第2章

第14話 「新人アルバイト」

 

 開かれた窓から、心地よいそよ風が舞い込んでくる。

 それは窓辺の机に腰掛けた僕の頬を、さらりと優しく撫でていった。

 手元にある冊子のページが、パラパラと数枚めくれる。

 僕は穏やかな気持ちでページを戻すと、まだ温かい卓上のお茶を一口だけ啜った。

 再び手元の冊子に目を落とす。

 文章が流れるように頭の中に入っていき、とても読書が捗った。


 過ごしやすい陽気の下、今日も僕は田舎村の治療院でまったりとした時間を過ごしている。

 この時間があるからこそ、僕はここで治療院を頑張ることができているのだ。

 これ以上ない幸福に、思わず細々としたため息を零していると……

 

「んっ?」


 ふとページに書かれた一文に目が留まった。

 様々な情報が掲載されている冊子の真ん中。

 そこにはでかでかと重大発表と言わんばかりの記事が掲載されていた。

 

『勇者パーティー、東の魔大陸――グラグラ大陸に侵攻中。大陸のおよそ半分を奪還』

 

 僕はそれを見て、複雑な気持ちになる。

 ふと脳裏によぎるのは、あの青髪のいけ好かない幼馴染。

 勇者勇者ともてはやされていながら、その実体はサバサバという言葉だけでは説明のつかない、悪魔の性格を持った人物。

 そして同じく個性的なパーティーメンバー(女子)たち。

 僕は彼女らのことを頭に浮かべて、癪だと思いながらもぼそっと呟いた。

 

「…………なんだ、頑張ってんじゃん」

 

「何が頑張ってるんスか?」

 

「うおっ!」

 

 突然の後ろからの声に、思わず飛び上がりそうになる。

 反射的に振り向くとそこには、頭に三角巾を被り、パタパタして埃を落とす掃除道具を持った白髪の少女が立っていた。

 

「な、なんだプランか。驚かすなよな」


「驚かすって、別にそんなつもりはなかったんスけど」


 プランはしょぼんとした様子で肩を落とす。

 そういえば昨日からアルバイトが入ったのだった。

 治療院の掃除や洗濯など家事全般を担当することになったアルバイトのプラン。

 今日がその初仕事になるので、すっかり存在を忘れていた。

 気が抜けてるなぁと思っていると、プランはさらに僕の手元を覗くように前のめりになった。


「ところで、何が頑張ってるんスか? ていうか何読んでるんスか?」


「別になんだっていいだろ。プランには関係ないし」


「えぇ、教えてくださいッスよぉ。気になるじゃないッスかぁ」

 

 ゆさゆさ、ぐらぐら。

 僕の体を揺らしてくる。

 あぁ、鬱陶しい。

 引き剥がすのも面倒なのでしばらく揺らされるままになっていると……

 プランが突然、はっとなってニヤけた。


「あっ、アタシに見せたくない本ってことはもしかして…………ムフフなやつッスか?」

 

「ムフフなやつじゃねえよ」

 

 何を勘違いしたのか知らないが、僕はそんな本は読まない。

 ていうかそもそもムフフなやつってなんだよ。

 なんてツッコミを返しそうになるけれど、今はそんな場合ではない。


「あぁ、もう! なんなんだよお前! いいから言われた通りに仕事してろ! サボってんじゃねえ」


 至福の時間を邪魔された僕は、青筋を立てながら叱りつける。

 するとプランは、なぜか逆にぷくっと頬を膨らませて返してきた。


「むっ、人聞きが悪いッスね。別にサボってるわけじゃないッスよ」


「えっ?」


「もう言われたお仕事があらかた終わってしまったので、次に何をしたらいいかノンさんに聞こうと思ってたんス」


 それを聞いた僕は、思わず眉を寄せてしまう。

 もう言われた仕事が終わった?

 治療院全体を隈なく掃除し、埃一つ残すなと指示したはずなのに、それがもう終わったというのか?

