第7話 「呪いの霧」
地下迷宮。
それは、魔物が人間たちから姿を隠すために作った、広大な地下洞窟である。
初めは潜れる程度の穴を地面に掘るのだが、それが次第に広がっていき、やがては遥か下層に大きな巣を形成する。
入り組んだ洞窟内には、それぞれの魔物が自分の部屋を作り、そこに食料や気に入った宝石などを蓄積していく。
魔物が光り物に興味を持つというのは、実に摩訶不思議なことではあるのだが、しかし中には人間のマダムと同じように宝石が好きな魔物や、人間が使う武器防具を収集する稀有な魔物まで見られる。
そういった魔物たちが色々な物を洞窟内に貯め込んでいき、時間を掛けて作られた魔巣のことを、冒険者や盗賊たちは金銀財宝が眠る宝庫として、『地下迷宮』と呼んだりするのだ。
「んで、その地下迷宮がどうかしたのか?」
地下迷宮のことをわかった上でそう問いかけると、プランはこくりと頷いて話を始めた。
「先ほど言ったようにアタシら『クリウス盗賊団』は、悪党から貴重品を取り返す活動をしてるッス。それと同じように地下迷宮に蓄えられている物を取り戻して、元の持ち主に返すという活動もしてるッス」
「ふぅ~ん、それで?」
「三日前、いつものように数人で地下迷宮に潜って、魔物が盗っていった物を取りに行ったらしいんスけど……」
そこで言葉を切ったプランは、緊張した面持ちでさらに言葉を紡いだ。
「迷宮内部には普段と違って、”黒い霧”が充満していたらしいッス」
「黒い霧?」
「はいッス。薄くて黒っぽい感じの霧が、地下迷宮には蔓延していて、初めは特に気に掛けなかったようなんスけど、しばらくそれに触れていたら体が呪われてしまったらしいッス。だからみんなはそれを『呪いの霧』って呼んでるッスよ」
それを聞いた僕は、思わず額にしわを寄せて考え込む。
なんで呪いなんかが発生しているのだろう?
基本的に呪いとは、誰かの手によって生み出される。
自然に発生する可能性は皆無と言い切れるのだ。
加えて人間が作り出せる呪いには限界があり、さらには『呪術師』という希少な天職を持っている者にしか呪いは作り出せない。
となると考えられるのは、呪いを発生させているのは”魔物”ということになる。
しかし呪いを生み出せるほど凶悪な魔物が、魔大陸でもないこの大陸にいるとは考えにくい。
そんな奴がいれば大陸全土で噂が広まっているはずだ。
じゃあ誰が地下迷宮に呪いを撒いているのだろう?
と、疑問に思う僕だったが、とりあえず納得できることはあった。
「なるほどな。それで地下迷宮に潜った団員たちが呪いに掛けられたから、解呪魔法でそれを治療してほしいってことなのか」
「その通りッス。残念ながらアタシらの盗賊団の中には、回復魔法を使える団員がいないので、他所から治癒師を連れてくるしかないんス。だからこうしてノンさんにお願いしに来たんスけど……」
以上の説明を受けて、プランが僕を訪ねてきた理由はわかった。
盗賊団の中に治癒師がいないので、他所の治癒師に解呪をお願いしたかったから。
しかし僕の疑問はまだ残っていた。
「それって別に僕じゃなくてもいいんだよな。解呪魔法を使える治癒師なら誰でもいいわけだし。それなのになんでわざわざ辺境のノホホ村まで来て、僕の治療院を訪ねてきたんだ?」
言ってしまえばノホホ村は、滅多に人目につかない田舎村。
道を歩いてたまたま辿り着けるような村ではなく、来ようと思わなければ来ることができない場所なのだ。
ましてや人探しをするならもっと大きな町に行った方がいいと思うんだけど。
そう思って問いかけると、プランは心なしか背中を丸めながら答えた。
「確かに大きな町とかに行った方が治癒師を見つけられる可能性は高いと思うッス。でもアタシらは一応盗賊団として活動していて、町ではお尋ね者扱いされてるッス。だから……」
「あぁ、お尋ね者扱いされてない辺境の田舎村に治癒師を探しに来たってことか」
犯罪者は町に入ることすら困難なのだ。
だから辺境の地にあるノホホ村に治癒師を探しに来たというわけだ。
面倒事に巻き込まれないために田舎村で治療院を開いたのに、まさかこんな形で裏目に出るなんて思いもしてなかった。
「それで、アタシらのことを助けてはもらえないッスかね? ノンさん」
「うぅ~ん……」
……どうしよう?
