第4話 「訪問者」
一人の女の子が目の前に座っている。
小さな丸椅子に腰掛けて、怯えた様子で左腕の袖をまくっている。
肘の部分には痛々しい擦り傷。少女が怯えている理由はこれだ。
正面の丸椅子に座る僕は、その傷口に右手をかざした。
「人の傷は僕の傷。慈愛に満ちた温かな光よ。眼前の傷者に救いの手を――ヒール」
すると右手に、白い光がぽわんと控えめに灯った。
それはすぐに少女の傷を塞いでいき、たった数瞬で綺麗に完治させた。
女の子はその光景を見つめて、「わぁ……」と感嘆の息を漏らしている。
そしてすっかり元気を取り戻し、にこりと愛らしい笑みをこちらに向けた。
「ありがとう、おにいちゃん」
「うん、どういたしまして、ユウちゃん」
お礼を口にした少女――ノホホ村に住む八歳の女の子ユウちゃんに対して、僕も笑顔で応えた。
「こんなに綺麗に治していただいて、本当にありがとうございます、ノンさん」
すると僕らの様子を小屋の傍らで見守っていたユウちゃんのお母さんが、ぺこりと頭を下げた。
ユウちゃんと同じく艶やかな黒の長髪が、はらりと肩から滑り落ちる。
そっくりなつぶらな瞳とサイズ違いのお揃いの服を着て、まるで姉妹にも見える二人にほっこりしながら、僕は返した。
「いえ、大丈夫ですよ。これが僕の仕事ですから」
そう、これが僕の仕事。
怪我に苦しんでいる人たちを、回復魔法によって助けてあげる治癒師。
そしてこの木造り小屋は、現在僕が営んでいる治療院だ。
ノホホ村で治療院を開いてから、早くも一ヶ月。
僕は田舎村での悠々自適なスローライフを満喫していた。
初めのうちはあまり儲からないだろうと覚悟していた。
治療院自体も村の隅っこに建てられているので、客足もあまり伸びないはずだと。
しかし村の人たちは小さな怪我をしただけでもこの治療院にやってきてくれて、僕の治療を受けてくれた。
村人の中に回復魔法を使える人がおらず、新鮮に映ったのが功を奏したのかもしれない。
そのおかげで僕は、今日までこうしてノホホ村で生活することができた。
村の中央広場で売られている物も、良質な物が多くてそのうえ安価。
日に数件の治療をこなすだけでも充分に暮らしていける。
おまけに面倒な事は何も起こらないし、村の人たちとも仲良くなれてきた。
どうやら僕の正体もバレていないみたいだし、勇者パーティーで回復役していた頃の僕はもはや死んでしまったと思っていい。
僕はこのノホホ村で治療院を営んでいるノン。
そして本日もまた、村の人たちを笑顔にすることができた。
密かに喜びを感じていると、ユウちゃんが嬉しそうに完治した腕を眺めていた。
最近仲良くなったこの子も、よく怪我をして治療院にやって来てくれる。
毎回それに付き添っているお母さんの話によると、普段はとても物静かで内気な性格の女の子らしい。
けれども僕から見れば、とても明るい女の子だ。
もしかしてこの治療院に来る時だけ元気になっているのかな? そうだとしたら嬉しいな。と呑気なことを思っていると、お母さんが不意に口を開いた。
「それにしても、回復魔法というのはすごいですね。こんなにも一瞬で傷が癒えてしまうなんて。今この村で回復魔法を使えるのはノンさんだけですから、みんなすごいすごいって言ってますよ」
「ま、まあ、そうですね。町の方でも回復魔法を使える人は少ないと聞きますし、珍しく映っているのかもしれませんね」
だからこそ珍しいもの見たさに、村の人たちもこの治療院にやってきてくれるのかもしれない。
一番最初に治療してあげたコマちゃんの反応も、それはすごいものだったし。
にしてももうひと月経つんだなぁ、と少し感慨深く思っていると、やがてユウちゃんママが懐から治療費を取り出した。
治療は一律500ガルズ。
家族のためにせっせと働く男性のランチ代と同じくらいだろうか。
