エピローグ――こちらはアミメ探偵事務所!

 その日の夕暮れ。誰もいない材料置き場で一人、プリンセスがほうきを繰っていた。ふと見上げた大穴から差し込む夕日はだいぶ低くなっている。赤く照らされる材料置き場には、まだ手付かずの残骸や破片がまだ大量に転がっていた。

 ほうきを床に置き、足元に掃き集めた細かい残骸をそばの木箱に放り込んでいく。今朝から作業を始めて、箱には大量の木屑や破片が積もっている。ある程度溜まったら今度はこれを外まで運び出さないといけない。相当な重量がありそうなこれを運ぶことを想像すると骨が折れるが、今の自分に不平を漏らす権利はどこにもない。

 

「つっ……」


 考え事しながら破片を掬い上げているときだった。突然指先に鋭い痛みが走り、とっさに手を引っ込める。ガラスの破片でも混ざってたのか。ざっくり裂けた人差し指にできた赤い線がぶわっと広がっていく。

 滴り落ちていく血をもて余してると、ふと入り口のほうから誰かが駆け寄ってくる気配を感じた。血相を変えて駆け付けてきたマーゲイは、自分のほうきを放り出して、プリンセスの顔と怪我とを見比べる。


「プリンセスさん。大丈夫ですか」

「気にしないで。ガラスでちょっと切っちゃったみたいで」


 プリンセスが言い終えるより早く、マーゲイは自分の血だらけの手を掴んで人差し指を咥えた。温かい舌先が怪我を舐めとられる軽い痛みに顔をしかめていると、安心させるようにマーゲイが穏やかな吐息を漏らす。度重なる心労のせいか、乱れた髪には生気がない。

 うっすら涙の跡の残る頬に掛かった髪をそっと撫でつけてやりながら、プリンセスはマーゲイに微笑み掛ける。


「ごめんなさいね。掃除を手伝わせてしまったうえに、こんなことまでさせてしまって」


 小さく首を横に振ったマーゲイが、そっと指から口を離した。血が止まったことを確認し、弱々しく笑んでみせる。


「気にしないでください。ちょうどプールの水が抜けきるまで暇してましたから。それに」


 マーゲイの言葉に力が籠る。


「私は自分の意思でプリンセスさんに協力したんです。これはあくまでその結果。なにも気に病む必要はありません」


 騒動の後始末と、一ヶ月間の会場の掃除。これが二人に言い渡された罰だった。事情や気持ちは十分理解できるが、それでもやってはいけないことをやり、博士から借りた設備を破壊し、実際に怪我人を出してしまった。いたずらで済ますことはできない。それなりの報いを受けてしかるべきだ。と、ペパプと探偵たちとの間で決定したことらしい。


「……一ヶ月あれば、荷造りを済ます時間は十分あるわね」


 ぽつりと漏らした言葉に、マーゲイの表情に悲しそうな色が広がる。プリンセスは足元を見つめるように俯いた。とても直視する気にはなれなかった。


「一ヶ月後、私はペパプを去るわ。こんなことをしてしまった以上、ここに残ることはできないから」

「でも、でも。あれはプリンセスさんがみんなのことを心配して」

「目的はどうであれ、私はやってはならないことをしたのよ」

「でもっ」


 マーゲイの潤んだ声がプリンセスに突き刺さる。頬に残る涙の跡を新しい涙が伝っていくのを、プリンセスは見た。

(あぁ、そういえばこの子の楽しそうな顔、もうずっと見てないわ……)

 計画を伝えて以来、常に緊張と不安を張り付かせていた。心優しいマーゲイにとって。バレてしまうかもしれない恐怖は相当だったにちがいない。もしこうして真相が暴かれなければ、その恐怖を一生背負わせていまうところだったのだ。

(なんてバカだったのかしら)

 そのことを今さら気づいた自分自身がやるせない。流す権利のない後悔の涙が溢れだして止まらない。


「私を信じてくれてるメンバーを。ファンのみんなを。そしてあなたの思いを裏切ってしまった。もう私にアイドルをする資格はない。あなたの友達でいる資格も……」


 言うべき言葉を失ったマーゲイがプリンセスを抱き締めてきた。痛いほどに抱き締めてくるのに、プリンセスも同じく抱き締める。


「コウテイも。フルルも。ジェーンもイワビーも。きっと私と一緒にいるのは苦痛に違いないわ」


 私がいる限り、誰も幸せにならない。だから、去るのだ。私と言う存在を消し去るために。


「本当に……ごめんなさい」





 そうして二人で抱き合い、しばらく経ったときだった。タタタッと軽い音を立てて誰かが走ってくる。何だろうか。そう思った刹那、材料置き場の入り口からよく見知った顔がひょっこり姿を表した。