僕は僅かに目を逸らして苦笑を浮かべる。
正直、助けてあげたい気持ちは多少なりとはある。
誰かのために盗みを働く、かっこいい生き様を描く盗賊団。
きっと感謝している人たちも大勢いることだろう。
でもなぁ……
「ぶっちゃけ、面倒なことには巻き込まれたくないしなぁ」
「そ、そんなこと言わずに、是非アタシらの盗賊団を助けてほしいッス! お礼もきちんとさせていただくつもりッスから!」
「いやお礼って、物を盗んで手に入れた汚いお金だろ。僕そんなの受け取りたくない」
「き、汚くなんかないッスよ! アタシらは困っている人を助けて正当に報酬を得ているんス! それに地下迷宮での活動なんて実質ボランティアみたいなもので、ほとんど利益なんてないんスから!」
ぷんすかと憤慨するプラン。
次いで彼女はやけくそと言わんばかりに、髪を振り乱して頭を下げた。
「お願いしますッスよノンさん! このままじゃみんなと一緒に盗賊稼業を続けられないッス!」
「……? いいことじゃないか」
「いやよくないッスよ! 何度も言うようッスけどアタシらは、困っている人たちから依頼を受けて盗みを実行してるんス! そこらにいる悪い盗賊団と違って、アタシたちの盗賊稼業は人を救っているんス!」
ことさら良い盗賊団だと主張するプラン。
それでも僕の心は動かされず、躊躇うようにして唸り声を漏らし続けた。
クリウス盗賊団というのが良い盗賊団なのはもうわかった。
彼女たちを頼りにしているであろう人たちのためにも、治してあげるのが治癒師として正解だと思う。
しかしどうしても面倒事を避けたいという思いの方が強く、僕は首を縦に振ることができない。
ここはやはりお引き取りいただいて、他の治癒師を当たってもらった方が良さそうだな。
「ここまで来てもらって悪いけど、やっぱり僕じゃ力になれそうにないから他を当た……」
と体裁よくお帰り願おうかと思ったのだけれど、プランはその気配を察したのかガタッと席を立ち上がった。
そして僕の右腕にしがみつき、ついには涙を浮かべながら声を荒げ始めた。
「お願いしますッスお願いしますッス!!! どうかアタシらのことを助けてほしいッス!!!」
「ちょ、おま、うるさいうるさい。村の人たちに聞かれたらどうすんだよ」
「お礼ならたっぷりとさせていただくッスから、団員たちの呪いをその手で解いてくださいッス!!! ノンさんが望むなら、アタシがなんでも言うことを聞きますッスから!!! どうか……どうかお願いじまずッズーーー!!!」
キンキンとプランの泣き声が治療院に響き渡る。
涙と鼻水で顔中がびしょびしょになっていた。
汚い。そしてうるさい。
いくら村の中央から離れているとはいえ、近くを散歩する人だっているんだぞ。
何事かと思って駆けつけてきたらどうすんだ。
ていうかこの状況は非常にまずい。
僕が一方的に女の子を泣かせているみたいじゃないか。
こんな姿を村人たちに見られでもしたら、これまで積み重ねてきた僕の人望が……
最悪の事態を想定した僕は、血の気を引きながらプランに言った。
「あぁ、もう! わぁーったよ! 助けてやればいいんだろ、助けてやれば!」
「えっ? いいんスか!? ホントにいいんスか!?」
「呪いに掛けられた団員たちを治してやればいいんだろ。ならさっさと行ってぱぱっと解呪するぞ。だからいい加減泣き止んでくれ」
じゃないと村の人たちが駆けつけてきてしまう。
そう危惧して渋々と承諾すると、プランはわなわなと体を震わせ始めた。
「あ、ああ……」
そして感極まってか、より一層大きな叫びを上げて抱きついてきた。
「あ、ありがどうございまずッズーーーーー!!!」
「おぉい! 汚ねぇからもうくっついてくんな! ていうかもう黙れ!」
村の人たちに聞こえちゃうだろ!
何のために僕が依頼を承諾したと思ってんだ!
こうして僕はこれからの平穏を守るために、一時の平穏を手放すことにしたのだった。
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