本当はもう少し安くしてもいいと思うのだが、村の人たちから「500ガルズは受け取るべきだ」と強く勧められた。
ゆえに治療費はこの額に落ち着いたというわけだ。
ユウちゃんママは僕に500ガルズを渡し、それからユウちゃんを連れて出口に向かった。
「それでは、ありがとうございました」
「いえ、また何かあったら来てください」
「はい。これからもよろしくお願いいたします」
再びぺこりと頭を下げたお母さんに続き、ユウちゃんからも一言。
「バイバイ、おにいちゃん。またね」
「うん、またね……って、もう怪我しちゃダメだからな」
「うん!」
元気よく返事をしたユウちゃんは、お母さんと一緒に治療院を後にした。
木造り小屋の中には、僕一人だけが残される。
しーんと静まり返った部屋で、誰に言うでもなく呟いた。
「さてと、今日はもう店じまいかな」
時刻は夕飯時。
大抵この時間帯になると、治療院にやってくる人たちはいなくなってしまう。
遅い時間で、僕に気を遣っているのかどうかわからないが、よほどの怪我をしていなければ明日の朝などに改めて来る人たちが多い。
きっとユウちゃんたちも、帰りに夕ご飯の材料を買って、お家に帰るのだと思われる。
となれば僕も、そろそろご飯の準備に取り掛かった方がいいだろうか。
そう思って、台所の方へ向かう。
そして晩ご飯の準備に取り掛かろうとしながら、僕はふとあることを思った。
治療院で女の子の怪我を治してあげて、お礼の言葉を掛けられる。
戦いや面倒事に巻き込まれることもなく、田舎村の隅っこで静かな暮らしを満喫する。
来る日も来る日も魔物との戦いや、仲間から罵詈雑言を浴びせられていたあの頃とは大違いだ。
僕は今、幸せの絶頂期にいる。
スローライフ最高。
こんな日々が、ずっとずっと続けばいいのになぁ。
「ふんふふ~ん♪」
思わず鼻歌なんかも零しながら、僕は晩ご飯の献立を考えていく。
踊るようにキッチンを右往左往しながら、上機嫌で調理の準備を進めていくと……
コンコン。
「んっ?」
不意に治療院の扉が叩かれた。
僕は思わず調理の手を止めて、首を傾げながらそちらに視線を移す。
こんな時間に誰だろう? お客さんかな?
そう思って急いで扉を開けて、恒例の挨拶を元気よく飛ばそうとした。
「はいは~い、どちら様で……」
しかし僕は、途中で声を止めることになる。
なぜならそこにいたのは、全身を暗い色のマントで包み込んで、フードを目深まで被っている、見るからに怪しい人物だったからだ。
僕は思わず息を呑んで後ずさりしてしまう。
誰なんだこの人? なんでそんな格好をしているのだ?
見たところ小柄な体躯なので、おそらく女性だろうか?
まあ、村の人ではないだろう。今までこんな格好で治療院に来た人はいない。
僕は黒マントの女性に訝しい視線を向けながら、額に冷や汗を滲ませる。
そして立ったまま何も言わない彼女に対して、普段通りの声を掛けてみた。
「あ、あのぉ……
若干声が震えてしまったが、女性はそれを聞いて不意に顔を持ち上げた。
フードの奥から放たれる眼光に、さらに足を引いてしまう。
すっごい見てくる。もう視線だけで体を貫こうとしているように。
もし危ない人とかだったら、すぐに村の人を呼ぼう。
そう思って逃げ道の確認をしていると……
「あの、つかぬ事をお伺いしますが……」
「……?」
不意に目の前の女性が、小さな声を漏らした。
予想よりもだいぶ若々しい声。
少女と言っても差し支えないほどだろう。
そんな声を聞いて、思わず疑問符を浮かべていると、彼女は出し抜けにこんなことを聞いてきた。
「勇者パーティーで回復役をしていた、ゼノンさんッスよね」
このまま変わらぬ日々が続けばいいという僕の切実な願いは、不意に断ち切られることになった。
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