「……フルル?」


 顔だけのフルルがプリンセスたちの姿を認めると、「あー」といつもの間延びした声を漏らす。


「みんなー。こっちこっち」


 そう言って廊下の方へ呼び掛ける。了解の返事は複数人分。最初に姿を表したのはイワビーだった。「よお」といつもの軽い調子で材料置き場へ入ってこようとし、プリンセスらの姿に一瞬戸惑う。


「あっ……ちょっ、お、おまえら何してんだ」

「あの、そういうことはもっと暗くなってからのほうが」


 真っ赤になったイワビーに続いて入ってきたジェーンが気まずそうに目をそらす。プリンセスとマーゲイが慌てて離れたところで、戸口を潜ったコウテイが不思議そうに首をかしげる。


「ん? 二人がどうかしたのか」

「なんかねー。二人きりで抱き合ってお互いを慰め合ってたんだよー」

「本当かフルル。それは見たかったな」

「ごご、誤解よ誤解! そんなんじゃないって……ば?」


 にやにやと茶化してくるコウテイを必死で否定するプリンセスは、ふとみんなの格好に気がついた。みんな、手に手にほうきやモップ、雑巾を持っている。


「冗談だよ冗談。さ、みんな。始めるぞ」


 おおっ、と小気味良い返事とともに材料置き場に散開するペパプたち。それぞれ手にした掃除道具を使って片付けをする様子を、プリンセスとマーゲイはただ唖然と眺めるしかなかった。


「どうかしたか?」


 近くの木箱に腰を下ろしたコウテイが二人に尋ねた。


「え、みんな。どうしてここに」


 おろおろとコウテイとみんなとを見比べるマーゲイ。困惑しながらプリンセスが訪ねると、コウテイがにこりと笑って肩をすくめる。


「手伝いに来たんだ。二人だけに掃除を任せたら可愛そうだろ」

「でも。これが私たちの罰なんだってさっき……」

「あのあと、みんなで話し合ったんだ」


 コウテイが静かに話し始めた。


「プリンセスの言うとおり、私たちはセルリアンをなめてた。黒セルリアンを倒して以来、まるで自分達が強くなったように感じてた。あのとき、私たちがやったことと言えば足止めくらいだったのに、さも自分達だけで倒したみたいに勘違いしてたんだ」


 ジェーンが掃除の手を止めて、


「前に楽屋に花束を持ってきてくれたフレンズさんのこと、覚えてますか。セルリアンに食べられた友達が好きだった花、どうか受け取ってほしいって。……今でも多くのフレンズが犠牲になってるのに、自分達には関係ないんだって思い込んでた」


 雑巾を掛けていたフルルが顔をあげ、


「ステージでセルリアンを見たとき、すっごく怖かったんだよね。怖くて、ビックリして、全然動けなくなっちゃった。もしあれが本物だったら、フルルは食べられて、みんなのことを忘れちゃってたんだよね。きっと」


 いつの間にか後ろに立っていたイワビーがポンと二人の肩を叩き、


「おまえらが思い出させてくれなかったら、きっと俺たちの誰かが犠牲になるまでずっと気がつかないままだったろうな」


 言って、照れ隠しのように二人にジャパリまんを突き出した。


「朝から何も食ってねーんだろ? これでも食ってろ。たーだーしー、食ったらバリバリ働けよ! 俺たちはお前らを手伝いに来ただけなんだからな!」

「フルル知ってるよー。そういうの、ツンデレって言うんだよね」

「フルルさん……詳しいですね……」

「ははは。さすがだな」


 笑い合うペパプたち。見慣れた光景のはずなのに、その姿はとても眩しくて。


「みんな……」


 ボロボロと溢れてくる涙。嬉しさのあまりに熱くなった心が声を震わせる。


「……ありがとう」


 マーゲイとともに心からの感謝を口にし、二人は手元のジャパリまんを頬張った。

 仲間から貰ったジャパリまん。それはちょっぴりしょっぱい、だけどやさしい味だった。




 その様子を大穴の影から見ている者がいた。

 静かに大穴から離れたラッキービーストは、 ピョンピョンと跳び跳ねるようにして会場を後にする。湖の小島に架かった橋を通り、森に入り、周囲にフレンズがいないことを短距離スキャンで確認したラッキービーストはおもむろにその場で立ち止まる。

 キイン……。甲高い起動音とともにラッキービーストの目が光を放つ。前方数メートルの空間上に立体映像が浮かび上がった。厚みのない大きな一枚板のような映像には様々なデータが読み出しとなって流れていく。