 んなバカなと思いながら、改めて治療院を見渡してみると……


「う、おぉ……」


 いつもの治療院と見違えるくらい、ピッカピカに仕上がっていた。

 リビング、キッチン、洗面所、トイレ、玄関。

 至る所がまるでリフォームしたてのように光っていて、思わず僕は眩しさに目を細めてしまう。

 ここはもう、以前のあの木造り小屋ではない。

 ていうかなんで木造建築なのに光って見えるんだ? 大盗賊の器用さ恐るべし。

 おまけに洗濯と庭の手入れも済んでいるようで、揃えられた芝の上で洗濯物がすべて干されていた。

 

 見事といわんばかりの仕上がりを確認した僕は、恐る恐るといった感じでプランの方を振り返る。 

 すると彼女はきょとんと首を傾げて視線を返してきた。

 別段すごいことをした自覚もない様子だ。

 これほどの仕事をたった三十分ほどで為せるのは、きっとこいつ以外にいないだろう。

 そう思った僕は、先ほどの礼も重ねて問いかけた。


「疑って悪かったな。もう終わってるなんて思わなくてさ。ところでプラン、お前本当にアルバイト代いらないのか?」


「えっ? あっ、はいッス。アタシが好きで雇わせていただいたので、アルバイト代は結構ッスよ」


「い、いや、でもなぁ……」


 ここまでしてもらっておいて、報酬なしっていうのも悪い気がするんだが。

 プランはアルバイトとしてこの治療院で雇われることになったその日に、『バイト代は結構ッスよ』と笑いながら言ったのだ。

 だから僕も、本人がそのつもりなら別にいいのかな? とも考えたりしたが、さすがにこれは渡さざるを得まい。

 しかしプランはそれでもいらないと言うように、かぶりを振ってみせた。


「ノンさんには色々と助けていただいたので、そのお礼がしたいんスよ」


「……?」


「盗賊団のみんなのことをちゃんと助けてくれましたし、地下迷宮に行って呪騎士とも戦ってくれました。それに”ノンさんと一緒にいたい”というアタシのわがまままで聞いてもらってしまって、それでアルバイト代なんて受け取れるはずがないッス。むしろ”一緒にいさせてもらえること”がアルバイト代と言いますか。だからこうして毎日少しずつ、ノンさんに恩返ししていきたいと思っているんスよ」


「……」


 そう言われてしまえば、何も言い返すことができなかった。

 そんなアルバイト代でいいのだろうか。

 というか一緒にいさせてもらうことがアルバイト代とか聞いたことない。

 何も返せずに黙り込んでいると、プランはさらに笑顔で続けた。


「これからは器用さを生かして、この治療院の掃除、洗濯、炊事はアタシがこなしてみせるッス! ですからノンさんはお客さんの治療だけに専念してくださいッスね!」


「あっ、うん……わかった」


 早口で捲くし立てられて、ついつい頷いてしまう。

 でもまあ、プランがそう言うなら別にいっか。

 本人が嬉しそうにしてるならそれでいいし、僕が楽できる分には一向に構わない。

 正直たった一人で治療と家事を両立させるのは面倒だと思ってたしな。

 改めてプランのアルバイト入りを認めると、ちょうどそのタイミングで……

 コンコン。


「「……?」」

 

 不意に治療院の扉が叩かれた。

 僕とプランは揃って首を傾げる。

 現在時刻はお昼前。

 この時間に治療院を訪ねてくるのはノホホ村の人の可能性が高い。

 怪我をしているお客さんだろうか。


「はいは~い、どちら様ッスか~?」


 僕の代わりにプランが扉の方へ出迎えに行った。

 ノブに手を掛け、招き入れるようにドアを開くと、そこから現れたのは……


「こんにちは、ノンお兄さん!」


 茶色の短髪を揺らす、元気いっぱいな十歳前後の少女だった。

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