なパジャマ姿のまま、お客さんにお茶を差し出している。
急だったから仕方がないけれど、せめてナイトキャップくらいは取ってほしいな。
と、そんなことはどうでもよくて、僕は改めて目前の依頼者に目を向ける。
よくよく見れば、少し珍しい格好をしていた。
僕がいつも好んで着用している白衣に似たコート、ではなく、正真正銘の白衣。
そして腰には道具袋のようなものをたくさん巻き付けていて、それだけで大変奇妙に見えてくる。
暗い感じの青のおかっぱ頭の下に、血の気の薄い童顔があり、そこに丸眼鏡まで掛けているので何かしらの悪い実験でもしてそうな人物だ。
とても緊張した面持ちでお茶を啜っており、そんな彼女に対して今一度問いかけた。
「あ、あのぉ?」
「は、はいっ!?」
「も、もう一度お名前伺ってもよろしいでしょうか?」
「えっ? な、名前ですか? ぱぱ、パナシアと言います」
「……パナシアさんですか」
今度は覚えたぞ。
朝早かったからといって、お客さんの名前を忘れるなんて言語道断だからな。
改めてパナシアさんの名前を知った僕は、お返しと言わんばかりに自己紹介をした。
「僕はノンって言います。この治療院を経営している治癒師です。よろしくお願いします」
それに続いてプランも……
「アタシはプランと申しますッス。この治療院でアルバイトとして働かせていただいてますッス。部屋が暑いとかお茶がぬるいとかあったら、なんでも言ってくださいッスね」
「はは、はい」
まだ若干緊張が拭えていないようだ。
しかしこの人にとってはこれが普通なのかもしれない。
そう思った僕はとりあえず話を進めることにした。
「それで、
「あっ、えっと、その……わたし、治療の依頼があって、ニココ村からやってきたのです」
「は、はぁ……」
……治療の依頼か。
僕は密かに胸を撫で下ろす。
よかった。プランからの依頼があったばかりで、何か厄介な依頼でも持ってきたのかと思っていた。
パナシアさんはノホホ村の村人ではないし、妙な既視感があったからな。
そんな嫌な予感に反して、治療の依頼を持ってきてくれたらしいパナシアさんを見て、僕は再び問いかけた。
「それで、どこを治してほしいのでしょうか? 見たところ、どこかお怪我をしているご様子ではないようですが?」
という質問に、パナシアさんはかぶりを振る。
「あっ、その、治療してほしいのは私ではなく、ニココ村の村人たちなのです」
「村人?」
疑問符が頭の上に浮かぶ。
わざわざここまでやってきたパナシアさんではなく、ニココ村という場所にいる村人たちの治療をしてほしいと?
ていうか今さらだけど、ニココ村ってなんだ?
という心中の声が聞こえたわけでもあるまいが、パナシアさんはその村について説明をしてくれた。
「ニココ村は、ここから少し北に行ったところにある小さな村で、このノホホ村と同じように静かで穏やかな場所なのです」
「へ、へぇ。そんな村があったんですか」
まったくもって知らなかった。
ノホホ村以外にそんな素敵な村があったのか。
いったいどんな場所なんだろうと人知れず想像していると、パナシアさんが顔を暗くして語り始めた。
「ニココ村の村人たちは、いつもニコニコと楽しそうに笑っている人たちなのです。そのおかげで村の雰囲気もとても明るく、遠方からたくさんの旅人たちが遊びに来るほど楽しい村だったのです。でも、実は今、そのニココ村である”病”が流行っているのです」
「ある病?」
「村人たちの元気がどんどんなくなっている、というものです」
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