「近距離ネットワークヘアクセス、完了。コレヨリ二日前ニテ発生シタ事案ニツイテ、続報ヲ行ウ」


 事件の様子について綴った読み出しに新たな文面が加えられていく。


「報告ニアッタ、負傷シタコウテイペンギンノ容態ハ安定シテイル模様。マタ、負傷箇所ニツイテモ驚異的ナ早サデ回復傾向ニアル。恐ラク周囲ニイル仲間タチノ必死ノ看病ガ効ヲ成シタモノト思ワレル。

 彼女タチガ計画シテイタコンサートニ関シテモ、当初ノ予定通リ開催デキルモノト確信スル」


 文章の終わりに、一枚の画像がアップロードされた。泣きながらジャパリまんを頬張るプリンセスとマーゲイと、二人を取り囲むペパプたち。屈託のない笑顔を浮かべる皆のその姿は、いつもの仲の良いペパプそのものだった。


「以上、報告ヲ終了スル」




 アミメキリンとタイリクオオカミは二人並んでロッジへ続く森の中を歩いていた。それぞれが両手にジャパリまんの入った木箱を抱えている。事件解決のお礼にと、量が二倍になったのだ。


「……これで良かったんですかね」


 ぽつりとアミメキリンがこぼす。先を促すようにタイリクオオカミがちらりと目線だけを寄越す。


「プリンセスもマーゲイも。みんなのためを思ってただけなのに、私たちがそれを暴いてしまった。秘密をばらしてしまった以上、もう二度と仲良くできなくなったんじゃないかって、私、不安なんです……」

「こんなことでバラバラになるほど、彼女たちの絆は弱くないさ」


 タイリクオオカミの言葉は自信に満ちていた。


「雨降って地固まるって言葉があるくらいだ。わだかまりのなくなった今、彼女たちの絆は今までよりもっと強くなるはずだよ」

「そうですかね」

「漫画家の私が言うんだ。間違いないよ」

「わかりました」


 何とか返した言葉は、我ながら元気のないものだった。

 気持ちの沈んだアミメキリンの顔を見て、タイリクオオカミは励ますように微笑み掛ける。


「きみを探偵に誘って正解だったよ」

「そう、ですかね?」

「その通りさ。私一人では、この事件は絶対に解決できなかった。きみの観察眼と記憶力があったからこそ、迷宮入りを防げたのさ」

「そんなことを言ったら、私だって一人だったら何もできなかったですよ? 先生の冷静な推理力のおかげですよ」

「つまり二人で名探偵ってことかな。二人で一人の名探偵。なかなかいいかもしれないね」

「名探偵、か」


 一方は記憶力を。もう一方は推理力を武器に事件解決に導く。足りないところを補い合うことで、二人分以上の力を発揮する。自分の憧れていた名探偵に慣れたと思うと、誇らしい気持ちが沸いてくる。


「そう言われると、何だか恥ずかしいですね……」


 嬉しさのあまりつい口許が緩みそうになる。おや、とタイリクオオカミが目を細める。


「やっといい顔してくれたね」


 言って笑い合う二人。そのとき、アミメキリンはふと頭上を飛んでいく二つの影を見つけた。


「あら。あれは」

「どうしたんだい?」


 遠くて定かではないものの、その白色と茶色の影には見覚えがあった。


「博士と助手、かしら」

「方向からすると、ロッジから飛んで来たようだね。二人揃って来たと言うことは、何か大きなものでも持ってたんだろうか」

「博士と助手……ロッジ……大きなもの。わかったわ!」


 脳裏に閃くものに、アミメキリンは猛然と駆け出した。呼び止めようとするタイリクオオカミの声を振り切り、一足先にロッジへ到着すると、ちょうど入り口からアリツカゲラが出てきたところだった。


「あ。ちょうど良かったです。今博士たちが来てくれて事務所の方に――」

「ありがとう。先生が追い付いたら先に行ってるって伝えておいて!」


 話もそこそこに、木箱を預けてロッジへ飛び込んだアミメキリンは廊下を駆け抜けた。事務所の前で立ち止まり、キラキラと目を輝かせながら″それ″を見上げた。


「これはまた、立派なものを作ってくれたんだね」


 遅れてやってきたタイリクオオカミが、同じく″それ″を見上げて呟いた。

 真新しい木の看板。明るい色をした表面に、彫り込まれた文字は黒く墨入れがなされている。読めないもののそれが何を意味しているものなのか、二人は知っていた。


『アミメ探偵事務所』


 扉の上に大きく取り付けられた看板。探偵としての第一歩を飾る誇らしい象徴を、二人はいつまでも見つめていた。

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